愚慫空論

生きる技法とは自分を信じて生きること

生きる技法 私はこの本が発売されるという情報に接したときに、すぐさま予約を入れた。

通常、私はこういったことはしない。著者の安富教授は「my favorite」で、このブログでもその著作を何度も何度も引用させて頂いている。、だからといってなんでもすぐ読むとはならないののが私の性分。なんであれ、巡り合わせ。読みたいと思ったときに読む。

のっけから余談のようだが、「読みたいと思う」のは難しい。読みたいと思ったようでも、いざ本を手にしてみると一向に読む気にならないことがしばしばある。これは実は純粋に読みたいと思っていなかったのである。そんなときには不純な理由――粗探しをして批判してやろうとか――がある。それが意識的には「読みたい」になってしまうが、その区別はなかなかつかないものだ。

その点、『生きる技法』は「読みたい」本だった。届いたらすぐさま読み始めて、瞬く間に読了。1時間かからなかったと思う。寝る前にもう一度目を通し、翌朝、仕事に出かける前にこの文章を書き始めた。仕事を終えて帰宅後、また続きを書いている。

この読書で確信したことが2つ。

1は、読みたかった理由である。それがわかった。私は確認をしたかったのである。

自分を信じて生きる 私は『生きる技法』と同じメッセージを発している本を以前に読んだことがある。松木正著『自分を信じて生きる ~インディアンの方法』がそれ。

松木正という人には、森林インタープリテーション講座という場で出会った。そこで教わったのが「アイスブレイク」であった。

アイスブレイクとは「心の氷を解かすこと」。すなわち人間を「自立」へと促す技法である。「自立」し他人を信頼できるようになった人間は、森とも仲良くなることができる。

そんな講座を開くようは人が書いた著作のメッセージと、東大教授の書いた本のメッセージが同じ。この場合の「メッセージ」は明確に言語化することが難しいものだが、その一端は『生きる技法』のオビで言葉にされている。

 ・「助けてください」と言えたとき、人は自立している

同じことが『インディアンの方法』にも書かれている。

 ・自立しようと思ったら、ヘルプメッセージを出せなくてはいけない


これはたまたま同じような表現になったというわけではない。メッセージが同じだからである。人間は自愛することができたときに、自立と依存は二項対立ではなく二項同体になる。『インディアンの方法』も『生きる技法』も、訴えるところは自愛である。

私が確認したかったのは、このことである。『インディアンの方法』から受け取ったメッセージは私にとっては大切なものだ。それを別の表現方法でも確認したかった。大切なことを違った表現でも確認できるということは嬉しいことだ。だから私は「読みたいと思った」。もちろん、私は前もって『生きる技法』のメッセージの内容を知っていたわけではない。だが予感はあったのだろう。私はそうした予感を信じる人間である。

メッセージの構成方法に触れると、『インディアンの方法』を情緒的というならば、『生きる技法』は理知的というべきだろう。命題を立ての論証という形式で書かれている(スピノザの『エチカ』に倣ったらしい)。論理的な分だけ説得力は高い――と言いたいところだが、残念ながら必ずしもそうとはいえない。私にはとても得心がいくものであったが、それが万人に及ぶかどうかとなると疑問なのである。この点が2つめの確信と関わってくる。

2つのめ確信。それは自立と依存の二項同体は現代社会においては「アクロバット」であるということだ。

アクロバットは、できる者にはできる。バク転でも鉄棒の逆上がりでもなんでもいいが、こういった芸当はできる者にはできるもので、どうやったらできるかなど説明しようがない性質のものだ。自立が依存であるというのは『生きる技法』において「命題1」として位置づけられているけれども、この命題をすんなりと受け入れることが既にアクロバットなのである。

このことは、その論証の仕方にも現れている。中村尚司さんという経済学者が60年間考え続けてようやく発見した。手足がほとんど機能しない先天性脳性小児麻痺の障害を背負われている小島直子さんという方が『口からうんちが出るように手術してください』と希望した。あるいは、ドイツのハイデマリー・シュヴェルマーという女性が、お金をすてることで豊かな人生を掴んだ。安富教授自身の体験もそうだ。『生きる技法』では、ほら、こういった実例がありますよ、だからあなたも出来ますよとメッセージを送ってきてくれるのだが、いかんせんそれは誰にでもできるというわけではないアクロバットなのだ。確かに人間の身体はアクロバットができるように出来ている。同様に精神もアクロバットができるように出来ている。でも、アクロバットはアクロバットなのである。

ただ、この「アクロバット」の効用は非常に大きい。バク転ができるとみんなから一目置かれて嬉しい、なんてものではない。人生が豊かになる。『生きるための技法』は豊かな人生を説明してくれる。イメージさせてくれる。最初に「アクロバット」に腰が引けさえしなければ――これはなかなか大きな関門だが――その気にさせてくれるだけの力はある。と思う。

最後に、ここは私が当ブログで追いかけているメインテーマであるので言及させてもらおう。なぜ、現代社会においては「二項同体」はアクロバットになってしまうのか。

これは人間が環境に適応する動物だからだ。安富教授は「【命題5】貨幣とは、手軽に人と人とをつなぐ装置である」とし、「貨幣があれば信頼関係がなくてもいきていける」を副作用としている。確かにその通りだとは思うが、しかし、現代社会はこの副作用を基軸として組み立てられているというのも、間違いのない現実である。だから、現代社会に適応すればするほど、ますます自立と依存は二項対立になり、二項同体はアクロバットになる。アクロバットとは、自身の適応をひっくり返すことなのである。

こうした社会が出来上がってしまう根本原因は、貨幣が偶像化してしまっていることにある。貨幣の副作用の主たるところは価値保存機能だが、これは偶像化(現象の本質化)から派生する。

これは私の限られた経験からも言えることだが、貨幣が本質化していない社会で暮らす人間は、自然と「二項同体」へと適応していく。『インディアンの方法』はその適応の継承なのである。

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