愚慫空論

人類社会は衰退局面に入った

今年を振り返ってみて。となると、まず3.11というのが常道だろうけれども、そういった「外から観方」ではなく、「裡からの観方」――つまり私自身の主観で、特に当ブログに関連して、今年最後の記事を書いてみる。

そうなるとまず思うのは、今年はいっぱい書いたなぁ(笑) 特に後半。今年初めにどんなことを書いたのだろうと思って過去記事管理を見てみたら、未公開のボツ記事。それが2つも続いていた。そういえばそうだった。書くことはあるし書きたい思いもあったけど、書けなかった。書いても文章にするのに四苦八苦していた。自身で文章を書くより、他所でコメントしている方がずっと楽だった。

それが今は四苦八苦がほとんどなくなっている。文章が引っかからずに出る。これは私の内面に何らかの変化があった所為だけれども、それがどこから来たのかはっきりわかっている。3.11だ。この出来事が切っ掛けで、「言いたいこと」が私の裡の「あるべきところ」に据わった。

私は何が言いたいのか。その前提が当記事のタイトルにあげた「人類社会は衰退局面に入った」である。いや、ほんとうはずっと以前から入っているのだろう。3.11はその「事実」を露わにした。


これは過去の人口増加の実績と未来の予想とがグラフにまとめられたもの。ここから読み取れるのは、このまま推移してもいずれ人口増加は頭打ちになる、つまりは停滞局面に入るということだ。しかし、これはあくまで推測であって、事実はそうではない。この推測のようには地球環境は保たない。これは環境問題に多少なりとも関心がある人には常識だが、それだけではない。それ以前に社会の制度が保たない。

人類社会に対して地球環境がずっと大きかった時代はまだよかった。よかったとはいってもこの時代は戦争と抑圧の時代であり、善くないところも山ほどあって決して善き時代とは言えないわけだが、それでも「大きな希望」は持つことはできた。「豊かになればすべては解決する」といったようなものだった。特に近代以降、そうした希望は大きく膨らんだし、また一部では確実に実現していたことでもあった。

しかし、その結果到来したのが【強欲】が強欲と感じられずデフォルトになってしまっている社会である。このような社会はもはや保たない。限界点に達してしまっている。3.11とその後の「フクシマ」で、皆が無意識的にであれ理解したのはこのことだろうと私は受け取っている。

風の谷のナウシカ 私の「言いたいこと」はこのことを前提に、人間は生き方を変えなければ生き残っていけない、ということだ。

これまでは、幸せとは生き残ること、あるいは競争に勝つことが前提だった。だがこれからは違う。生き残ることの前提が幸福であることなのである。生き残って幸福になるのではない。幸福でなければ生き残れない。もう少しいうと、幸福でなければ生き残る力を育むことが出来ない。衰退局面に入った社会では生き残りの前提が幸福であることになる。これまでの私たちの常識(というほど意識化されていないが)とは逆になるのである。

『ナウシカ』は、現在とは「逆転した世界」を先取りした作品だ。ナウシカという主人公を通じてこの「逆転」を表現したといってもいい。

 愚樵空論:小さな〈折り合い〉が織りなす大きな〈世界〉

トルメキアやドルクといった〈帝国〉は、「衰退していく世界」のなかで相も変わらず「拡大していく世界」の原理で動こうとする。この原理はもはや誰も幸せにはしない。人々を導くのは「幸福な暮らし」をを保っている風の谷出身のナウシカだ。ナウシカが示すのは、幸福こそが生き残りの前提であるという「衰退していく世界」の原理である。「拡大していく世界」から生まれた巨神兵は、「拡大していく世界」の原理と「衰退していく世界」の原理とを裁定するのである。

――と、いつもの調子になってしまったところで、「今年最後の記事」というところへ立ち戻ろう。

愚樵空論というブログを書いている私にとって、今年という一年は自身の「言いたいこと」が「腑に落ちた」一年であった。となると、来年はこの路線を引き続き行くことになるし、行くしかない。確信である。

ただこの確信には思いは複雑だ。私だってどちらがいいのかと問われれば、「衰退していく世界」よりも「拡大していく世界」の方がいいに決まっている。「拡大していく世界」への訣別は、喜びに満ちてといくものではない。

