愚慫空論

ご先祖様


昨日はお彼岸の中日ということで、墓参りに行ってきた。参ってきたのは私の父の系列のご先祖様だが、なぜか今住んでいるところからは近くて、往復で300キロほどの道程。

この300キロの内訳は、概算で山道(といっても国道だが)が200キロ、信号が一杯あって渋滞している都会道100キロといったところ。山道は走り慣れているのでどうってことはなかったが、都会道は疲れた。車の運転は非情な交通マナーで知られる大阪で慣らしたからもともとは都会道にも強いはずなのだが...、車の運転まで田舎モンに成り下がってしまった(苦笑)。

ああ、そうそう。昨日は山道でも疲れたのだった。トロイ都会モンがカーブをのたくた走ってくれるおかげで、ストレスが溜まったせいで。


話はご先祖さまだった。
「先祖」という言葉を辞書でみてみると、
    1.家の初代。血筋のはじめ。
    2.一家の、今生きている人よりは以前の人々。
と出ていた。ご先祖様に墓参りというときの先祖は、2のほうの意味であろう。だが、1にしても2にしても、「家」という概念の源泉の「血筋」が前提にあって「先祖」だいうことである。
「血筋」に基づいた「先祖」。当たり前の話で、昔々から延々と続いてきた概念のように思われるが、実は、ほんの150年ほど前までは違ったのだいう話を、ここでしたい。内山節氏の講演で聞いた話である。


内山氏によると、ご先祖様が血筋に基づくご先祖様に変化したは明治維新の時だった。廃仏毀釈令が出て、それまでの神道が国家神道に改変され、「仏」だけでなく日本の地域に息づいていた多くの「神」も打ち捨てられた。と同時に「家」という概念が広く導入され、それまで日本の庶民が名乗らなかった姓を、日本人なら誰もが(もちろん天皇家は例外だが)名乗るようになった。そして、ご先祖様もそれまでのご先祖様から血筋に基づいた「家」を前提にしたご先祖様、現在の常識で言うご先祖様に改定されたのだった。

明治以前の日本にも武士等の支配階級には姓はあり、家系というものが重視された。しかしそれは、歴史がそうであったように、あくまで支配の正統性を確保するための道具であって、支配される側の庶民には必要ないものだった。それが庶民にも必要とされるようになったのは、庶民の要請ではなくて、これもあくまで支配者側の都合によるものだった。日本を天皇を機軸とする近代国民国家に変貌させるため、庶民をも「臣民」として国家の成員として組み込む。そのための「姓」の付与であったわけだ。
歴史の教科書などをみると、明治維新で「姓」が名乗れるようになったのは支配からの解放であるかのように書いているが、事実は逆で、それまでよりも支配が厳しくなってしまったのである。つまり、万世一系の天皇の下、臣民はその血筋まで支配の下に置かれた。血筋すら自由でなくなったのである。
ただ、当時の庶民たちは喜んだのは間違いない。お武家様と同じように姓を名乗れるようになったのだから。しかしそれは、江戸時代の武士と同様、国家(江戸時代は徳川幕府)の家来になったということを意味した。江戸時代までは、庶民は支配はされていても(一方的な支配であったというのも誤った認識だが)、支配者の家来ではなかった。家来になることによって、完全に支配下におかれてしまったのである。

ご先祖様の血筋指定も、そうした国民全員を家来に置くことを目的として行われたものだった。


では、姓を持たず、血筋指定される以前の日本の地域に根付いていた「ご先祖様」は、どういったご先祖様だったのか。それは地域で亡くなった人すべてが、その地域で暮らす人みんなのご先祖様だったのである。血筋は特に関係なかった。血縁よりも地縁の方が大切だったわけだ。
だが、地縁で凝り固まっていたかというと、そうでもなかったらしい。昔は街道沿いに行き倒れの人がしばしばいたが、そのような人の霊も供養の上、ご先祖様と位置づけられていた。
実際、今でも熊野の山の中を歩いていると昔の街道沿いに立派な墓があったりする。「金太郎の墓」なんて呼ばれていたりするのだが、集落のなかった街道の途中でポツンと墓があるのを不思議に思っていろいろ聞いてきると、行き倒れだったのだろうという話になった。そうした人を、百年以上たった現在も形が残るような立派な墓石を立てて祀ったというのはそれなりの理由があったのだろうけど、行き倒れの旅人もご先祖様として祭られたというのであれば、納得できる。


