愚慫空論

「生類とコスモス」から

前々回では馬の扱いに絡んだドラマのワンシーンを取り上げたのだけれども、そのとき思い出していたのが『逝きし世の面影』である。タイトルの「生類とコスモス」というのは、この本の第12章である。

『逝きし世の面影』は名著と名高いもので、わがブログでもたびたび取り上げているが、、一部“トンデモ”という批判もある。歴史的事実を生真面目に追究したものでは確かになく、幕末から明治初期にかけての異邦人の記録が元になっているとはいえ、それらを特定に意図の元に選別、編集したのだという意見もあながち的外れとは言えないものがある。肯定派のなかにも“ファンタジーとしては面白からそれで十分”という意見があるようだ。

だが、そうした見方は狭量だと思う。著者がいうように、この本は「失われた文明の記録、それも文明を形成していた「媒介形式」の記録である。そして、その文明はすでに失われたが、「媒介形式」の残骸は文化として現代の日本社会に引き継がれている。その文明と文化の落差を感じ取ること――どうしても哀惜の念に苛まれることになる――が、この本を読み込む醍醐味である。

貨幣とは何だろうかちなみに「媒介形式」を著者自身は「親和力」としているが、私がそれを「媒介形式」と言い換えたのは、『霊から貨幣へ(2)』で取り上げた右掲書にその理由がある。『貨幣とは何だろうか』は貨幣を「媒介形式」と規定しているが、その第三章で「媒介形式」の在り方の例としてとりあげられるのがゲーテの小説、その名も『親和力』である。

この当たりはいずれ「霊から貨幣へ」シリーズで言及してみたい。

が、ここでは馬の話だ。昔の日本人は馬をどのように取り扱っていたのか。

 さて馬はといえば、日本の馬は欧米人たちの間では、癖が悪いので有名だった。パンペリーはこれは北海道の馬についてだが、「去勢されていない牡であるため、彼らの劣悪な性質は普通はっきりとあらわれる」と言う。何が劣悪かというと、乗り手を放り出すのである。彼はこの馬たちのことを「始末に負えない獣」と呼んでいる。オイレンブルク一行も日本の馬には悩まされた。ベルクは言う。「馬は小さく体格が悪く、かけ足やギャロップは多くやるが、速歩はいやいやながらかろうじてする。しかし、けわしい斜面の道や多くの階段は至る所にあるので、駆け上ることには非常に長じている。騎乗するのは牡馬のみであるが、常に注意深くしていなければならない。なぜなら、ほとんどすべての馬は咬みっく癖があり、またたがいに歯や蹄で喧嘩し合うからである」。


かつての日本人は、馬を「調教」しなかったらしい。

 日本人は牡馬を去勢する技術を知らなかった。知らぬというより、そうしようとしなかったというべきか。古き日本にも駅逓の制があり牧の制があって、馬を集団的に統御する必要がなかったわけではない。それなのに、去勢をはじめとする統御の技法がほとんど開発されなかったのには、なにか理由がなくてはならぬ。それはやはり彼らが、馬を自分たちの友あるいは仲間と認め、人間の仲間に対してもそうであったように、彼らが欲しないことを己れの利便のために強制するのをきらったからであろう。バードは馬に馬勒をつけさせようとして、人びとの強い抵抗に出会った。彼らは「どんな馬だって、食べるときと噛みつくとき以外は口を決して開けませんよ」と言って、馬勒をつけるのは不可能だと主張した。バードが「ハミを馬の歯にぴったり押しつけると、馬は自分から口を開けるものだ」と説明し、実際にそうやって見せて、彼らはやっと納得したのである。つまり当時馬を飼っていた農村の日本人は、ハミをかませるなどというのは馬の本性に反することで、本性に反することは強制できないと考えていたことになる。去勢などは、馬の本性すなわち自然にもっとも反することであったろう。彼らは馬に人間のため役立ってほしいと思っていたに違いないが、さりとて、そのために馬に何をしてもいいとは考えていなかった。彼らは馬にも幸せであってほしかったのだ。人間の利益と馬の幸福の調和点が、外国人から見ればいちじるしく不完全な、日本的な馬の扱いとなって表われたのである。