おっと、こんなふうに書いて思い浮かんだ。日本では年末恒例、ベートーヴェンの『第九』だ。その第三楽章は「拡大する世界」ならぬ「楽園」だが、ベートーヴェンはここに別れを告げて第4楽章の「歓喜の歌」へ入っていく。思い浮かんだのは第三楽章の訣別のファンファーレ。あれは本当に「痛い」。

これが思い浮かんだということは、やっぱり『第九』を聴いて年を越せということか。

コメント

世の中への漠然とした不信、不安、誰もが抱えてると思うのですが、それを「不景気」という言葉でみな無理に置き換えてしまおうとしている、そんな風に思えます(日本にいないため情報源が両親だったりするので極地的データかも知れませんが)。収入や支出という勘定のできるもので量ることに慣れてしまったせいです。では景気がよければそんなに幸せなのか。バブル絶頂期のありさまを「幸福」と定義するならまあそうなのでしょうけれど、同時にそれが「不幸」の種でもあったことに気付いているひとは逆に気が楽というか、それほど不景気にも打ちのめされていないだろうと思います。

「拡大」「増長」は常に痛みを伴います。産みの苦しみという言葉で誤魔化してきましたが、つまりはこれが競争原理でしょう。競争に負けたものが排除される世界は悲惨ですが、自然や時のことわりに淘汰され衰退しゆく世界は、少なくともそこで生きてゆく価値がありそうです。

どうかよいお歳をお迎えくださいませ。来年も宜しくおねがいします。

ありがとうございました。

愚樵さん、こんばんは。

本年はいろいろお付き合い頂きありがとうございました。
愚樵さんとの会話で私自身のいろいろな部分を深める事が出来たと思います。

ところで、私は今、家族でベトナムはハノイに来ております。
私自身もベトナムは初体験で、他の東南アジア地域と似た雰囲気を満喫しつつ、未体験のベトナムカラーにトキメキを感じています。

南国特有の街のエネルギッシュな、人力っぽいというか、食べ物の匂いっぽいというか、体臭っぼいっていうか。
とにかくそういう、街の中に身をおくと、自分の考えの小ささや狭さで無駄なエネルギーを浪費しているのではないかと思ってしまいます。

あー眠くてダメです。

改めて、ありがとうございました。
来年もよろしくお願いします。
(^_^;)

来年もよろしくお願います

・あやみさん

「不景気」という言葉でみな無理に置き換えてしまおうとしている。まことに的確な表現だと思います。そう言いつつ、これから先「好景気」などまずこないことを予感している。政府を操る者たちが自身の共同体の繁栄のために、国民の「好景気」を邪魔することも国民自身がわかっています。

日本は未だ表面上では穏やかですが、一皮めくればかなり危険な状態なのかもしれません。漠然とてはいるが差し迫った不安。それを感じつつ為す術を持たない、模索しようとしない大衆。こういった雰囲気のなかで希求されるのは独裁者です。競争原理に打ちひしがれながら、なおも競争原理にしがみつこうとしている。

自然や時のことわりに淘汰され衰退しゆく世界は、少なくともそこで生きてゆく価値がありそうです。

人類の歴史をマクロで見てしまうと発展となってしまうのかもしれませんが、ミクロでみれば必ずしもそうではない。個々人に取ってみれば、発展も衰退もそれぞれ必然。人は成長し死んでいく。そのことを受け止めることが「生きる」ということのはずです。けれどいつの間にか、発展だけが「生きる」ことになってしまった。《生きる》が【生きる】になった。超自然的な「何か」を喪失してしまったからこうなったんでしょうね。《生きる》ことができればそれだけで幸福なのに、たくさんのモノを手に入れて、大切な「何か」を喪失した。発展の意味って何だったんだろうと考えてしまいます。

ともあれ、来年もこんな調子でやっていきたいと思います。どうかよろしくお付合いのほどを。

こちらこそ、ありがとうございました

・すぺーすのいどさん

そうですか。異郷の地からコメントを送って下さったのですか。そういえば、あやみさんもですね。

私の方も、今年はすぺーすのいどさんに助けて頂いたという感じです。すぺーすのいどさんの一見に何気ないコメントが、とても刺激になった。ありがたかったです。

来年もまたよろしくお付合い願います。すぺーすのいどさんのような活動をされている方と、ネットを介してであれ、繋がっていることは嬉しいことです。

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