愚慫空論

ならば「絆(きずな)」ではなく「結(ゆい)」

2011年度の「今年の漢字」に選ばれたのは「絆」であった。確かに今年は3.11以降、「絆」が連呼された年であった。

この現象に対しての批判の声が上がっている。代表はこちらだろう。

時代の風:「絆」連呼に違和感=精神科医・斎藤環
     毎日新聞 2011年12月11日 東京朝刊

 ◇自由な個人の連帯こそ

 3月の震災以降、しきりに連呼されるようになった言葉に「絆」がある。「3・11」「帰宅難民」「風評被害」「こだまでしょうか」といった震災関連の言葉とともに、今年の流行語大賞にも入賞を果たした。

 確かに私たちは被災経験を通じて、絆の大切さを改めて思い知らされたはずだった。昨年は流行語大賞に「無縁社会」がノミネートされたことを考え合わせるなら、震災が人々のつながりを取り戻すきっかけになった、と希望的に考えてみたくもなる。

 しかし、疑問もないわけではない。広辞苑によれば「絆」には「(1)馬・犬・鷹(たか)など、動物をつなぎとめる綱(2)断つにしのびない恩愛。離れがたい情実。ほだし。係累。繋縛(けいばく)」という二つの意味がある。

 語源として(1)があり、そこから(2)の意味が派生したというのが通説のようだ。だから「絆」のもう一つの読みである「ほだし」になると、はっきり「人の身体の自由を束縛するもの」(基本古語辞典、大修館)という意味になる。

 訓詁学(くんこがく)的な話がしたいわけではない。しかし被災後に流行する言葉として、「縁」や「連帯」ではなく「絆」が無意識に選ばれたことには、なにかしら象徴的な意味があるように思われるのだ。


斉藤氏が主張したいことを私なりに言い換えてみる。

もともとの「絆」の意味は
 (1)動物をつなぎとめる綱 → Win-Lose
 (2)ほだし。係累。繋縛 → Lose-Lose

そこから「自由な個人の連帯」を Win-Win とイメージして推奨。

おっと、これは少ハッキリとさせすぎた。「絆」がWin-Lose or Lose-Lose とイメージされていることは確かだと思うが、「自由な個人の連帯」を Win-Win とイメージしきれているかどうか。逆に言うと、「自由な個人の連帯」が Win-Win のイメージして伝わるかどうか。私は伝わりきらないと思う。齟齬が生じると感じる。そしてこの齟齬が「縁」や「連帯」ではなく「絆」が無意識に選ばれた理由だと考える。

斉藤氏は、

絆はがんばって強めたり深めたりできるものではない。それは「気がついたら結ばれ深まっていた」という形で、常に後から気付かれるものではなかったか。


といい、「絆」をプライベートだと位置づける。そして「絆」連呼は、「絆」をパブリックなものとしてプライベートを絡めとる危険性のあるものだと警鐘を鳴らす。この論旨そのものには異存はない。だがこれでは「齟齬」は埋まらない。

なぜ「絆」という言葉が選ばれたか。この問いは私自身への問いでもある。「絆」連呼は私の現象でもある。3.11以前から「絆」を連呼している。なぜなのか。

それは「絆」をプライベートでも、もちろんパブリックでもなくパーソナルだと位置づけているからだ(その果てが《霊》という概念になっているわけだが。)

「絆」は「気がついたら結ばれ深まっていた」。斉藤氏はそこから「絆」→切れないもの→束縛と論理を展開していく。この論理でいうと「縁」が選ばれなかった理由は納得がいく。「縁」は切れるものだからだ。

だが「連帯」が選ばれなかった理由はこれでは上手く説明ができない。というより、もともと斉藤氏は説明しようとは思っていない。「連帯」は意志を持って結ぶもの。だからそちらを選べという主張になっている。だが、くり返すが、これでは「齟齬」を埋められないのだ。

「連帯」が選ばれなかった理由。それはパブリックだから。人々はプライベートな繋がりを求めているのである。プライベートな繋がりは、個々人のパーソナルな「内発性」から生まれる。「絆」に込められている意味は、辞書にはない内発性である。

話は少し変わる。

日本はもともと「言挙げ」をしない国だとされてきた。「言挙げ」とは明確に言葉にすること指し、大切なことは明確に言葉にして表してはいけない。遠回しに表現して察してもらうようにしなければならない。そうしたことを重んじていた国だというわけだ。

