愚慫空論

野蛮な日本人(1)

前々回、『「生類とコスモス」から』の続き。今回のネタ本は井沢元彦著『逆説の日本史』の17巻『江戸成熟編』である。

逆説の日本史17巻『逆説の日本史』シリーズは絶対的に面白い。これも、前々回取り上げた『逝きし世の面影』以上に批判が多いものではある。週刊誌上の連載になっているためだろう、読み進めると同じような記述が何度も出てきたり、歴史がいきなり「教訓」になって現代政治についての著者の主張が展開されたりと、ウンザリするようなところも多々ある。元になっているさまざま文献やさまざま著作の解釈の質がよろしくないという批判もある。だが、そんなことは「面白さ」という点で見れば些細な瑕疵でしかない。『逆説』シリーズの面白さは、日本の歴史学会の「立場主義」への批判から出発しているところにある。

著者の井沢元彦氏は、1.「歴史学会の権威主義」 2.「史料至上主義」 3.「呪術(宗教)的側面の無視ないしは軽視」という「歴史学における三大欠陥」を論う。1.は説明の必要はないだろう。2.は、歴史史料に記述されていないことはなかったことにしてしまう姿勢。3.は、歴史上に実在する人間に寄り添わない、要するに「傍観者の論理」だ。原発を推進する御用学者達と共通するものを感じるのは、偶然ではない。

歴史学会の「立場主義」から離れた『逆説シリーズ』は、歴史上の人間に寄り添って、記録されていないところを想像力で補ったものになる。となると、小説家の書く歴史小説とどう違うのかという疑問になるのだが、私は区別のしようがないと思うし、また区別の必要もないように感じる。過去の人間の失われた意識を確定的に再現するなどということは原理的に不可能なのだから、それをできるとするのはオカルトだし、かといって、あったはずの意識を排除するのは欺瞞だ。オカルトと欺瞞の間隙を埋めるのは、今を生きる人間の想像力しかない。そして、その想像力が歴史を生き生きとした「面白いもの」にするのである。

というわけで、私は『逆説の日本史』シリーズを「面白い」と思って読んではいるが、「正しい」とは思っていない。「当たっているだろう」と思うことは多いが、「当たっている」と「正しい」は同じようで違う。また、想像力以上の井沢氏自身のイデオロギーは、私には面白くないと感じられない。それはまた別の話だ。


また前置きが長くなった。

17巻は副題が「アイヌ民族と幕府崩壊の謎」となっているように、第一章はアイヌについての記述になっている。

ツキノエ図  千島アイヌの図

単一民族神話の起源―「日本人」の自画像の系譜日本は単一民族国家であるといった「神話」がよく語られる。そういった「神話」を語りたい気持ちは私も日本人として共有するけれども、「神話」とは宣伝によって出来上がったものでしかない。アイヌ民族問題は、「神話」が神話であることの証拠である。

『逆説の日本史17巻』のアイヌについての記述、というよりアイヌに対する日本人の記述だが、これは読み進めてみるといささか気分が悪くなる。前々回は馬の取り扱いを中心に記事を構成して、最後に北海道の馬だけは「家族」でも「客人」でもなく、また適切に「調教」されることなく野蛮と言いようのない仕打ちを受けていたとする記述を引用し、それは人間にも及んだと結んだが、本巻での記述はその実例にあたる。当時の日本人は温和な民族ではあったけれども、アイヌたちを野蛮な存在だと見なした野蛮人でもあったのだ。

日本人の好む自画像は「人情に篤い」であるとか「潔い」といったものであろう。勇敢であることよりも純潔であることを好む。勝ちさえすればよい、というふうには思わないのが日本人だと、日本人は思い込んでいる。が、アイヌに対する日本人の戦い方はこの自画像をやすやすと破壊する。アイヌを侵食していったのは後の松前藩だが、そのお家芸は騙し討ち。アイヌたちが反乱を起こし、日本人が劣勢になると、和議を申し入れて和解の席で酒を飲ませて討ち取る。純朴だったアイヌにはそもそも「騙し討ち」という概念がないので、幾度もその手に引っかかった。このことは松前藩の正史に堂々と記述されているという。