調教をしないというのは、かつての日本文明の際立った特徴だったと思う。すべからくと言っていいだろう、文明とは自然を「調教」することで成立してたものだ。その第一歩がおそらくは農業であり、そうした「調教」はやがて人間自身にも及んだ。奴隷や去勢された宦官といったものは、「調教」の前近代的な在り方である。日本は前近代的調教の盛んだった中国文明から様々な影響を受けているが、奴隷や宦官といた制度は採り入れなかった。

近代に入って文明は人権という概念を導入し、前近代的な「調教」はしなくなった。だが「調教」そのものを止めたわけではない。近代社会では、「調教」は「教育」という名の下に行なわれる。「調教」の種類が変わっただけなのである。近代以降、「調教」をしなかった日本文明は滅びて、現代は近代的調教を行なう後日本文明の時代だと言えるだろう。

もっとも、近代的調教が成功しているとはとてもいえないが。

 参考記事:学問のすすめかた(つれづればな)


「馬の性質が悪くなるのは、調教のときに苛めたり、乱暴に取り扱うからだと以前は考えていたが、これは日本の馬の性悪さの説明にはならない。というのは、人びとは馬を大変こわがっていて、うやうやしく扱う。馬は打たれたり蹴られたりしないし、なだめるような声で話しかけられる。概して馬のほうが主人よりよい暮らしをしている。おそらくこれが馬の悪癖の秘密なのだ」。要するに彼女は、日本の馬はあまやかされて増長していると言いたいのだ。「馬に荷物をのせすぎたり、虐待するのを見たことがない。……荒々しい声でおどされることもない。馬が死ぬとりっぱに葬られ、その墓の上に墓石が置かれる」。馬は家族の一員であったのだ。彼女は馬子たちがけわしい道にかかると、自分の馬に励ましの言葉をずっとかけどおしなのに気づいていた。


当初、「調教」が前提の欧米人たちは、日本の馬の乱暴さを調教の失敗だと見なした。だが、事実を観察するに従って、調教そのものがなされていないことに気がつく。自分たちの「前提」に修正を加えるのである。

今の日本の知識人ができないのが、これだ。修正の効かない「前提」を別名イデオロギーというが、これこそ「調教」の失敗以外なにものでもない。

家族のように扱われたのは馬だけではない。犬も牛もそうだし、鶏でさえもそれに近い扱いを受けたらしい。

「どの村にも鶏はたくさんいるが、食用のためにはいくらお金を出しても売ろうとはしない。だが、卵を生ませるために飼うというのであれば、喜んで手放す」。彼女がこう書いたのは久保田でのことだったが、北海道の旧室蘭でも彼女はおなじ経験を重ねた。「伊藤は私の夕食用に鶏一羽を買って来た。ところが一時間後に彼がそれを締め殺そうとしたとき、持主の女がたいへん悲しげな顔をしてお金を返しに来て、自分がその鶏を育ててきたので、殺されるのを見るに忍びない、と言うのだった。」その鶏は、卵を生むことで一家に貢献し続けてくれた彼女の家族だったのだ。