こうした地縁を中心とした「ご先祖様信仰」は、風土に庶民の基づいた死生観と深いかかわりをもっていた。

日本人は「もののあはれ」を解する民族だという。「もののあはれ」とは、ザックリ言ってしまえばこの世は不条理だということである。それを知るのが「もののあはれ」だ。
人間が生きていくということは、不条理の中を生きていくということである。生まれたときは穢れのない無垢な赤ん坊だった人間も、不条理の世界を生きていくうちに穢れていく。無垢な自然の恵みを横取りし、己の命を繋いでいかなければならない不条理。昔の日本人は人間・動物のみならず植物やそこらに石にすら霊性があると考えていたから、そうしたものを自分の為に利用することを穢れた行為であると見做していて、だからモノをムダにすることを“もったいない”として忌み嫌ったのだ。どれほど節約しようとも“もったいない”ことを避けられぬ生の営みそのものを、穢れた行為だと考えていたのである。

やがて人は寿命を迎え、肉体は自然に帰ると同時にその魂も自然の中へ帰っていくと信じられていた。そして自然の循環の中で、穢れた魂は再び浄化される。ご先祖様とは魂浄化の過程にある人、もしくは浄化の完了した人たちのことであり、「ご先祖様信仰」とはすなわち「自然信仰」に他ならなかったのである。


細かい部分は忘れたが、内山氏は以上のような話をされていた。そしてこの日本人の「自然信仰」は、信仰ではあっても宗教ではないと言っていた。なぜなら、「自然信仰」は信仰でこそあるものの、信仰が宗教になるのに必要な権威がどこにも存在しないからである。
現在では「ご先祖様」というとどこかに権威があるように感じてしまうが、昔の信仰によると単に浄化されていく人の魂というだけのことである。肉体が朽ちた魂は浄化されずに穢れたままだとこの世に祟りをなすと信じられていたので、その弔いは丁重に行われた。権威があったとすればそれは祟りをなす悪霊への権威であったろうが、それは忌避すべき権威であり、権威が忌避された宗教など成立し得ない。
また葬式等の弔いについても、仏教の僧侶がお経を上げるということはしても、葬儀で死者の魂を弔う主役はあくまで地域共同体であり、その風習は今で「野辺送り」などとして地方では残っている。

コメント

神は1つでも鬱陶しい

内山氏の話は聞いたことが無いのですが、なにやら死んだ親父の話していた事と、可也の部分が重複しています。
違う処は、若い内山氏が「自然信仰」を肯定的に評価して居るらしいことでしょう。
『過ぎてしまえば皆美しい。』
街路には街灯などの明かりは全く無く、真の闇夜があった時代。
当時の田舎町では、狐や狸が人を騙し河童や海坊主や其の他色々が普通の生活の中に生きていた、そんな時代。
田舎でもキリスト教宣教師が伝道の為の辻説法(ミッション)をしていた、そんな時代。
昔の神々がまだ完全に死んでいず、新しい神も未だ絶対的な権威が無い。

現代の知識人内山氏にとって失われた神々は美しい存在に見えるだろうが、当時の知識人たちにとっては如何見えたであろうか。?

神なんて代物は、1つでも鬱陶しいのに八百万もあったら生活するのに、それは、それは鬱陶しかったらしい。

森の鬱陶しさ

「逝きし世」の文化は、イメージとしては森の文化ですよね。対して近代西洋の文明文化は草原ないしは砂漠の文化です。

鬱蒼とした森のなかは確かに鬱陶しい。陽は遮られ、湿度も高い。森の切れ目へ出たときの爽快感はえも言われぬものがあります。
維新以降、急速に森の文明文化が鬱陶しく感じられるようになったのは、草原・砂漠の文明文化が爽快なように思えたからでしょう。
けれど、日本人にはそこは寒すぎた。鬱陶しくても、元の森のほうが性に合っているのではないでしょうか。

過剰な民俗史観

こんにちわ.私は愚樵さんの過剰な(日本)民俗史観が大変気になります.それを使った二分法についても.
その一つが森の文化.
聖書は確かに草原と砂漠の薫りがしますが,それが伝わったヨーロッパには豊かな森の文化が在ったのではないですか?聖書の草原と砂漠もヨーロッパでは長い歴史で十分カスタマイズされたのではないでしょうか.赤頭巾ちゃん,ロビンフッド,森は生きている,・・・森のお話はたくさんあります.また,妖精もたくさん.それから妖怪もたくさんいます.指輪物語にもハリーポッターにもたくさん出てきます.
日本民俗と同じようにヨーロッパにも民俗はたくさんあると思います.

姓について

ヨーロッパの庶民の姓はいつごろからできたのでしょうね.どなたかご存知の方,教えていただきたいのですが.
聖書ではイエスは「ナザレのイエス」と地名つきです.指輪物語では,「○○の息子アラゴルン」などと王子が名乗る場面が良く出てきます.これも○○が姓の代わりをしていたのだと思います.
ユリウス・シーザーは姓がありますが,庶民はどうなんでしょう.

