愚慫空論

霊から貨幣へ (3)~〈霊〉と罪の観念

 霊から貨幣へ (1) ~〈霊〉を定義する
 霊から貨幣へ (2) ~〈霊〉と死の観念

我が家には犬が2匹、居る。

フクブー

右がフク。左がブー。両方とも雌犬。避妊はしていない。

今までにフクは3回、ブーは1回、妊娠して仔犬を産んでいる。累計で12匹。そのうちの6匹を生まれてすぐに「処分」した。

フクは、私たち夫婦が以前暮らしていた熊野の集落の里犬だった。集落のなかのある家で生まれ、仔犬のうちは面倒を見てもらっていたが、やがて放し飼いされるようになった。要するに飼育放棄だ。集落のあちこちに訪問しては、餌をもらっていた。自分でも調達していたようだ。

そのころ、私たちの隣家には雄犬が一匹、いた。ゴンといった。飼い主の老夫婦は私たちの畑仕事の師匠だが、なりゆきで朝夕の散歩は私が担当するようになっていた。ゴンを散歩に連れて行っていると、フクはどこからともなく現われて一緒に遊んだ。遊んだ後、一緒に餌をあげたりもしていた。

犬の成長は速い。春先には仔犬だったフクも、晩秋には「大人」になっていた。冬になるとフクのお腹が大きくなり出した。犯人はゴンである。お腹の大きくなったフクは餌が足りなくなってきたのだろう、どこからか鶏を捕まえてくるようになったりしていた。このまま放置しておくわけにはいかないね、と隣の老夫婦と話しをしていた矢先、産気づいたのだろう、フクが隣の家の床下へ潜り込んでいった。引っ張り出して、我が家の納屋の一角を仕切って稲わらをしき、そこへ繋いだ。

フクはそこで仔犬を3匹産んだ。

この2匹は引き取り手が見つかって、里子に出された。売れ残ったのがブーだ。3匹を売り出すためにあちこちと見せて回ったのだが、そのとき、ある者が「こいつはブーだな」と言った。それがそのまま名前になった。

1年後、またフクが仔犬を産んだ。犯人はもちろんゴンである。今度は一匹だった。これは地域のNPO法人にお願いして引き取ってもらった。そのとき、犬は避妊手術をするように、と言われてた。やむを得ないと思った。

フクの子を引き取ってもらってホッとしたのも束の間、どうやらブーも孕んでいるらしいことに気がついた。犯人はゴンしかいないが、親娘である。まさかと思ったが、「犬畜生」と言うとおり、彼らはそういうもの。しばらく様子を見たが、妊娠に間違いないようなので、動物病院で堕胎と避妊手術をしてもらうべく予約をいれた。ところがその予約日の朝、ブーを連れに行こうと見に行ったら仔犬が3匹産まれていた。

動物病院には連絡を入れてキャンセル。そして決断した。この3匹は処分する。私たちのネットワークでは新たな引き取り手を見つけられる可能性は低い。といって、これ以上は我が家で面倒を見ることも出来ない。決断するなら早い方がよい。その日のうちにブーから仔犬を取り上げ、段ボールに入れて川へ流した。

犬は飼い主に従順である。飼い主なら仔犬を引き離しても牙を剥かない。抗議はする。いや、抗議というより哀願である。仔犬を見ようと思って取り上げると、鼻を鳴らしながら近寄ってきて、返せと訴える。差し出して出してやると、そっと口にくわえて寝床へ戻り、懐の中へ入れる。動物の持つ本能的な愛情の発露である。

私はそんな犬から子供を取り上げ、殺した。これは罪である。少なくとも私は罪の意識を感じている。今でも段ボールに入れた仔犬を川へ流したときのことはよく覚えている。遠ざかっていく仔犬の「ピー、ピー」という鳴き声が、思い返せば鮮やかに甦る。

ところがである。ブーは何ごともなかったかのように、私に愛情を注いでくれる。フクもそうだ。フクからも私は仔犬を取り上げた。この後、知り合った猟師に頼まれてフクに仔犬を産ませた。猟師のところの雄犬と交わらせた。フクは猟犬として優秀なのである。そのとき産まれた仔のうち、オスの2匹を残してメス3匹を直ちに「処分」した。猟師からはオスだけと言われていたからだ。

これはあくまで人間の都合だが、オスだけという理由はあるのだ。健康な雄犬雌犬を一緒にしておくと、際限なく増えてしまう。かといって避妊手術をしてしまうと猟犬として使い物にならなくなる。野生の勘が働かなくなるからである。猟師は(本当は法律違反だが)、犬に狂犬病のワクチンを接種させることさえ嫌がる。勘が鈍るというのである。イノシシ狩をする猟犬は命を落とすことがしばしばだが、そういった彼らにとって「勘」は生命線なのである。