私はこれを内発性重視の現れだとみる。つまり、言葉にしてしまうと自発性が生じてしまう。自発性は自律性になり、多くの自律性が収束すると他律性になり、人々を束縛する。言挙げを好ましく感じないのは、この「流れ」を昔の人々は識っていたからだろう。言葉というものには力があり、発することで発した自分自身ですら束縛する。自律性だ。

斉藤氏の主張は、「絆」という言葉を選ぶ人々の自律性が収束して他律性になることを懸念したものだと理解していいだろう。 そして「自由な個人の連帯」という自発性を重んじよとする。しかし、連帯をするにも言葉は必要だ。そこから先は自律性→他律性への「流れ」に乗る。これは善きパブリックではあるかもしれないが、人々は無意識のうちにそれを選択していないのである。

ベネディクト・アンダーソン プライベートな繋がりが充実させるには、その前段の内発的なパーソナルを棄損させてはならない。言挙げによる自律性を発揮させてはならないのである。だが、現代社会は言語による「想像の共同体」である。言語がなくてはつながらない。そこで「絆」という言葉が、本来的な意味である Win-Lose でも Lose-Lose でもない Win-Win なイメージとして浮上してきたのではなかった。少なくとも私が「絆」というときは、イメージしているのは Win-Win だ。

だからこそ、「絆」を誰が発するかが重要になってくる。その立場・発し方で Win-Win をイメージしているか Win-Lose をイメージしているかがわかる。人々はそこに敏感になっていると思う。

しかし、もともと Win-Win をイメージするつながりを表す言葉が存在しないわけではない。それが「結(ゆい)」である。「もやい」ともいわれたりするが、共同体内の相互扶助の在り方を指す言葉。この「結」がパブリックかプライベートかは議論が分かれるのかもしれないが、私はプライベートであったと思う。そしてそうした関係を生じせしめたのは、パーソナルな内発性である。

私たち日本人が高度成長とともに失ったのは、個の確立から生じる内発性である。欧米を真似て意識的な自発性を重視するのがいいと考えられてきた。だがそれは結局のところ根付くことはなかった。それは当然のことで、千年を単位とする時間をかけて培ってきたものが、そう簡単に覆るはずはないのである。ミスマッチが生じるだけ。そのミスマッチが最大限具現化していたところへ起こったのが、此度の震災&大人災。日本人が内発性重視へと無意識のうちに舵を切るのは、ごく自然な流れであると私は思う。

だが、自発性重視の教育を受け、それに高度に適応した知識人にはそれが見えない。優秀だったからこそ適応が深くなり、言い換えればバイアスが強くなり、かえって見えなくなるのだ。斉藤環氏の主張は、その良い例であるように思える。

コメント

禅かな?

千年の歴史を実体験せず、「欧米を真似て意識的な自発性を重視するのがいい」がデフォでありベースだったワタシたちにとって、その基盤自体を再考しろというのは、なんとなく自分を否定されている感があり困難そうですね。
しかも、「考えるな、感じろ」ってのは、、、思索するより難しいかも(笑) 思索しエントリーをする度にそこから離れていきそうです。
空っぽになれば自ずと生まれてくる、、、っていうやつかしら??

なるほど。

こんにちは。

ここんとこ、何となく消化不良だったんですが、解りましたよ。

パーソナルな内発性、自律性のよる束縛、やせ我慢、…の関係が…。

パーソナルを大事にしない人、させない人、苦手です。

禅なんかじゃ禅ゝありません

・毒多さん、おはようございます。

困難だと思いますよ。基盤をしっかり構築した人ほどね。この「基盤」は精神的・社会的の両方を指します。

最近、言葉を見かけるのも少なくなりましたが、「勝ち組」なんてのは両方を獲得した人たちですね。ネトウヨとか呼ばれるのは、社会的基盤は確立できなかったのでかえって精神的基盤にすがる連中。左は社会的基盤を確立できる人が極端に減少して、つまり格差社会ですね、それを自発性基盤から取り戻そうと「運動」している人たち。

でもね、どうもこの「運動」は空回りするでしょう。それは、いまだに日本人は自発性がベースじゃないからなんです。自発性ベースがいいんだと教わってはきた。「偏差値の高い」者たちはその「教え」に忠実です。しかし、実は私たちはそんなふうには育まれてこなかったんです。

「教える」のは意識的に出来ます。しかし「育む」は意識的にはできない。気がついたら育まれていたという性質のもの。それをいま、「絆」と呼んでいるのではないのかということです。

