愚慫空論

【強欲】とは「強いられた欲望」のことである その2

その1では、【自我】の観点から見た【強欲】について話をした。今回は【システム】の観点から話をしてみる。

近代社会は【自我】ばかりになってしまった。【自我】は誰にでも芽生えてしまうものであり、それ自体悪というわけではないが【自我】が世の中を覆い尽くすと社会はうまく機能しなくなる。近代が【自我】ばかりになったのは、【自我】が蔓延るのに適した環境が整備されてしまったからである。その人々はその環境に適応した結果として、欲望は強いられるものなった。

そんな環境になってしまった理由はいろいろある。そのなかで最も大きな原因は貨幣経済という【システム】が全域化してしまったこと。今回、話をしてみたいのはその全域化のメカニズムについてである。

根源的な原因は貨幣という「現象」を「本質」と見誤ったことにある。

 『貨幣は偶像である』(愚樵空論)

貨幣が偶像化は近代に始まったわけではない。おそらくは貨幣の起源のものにまで遡る。貨幣という観点からみて、近代とそれ以前とを区分するのは貨幣の自発増殖だ。近代以前、貨幣は金銀がその役割を担っていたり、集権的な権力が発行していたり、あるいはその両方(金貨・銀貨)だったりしたわけだが、いずれにせよ貨幣そのものが自発的に増殖するようなことはなかった。金銀が掘り出されるか、権力が貨幣を鋳造するか、貨幣の生産/増殖は貨幣外の要因に拠っていた。

しかし17世紀のイギリスで、貨幣の自発増殖の方法が発明された。それが「ゴールドスミス・ノート(金匠手形)」。通貨として流通していた金細工師発行の預かり証が金の裏付けなしに――金を預かっているという金細工師の信用を背景に――増発され、そのニセ(のはずの)通貨が流通し好景気をもたらすという事態が生じた。近代はここから始まったと見てよい。


(この近代の芽生えは、17世紀末のイングランド銀行の設立、18世紀初頭のジョン・ローの「活躍」によって基礎付けられることになった。

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貨幣の自発増殖がどういった作用をもたらしたのか、ここからは簡単なモデルを使って説明してみることにする。まず、考えているのは、なぜインフレだと好景気になるのか、という問題について。単純に考えて、好景気を社会を巡るモノの量が増えることだとするならば、好景気はデフレでなければおかしいのである。

貨幣量が100クレジット、モノが100単位流通している経済社会を想定することからスタートする。100単位のモノは毎年生産/消費されていく農産物その他。貨幣は消耗しないので、ずっと社会のなかを巡っている。その社会にイノベーションが起き、毎年200単位のモノが生産/消費されることになった。するとどうなるかというと、

図1 

物価は「1単位=1クレジット」から「1単位=0.5クレジット」へと下がる。これはデフレである。

ところが実際はインフレになる。ということは、好景気とは「モノの増加」以上に貨幣量が増加することを意味する。なぜそんなことになるのか。

今想定したのは、資本主義社会以前のイノベーションの在り方。誰かが新たな発明をすると、それがゆっくりと周囲に伝播していく。あるいは農地を開拓し耕作面積を増やす、などの方法が考えられる。

資本主義社会では、イノベーションの前に投資が必要になる。投資により新たな工場が建設されて生産設備が増強されることで、モノの生産量が増大する。この現象が、今考えているモデル社会で起こるとどうなるか。

投資に20クレジット必要だとすると
図2 

投資に回された20クレジットは一時モノの売買市場には出回らなくなる(右上)。が、工場建設がはじまって投資された資金が原材料費や建設作業員の給料として支払われると、投資資金は再び市場へ流通(右下)。工場が稼働するとモノの生産量は上がり、結局、図1と同じ状態になってデフレである。

では、近代資本主義社会ではどうなるか。

図3 

大きく違うのは、右上の時点だ。投資に必要な資金は創造されるのである。一般的には投資資金は市中の投資家から、すなわち経済循環の中から集めるとされる。ミクロで見れば事実だが、マクロで見ればまやかしである。貨幣が無から創造され(信用創造)、投資資金として経済に回される(右上)。投資された資金は、工場の稼働に先立って経済を巡るから(右下)一時的にインフレとなる。この一時的なインフレがずっと持続しなければならない経済社会。それが現代の強欲資本主義社会の姿なのである。右下から左下へ移行していくことが許されない。どんどん新しい投資を呼び込んでインフレを継続させ続けていかなればならない、極めてアンバランスな社会である。

ちなみに現在、日本を筆頭に世界経済のフェーズは右下から左下へと移行しつつある。現在進行しているデフレの実態はこれ。新たな投資に必要な資金は「資金需要」と呼ばれるが、特に今の日本ではこの「需要」が不足している。そのために、ごく当然の成り行きとして、フェーズが右下から右上へと移行しようとしているだけのこと。この当然の帰結が具合が悪い。

ここで考えるべきことが2つ出てくる。
  1.なぜ具合が当然の帰結が具合が悪いのか。
  2.なぜ右上から右下への一時的であるはずのフェーズが長らく持続したのか。
    また、なぜ持続しなくなったのか。

この続きはその3以降でということにしたいが、記事を閉じる前に少し追加説明。

図1~3のモデルは、社会のなかで生産/消費されるモノを一種類と仮定している。だが実際には、数え切れないほどのモノが社会を流通しているのは言うまでもない。1つの工場(農場なども含む)で生産できるモノの種類が一種類だとすると、モノの種類の数だけ工場は存在することになるし、一種類のモノを複数の工場で生産していることも多い。つまり工場は多数ある。

この多数の工場は、当然のことながら同時期に建設されるわけはない。次から次へと建設される。建設に着手された1つの工場は、図3の左上(工場建設着手前)から右上、右下を経由して左下(工場稼働)まで行き着く。上の説明で「右上からみぎしたの一時的なフェーズがずっと持続する」の意味は、(説明する必要はなかろうけれども)ひとつの工場がずっと建設中という意味ではなく、次から次へと新しい工場が建設されるということだ。

図4 

それを図示すると、上のような感じになる。右下から左下はデフレのフェーズで、ミクロの工場建設は必ずここへ移行するが、マクロでは次々に工場建設(=資金投資=創造創造)が持続されなければならない。あたかも右下から左上へとフェーズが跳躍しているようにしなければならない。近代資本主義の拡大再生産とは、この「跳躍」のことである。

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