以上のような理由と、必要とする仔犬に十分に母乳を与えるため、それになにより目が明き出すと処分する私の方が感情的に辛くなるという理由から、フクの雌犬3匹は直ちに処分したのである。

にも関わらず、彼らの私への愛情は変わらない。私の方は、彼らの愛情のおかげで普段は忘れさせてもらってはいるけれども、罪の意識を抱えている。

このような違いが生じる原因が〈霊〉である。私の「器(インターフェイス)」のなかには、「処分」した仔犬たちの〈霊〉が居る。だが、彼らのなかには居ない。この差異は、ヒトである私と犬である彼らのスペックの差から生じるもの。(2)で見たように、犬には「死の観念」がない。だから「殺した」も「殺された」もない。したがって彼らには罪の観念もない。


外界に他者が存在するとき、人間も犬も、その「器(インターフェイス)」の中に「像」を結ぶ。その「像」は人間の場合には〈霊〉である。


他者が消失したとき、犬の「器」のなかの「像」もまた消える。犬にも記憶はあるだろうから、他者が再び現われれば「像」もまた「器」の中に現われるのだろう。

(里子に出したブーの兄弟たちは、私のことをよく覚えてくれている。現在の飼い主がヤキモチを焼くくらいに悦びの感情を露わにする。)

だが、おそらく彼らの「器」には、外界の他者の存在と関係なく「像」が結ばれることはない。自ら「器」の中に「像」を出現させることもできないだろう。それが出来るのは人間だけだと考えられる。

人間が持つ「意志」とは、「器」の中に自在に〈霊〉を呼び出すことができる能力だとすることができるのかもしれない。

(関連記事というわけではないが、我が家の犬に関連した記事 →『犬がいなくなった』

コメント

罪の意識ほか。

だいぶ昔、伯父の家にいた犬の話です。

大層臆病で警戒心の強い犬で、ちょくちょく伯父の家を訪ねて野良を手伝ったりしている父にはよく懐いていたのですが、たまに私が顔を見せるとけたたましく吠え付くのでした。

一度か二度、散歩に連れて行ってあげたことがあります。初めて一緒に散歩に行った時、犬の気が向くままに2時間くらい田舎道をほっつき歩きました。最初のうちは私に怯えながら歩いていましたが、いつしか強張りが消えてリラックスした雰囲気で草や土の匂いを嗅いでいるのが見て取れました。

散歩から帰って犬を小屋に繋ぎ、暫く母屋に上がって伯父や従兄と雑談した後のこと。
おいとまする前に挨拶でもと犬小屋を訪ねたら、犬が私に向かっていきなり吠えかかり、次の瞬間「ああ、何てことを!」という表情をして哀しそうに鼻を鳴らし、身を伏せました。
子供の頃、知人に子犬を貰って自分で飼っていたことがあるのですけれども、こんな風に謝罪されたことは一度もありませんでした。

とりあえず霊の問題は措きます。
犬にも罪悪感(ある種の罪の意識)というものはあると思うのです。もちろんこれは死の観念と繋がった「罪の意識」とは違うのですが。

もう一つ。
実家で以前飼っていた猫は、一緒に飼育していたセキセイインコと大変仲よくしていました。
インコが老衰で死んだ時は、絶命する前日からコタツに潜り込んで外に出ようとせず餌も食べず、死後は何日もインコのケージが置かれていた場所に伏せて、その場を動こうとしなかったそうです。

インコの死後数日間、猫はその場にうずくまったまま一体何を考えていたのか。
単に喪失感に囚われていただけなのか?
私にはよくわかりません。説明がつかないのです。

クオリティの問題

・黒い時計の旅さん、略して黒旅さん

犬のそうした行状は、私もよく出くわしました。

本文で取り上げた仔犬、里子に出したヤツラですが、会いに行くと最初は吠えられるのです。気がつくのに多少時間がかかるのですね。ま、これは彼らのスペックの問題だと思います。

それと猫の件もありそうな話です。犬にも同様のことはあると思います。おそらくですが、我が家の二匹の犬のうち、一匹が死んでしまうと残された(黒旅さんの)猫と一匹も同じような状態に陥るでしょう。容易に推測されることです。

喪失感はあると思います。彼らの「器」の中にも「像」があることは間違いない。彼らを観察していると、そう考えなければ説明がつかない現象がいくらもあるのです。ただ、その「像」には〈霊〉と呼ぶことが出来るほどのクオリティはない、というのが私の仮説です。

何ごとも自身の仮説に引き寄せて解釈してしまうことには注意が必要ですし、このクオリティの内容についてももっと吟味する必要はあるのですが、とりあえず仮説を破綻させることなく解釈は可能かと思います。どうでしょう?