そのように動物を扱った日本人は、人間としての自分自身をどのように位置づけていたか。

 なるほど日本人は普遍的ヒューマニズムを知らなかった。人間は神より霊魂を与えられた存在であり、だからこそ一人一人にかけがえのない価値があり、したがってひとりの悲惨も見過されてはならぬという、キリスト教的博愛を知らなかった。だがそれは同時に、この世の万物のうち人間がひとり神から嘉されているという、まことに特殊な人間至上観を知らぬということを意味した。彼らの世界観では、なるほど人間はそれに様がつくほど尊いものではあるが、この世界における在りかたという点では、鳥や獣とかけ隔たった特権的地位をもつものではなかった。鳥や獣には幸せもあれば不運もあった。人間もおなじことだった。世界内にあるということはよろこびとともに受苦を意味した。人間はその受苦を免れる特権を神から授けられてはいなかった。ヒューマニズムは人間を特別視する思想である。だから、種の絶滅に導くほど或る生きものを狩り立てることと矛盾しなかった。徳川期の日本人は、人間をそれほどありがたいもの、万物の上に君臨するものとは思っていなかった。
 徳川期の日本人が病者や障害者などに冷淡だと見なされたとしたら、それは彼らの独特な諦念による。不運や不幸は生きることのつきものとして甘受されたのだ。他人の苦しみだから構わないというのではない。自分がおなじ苦しみにおちたときも、忍従の心構えはできていた。近代ヒューマニズムからすればけっして承認できないことだが、不幸は自他ともに甘受するしかない運命だったのである。彼らにはいつでも死ぬ用意があった。侍の話ではない。ふつうの庶民がそうだったのである。カッテンディーケは言う。「日本人の死を恐れないことは格別である。むろん日本人とても、その近親の死に対して悲しまないというようなことはないが、現世からあの世に移ることは、ごく平気に考えているようだ。彼等はその肉親の死について、まるで茶飯事のように話し、地震火事その他の天災をば茶化してしまう。……私は長崎の町の付近で散歩の途次、たびたび葬儀を見た。中にはすこぶる著名の士のそれさえ見たが、棺は我々の考えでは、非常に嫌な方法で担がれ、あたかもお祭り騒ぎのように戯れていた」。


このように見てくると、昔の日本人は現代人の感覚から見ても極めて温和な文化人であるかのように見える。だが、重大な欠点はやはりある。それは普遍性に欠けるという点だ。家族に対しては温和で、しかもその家族の範囲が非常に広い。また、客人に対しても同様。日本を訪れた異邦人たちは、とても好意的な歓待を受けている。だが、それらの範囲から外れた者に対しては、野蛮としかいいようのない仕打ちもしている。馬の例を拾ってみると

 石川英輔によると、十九世紀の英国での馬車馬は、四年働ける馬は稀なほど酷使されていたという。彼は「私が十九世紀の馬なら、イギリスより日本に生まれたい」と書いている。ただし、明治十一年の北海道では、眼を覆いたいほどの馬の虐待が行われていたことを補足しておかねば、話は不公平になるだろう。バードがそれを実見している。
 彼女が見たところでは、北海道の馬はみな背中にひどい傷を負っており、中には「手が入るような大きな穴」のあいているものがいた。「粗末で腹帯もつけない荷鞍と重い荷物」のせいでそうなるのだ。しかも彼らは「重い棒で眼や耳を無慈悲に打たれる」。あるとき彼女は、日本人が馬を調教している光景を目撃した。その馬は人を乗せるのは初めてで、少しも癖の悪いところはなかった。それなのにその男は「残酷な拍車」で責めつけて全速力で走らせ、馬が疲れて立ちどまろうとすると板切れで打ちのめした。そんな繰り返しのあと、馬はついに血を吹いて倒れた。すると乗り手はうまくとび降りて、馬が立てるようになると小舎へ曳いて行った。彼女は言う。「馬は調教されたといっても、実際は馬の心がめちゃくちゃにされたのであり、これから三生、役に立つまい」。こんな”調教”が、それまでの口本人の習慣になかつたことはいうまでもあるまい、北海道の荒々しい新天地では、未知のなにものかが生れつつあったのである。


