愚慫空論

民主主義は「従順な不服従」を容認すべきか(1)

盲導犬


ハンディキャップのある人を助けるために育成される盲導犬。「従順なる不服従」は、彼らに求められる技能のこと。

 盲導犬・訓練の様子(盲導犬・訓練士の仕事)

一番難しいと思われるのが不服従です。服従では主人の指示に従うように訓練しますが、音が聞こえなくても車が直前に迫っているようなとき、それに気づかない主人が「ゴー」と指示しても動いてはいけないのが不服従です。盲導犬は、今道路を渡っては危険だと瞬時に察知しなければなりません。このとき、訓練士はペアを組んで訓練を行います。1人は訓練現場でわざと車の前に出ます。もう1人は犬の反応を見ます。犬が気づかずに車の前に歩き出すようでは困ります。ここではしっかりとしかります。ぴたりと止まり「今歩き出しては危険です!」を知らせれば、「グッド、グッド」と、思い切りほめてやります。


主人に従順であるためには、時には主人の命令に対して不服従でなければならない。盲導犬にそうした技能が求められる必要性は容易に理解できる。

盲導犬はなによりも主人に対して従順でなければならない。それは必ずしも「主人の命令」に従順であることを意味しない。「命令」が主人の「生命」を危険をもたらすときには従ってはならない。従順であらねばならないのはあくまで「生命」の方である。

盲導犬に一見矛楯する「従順な不服従」の技能を修得させるには、犬自身に備わっている自発性を引き出さなければならない。犬を命令に従順に従うロボットのように扱ってはいけないということだ。「従順な不服従」は犬への信頼があってこそ成り立つ技能だと言えるだろう。

ここで考えてみたいのはこの「従順な不服従」の関係が人間と社会についても言えるか、ということ。

このようなことは特に考えてみる必要もなさそうな一般常識の類だが、人間社会は複雑なのでなかなか一筋縄ではいかない。現在、教育について「従順な不服従」の視点から考えてみる必要があると思うのである。

橋下徹


つづく。

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事へのトラックバックURL
http://gushou.blog51.fc2.com/tb.php/621-3dbf12d6

 | HOME | 

 
プロフィール

Author:愚慫
“愚樵”改め“愚慫”と名乗ることにしました。

「空論」は相変わらずです (^_^)

      

最近の記事+コメント
最近のトラックバック
月別アーカイブ
全ての記事を表示する

全ての記事を表示する

QRコード
QRコード