愚慫空論

再掲載:【物】の原理は専有、《情報》の原理は共有

2009年9月12日の記事を修正して再掲載。

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前提1:〈私〉が存在する。〈私〉以外の〈他者〉が存在する。


〈私〉は〈他者〉を、〈私〉に備わった〔感覚〕を通じて捉える。
〈私〉の〔感覚〕によって捉えられている〈他者〉の状態を【物】と呼ぶ。

〈私〉は【物】を〔意識〕によって捉え直す。
〔意識〕によって捉えられた〈他者〉の状態を《情報》と呼ぶ。


前提2:〈私〉は〔人間〕である。


〈他者〉のなかで、〈私〉と同じ〔人間〕であるとの《情報》が付与されている〈他者〉を〈他人〉と呼ぶ。

〈私〉は〈他人〉と《情報》を共有することで〔人間〕となり、共同体や社会を営む。

 →《情報》の原理は共有である。

共有物である《情報》を生み出す〔意識〕は、一次的には同一性を志向する。二次的には差異性を志向する。
〈他者〉との共有のなかの水平的コニュニケ-ションから、垂直的に〈個〉が確立される。つまり《自己》である。

【物】は、〈他者〉が共有態様である《情報》となる以前の、〈私〉の〔感覚〕のみによって捉えられている状態の、〈私〉のよる〈他者〉の専有態様である。

 →【物】の原理は専有。

専有物である【物】を生み出す〔感覚〕は、一次的には差異性を志向する。二次的には同一性を志向する。
個別な〈他人〉との水平的コミュニケーションは、水平的に〈個〉が確立される。つまり【自我】である。


付記1:

〔感覚〕装置としての〈私〉が捉えることが出来るのは、《現象》のみである。
ところが人間には〔意識〕が存在する。〔意識〕が行なうのが【現象の本質化】。それが【物】の正体である。

また、〔意識〕そのものも《現象》に過ぎないのだが、〔意識〕を意識化することで〔意識〕もまた【本質化】する。
これは〔他人の意識〕を意識する過程、つまり個別な〈他人〉との水平的コミュニケーションのなかで確立される【自我】である。
確立された【自我】が成長しようとすれば、それは水平的領域の拡大、つまり「他者の支配」へと向かうことになる。
【物】的世界観であり、これが二次的な同一性の意味するところ。


付記2;

《情報》は【物】の再把握である。
【自我】によって妨げられることがなければ、《情報》は【現象の本質化】の《再現象化》である。

つまり《情報》とは、〈私〉によってフィルタリングがなされてはいるものの、《現象》である。

《情報》共有の水平的コミュニケーションから垂直的に立ち上がる《自己》とは、〈私〉という「フィルター」の把握の他ならない。
「フィルター」の把握は、「現象を観る目」の確立でもある。

確立された《自己》が成長しようとすれば、それは垂直的領域の拡大、つまり〈私〉という「フィルター」を「無」あるいは「空」する方向へと向かうことになる。
《情報》的《現象》的世界観であり、これが二次的な差異性の意味するところ。つまり「フィルター」の差異である。

付記3:

私は、垂直的領域への拡大志向を《霊性》と呼ぶ。

《霊性》には基本的に2種類の態様があると考える。

1.〔意識〕が生成する【本質】を超越する《本質》があると想定することから生まれる《霊性》。
【物】的世界観から、アクロバティックに生み出された理性的《霊性》。
超越的《霊性》である。

2.は、《自己》というフィルターもまた《現象》であると観ることから生まれる《霊性》。
《情報》的世界観から、順当に生み出される感覚的《霊性》。
内在的《霊性》である。

日本的霊性は、内在的《霊性》の一亜種であろう。

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