著者の渡辺京二は、「北海道の荒々しい新天地では、未知のなにものかが生れつつあった」というが、それは違う。日本人は、蝦夷と呼ばれた北海道の大地ではずっと以前からそのように振る舞っていた。「調教」を知らない日本人は当然調教のやり方も知らないから、家族でも客人でもないとなると、その振る舞いは野蛮としかいいようのないものになる。そしてそれは、馬だけにではなくて、人間にも及んだ。アイヌ民族に対して、である。

この続きは、また記事を改めて。

コメント

こんにちは

ご紹介ありがとうございます。

「教育」、もろに明治の和製漢語です。「教育」自体その頃に導入された思想の焼印を押すに過ぎなかった。「調教」と何ら意味の違いはないはずです。後で生まれた「教育ママ」という言葉がその本当の意味を垣間見せているようで面白いのですが…

トルコ語で「馬」は「AT]といいます。でも「仔馬」だけは「TAY」といい、モンゴルでは「馬」全般を「TAY」といいます。そしてモンゴル語の「TAY」の語源は「魂」なのだそうです。草原の民族にとって「馬」は家族同様、場合によっては信仰の対象に近い存在だったのかもしれません。
私は馬に乗ったりはできないのですが、馬は「霊性」の高い生き物だろうなあという事は何となく感じることはでします。

アホウドリを滅ぼしかけた人々

いつも興味深く拝見しております。
前半で犬や猫を去勢するとき罪悪感に駆られる人々を思い出し、後半では鳥島のアホウドリ捕獲の話を思い出しました。
羽毛や、今で言うところの肥料用の「肉骨粉」を取るためにアホウドリを撲殺し、ほとんど絶滅に追いやったのはほかならぬ日本人です。この事業に加わった人々はどんな人なのだろうと以前から気になっていたのですがなにをどう調べたものか手をこまねいておりました。離島に住む見慣れない海鳥は「家族」でも「客人」でもなく富をもたらす資源でしかない、ということは理解できます。しかしこの仕事についた人々は「平均的な日本人」だったのでしょうか。
それから、ノルウェーと日本の南極探検隊が南極で鉢合わせしたとき、「動物虐待だ」と感じるポイントが異なっていたようです。ペンギン関係の本を読んでいたとき知ったことで詳細は忘れました。そり犬やサンプルとして持ち帰る動物の扱いをめぐってお互い違和感を感じたようです。日本隊の犬は…天候が急変したために船に収容できず、置き去りにされてしまいました。日本人もいざというときは人間優先だということでしょうか。
…勝手なことを言ってすみません。蝦夷地のお話楽しみにしております。

「名を正す」

・あやみさん、おはようございます。

あやみさんの『つれずればな』は、相変わらずクオリティの高い記事です。是非とも言及させてもらいたいと思いました。今回はたまたまタイミングもよく、リンクを貼らせてもらうことにしました。

「教育」、もろに明治の和製漢語です
後で生まれた「教育ママ」という言葉がその本当の意味を垣間見せているよう

「教育」は欺瞞語である。「調教」に名を正せ、というわけですね。もし「調教ママ」と呼ばれるなら、誰もそうなりたいとは思わないでしょう。

そしてモンゴル語の「TAY」の語源は「魂」なのだそうです

なるほど、とても納得がいきますね。

善良な日本人

・りくにすさん、ようこそ。

しかしこの仕事についた人々は「平均的な日本人」だったのでしょうか。

ええ、善良な平均的日本人だったと思います。

アホウドリを絶滅に追い込むのに類した行為は今も行なわれています。よく知られる例は捕鯨でしょう。欧米の動物保護団体が騒ぎ立てるので代表的行為になってしまいました。

日本人に限らず、何が仲間で何がそうでないかは、結局はその人々の「文化の型」で決まるのです。それだけのこと。ですから、犬を友だと捉える民族もいれば、食料だとする者たちもいる。そして、自身の所属する文化に疑問も持たず、また優越感も感じないような人は、多くは善良なのです。

それが野蛮に見えるのは、文化の質が変わったからです。

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