愚慫空論

富士山は世界遺産に相応しいか

昨日朝、山梨県東部を震源とした地震があった。

こういったことがあると、どうしても富士山噴火、または東海地震との関連が気になる。今朝の山梨日日新聞の一面トップもその話題だった。結論からいうと関連はないようだが、どうしても心配にはなってしまう。それに、用心に越したことはないわけだし。

そんなわけで、昨日、今日の情報の流れから富士山というと、地震 → 噴火の話が大きかったのだけれども、一週間という期間で見るとやはり世界遺産だろう。少なくともここ山梨では。


富士山の世界遺産登録への動きが着々と進んでいる、という印象を受けている。

私は個人的にだけれども、富士山は世界遺産に相応しい、と思っている。その思いは多くの日本人が共有していると思う。ただ、一方で、現状の富士山は世界遺産に相応しい状態ではないとも思っている。これも私ひとりの思いではなくて、以前、富士山が自然遺産として世界遺産登録申請をしようとしたときに、まさに「相応しい状態ではない」という理由で落選した。

それで今度は文化遺産として再チャレンジ、という次第のようである。地元としては期待も盛り上がるところだろう。「なんとかの皮算用」というのもあることだし。

で、今度はみごと合格するのだろうか?

先に言っておくが、私は富士山は自然遺産としても文化遺産としても、世界遺産に相応しいと思っている。だが、どちらにしても、日本人自身が相応しくない状態にしてしまっている、と思う。文化遺産として考えるなら、静岡山梨両県にそれぞれ存在する広大な自衛隊演習地をどう「処理」するか。

(ちなみに、静岡の東富士演習場は御殿場市、小山町、裾野市に跨がる約8,800ha。山梨の北富士演習場は富士吉田市と山中湖村にまたがる約4600ha。合計13,400ha。世界遺産として申請する面積が20,000ha弱。)

普通に考えるのであれば、世界遺産に申請するので自衛隊ならびに同演習地で訓練をしている米軍はお引き取りください、ということになるだろう。が、そのように「普通」には考えられないのが今の日本の常識でもある。では、いったい、どのように「処理」しているのか。

その「処理」の仕方がよくわかるのが、下の地図である。

ここには3つの区分が示されている。

 1.構成資産
 2.緩衝地帯
 3.保全管理区域

問題の演習地は3.に区分されている。

1.は、世界遺産の本体。2.は文字通り、本体を守る緩衝地帯。これらはよく意味がわかるし、ともに世界遺産の「構成要素」である。が、3.は意味が不明。「保全管理区域」を文字通り解釈すると、1.と区別がつかなくなる。世界遺産の構成資産こそ保全管理区域のはずで、だからこそ緩衝地帯まで設けるのであろう。

保全管理区域には、「東大話法」ではないが日本国独特の「隠蔽の臭い」がする。

そこで推薦書の中身を見てみることにした。ネット上で見つけたのは推薦状の原案である。

 推薦書原案 - 富士山を世界文化遺産に

原案には保全管理区域について、次のように書かれている。

資産及び緩衝地帯の外側に富士山の顕著な普遍的価値の保存に直接的には関係しない範囲を対象として、保全管理区域を設定した。保全管理区域は、国・山梨県・市町村・地元団体・所有者等が自主的な管理に努め、以て資産の保護に資する役割を持つ。


「外側に」とされているが、地図を見るとどう見ても「真ん中に」だ。さらに読み進めてみると、演習場について次にように記されている。

演習場内で行われる実弾射撃を含む行為は日本国の防衛上の観点から必要なものとされている。


つまり。演習地は日本国の重要な資産なので世界には提供しない、と(暗に)宣言しているのである。

人類社会の現在の体制では、主権国家という存在が大きな位置を占めている。その前提で「国際社会」などという。国際社会と人類社会は、その空間的範囲は同一。世界遺産とは、そうした体制の元で主権国家が国際社会に対して自国の資産の一部を提供するもの、と理解していいだろう。ただし、一方的に提供すると宣言すればよいわけではなく、人類社会共通の財産と認められるには国際社会の審査が必要とされる。その審査にパスして世界遺産として認められるということだ。

