愚慫空論

やはり女には適わない(笑)

NHKがなかなか興味ぶかい「事実」を報道して、ネット上でもかなり話題に上っている。

夫婦愛は出産後に覚めるもの?

子どもを出産したあと、「妻が愛情を示してくれない」、「結婚当初はこんなではなかったのに」。
そう感じている男性、いらっしゃるのではないでしょうか。
果たして結婚して子どもが生まれたあと、夫婦の愛情がどう変わるのか。
4年間にわたって300組近い夫婦を継続して調査した結果がこのほどまとまりました。
この結果から、愛情を保つ秘けつも探ってみます。

対象になったのは全国の288組の夫婦で、「配偶者といると本当に愛していると実感する」割合を、妊娠中から子どもが2歳のときまで4年間にわたって調べたんです。
すると、妊娠中は夫も妻も「愛していると実感する」のは74.3%で、この時点では夫婦間に差はありませんでした。 ところが出産すると結果は一変します。
「夫を愛していると実感する」妻の割合が大きく減少するのです。


さもあらん。大笑。
内発的発展論
前エントリーで私は、内発性/自発性という構図を提示してみたが、その構図でいうと、出産した女性の愛が夫から子どもへと移るのは、まさに内発的発展に他ならないだろう。
(右掲書は未読なんだけど、関連ありそうなので掲げてみた。高価なので図書館で探してみよう。)

私は「内発的発展」とは共同体の発展と軌を一にするのではないかと考えている。ここでいう共同体は、ベネディクト・アンダーソンのいう「想像の共同体」でも、地縁血縁で結ばれた地域共同体でもない。各人が個別的に確立する「〈想像界〉の共同体」というべきものだ。
(想像界とはもちろんラカンいうの三界の1。アンダーソンの「想像の共同体」とは、この伝でいうと〈象徴界〉の共同体。ただし、このラカン理解が正しいかは自信がない。)

女性は子どもを産む。すなわち分身を作る。母子は想像的にも現実的にも最もベーシックな共同体だ。女性は内発的に共同体を生み出す。ここから女性が内発的発展を遂げるのは必然だろう。男は逆立ちしても適わない。男は哀れにも取り残されるのだ。大笑。

男に残された術は、女性が生み出す新たな共同体を承認する以外に方法はない。

では、どうすれば妻からの愛情を保てるのか。
そのヒントがありました。
「妊娠時」も「子どもが0歳になった時」も変わらず夫への愛を実感している妻たち、いわば出産後も愛情が変わらない妻たちの調査結果を詳しく分析したのです。
すると、次の2つの項目で特徴的なことが分かりました。
「夫は家族との時間を努力して作っているか」、「夫は家事や仕事、子育てをねぎらってくれているか」。
この2つの質問項目に対して、70%以上が「あてはまる」と答えたのです。


家族との時間を作る努力。子育てへのねぎらい。これらは新たな共同体への「具体的な承認」であろう。内発的発展を遂げた女性は以前のように自身にだけの承認では充足されない。新たな共同体への承認が必要になる。母の夫への愛情はそこから生まれる。

男にとってみても父親になるのは内発的発展に他ならないはずだ。しかし、【自我】発の自発性ばかり肥大して《自己》が未熟な「お坊ちゃま」では女性の内発的発展に取り残される。結果、「妻が愛情を示してくれない」、「結婚当初はこんなではなかったのに」。大笑いだ。

付け足し。

男の未熟な《自己》発達を隠蔽し、自発的な【自我】肥大を容認してきたのが【システム】である。戦前は「家」。戦後は「会社」。女性は「家」畜あるいは「社」畜であり、明治維新以来の近代国家日本もそうした【システム】を下支えしてきた。これは偏に【闘争】――戦前は富国強兵、戦後は経済発展――のためだった。そうした社会的性差への反発がジェンダー・フリー運動を引き起こしてきたわけだが、これも結局のところは【システム】を女にも開放せよという主張・運動であって、内発性を疎外する【システム】そのものは承認された。むしろジェンダー・フリー運動は、不本意ながらも女性が担っていた内発性を放棄させ、社会全体の内発性を大きく低下させてしまった。