だって「教え」は全然ダメだったことがばれたじゃないですか。エリート達は嘘つきがデフォ。みんなウソだったんだぜぇ♪ でしょう。だったら、残るのは「育まれてきたもの」しかないじゃないですか。それも駄目なら、もう日本は全然ダメということなってしまう。

難しいですよ、そりゃ。みんな依存しているんだから。東電が碌でもない組織だとこれほどあからさまになっても、原発はダメだってことが誰の目にも明らかになっても、それでも依存はやめられない。日々の暮らしがかかっているから。でも、このままでいいわけはない。

ですから禅なんかじゃ全くないんですよ。

3.11以前なら禅でよかったでしょう。私はこうした類のことを3.11以前からずっと唱えているわけですけど、確かにそれは「空ずる」ことで見つけ出したものです。でも今は空じる必要なんてない。現実を直視すれば自ずと...、です。

とはいってもね。この期に及んでも人間は「人間の都合」を優先してしまうんです。原発推進派はその代表ですが、あそこまで確信犯にはなれなくても、その確信に違和感を抱いていても、まだ「人間の都合」を優先している。ニッチもサッチも行かなくなるまでわからないでしょう。

そう見きった上で「私はどうするのか」を問うのが3.11以後の思索でしょう。もはや「どうあるべきか」ではない。そんなことを熟議しているヒマはないんです。

Re: なるほど。

・すぺーすのいどさん、おはようございます。

そうなんです。私が某所でいったやせ我慢というのは「自律性による自縛」のことなんです。

デフォや「美談」の弊害は、他律→自律→内発性阻害と進むところなんですね。この構造をどこで跳ね返すか。自発からいくか。内発からいくか。その違い。

共同体というのは内発を育むベースなんです。人間は「親を中心とする共同体」で十分に育まれることで内発的に自身で自身の共同体を構築していく能力を身に付ける。ところが自発がベースになるとこの能力は大方の者が喪失するんです。起業できる人に限られるといったことになる。大部分の残りは既成の共同体(公務員・企業)といったところへ所属が自発的欲求の従属になってしまうんです。

内発性?

内発性と自発性の違いがよくわかんなくて、ググってみたら、宮台の言葉なのね?
自発性が環境に作用される自主性で、内発性が環境に作用されない根源的な自主性、って捉えていいのかな?

3・11以降の「絆」連呼には、私は反吐が出そうです。
立場の弱いものには「絆」は「拘束」でしかない。
家族の重要性が連呼される中、DV夫であっても「家族はよきもの」とされてしまう。
強い絆の中で、暴力はエスカレートする方向にあります。

「結婚したら一生添い遂げなければならない」と自主的に我慢の努力をするのが「自発性」、
「暴力を振るわれるのはもうイヤだ!」と離婚に向けて自主的に動くのが「内発性」かな。

そういう意味では私は「内発性」に向けた支援を仕事にしてるわけなんだけど、
愚樵兄には否定されそうな感じがする。
どこか兄さんと私の認識がずれている気がするけど、どこがずれているかはわからないw

Re: 内発性?

・みみずさん

そうでしたね。宮台氏も言ってますね。ググればそれがまず出てくるか。迂闊だったな。

私の定義はむしろ宮台氏のそれとは逆。内発性は環境に左右される。だって共同体の確立と軌を一にするといっているわけだから。共同体って環境でしょう? まあ、もっとも私は、共同体=環境といったような二項対立的な見方には異を唱えているんですけどね。環境=自己という「二項同体」なんです。

二項同体はググって下さいね(笑)

3・11以降の「絆」連呼には、私は反吐が出そうです。

でしょうね。


「結婚したら一生添い遂げなければならない」と自主的に我慢の努力をするのが「自発性」、
「暴力を振るわれるのはもうイヤだ!」と離婚に向けて自主的に動くのが「内発性」かな。

ここは同じ認識です。ちなみに「自主的に我慢」を自律性と言うんですけどね。<br/><br/>

>そういう意味では私は「内発性」に向けた支援を仕事にしてるわけなんだけど、

だと私も思っています。だから天敵なんだけど、敵じゃない(笑) 自発的には敵だけど、内発的には味方といえばいいのかな。

どこか兄さんと私の認識がずれている気がするけど、どこがずれているかはわからないw

そう、そんなふうに言語化できないのが私の認識では内発性。「結婚」という言葉に出来るものに縛られたって、DVはいやですよ。普通なら。

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