愚慫空論

人知の闇

3月も半ばが過ぎた。

暦はとうに春に入っている。寒さも幾分緩みだした。
山にも春の気配が、まだ少しではあるけれども、着実に訪れてきている。

山はまだまだ寒い。雪が残っていて、その上を渡ってくる風は冷たい。
それでも、どこか華やいだ気配を感じる。
冷たいなかにも、ほのかに暖かさを抱いている。
そんな感じがする。

日が長くなった。日差しも少し強くなった。
木々の芽の膨らみも大きくなり始めた。
渡りの鳥たちも姿を見せるようになってきた。
どうかすれば、さえずりも聴くことができる。
間違いなく春の気配だ。

春の気配は、これから一雨降るたびに色濃くなってゆくだろう。
新緑が萌え出すのも、もう間もなくだ。



嬉しいはずの春の訪れも、しかし、フクシマのことを思えば憂鬱になる。
春になって生態系が活発に動き出せば、放射能の影響もまた活発になりはしないかと思うからだ。

 チェルノブイリのいま – 死の森か、エデンの園か(WIRED)

1986年に事故があったチェルノブイリの周囲では、現在、豊かな生態系が甦っているという。だがその豊かさは、見せかけだけのものなのかもしれない。たくさん死ぬから、たくさん外から入り込んでくる。放射能は動物には感知できないから、危険も察知できない。放射線の影響でたくさん死ぬところは、死なないところと比較すると生存競争が緩い。それで多くの個体が外部から入ってきているのではないかというのである。いわばブラックホールの豊かさだ。

同じことがフクシマでも起こるだろう。

そんなことを考えてしまうと、嬉しいはずの春の気配も憂鬱なものになった。

核の技術は、自然の道理をねじ曲げてしまう。
人類はそんな技術に手を出すべきではなかった。

「人知の闇」という言葉が、春の気配のなかで、重くのしかかってきた。

今を生きる親鸞


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