愚慫空論

「小沢一郎」が私たちを幸せにするのではない

『「敵」がとうとう姿を現わしはじめた』にいただいたコメントへの応答として、当記事をあげたいと思います。

政治家小沢一郎が「敵」から攻撃を受けている事実があります。この「敵」は、早い話が既得権益者たち。現在の日本の体制で最も“オイシイ思い”をしている連中。それは“カネが儲かる”というだけのことではなくて、「立場」が確保できると意味において。今の日本は「立場主義」社会なんです。

 「東大話法」と「立場主義」 - Togetter

日本は建前では民主主義社会ですから、「国民の生活が第一」という小沢一郎のスローガンは、いわずもがなの当然のこと。しかし、その当然のことは、「立場」を確保している連中からは都合が悪い。国民の生活が第一というのは、「国民という立場」が第一ということなのであって、それは社会体制のなかで「立場」を確保することは根本的なところでバッティングするからです。

だから「敵」たちは、彼らの「立場」を崩そうとする小沢一郎を攻撃し、葬り去ろうとしている。

「国民の立場」に立とうとする小沢一郎は、その意味では私たちの味方です。でも、注意しておかなければならないのは、小沢一郎が私たちを幸福にするというわけではないということ。私たちの味方あくまで私たち自身であって、政治家はその代表に過ぎないということ。

けれど、代表という「立場」を与えてしまうと、その「立場」は必ず自己目的化します。これは絶対的に避けることができないことです。だからどのような「立場」であれ、それを絶対化しないことが大切で、それが民主主義なんですね。

下に社会学者・宮台真司の動画を貼り付けますが、宮台氏がいつもいうセリフが“任せてブー垂れる”は、ダメだということ。民主主義は「参加と自治」なんです。


ここで宮台氏が主張しているのは「原発是非を問う都民投票」の目的です。「原発の是非」はもちろん大切な論点ですが、そこが主目的なのでなない。市民の意思を議会などの「立場ある者(ステークホルダー)」へ表明することで、「立場」との緊張関係を作り出すこと。ここが目的なのです。

そこが理解できないと、「小沢一郎」に期待を掛けて、“私たちを幸せにしてください”と「お願い」することになってしまう。もしくは「橋下徹」に「お願い」することになってしまう。これは危険なことなんです。小沢一郎は、今、私たちの「敵」の敵になってしますが、これはたまたまだとくらいに思っておいた方がいい。

ただ、ひとつ付記しておくと、私は宮台氏が「参加と自治」のベースになると考えている「知識社会」は日本人にはそぐわないと思っています。日本人は「空気」に縛られる人種です。それは当たり前のことですが、「空気」を生み出すからです。「空気」から自由になるには、「空気」を生まないという方法がひとつ。これが「知識社会」の方向性。もうひとつは、「空気」から自立するということ。そういった社会にはまだ名称はつけられていないけれども、日本人の体質に合うのはそちらの方だと私は思っています。

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