自発性を獲得したあるいは獲得しようとした女性(母)は、子どもにも自発性を発揮させるようにと望んだ。が、【自我】発の自発性は、他人にとってみれば他律性に他ならない。それが子どもたちの内発性を疎外し、さらに大きく社会の内発性を損なうことになった。

そういえば今週のNHK・クローズアップ現代でも興味深い報道が為されていた。

やさしい虐待 ~良い子の異変の陰で~

勉強が出来て、しつけも行き届いた自慢の子が、突然、学校に通わなくなったり、自室に閉じこもってしまう、いわゆる“よい子の破綻”。原因が分からずに苦しむ親が多い中、研究者がその多くに共通する問題として注目しているのが、親による「やさしい虐待」だ。一般的な児童虐待は、暴力や暴言などで直接子どもを傷つけるものだが、一見こどもにはプラスに思える教育やしつけも過度に押しつけるとこどもをがんじがらめにし、虐待と同様に心を蝕んでいくという。「やさしい虐待」によって損なわれたこどもの心や親子関係をどうすれば修復できるか?その模索を見つめる。


ハラスメントは連鎖する もちろんこれは女性(母)だけの責任ではない。「大人」の責任である。

江戸時代末期、欧米列強の強大な軍事力を見た有司たちが、日本を守ろうとして日本国民を鍛え上げようとしたのはよかった。致し方なかった。が、犠牲は当然出た。まず、男たちだ。兵士として戦争することを強いられた。その代わりに「家」というご褒美を与えられた。その犠牲になったのが女たち。

戦後、日本は経済発展を遂げて平和になり、女性達も自発的に強くなった。【システム】に参画できるようになった。だが、犠牲がなくなったわけではない。今度は子どもたちである。

国家から男へ、男から女へ、女から子どもへ。施されたのは「ハラスメント」である。ハラスメントは連鎖する。その挙げ句が今の日本の惨状であり、この流れで見ると女も男と変わらない。

だが、3.11以降。やはり変わったのは母親たちが中心だ。これは女と男の「内発力」の違いだろう。やはり男は適わないのだ。

関連記事:女と男のガラパゴス
       天辺の糸       

コメント

闘牛参上!w

>女性は子どもを産む。すなわち分身を作る。

これはどうかなー?子ども=分身という価値観が虐待を生んでいるように思うけど?

母親にとって子どもは、自分のからだから出てくるわけだから間違いなく自分の子で、
対して父親は「信じる、故に我有り」的だから、父親の子どもへの愛情が最初「自発性」であることは認める。
母親だって「自発性」によるものも多いんだけどね。母性は「本能」じゃないから。

>新たな共同体への承認が必要になる。母の夫への愛情はそこから生まれる。

これは違うなー。少なくとも私の感覚とは違う。
「承認に対する自発性」つまり、プラスの働きかけが、夫への愛情を生み出すのではなくて、
減点方式だと思う。

女が子どもを産むのには「あなたの子どもがほしい」という理由が多かれ少なかれ存在すると思うんだけど、
事実、子どもは「あなた」と「わたし」の子どもなわけです。

でも、そのために、妊娠しつわりに苦しんで、リスクを引き受けて出産する。
ここまでで、母親にとっては「割に合わない」ことを強いられているわけです。

で、10ヶ月近く頑張って出産したらば。
母親にとって子育ては「当然」のこととして「自発性」を要求される。
それを男からは「内発性」だなどと位置付けられる。
父親が子育てに関わっても「協力」の域を出ない。

>「夫は家族との時間を努力して作っているか」、「夫は家事や仕事、子育てをねぎらってくれているか」。

こんなことは当然の要求なわけです。そもそもプラス評価になんてなりゃしない。
夫の子どもを、こっちはしんどい目をして産んであげてるんだから。
なので、努力して当然なのに、努力しない。協力しないどころか、ねぎらってもくれない。
大幅な減点対象です。なので、