墓標の話ほか。

>愚樵さん

返信ありがとうございます。
愚樵さんの論考、2/3くらいは腑に落ちています。落ちきっていない部分は、異論がある・不同意なのではなく、形の明瞭でない僅かな違和感が残っているから。

墓までいったん話を戻しますが、人間が墓を作るようになったのはヒトという動物が視覚に頼る比重が極めて大きいことが影響しているように思います。
人間が作り出した標の大半は視覚に依存したものです。墓標がその典型ですね。
嗅覚や聴覚に依存する墓標はありません。触ったり舐めたりして感じる墓はあるのでしょうか。中にはそのようにして墓と関わる人間もいるのかも知れませんが相当な少数派でしょう。
嗅覚や聴覚、触覚は元来象徴化に向かない感覚なのではないかと。
ただしこれは、人間の鈍い嗅覚や聴覚から導き出した印象で、極端に嗅覚や聴覚の発達した犬などは、また異なるのかもしれません。犬などは嗅覚によりある種の図形のような像(マップ)を得ると聞いたことがあります。

犬や猫は霊を保持する機能が乏しい、これは頷けるところが大きいながら、他方、彼らは人間と同じような形態の(同質の)霊を保持する条件が揃っていないとも考えられます。
人間と違った形式で霊を保持している可能性はないか?ということです。それが墓という出力に結びつかない。
では鳥は?猿は?といった話になるでしょうね当然。これに答える力は自分にはありません。

ところで、今朝方フクとブーが夢に出てきました。といっても写真に写っている2匹がそのままの構図で登場しただけですけれど。
犬も夢を見るようですから、像そのものは保有できるのでしょうね。

改名なさいましたか (^_^)

・平行連晶さん、おはようございます。

まずお聞きしますが「平行連晶」はどう発声すればいでしょう? HN平行連晶さんの〈霊〉のクオリティを高めようと思うなら、聴覚との結合も大切です。「へいこうれんしょう」よりも「ひらゆきつれあき」が良さげですが。FEPに登録する都合もありますし。笑。

で。

ヒトが視覚偏重の生物で、それが〈霊〉の構造に影響を及ぼしているという主張には同意できます。それに合わせて考えるべきは、身体の構造です。直立歩行して特に手が器用に動く。声帯が特殊に進化して多様な発声が可能。前者は道具を、後者は言葉を、それぞれ生み出すことになりますが、そのことが「出力」と深く関係しているはずです。

ヒトが人間となり霊性を持つに至ったのは、この出力の能力との相乗効果という点もあると思います。(4)でのハンマーの例や“魂のこもった”工芸品などがそれですね。人間は、自身の出力(分身?)との間で〈霊〉をフィードバックさせて、霊性を自己進化させることができる能力を備えるに至ったのだと言えるのでしょう。

犬や猫は霊を保持する機能が乏しい

のは、そもそもの長期記憶の容量が低いであろうことと、人間と違って外部記憶を持つことでフィードバックができないことでしょう。言葉は外部記憶のための装置であり、それがもう一段進化すると文字になります。文字が出現するには「出力」の能力もさることながら、ヒトの微細な視覚能力が不可欠だったでしょう。

では鳥は?猿は?といった話に

猿についてはヒトとの比較はまだ容易でしょうが、鳥類や海獣の類は人間の〈霊〉とは違った構造でかつクオリティの高い「像」を保持している可能性は高いかもしれません。

鳥類の知能の高さは広く知られるところですが、特にインコの類は「退屈する」という現象も観られるらしい。退屈を霊性上昇の滞りと見るならば、彼らにも霊性があると考えられなくはない。またイルカの類は、身体比でみると脳の大きさはヒトよりも大きく、機能もヒトよりも高いかもしれないと言われています。

もし彼らが〈霊〉を保持しているとすると、その構造は人間のそれとはかなり違ったものになるだろうと推測されますね。イルカだと、海で暮らしていますから環境条件から視覚よりも聴覚の方が発達しているでしょうし、またおそらくは聴覚と触覚はヒトよりもずっと近いでしょう。

ただ、そうではあっても、彼らが社会を作るとは考え難い。これはヒトの身体構造から生まれた「出力」の能力と関係が深いのでしょう。

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事へのトラックバックURL
http://gushou.blog51.fc2.com/tb.php/642-a623a1a6

 | HOME | 

 
プロフィール

愚慫

Author:愚慫
“愚樵”改め“愚慫”と名乗ることにしました。

「空論」は相変わらずです (^_^)

      

最近の記事+コメント
最近のトラックバック
月別アーカイブ
全ての記事を表示する

全ての記事を表示する

QRコード
QRコード