愚慫空論

基軸媒介形式からの自立

貨幣とはなんだろうか
 ここでいう距離化(Distanzierung)とは、「遠ざけ」と「離れを防ぐ」という相反する作用を同時に意味している。人間の関係づけは、距離をつくりだし、同時にその距離を特定の幅のなかに収拾することなのである。ジンメルは次のようにいっている。
「対象が主体に直接的に接近しているかぎり、欲求の分化、出現の希少性、獲得の困難と抵抗が対象を主体から押し離さないかぎり、対象は主体にとっていわば欲求と享受であるが、まだ欲求と享受の対象ではない。……これが完成されるのは、距離を設定しつつ同時にこの距離を克服する対象が格別にこの目的のためにつくりだされることによってである」(ジンメル『貨幣の哲学』より)

「距離化」される距離は、人間関係の距離のことである。また「媒介形式」とは、人間関係を媒介する「形式」のこと。愛情や風習・掟、貨幣などが「形式」にあたる。そして、この距離は媒介形式によって規定されると考えてよいだろう。愛情→風習・掟→貨幣と進むにつれて、距離は大きくなる。かわりに普遍性は増す。愛情は「強く狭い絆」、貨幣は「弱く広い絆」である。

近代社会とは、各種ある媒介形式のなかで貨幣が基軸となった社会であると考えることができるだろう。

しかし、社会はそうなってしまっても、人間はそのようにはなれない。人間にとっては基軸媒介形式など不要でかつ有害なものである。人間には「強く狭い絆」も「弱く広い絆」も必要である。各々の必要に応じて、各種の絆を使い分けることが出来る人間、すなわち「距離」を自在に操ることが出来る人間が自立した人間である。基軸媒介形式は人間の自立を阻むものだ。

生きる技法

 貨幣について

【命題5】貨幣とは、手軽に人と人とをつなぐ装置である
【命題5-1】貨幣は、信頼関係なしの交換を可能にする
【命題5-2】貨幣を使うと、知らない間に与え合っていることになる
【命題5-3】自立は、金では買えない
【命題5-4】貨幣は他人との信頼関係を作り出すために使うべき
【命題5-5】貨幣は他人とのしがらみを断ち切るために使える
【命題5-6】経済人ではなく、有徳人になる


ここに並んだ「命題」は明らかに「基軸」から自由になった自立人のものである。

ここからが前エントリー及び前々エントリーの続きになる。

IT技術の発達によって非貨幣経済の存在が大きくなってきた。ということはつまり、貨幣という媒介形式の基軸性が揺らいできたということを意味する。そしてそれは、基軸に従属することを促す社会から自立を促す社会へと転換し始めた可能性が表れてきたということだ。社会に基軸以外の有力なオプションが出現し始めたということ。

だが、まだそのオプションは具体的な形となって私たちの前に姿を現わしていない。IT技術が提供するかもしれない媒介形式は、これまでにない新しいものなのか、それとも従来から存在するものの復活なのか、それも現時点ではよくわからない。

ネットは物理的な距離に関係なく繋がることが出来る。従来の媒介形式の「距離」はほぼ物理的な距離に比例していた。近所では絆は強く、遠方では弱くなる。これは致し方ないことだった。だが、物理的制約が技術の発展によって取り除かれる可能性が出てきた。それが新たな媒介形式へと発展する可能性はなくはない。

コメント

自立

こんにちは。
地震はおさまったでしょうか?
こればかりはどう気をつけていいかわかりませんが…。

>IT技術が提供するかもしれない媒介形式
これがどうもピンときません。疎くも詳しくもないのですが、私などにはまだ漠然としていて雲を掴む状態。
人間の強欲からの独立と自立に関する部分はとてもよくわかりました。しかし人間の集まりである社会の機軸媒体が貨幣である以上、社会が自立することはいくら待ってもなさそうですわ。(残念なことに、自立=カネという事が普通に信じられ、子供たちがそう育てられるのが今の社会)
新たな媒体形式が成立するには、社会の自立のようなものが先行して必要ではないでしょうか、逆に、新たな媒体が社会を引っ張っていくでしょうか、わかりません。

革命

・あやみさん、おはようございます。

ご心配頂き、ありがとうございます。地震はもうおさまりました。別段大したことはありませんでした。先の震災以降みんな神経質になっていて、ちょっと騒ぎすぎ? ってな感じです。

そういえば、トルコの方でも大きな地震がありましたよね。あれからどうなっているのでしょう?

「社会が自立すること」。これはつまり「革命」でしょう。昔(今もかもしれませんが)、共産主義者達が夢想した、現在の社会とは別の社会を作ること。可能性がなくはないでしょうが、こちらはハードランディングでしょうね。

それよりも「新たな媒体が社会を引っ張っていく」方がソフトでいいと思っています。とはいっても、「新たな媒介形式」というのがまだまだピンとはこない。それでもちかごろは「一般意志2.0」といったような抽象的な形ではありますが、そうした方向性へ想像力を働かせようという動きは出てきているみたいです。

残念なことに、自立=カネという事が普通に信じられ、子供たちがそう育てられるのが今の社会

はい、ここが一番大きな壁なんですね。新たな媒介形式を探っている人たちであっても、私の見るところ、まだこの壁の前をうろうろしているというか、壁に気がついていないような感じです。それでは具体的な姿など見えるはずもないのですが。

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事へのトラックバックURL
http://gushou.blog51.fc2.com/tb.php/613-f2fbee11

 | HOME | 

 
プロフィール

愚慫

Author:愚慫
“愚樵”改め“愚慫”と名乗ることにしました。

「空論」は相変わらずです (^_^)

      

最近の記事+コメント
最近のトラックバック
月別アーカイブ
全ての記事を表示する

全ての記事を表示する

QRコード
QRコード