>女性の内発的発展に取り残される。

というのは男性側からの見方かもしれないと思います。
子育てが「内発性」の喜びであるのなら、夫の協力が得られないことを不満には思わないと思う。
「自発性」のところで頑張ってる(頑張らされている)から、
なんで夫は「自発性」を発揮しないのだと腹が立つ。

>ジェンダー・フリー運動は、不本意ながらも女性が担っていた内発性を放棄させ、社会全体の内発性を大きく低下させてしまった。

なんだこれはw
社会全体という「社会」に女性が含まれていないように感じるのは気のせい?

>犠牲は当然出た。まず、男たちだ。兵士として戦争することを強いられた。その代わりに「家」というご褒美を与えられた。その犠牲になったのが女たち。

これはそうだね。男と男のパワーゲームに、より弱い男が巻き込まれ、男たちの不満を「お上」から逸らすために、
男にひとりずつ女があてがわれた。

>国家から男へ、男から女へ、女から子どもへ。施されたのは「ハラスメント」である。ハラスメントは連鎖する。その挙げ句が今の日本の惨状であり、この流れで見ると女も男と変わらない。

男から子どもへ、が抜けているし、
「国家」の大部分が男で構成されているので、この流れで見ても、女が男と変わらないとは思えない。

闘牛士見参!!(爆)

・みみずさん、再びのコメントをありがとうございます。

うん、でも、やっぱり闘牛だ(^_^; 全体として誤読です。

子ども=分身という価値観が虐待を生んでいるように思うけど?

この記事が前エントリーからの流れを引き継いでいることは理解していただいていると思いますけど、その流れでいうとこれは「言挙げ」。「絆」という言葉を訓詁学的に意味を確定させて、批判する。分身を価値観と捉えて批判する。同じ構図でしょう? つまり、「分身」というのは比喩的表現に過ぎない。

私は分身という価値観が虐待を生んだという批判には同意しますけど、でも、だからといってジェンダーフリー運動が「言挙げ」を止めたわけではない。むしろ強化したでしょう。そのことを批判しているわけです。

内発性/自発性の解釈については前エントリーでの返答で示しましたので、くり返しません。

男から子どもへ、が抜けているし、

なるほど、いかにも減点主義らしいコメントだ(苦笑)

いくら私だって、こんな端折った単純な記述が歴史の真実だなんて言うつもりはないですよ。「ハラスメントは連鎖する」というところへあわせて文章を組み立てただけ。真実はこんなわかりやすいものではない。が、敢えてわかりやすく記述することは否定されるべきじゃないでしょう?

愚樵さん更新がはやいですよ。

こんにちは。みみずさんのコメントを読んでいたら何を書こうか忘れてしまいましたよ。

気を取り直して。
「愛情」というものを、愚樵さん流に言って「システム視」してしまったがために産後の愛情量が減ったと感じてしまうのです。一緒に食事をする事がへったり、会話が減ったり。また女の側も家事や育児への参加を「愛情」と決め込んでいる。夫婦でベビーカーを押して散歩するのが「幸福」で、それをしてくれない夫を持つ自分は「不幸」などなど。

社会主義国が働く女性を支援するようになったのは女性にも稼がせて税金を搾り取るためでもあるのです(フランスでキャリアウーマンとして働く友人が去年出産したのですが、フランスでは仕事と育児を両立させるためにあらゆる医療サポートが受けられるとのこと。帝王切開も本人の意思だし母乳を止める薬も出してくれる。とりあえず出生率がこれ以上下がらないように配慮して、よく働いて納税して、その後はなるべく長生きしないでくれと言われているのでしょう)。

