愚慫空論

自在な豊かさ

私の思索のなかで、自由/自在の対立軸は大きな要素のひとつになっている。

怯えの時代 その発端になったのが、内山節著『怯えの時代』。冒頭をまたしても掟破りの引用。

プロローグ

   一、

 二〇〇六年六月二十二日。妻が死んだ。ほんの五分前まで心地よさそうな寝息をたてて眠っていたというのに、突然息をとめた。受け入れるしかない現実が私の前で展開していた。

   二、

 それから数日が過ぎ、私は自由になった自分を感じた。すべての時間が自分のためだけにある。すべてのことは自分だけで決めればよい。何もかもが「私」からはじまって「私」で終わるのだ。私だけがここにいる。自由になった私だけが。

   三、

 それは現代人の自由と共通する。

   四、

 喪失の先に成立する自由。受け入れるしかない現実が生み出した自由。

   五、

 妻の死によって私は怯えることはなかった。私は「また会おうね」と言った。妻は「うん」と言った、と思った。

   六、

 現代人は確かに自由なのだと思う。もちろん世界のさまざまなところに、自由を圧殺された人々がいることを私は知っているし、それが国内問題であることも知っている。しかし、あえて私は現代人は自由だという。なぜなら現代の自由は、現実を受け入れる他なかった喪失の先にあらわれてくる自由でしかないからだ。私たちは携帯でメールを打ちつづける自由がある。テレビのチャンネルを思うがままに変える自由がある。今日の夕食を好きなように決める自由がある。ただしそれは携帯電話がつくりだしたシステムを受け入れることによって、だ。サイフの中身をという現実を受け入れることによって、だ。
 現実を受け入れない限り自由を手にすることもできないという包囲された世界のなかの自由が、私たちにはある。そして現実を受け入れたときに手にしなければならないもうひとつものは、喪失。その代償のもとに獲得されたのが現代人の自由。

   七、

 (中略)

   八、

 そんな時代が長くつづき、私たちはうんざりするような自由を手に入れてきた。なぜうんざりするのか。それは自由であっても自在ではないからだ。(後略)



この文章を読んでみてから、話題になっている斉藤環氏の文章を読んでみてもらいたい。

 時代の風:「絆」連呼に違和感=精神科医・斎藤環

ここにあるのは「正論」である。それは疑いがない。が、内山氏の文章にある「喪失」がない。「うんざり」がない。

被災の当事者に内山、斉藤両氏の文章のどちらが響くかと問いかけてみれば、どうだろう? 斉藤氏の「正論」か。内山氏の「喪失」か。答えはいうまでもないと思うが。

「絆」連呼が始まったのは、3.11の震災以後のことだ。だが」、内山氏の文章を読むと、その前奏はずっと以前から始まっていたことに気がつかされる。3.11は、「喪失」をかつてない規模で露わにした。だからこそ「絆」の連呼が始まったのではないのか。

斉藤氏の「正論」は絆は自由を奪うという。まったくその通りである。だが、私たちは既に、その自由に「うんざり」していたのではなかったか。自由の代償として要求される「喪失」に耐えがたくなっていたのではないのだろうか。自由か自在かの対立。

この対立軸は原発の賛否を巡る議論にも通底する。原発に賛成する者は自由が大切だという。自由な経済活動が補償されなければ経済は活力を失う。だから安定的な電源である原発は必要。対して反対派の議論は「喪失」には耐えられない、というもの。

だが、私の見るところ、まだ反対派の議論も「自在」のところにまでは至っていない。自在とは制約から自由になることでない。制約を受け入れて制約を生かすことをいう。制約があるからこそ豊かに暮らすことができる。ここでいう「豊かさ」は自由が提供してきた「豊かさ」とは根本的に異なる。自在な豊かさ。日本にはかつて満ちあふれていた豊かさ。ブータンにはまだ 残っていると思われている豊かさ。

私が「絆」連呼のなかに見るのは、一方では斉藤氏のいう「正論」だけれども、もう一方は「自在な豊かさ」への希求である。その見立てが「正論」への違和感を生む。正論を希求の封殺に用いてはならない。

自在な豊かさを生み出す知恵は、私たちの暮らしのなかにひそむ「伝統」のなかに宿っている。それは「富国強兵」といったスローガンのもと「文明開化」を目指すずっと以前から私たちの暮らしの中で生き続けてきた知恵だ。「自在」を希求するなら、その知恵を再び発掘する必要がある。

参考記事:ならば「絆(きずな)」ではなく「結(ゆい)」
       日本力

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