愚慫空論

「立場主義」という日本文化が陥る罠(6)

サブタイトルを付けるとすれば、「役」と「立場」の大きな違い。あるいは微妙な違い。

原発危機と「東大話法」日本社会は「役」社会である。と同時に「立場」社会でもある。現代日本は「役」社会以上に「立場」社会であると指摘したのが『原発危機と東大話法』の第4章だった。

「役」社会・「立場」社会である日本の特徴のひとつは、相手を呼ぶのに役職名を用いることが場合が多いということ。上司を、その役職が課長なら「○○課長」と呼ぶ。同じ課内なら「課長」でよい。これは日本社会の常識である。

呼称される「課長」は、「役」であると同時に「立場」でもある。

もうひとつ、呼称に関して日本の特徴としてよく挙げられるのが、家族内での呼称のあり方。子どもを基準に呼び方が変わる。「父」「母」は、そう呼ぶ「子」に新たに子どもが生まれると「爺」「婆」へと呼び名が変わる。「子」は「父」「母」である。つまり「父」「母」「爺」「婆」は(子どもに対しての)役名である。

「父」「母」が役名であるということが指摘されることはあまりないように思うが、それはそのことが意識されることがないほど「役」は日本社会の中に深く根付いているということだろう。

ただ、「父」「母」「爺」「婆」が「立場」であるかどうかは微妙なところである。子どもにとってみれば重要なのは「父」「母」ぼ「役」を十全に果してもらうこと。「父」「母」が子どもに対して「立場」で振る舞うことがハラスメントであることは、特に論証の必要もあるまい。直観的に理解できることだ。

子どもにとって「父」「母」という「役」と「立場」の違いは、微妙だが大きな違いである。そしてそれは大人にとっても同じこと。「課長」が「役」を上手く務めてくれるのは、課員にとってはありがたいこと。だが「役」を果さず「立場」で振る舞われると甚だ厄介な存在になってしまう。

「父」「母」が「立場」になるのは「家」というスタンスが絡むときで。また、「課長」が「立場」になるのは「会社」というスタンスに立つとき。今、「スタンス」と書いたが、これは本当ならば「立場」とするのが妥当なところ。つまり「家」もまた「立場」なのである。「立場」が「立場」を生むのが「立場の生態系」ということだろう。

「立場」は交代可能なものである。「会社」の場合は人事異動によって「立場」の交換がなされる。「家」においても「立場」は必ずしも不動ではない。離婚・再婚によって「父」「母」の異動が行なわれる。それに伴って果すべき「役」も変わる――というのが現代日本の常識である。

しかし、これはずっと昔から常識というわけではなかったようだ。現代のような「立場」が生じてきたのは明治以降のこと。「役」はそのずっと以前から日本社会のなかで深く定着していたと考えられる。「立場」なき「役」社会では、現代とはまったく異なる感覚で「役」の交代が行なわれていた。それを示すのが以下の例である。

『日本の婚姻史に学ぶ、共同体のカタチ』「夜這い婚って何?」(共同体社会と人類婚姻史)
夜這いの民俗学

 梅雨どき、長雨にうんざりすると若衆たちは、気がねのいらぬ仲間の家の内庭や納屋へ集まって縄ないなどの手作業をした。君に忠、親に孝などというバカはいないから、娘、嫁、嬶、後家どもの味が良いの、悪いのという品評会になる。

「おい、お前、俺んとこのお袋の味、どないぞ。」
「わい、知らんぞ。」
「アホぬかせ、お前の帰りよんの見たぞ。」
「ウソつけ。」
「月末頃にまた留守にするで来てな、いうとったやろ。どアホ。親父に行くな、いうたろか。」という騒ぎになった。

「お前、今晩、うちのネエチャに来たれ。」
「怒られへんのか。」
「怒ってるわい、この頃、顔見せんいうとったぞ、味、悪いのか。」
「そんなことないけんど、口舌が多いでなあ。」
「そら、お前が悪い。いわせんように、かわいがったれ。」