近代思想を追い掛け回しても「愛情」高騰し手の届かないものになるだけです。自分が相手を思うことからはじめなければ行き着くところは空虚です。

「絆」は私も「飼い綱」のことだと思います。人間同士において言うのなら男女や親子の間のエゴのことでしょう。

〝優しい虐待〟は面白かったですね

今わたしが取り組んでいる問題そのものです。でも、なかなか気づかせることは難しいではあります。言葉だけでは。子どもが完全に引きこもっているケースでも、やはり、まだ自分の問題とは思えない父母は多いですね。
「お母さんが子供っぽくなった!」というのは、とてもリアルな子どもの感想でした。あれはお母さんの内面の意識化に成功しているケースですね。とても素直で真面目ないいお母さんでした。

やっぱ、パーソナル。(^o^)/

こんばんは。

私もその新聞記事のタイトル、最近みた覚えがあります。
「アホらし、愛情とは何か?という定義も無いのにどうやって増減を測るんじゃ?」
と思いましたので、記事自体は読みませんでした。(^^ゞ

やっぱし、元々本当の意味での<愛情>のある人は、子どもが生まれようがなにしようが変化はなく、それどころか更に<愛情>を深め、そうでない人はそれなりに劣化するという結果ですよね。
わざわざ新聞記事にするようなことか?とは思いますが…(・・?

それから、最後の
>…やはり男は適わないのだ。
にはちょっと引っかかりましたね。w

私は男も女もあんまし違いは無いと思いますよ、素では。
確かに女性は妊娠・出産という経験をする事が可能で、それは男性には出来ない。
経験が出来ることによって、気づくことも変わるかもしれない。
でも、それを経験出来るから、女性だから、という理由で気付ける訳でもないとおもう。
逆に男は孕まないから、出産しないから解る事という事象もあると思う。

・女性は出産するから母性がある。
・両親は血のつながりがあるから他人とは違う特別な人。だから死に目に会いに行かなくてはいけない。
・プライベートよりオフィシャルを重視すべき。

どれもこれも、他律性?自律性?やせ我慢?

受精して着床したら、もうパーソナルであるべきですよ。

そしてパーソナルはもっともっと尊重されなくてはいけない。

なんか相変わらず纏まり無いですね。
ごめんなさい。m(__)m

最近は書き方がわかったみたいで(^o^)

あやみさん、おはようございます。

ええ、立て続けの更新になってしまってますね。書きたいことはまだまだいっぱいあるんです。でも、少し前まではなかなか書けなかった。例えは悪いですけど、便秘のような感じで。うんうん唸りながら放りだしていた。ここのところは快便で、次から次へと「出てくる」(笑)

「愛情」というものを、愚樵さん流に言って「システム視」してしまったがために

何らかの外形的な基準によって計測されなければ、愛情も感じられなくなったということですね。

夫婦でベビーカーを押して散歩するのが「幸福」で、それをしてくれない夫を持つ自分は「不幸」などなど。

「他者の欲望」ですね。他者の欲望を自身の欲望としてしまう。そして欲望を満たされることが「幸福」。欲望というのは象徴的であり自発的なんですね。その一方で内発的な欲求の充足が疎かになって「幸福」が空洞化する。

社会主義国が働く女性を支援するようになったのは女性にも稼がせて

日本もそれが理想のようですよ。女性を家庭に押し込めるのは良しとしないが、かといって社会進出を是とする空気もおかしい。もっとも近代化以前は女性も大きな労働力でしたし、がんがん稼いでいたらしい。しかもその稼ぎは年貢として取り立てられることはなかったから、女性の懐具合はかなり良かったらしいですね。

近代思想を追い掛け回しても

そうなんです。近代思想というのは結局キリスト教文化の亜種ですから。世界中のみんながそれに適応できるはずがない。いい加減、そこのところに気がついて欲しいものです。

Re: 〝優しい虐待〟は面白かったですね

・naokoさん、おはようございます。

なかなか気づかせることは難しいではあります。

その点、NHKがこうやって番組にしてくれると助かりますよね。NHKが番組にしてしまうから困るというケースも多いですけど。

「お母さんが子供っぽくなった!」というのは

あれは見ていて嬉しくなりました。よくジェンダー論では「男らしさ」「女らしさ」を批判しますけど、「大人らしさ」を批判するような文章は見かけたことがない。成功したビジネスマンを賞賛するのに「子どもっぽいところがある」と書いているのは見かけますけどね。