ところが日本国はこの審査を受けるに当たって「一部は国際社会に提供しません」と言っているわけである。

しかし、考えてみれば妙な話だ。なぜわざわざそんな宣言をしなければならないのか。普通に考えるなら「この部分を提供します」とだけ言えばいい話だ。

参考に時期を同じくして世界遺産として申請する鎌倉の図を見てみよう。


ここには「保全管理区域」などという区分は見られない。これはどうも富士山独自のもののようだ。

では、なぜ「ここは提供できません」などという言わなくて良いことを言わなければならなかったのか。再び推薦書(原案)を見てみると、次のような記述がある。

特に、富士山は標高約1,500mの地点で傾斜角の変化率が大きくなっており、それ以上が「山体」として認識されるとともに、優美な曲線を描く稜線が絵画などの対象とされることが多い。この範囲は、各登山道における山体の神聖性に関する境界の一つである「馬返」(乗馬登山が宗教的観点から不可能になる地点)の標高以上の範囲とほぼ一致している。


1,500m以上が富士山の「山体」という見解には(直観的に)承認しがたいが、まあいい。ここは推薦状の言い分に従うとして、では保全管理区域は「山体」のなかに入っていないのかといえば、きっちり入っている。上の富士山の地図には富士山頂を中心とした円が描かれているが、これは私が追加したもの。大まかなものだが、その円の範囲内が標高1,500m以上になる。

これで妙な保全管理区域などというものを宣言しなかった理由がわかる。この推薦状のロジックはこうである。

 a. 文化遺産としての富士山の価値の中心は「山体」にあって、それは標高1,500m以上の地域。
 b. 「山体」の一部に世界遺産として提供できない日本国の資産がある。
 c. けれども、その部分も保全管理区域として自主管理する。
 d. だから富士山を世界遺産として認めてください。

つまり、保全管理区域というのはエクスキューズなのである。

果してユネスコはこのエクスキューズを受け入れてくれるだろうか? 私なら認めないが。



いつものように長くなるが、続けよう。

私はこの「エクスキューズ」から内田樹の文章を思い起こした。

 荒ぶる神の鎮め方(内田樹の研究室)

神仏習合以来、日本人は外来の「恐るべきもの」を手近にある「具体的な存在者」と同一視したり、混同したり、アマルガムを作ったりして、「現実になじませる」という手法を採ってきた。
一神教圏で人々が「恐るべきもの」を隔離し、不可蝕のものとして敬するというかたちで身を守るのに対し、日本人は「恐るべきもの」を「あまり畏れなくていいもの」と化学的に結合させ、こてこてと装飾し、なじみのデザインで彩色し、「恐るべきものだか、あまり恐れなくもいいものだか、よくわかんない」状態のものに仕上げてしまうというかたちで自分を守る。
日本人は原子力に対してまず「金」をまぶしてみせた。
これでいきなり「荒ぶる神」は滑稽なほどに通俗化した。
「原子力は金になりまっせ」
という下卑たワーディングは、日本人の卑俗さを表しているというよりは、日本人の「恐怖」のねじくれた表象だと思った方がいい。
日本人は「あ、それは金の話なのか」と思うと「ほっとする」のである。



富士山の神様は此花咲耶姫。名前からは「荒ぶる神」とはほど遠い印象で、またその印象が富士山の優美な「山体」の印象とよくマッチングするわけだけれども、では、私たちは富士山を荒ぶる神だと思っていないかというとそうでもない。記事の冒頭に噴火の話を取り上げたが、私たちはどこかで富士山を荒ぶる神として怖れている。内田流のロジックで言うならば、ゆえに、

 「世界遺産は金になりまっせ」

である。原発との類似点はそれだけではない。

福島原発のふざけた書き割りを見たヨーロッパやアメリカの原発関係者はかなり衝撃を受けたのではないかと思う。


保全管理区域という「エクスキューズ」は、欧米人には「ふざけた書き割り」に映るのではないかと思う。信仰の対象だといいつつ、その対象を人間の都合で分割してしまっているのだから。

なるほど日本の神様は、一神教の絶対神ではない。だが、ひとつ間違えば「荒ぶる神」になることに違いはない。だからこそ昔の日本人は神の祟りを畏れ、祀ったのである。

(こんな文章を書いている最中にも、また地震だ...)

自分たちがこれまで「瀆聖」のふるまいをしてきたことを、私たちは実は知っていたからである。


日本を代表する霊峰富士山に、そのような仕打ちをしてまで世界遺産として認められる必要もあるまい。



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