 まあムラのイロゴトは筒抜けで、まことに公明正大である。こうしたムラの空気がわかっていないと、夜這いだの、性の開放だのといっても、なかなか理解できず、嘘だろうとか、大げさなこというてとかと疑うことにもなるのだろう。教育勅語を地で行くようなムラはどこにもあるはずがなく、そんなものを守っておればムラの活力は失われ、共同体そのものが自然死するほかなかった。

「あんた、なあ。」
「なんや。」
「うちのカアちゃんどない。」
「嫌いやないでえ。」
「今晩来たってくれるか。」
娘がこうして取持ちするのもある。

 性交するだけで、すぐ結婚しようなどというバカはいない。性交は、いわば日常茶飯事で、それほど大騒ぎすることではなかった。しかし、結婚となると家とかムラとの関係が大きくなり、それほど簡単ではない。これを強いて上からの権力で統制しようとするから、いろいろな歪みが生じ、表向きのキレイゴトの陰に売春産業や売色企業が繁昌することになる。


「父」「母」が「役」であるように、「夫」「妻」もまた「役」である。現代社会では「役」以上に「立場」であろう。女性の性的な充足を満たすことは「家」の「立場」からすれば「夫」の「役」ということになって、他の者がその「役」を果すと「夫」としての「立場」が侵害され(たと感じ)る。しかし「立場」を取り払うならば、「役」を果し得る者が果すことは合理的ですらある。日本近世の「村」にも「立場」(という言葉なくても)はあったろうが、「立場」と「役」とは必ずしも一致していなかったのと考えられる。

原発危機と「東大話法」

 大化の改新は中国の影響のもとで、氏族連合体を天皇中心に中央集権化し、官僚体制として明文化する試みでした。この過程で氏が徐々に弱体化し、「職」の体系が形成され、さらに数世紀という長い時間を経て、「家」という形で再編されたのです。元平安末期には天皇の一族や藤原氏の中で「家」が形成されていましたが、それが数世紀の問に庶民にまで広がって、江戸時代という超安定社会が形成されました。中世という時代は、「氏」から「家」への長い移行期だ、というように見ることもできるでしょう。これに対して近世は、「家」と「役」とが結びつくことで安定した社会でした。この「役の体系」の頂点を占める幕府は、「公儀」と呼ばれていました。


「公儀」と呼ばれた「役の体系」は、文字通り「公」の体系であったろう。その「公役」が「家」と結びついていたというのは、上に指摘の通りだと思われる。だが、日本人にとっての「役」は「公役」だけではなく、「父」「母」「夫」「妻」といったような「私役」をも含むのである。「公役」は「家」に帰属していたが、「私役」は個人に帰属していた。そして「私役」は個人の間で容易に交代可能だった。

このことから推測されるのは、日本近世の社会では、「立場」は「家」の領域までで留まっており個人の領域には及んでいなかったということだ。武士という民分階級に属する者たちはそうでなかったろうが、武士は日本人口の1割を占めるに過ぎず9割は「村」に属する「百姓」だったのである。

(ちなみに、江戸時代は武家が日本を支配した時代だといわれるが、これは大間違いである。確かに大枠では徳川家を中心とした武家が日本を統治していた。が、その内実は‘スカスカ'だった。その証拠に、武士階級は日本を自由には歩けなかった。基本的に武士が自由に移動できたのは城下町と街道だけ。日本の大部分を占めた「村」には、限られた役職の者が限られた期間以外は立ち入ることが出来なかったといわれる。

支配階級である(はずの)武士が「村」を'シッカリ’支配しようとするならば、その居住地は「村」の中に置くのが合理的。ヨーロッパはそうで、農村の中に貴族の住居である「シャトー」が構えられた。日本で「シャトー」に相当するのは「庄屋」であろうが、「庄屋」はあくまで農民である。近世日本では、支配階級であるはずの武士は城下町に閉じ込められていたと見る方がむしろ正しいだろう。)

つづく。

『よみがえる光景 外国人が撮影した100年前の日本の古写真ギャラリー』(NEVARまとめ) より
 
子どもと遊ぶ女性

 参考記事:『女と男のガラパゴス』

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