マジメな人ほど「らしさ」にこだわるというか、依存してしまいますよね。

Re: やっぱ、パーソナル。(^o^)/

すぺーすのいどさん、おはようございます。

>やっぱし、元々本当の意味での<愛情>のある人は、子どもが生まれようがなにしようが変化はなく、

まあ、そういうことなんですけどね。

わざわざ新聞記事にするようなことか?とは思いますが…(・・?

犬が人を噛んでもニュースにならないが、人が犬を噛むとニュースになる。よくいいますよね。この「愛情」の記事は、「人が犬を噛む」と捉えられたんでしょう。当たり前のことが当たり前ではなくなったから、当たり前のことがニュースになる。そういったところから社会が見えますね。


やはり男は適わないのだ。
  にはちょっと引っかかりましたね。w

おっと、失敗した。タイトルには付けましたが、最後は抜けてしまいましたね。「(笑)」が。

この記事は思いっきり男目線なんですよ。「(笑)」「大笑い」は、そのことを自覚しているからこそ、と読んで頂きたい。
女には適わない...ことにしておくのが、世のかな、いろいろと都合がよいのでは?

どれもこれも、他律性?自律性?やせ我慢?

どれもこれも、言葉にしてしまって、概念・理念にしてしまって、「本質化」させると自発/自律/他律へのベクトルが動き出すのではないでしょうか。欧米の文化では、他律の先に「超越」があってそこから内発へ「再帰」してくる型がある。だから「ベクトル」でな「くサイクル」になるんですが、日本の場合、他律でどん詰まりなんですよね。だから「言挙げ」を戒める。

超越からの再帰。あるいは言挙げの戒め。これらはそれぞれ文化の霊性の型なんだと思うんです。

受精して着床したら、もうパーソナルであるべきですよ。

や。これは「言挙げ」でしょう。

こんばんは。

この週末は忘年会とかあってなかなか忙しかったです。

>女には適わない...ことにしておくのが、世のかな、いろいろと都合がよいのでは?

そうですね。同感です。w
女性相手だけではなく、いろいろな人を当てはめて上手に使うと良いかもですね。


>や。これは「言挙げ」でしょう。

なるほどね。そうでしょうね。
でもなんだか「卵が先か、鶏が先か」みたいな印象です。

・すぺーすのいどさん

「卵が先か、鶏が先か」みたいな印象

そうそう。その印象でいいんだと思いますよ。どちらが先だと決めてしまわない。卵/鶏というのは「前提」なんですよ。この「前提」を確定にするとそこから思考や論理が始まっていきますけど、でもそれは自発性→他律性へのベクトルなんですね。そしてこの「前提」の上に立脚するのをアイデンティティという。

私が「自立」と言っているのは、卵と鶏の両方に立脚すること。別の言い方をすれば状況に応じて「自在に」使い分けることができるようになること。

卵/鶏は、制約でもあるんです。卵か鶏か、そのほかに選択肢はないということでしょう。でも、それを不自由と捉えないで「自在」であるための基盤と捉える。「絆」も同じことなんです。

自発的な自由を目指す者はその前提となる基盤を必要とします。自由とは秩序があっての自由なんです。これは絶対。だから秩序の基盤が必要で、それが自由の「前提」なんです。で、今の社会はその「前提」が貨幣になっているというのが私の見立てなんですね。

だから、貨幣を自在なものにせよと主張する。それが貨幣2.0だと。

男と女についても同じこと。男である。あるいは女である。これは制約であり「前提」です。ここをいかに「自在」に行くか。

女には適わない...ことにしておくのが、世のかな、いろいろと都合がよいのでは?

というのは、見方によればご都合主義ですけど、それだけじゃないでしょう?