他にも「シャモ勘定」というべきものがあったらしい。

落語の『時そば』というのを御存じだろうか? そば屋の勘定をごまかすために勘定の銭を一文二文と小銭で渡す中、「今、何時だいしと唐突に尋ねて総計をごまかすアレだ。実は、この落語は、まんまと勘定をごまかしたのを見ていた別の男が、同じ手でごまかそうとするが、時刻の指定を間違えて勘定を余計に払ってしまうというのがオチになっている。
 これはあくまで落語だが、実は和人とアイヌの交易の場で、この「計算法」が使われていたというのである。

 たとえば、一〇を数えるのに、「一」の前に「始まり」という言葉を入れます。そして順に数えていって「一〇」までいったら、最後に「終わり」と言うのです。これで物々交換すると、「一〇」のはずが実際には「一二」になっています。ひどい場合には「五」の後に「真ん中」という言葉を入れるというのです。これで普通に二割、ひどいと三割は計算がごまかされることになります。文字を持たず、ろくに計算ができないアイヌ相手にはこれが通じたのだ、という話が現代にまで残っているのです。
 これが「アイヌ勘定」です。でも、この言葉は変です。大分たってからのこと、私はアイヌの人たちと一緒に葉書の宛名書きをしていました。書き終えて集計すると、数が合いません。すると、一人のアイヌ女性が「あっ、シャモ勘定だ」と叫び、その場がどっと笑いに包まれました。シャモ、つまり和人はその場に私一人でしたが、妙に合点がゆきました。和人がアイヌに対してごまかしを行なった計算法なのです。まさに「シャモ勘定」こそが正しい表現ではないでしょうか。


アイヌと和人との交易は、松前藩が北海道を掌握する以前から広く行なわれていた。江戸時代に入っても、松前藩は北海道全土を掌握していたわけではなかったが、商人たちはアイヌの土地へ入り込んで交易は行なっていたという。当時は鎖国政策を採っていた日本だったが、北海道はアイヌの土地であるにもかかわらず日本であると見なされ、しかもアイヌは和人とは異なった。鎖国というのは、あくまで一定の文明国に対してのものだったわけだ。

騙されて不公正な交易を行なっていたアイヌたちも、やがてその不公正さに気がつく時がくる。そうなると不満が募ることになる。適切に解決されればよいが、そこは卑怯な和人のことだ。アイヌたちは武力抗争へ向かうことになる。

アイヌ最大の反乱「シャクシャインの戦い」はそうした状況の下、1669年に起きた。この反乱は松前藩だけの手に負えず、幕府も鎮圧に乗り出すことになる。戦いの最中、松前藩の「お家芸」がまたもや勝敗の行方を左右したこともあったという。

現代の私たち日本人が学校で受ける「歴史教育」のなかには、アイヌのことは含まれていない。いや、今は知らない。もしかしたら学校でも教えるのかも知れない。だが、少なくとも私たちの世代までは教わることはなかった。島原の乱(1637年)以降、日本には大きな戦乱はなかったと教わっていたのだ。シャクシャインの戦いの「シャ」の字も出てきはしなかった。

これは隠蔽であり、欺瞞であり、「調教」であろう。

我々はしばしばアメリカ大陸を手中に収めた白人達のやり口を卑劣と批判する。また、インドを植民地化し中国にアヘン戦争を仕掛けた英国人を批判する。だが、日本人もやっていたことは変わらない。単一民族神話で隠蔽され、西部劇のようにおおっぴらに語られることがなかっただけのことだ。この日本人の卑劣さは、関東大震災時の朝鮮人虐殺や後の中国大陸での蛮行に繋がっていくものなのだろうと思う。

アメリカン・ネイティブを駆逐した白人達は、ネイティブたちを野蛮人だと考えていた。その考えこそが現代の視点からすれば野蛮人であり、その点は過去の日本人も同じである。しかし、相手を野蛮だと認定する基準が白人と日本人とでは異なる。白人達の方は明らかで、それは彼らの信仰に由来する。彼らにとって、キリスト教を知らず信じていない者は野蛮人なのである。また中国であれば中華思想というものがあって、漢字を使ったコミュニケーションを行なわない者たちを野蛮とする基準がある。

では、日本人の場合はどうなのか。何を基準にして野蛮を認定したのか。明治以降なら天皇の臣下ではないことを野蛮とするという「定義」が成り立つかもしれないが、近世以前では必ずしもそうとは言えない。不明瞭なのである。これは、「帝国」の辺境に位置しつづけた日本という文明の特徴と言えるのかもしれない。

(2)へ続く。

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