愚慫空論

【強欲】とは「強いられた欲望」のことである その3

その2で示したのは、好景気だとインフレになる理由だった。

その理由は実は単純で、モノの生産量増加に先立って経済を巡る貨幣量が増大するから。それは一時的な現象にしか過ぎないのだが、その一時的であるはずのことがずっと持続されなければならないのが近代の貨幣経済であり、これは極めてアンバランスな状態。このアンバランスは経済が巡ると自然に解消されるのだが、近代社会ではこれが甚だ具合が悪い。

ここまでが、その2での話。で、、今回考えてみるのは、

 1.アンバランスの自然解消がなぜ不具合になるのか。
 2.アンバランスな状態はなぜ長らく持続することが出来たのか、また出来なくなったのか。

2.の方から考えてみることにしよう。
 図1 

上はその2で掲示した図だが、この   をその2ではモデル「社会」と定義した。ここではそれを修正して「貨幣経済」と訂正する。貨幣経済は、人間経済のなかの一部であり、人間経済はまた自然循環のなかの一部に過ぎない。自然循環は、人間の視点から見ると「環境」である。それを図示すると、

図2 


近代以前、人間経済は自然循環に比すればごく小さかったし、貨幣経済はさらに小さかった(図3)。それが近代以降、貨幣経済は急拡大することになった。学校の歴史ではこの現象を産業革命と教わるが、産業革命で急拡大するのは貨幣経済。それに伴って人間経済も拡大することになるが(図4)、その成長の割合はずっと貨幣経済の方が大きい。

図3   図4 

そのために、近代以前は人間経済のなかの小さな部分しか占めなかった貨幣経済が、現代ではその大部分を占めるに至った。そればかりではない。自然環境の限界に迫るところまで成長してしまった。その様子を図示すると
図5 

この図は奇妙な図だ。本来、人間経済は自然循環の内部にあり、貨幣経済は人間経済の一部である。なのにここでは貨幣経済が人間経済からも自然環境からもはみ出してしまっている。このはみ出した部分が端的に【強欲】と呼ばれるところである。

話を元に戻す。

貨幣経済がアンバランスに発展することができた理由は3つ。

 a.発展の余地があったこと。
 b.技術革新があったこと。
 c.信用創造による貨幣の増殖があったこと。

学校の歴史で説明されるのは、主にb.だ。c.については資本主義の拡大再生産という形で教わるが、これは真実の一部を伝えて肝心なところは伝えない、権力がよくやる隠蔽工作である。a.は「成長の限界」という逆接で教わるが、これもまた真実の一部しか伝えない。

「成長の限界」で一般的にイメージされるのは、量的なものである。文明社会が拡大して全地球上を覆い尽くすようになった。化石燃料等の消費が増え、環境破壊が進んでしまった。ここから「持続可能な発展」という屁理屈がひねり出される。量的拡大はもはや不可能だが、質的には拡大可能だという理屈である。

だがこれもまやかしだ。貨幣経済は既に質的にも拡大不可能なところまで来ている。

人間経済は大きく貨幣経済と贈与経済に分けることができる。宮台真司氏の分類でいうと〈システム〉と〈生活世界〉になる。この2つの経済の差異は質的。〈システム〉が全域化した現代文明では、人間経済の内部において貨幣経済が質的に拡張できる領域はすでにほとんど埋めつくされてしまった。

このことは自身の生活を振り返ってみればよくわかるはずだ。我々は一日24時間、睡眠時間を除いて、どれほどの時間を貨幣と無縁で過ごしているのか。貨幣を得るために労働し、生存のためにあるいは快楽を得るために消費をする。これらすべて貨幣経済の枠の中である。これ以上貨幣と関わる時間を増やすことは、まず不可能だろう。

貨幣経済に残された領域は「新たな欲望」という分野だけだ。ここは理屈の上では無限の可能性がある。その可能性を示してくれたのが先頃亡くなったスティーブ・ジョブズだったわけだが、果して本当にこの分野は無限に開拓可能なのだろうか? そして私たちはそのことを本当に欲しているのだろうか?