受精して着床したら、もうパーソナルであるべきですよ。

これだって同じなんですよ。受精して着床したことが制約となる者が、自在に状況に応じて決定すべきことなんです。制約を実感していない者が自由に議論すれば、「もはやパーソナル」という結論になる。そのことは支持します。同じ「前提」を共有するならば。が、私にとって「前提」はご都合主義です。時と場合によっては異なる「前提」を採用します。

たとえば、子どもか母体かという選択を迫られたとき。そんな不幸は訪れることがないようにと願うばかりですが、現実として起こりうる可能性は否定できない。そんなときに、制約のない者が自由に議論して導き出した「結論」など、制約のある者に押しつけるものではない。当事者が制約のなかで下した「結論」を支持し、それを「自立」として承認すべきなんです。

《いのち》というどうしようもなく尊いものは、「自立」して、つまり自身も《いのち》という制約を引き受けて、「自在」に扱うしかないものです。

ちなみに。

制約を引き受けて自在であることを、私は“内在的超越”といいたいんです。

お疲れ様です。

こんばんは。

>制約のない者が自由に議論して導き出した「結論」など、制約のある者に押しつけるものではない。当事者が制約のなかで下した「結論」を支持し、それを「自立」として承認すべきなんです。

「なるほど~!」と大きく頷くほど、しっくり解る訳ではないですが、なんとなく賛同できます。

>《いのち》というどうしようもなく尊いものは、「自立」して、つまり自身も《いのち》という制約を引き受けて、「自在」に扱うしかないものです。

ひとつひとつの「命」が「宇宙」をも包含する程の大きさである事を認識すると同時に、「宇宙」から見た、ひとつひとつの「命」が、埃程の影響力も無いほど小さいことを認識するような感じかな。

無常観

・すぺーすのいどさん、おはようございます。

「宇宙」とは大きく出ましたね(^o^)

ひとつひとつの「命」が「宇宙」をも包含する程の大きさである事を認識すると同時に、「宇宙」から見た、ひとつひとつの「命」が、埃程の影響力も無いほど小さいことを認識するような感じかな。

華厳経にあるという「重々無尽」のイメージに近いものがありますね。「重々帝網」とか「インドラの網」とも言われます。
http://kankyo-iihatobu.la.coocan.jp/2contents28.html
など、参考にどうぞ。)

ひとつひとつの珠がすべての珠を映し出しており、その光の乱反射が全体として大きな調和を生み出している。これ以上はないというくらいの壮大なイメージです。

でも、むしろ私たちの感性に近いのは、このようなマクロな見方よりもミクロな見方かもしれません。

ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。
よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。
世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。

鴨長明、方丈記ですね。あるいは、

祗園精舎の鐘の声、 諸行無常の響きあり。
娑羅双樹の花の色、 盛者必衰の理をあらはす。
おごれる人も久しからず、 唯春の夜の夢のごとし。

もしくは、

色は匂へど 散りぬるを
我が世誰ぞ 常ならん
有為の奥山 けふ越えて
浅き夢見じ 酔ひもせず

日本人なら誰もが知っている古典の中に言い表されている感覚。とどのつまり、自身を含めた何もかもが「現象」。だから、一瞬一瞬を誠実に生きることが大切。《いのち》との出逢いもまたかけがえのない「一瞬」のなかの出来事にすぎない――こういった感覚を、私たちはほとんど忘れてしまっているのでしょう。

こんにちは。

「他者の欲望」ってやつですが、
「他者の欲望を自身の欲望とする」ことを、自らの内発性が欲求するという、そういう人たちもけっこういますよ。
(野口整体の体癖で言う「偶数種」的な人たちが多いですが)
これは僕が観察し続けているとりあえずの中間報告としては、やはり後づけのものではなく、そもそもの「内発性」に絡んでくる受動的な欲求充足方式のように思われます。
そういうタイプの人たちがわりに多いということも、考慮には入れておくべきかなぁ・・と。