姓と言っても

 ガイウス(個人名)・ユリウス(家門名)・カエサル(家名)と塩野七生さんが書いていたと思う.
 庶民の姓ですか.
 う~ん.

 さらばじゃ~.

森のヨーロッパ

>それが伝わったヨーロッパには豊かな森の文化が在ったのではないですか?

その通りだと思います。誤解されたのなら申し訳ないのですが、私は何も日本だけに森の文明があるといったつもりはないのです。私は森の文明こそ世界中の文明の基礎であると思っています。

中世ヨーロッパは歴史教科書的理解ではキリスト教世界ですが、私は違うんじゃないかと思っています(勝手な予想です)。カトリックという宗派には、非常に多くの「森の文明」的要素が紛れ込んでいます。キリスト教がヨーロッパに広がるには“森の文明との融合”が必要だったのでしょう。
キリスト教が本来持つ砂漠の匂いが強く出るようになったのはプロテスタンティズム以降です。ローマの権威を否定し、聖書への回帰を求めた一種の原理主義。ヨーロッパで「近代」が始まったのは、プロテスタンティズムがあればこそです。カトリックからは資本主義は生まれませんでした。

ですから、ヨーロッパにも日本と同じく“森の文明の鬱陶しさ”からの“砂漠・草原の文明の爽快さ”への憧憬みたいなものはあったと思います。ただ現在のヨーロッパはその段階を通り過ぎて、森への回帰志向が明確になってきています。指輪物語やハリー・ポッターはその象徴でしょうね。

ついでにアメリカについて言及しておきますと、アメリカはもともとからプロテスタントが建国した国です。森の文明と融合したカトリックの影響はなかった。だから今でもアメリカは「キリスト教原理主義」の国なんです。

姓と苗字

>ヨーロッパの庶民の姓はいつごろからできたのでしょうね

これは私も知りません。私も知りたいです。

>聖書ではイエスは「ナザレのイエス」と地名つきです

これは日本式でいうと、「ナザレ」は苗字に当たりますね。現在日本では姓と苗字は混同されていますが、本来は全く別個のものです。
姓は上から下賜されるもの、苗字は自分で名乗ることが出来るものです。この場合、地名を名乗るのが一般的であったようです。例えば室町幕府の足利氏。足利氏の姓は“源”です。つまり足利氏は源氏の一派であり、足利地方を根拠地にしたので“足利”という苗字を自ら名乗ったのです。

ちなみに鎌倉幕府以降、征夷大将軍という位は源氏の独占物となります。つまり姓が源でなければ幕府を開けないということになります。織田信長や豊臣秀吉が幕府を開けなかったのはそのためですし(「豊臣」は朝廷から下賜された姓、また信長は一時室町最後の将軍義昭の養子となることで源氏になろうと画策した)、源氏でなかった徳川家康は家系の改ざんして強引に徳川氏は源氏であるということにしてしまいました(このことは逆に、姓が支配の正統性確保のための道具という位置づけを際立たせます)。

はっきりと区別がなされていた姓と苗字とが混同されるようになったのは、明治維新で庶民にも姓が下賜されてからです。下賜といっても数多い庶民一軒一軒を明治政府が姓を定めるわけにいきませんでしたから、自己申請にしたわけです。そこで自己申請である苗字と姓の混同が起きてしまった。けれど現在でも、正式には(法的には)苗字といわず姓が正しい。これはこうした事情が背景にあるわけなのです。

歴史の書き換え

『姓が下賜』の話は『神話』です。
千年前には宮廷内の『実話』だったかも知れませんが、今も昔も、我々庶民とは何の関係もない話ですね。
歴史的に見ても殆ど何の意味をなしません。
『姓と苗字は混同されていますが、本来は全く別個』も天皇が日本を創り歴史を創った話、暦を創り時間を支配した話、姓を創り名前を支配した話と同じ系列で論じられるべき性質の話です。
基本的にはすべて神話の類いで、信じる人にとっては真実でも信じない人にとっては『神話』以上の何ものでもない。
封建時代に庶民には苗字が無かったなどの話は、後世の創作。
明治初期に生きていた人々(事実を知っている人)が少なくなって言われだした。
沖縄戦の真実をまだ生存者が存命中に書き換えようとした日本の文部科学省などの稚拙で無様な遣り口は、歴史を知らないから。
慌てて書き換えてはいけない。事実を知る生存者がいなくなってから、ゆっくりやると成功する。

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