話が少し逸れるようだが、新たな欲望の可能性の是非は原発の是非にも繋がる。原発推進派のおそらくは最も根源的な理由は「新たな欲望の可能性」だろう。だが現実を直視すれば、この可能性はリスクが大きすぎる。モンサントの「商品」などもその典型例だろう。

もっとも、そうした典型例ではない変種も「新たな欲望」には存在する。その代表例が太陽光などの自然エネルギーだろう。これまでの(原発に代表される)典型例を新たな技術(あるいは従来から存在する技術)へと置き換えていこうとするもの。これは資本主義の「スクラップ&ビルド」の原則にも適っており、新たな投資も見込める。エコカーやエコ家電への買い換えも、この流れだ。

この変種は短期的には有効であろう。しかし、長い目で見れば、成長の限界を突破できるものになるかどうかは疑問だし、また長期的に有効とさせてしまうことは大変に危険な可能性を孕んでもいる。というのも「スクラップ&ビルド」は、近代の戦争の隠された原理でもあるからだ。それが例え人殺しにならなくても、人間の都合による「スクラップ&ビルド」はどのような形であれ自然環境を棄損してしまう。

以上のように見ていくと、実はa.とb.とは同根であることが見えてくる。成長の限界は技術革新の領域にも及んでおり、そのことがもはや貨幣経済が成長を続けることが出来ない理由になる。

残るはc.。a.とb.が限界に達したならば、c.もまた限界に達するのが道理であろう。事実、限界に達しつつある。だが、その限界は金融危機という形で現在具現化しており、これはこれで大変な問題であることはいうまでもないだろう。

このc.の限界の具現の仕方が、インフレ=好景気の理由から発した2つの疑問のうちの1.の方へと繋がっていくことになる。この続きは、その4へ。

コメント

いちばん厄介な経済活動

こんにちは。

ちかごろ近所がキナ臭くて困ります。シリアやイランのどんぱち。
【強欲】が束になって増強し、凶暴化したものが戦争という商売です。
記事の図5をみてそれを思い出し、ぞっとしました。
アンバランスな状態というのも「不安定な核のエネルギー」に繋がるような気がしまして…

消火器のセールスがありましたよね。
「え? お宅、まだお持ちでないんですか?団地の皆さんお買い上げになってますよ。」
これ以上拡大しようのない需要を不安を煽ることで刺激した結果、世界は核兵器だらけに。
記事と少しずれてしまって申し訳ありません、でもおそらく同根の問題でしょう。

Re: いちばん厄介な経済活動

・あやみさん、おはようございます。

近代において戦争と経済は同根というより、戦争から近代が生み出されたといってもいいくらいです。

その2で触れたイングランド銀行とジョン・ローですが、これらの発端は戦争です。イングランド銀行はイギリスが主にフランスと戦争するため(大同盟戦争)の戦費を創出するために。ジョン・ローの場合は、その戦争で失われた費消されてしまった貨幣を補うために、です。

冷戦時代「管理された緊張」というようなことが言われましたね。その結果、地球を何百回も破壊できるほどの核兵器が生み出されたのですが、これはまた経済問題でもあった。破壊のための経済。けれど、核兵器はその後の創造が不可能なので破壊を管理せざるを得ないという、まことにバカげた論理です。この論理は今も生き残っていますし、別の形を変わって増殖してもいる。「金融システムの安定」というのがそれ。そもそも金融システムがアンバランスで不安定を生み出しているのに、アンバランスをそのままに管理しようとする。それが一体、誰の利益になるのか少し考えてみれば良いのですが、それをする人はあまりに少ない。

ちかごろ近所がキナ臭くて困ります。シリアやイランのどんぱち。

日本ではほとんど報道されませんが、ほんとうにそちらは大変ですよね。

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