それから、愚樵さんの言う「絆」と「自在」の意味合いが、少し分かってきました。 (^o^)

整体の知見は奥が深い

アキラさん、おはようございます。

「他者の欲望を自身の欲望とする」ことを、自らの内発性が欲求するという、そういう人たちもけっこういますよ。

ふむ。それは理論的(?)にあると思ってますし、私の「裡」にもあるような感触もあります。

まだ直観の域をでていませんが、『希望の純粋形』はそれに相当すると私は考えています。
http://gushou.blog51.fc2.com/blog-entry-568.html

内発性というのは、人間にとっては自明なものでは決してないんですよね。探究しなければ発見できないもの。その意味でも『まどか☆マギカ』のストーリー構成は秀逸だと思います。また、アキラさんご指摘の「受動的な内発性」はやはり母性に関係が深いように思う。

ここはまるっきりファンタジーですが、観音菩薩が女性になってしまったのはここに関連していると思うんです。もともとは男だったんですがね。

これは僕が観察し続けている

この「観察」に関心があるなぁ。私も観察はしているんですが、それは主に心理的な側面から。アキラさんは身体的に現れる現象を観ているんですよね。この両方、「心身」を「身体性」と読んでいるわけですけど、自分でも「心身」の繋がりを観てみたくなってきました。

それから、愚樵さんの言う「絆」と「自在」の意味合いが、少し分かってきました。 (^o^)

(^o^)

ちょっと「内発性」「自発性」の意味合いが受けとれているのか自信がないんですが。。。

僕の観察には問題点もあります。
それは、野口整体の体癖という観方を「物差し」にしている、ということ。
その偏りからは逃れられません。

野口整体的には心身一如ですから、感受性の側面に出るもの、身体的な側面に出るもの、ともに「動き」としてピックアップしていきます。
ただ、難しいのは、意識レベル、半意識レベルでやっているものを排除していく作業ですね。
無意識にやっているものも、デフォルトのものと後づけのものとありますから、その削ぎ分けも必要です。

そして、感受性の側面に出る動き、身体的な側面に出る動きを擦り合せていく。
なかなかめんどくさいです。

ですから分からないことだらけなんですが、その分からなさの中からだんだん観えてくるものが出てきます。
「他者の欲望を自身の欲望とする」ことを、自らの内発性が欲求する、というのもその一つです。
「やりたいこと」の実体が、自らの裡にはない。
これが腑に落ちたときには、僕はちょっとショックというか、ビックリでした。

ん~、よくわからない(^_^;

・アキラさん、おはようございます。

ちょっと「内発性」「自発性」の意味合いが受けとれているのか自信がないんですが。。。

現段階での一応の定義では、自発性は【自我】から、内発性は《自己》(アキラさん的には「自ぃ識」かな?)から出てくるものだと私は定義しているんです。人間は自己保存のための欲求に加えてその社会性からくる欲望もかならず持ち合わせている存在ですが、【自我】が未発達の場合に他者の欲望が自身の内発性になるというのは、ありうることなのではないのかと考えているわけですね。

もうすこし付言すると、《自己》は制約(絆)のなかでの垂直的コミュニケーションから、【自我】は他者との差異を際立たせる水平的コミュニケーションから、それぞれ確立される。また【自我】が「現象の本質化」なのに対して、《自己》は「現象を見る目」だとも言える。

それは、野口整体の体癖という観方を「物差し」にしている、ということ。

偏りはどうしようもないことだし、必ずしも欠点というわけではない。私だって自身の見方に偏りを感じるんですよ。このごろにわかにそこが自覚されてきたから、「体癖という観方」に関心が湧いて来たわけでして。いままではアキラさんのその手の記事はスルーしてきたんですけどね。そういう「時期が来た」ということのような気がしているんですよ。

そして、感受性の側面に出る動き、身体的な側面に出る動きを擦り合せていく。

めんどくさいんでしょうねぇ。私にはよくわかりません。苦笑。

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