愚慫空論

貨幣は偶像である

経済学の船出 貨幣についての最も合理的な記述は「貨幣は人間経済という非平衡開放系のなかに出現する散逸構造だ」という安富教授の指摘だと私は思っている。だが、昨夜ふと、これには大きな欠陥があることに思い至った。

散逸構造というのは「現象」である。しかし、貨幣経済の基軸に位置する貨幣を「現象」といえるだろうか。

(人にとって)見えるもの、つまり(外面的な)<<現れ>>のこと。出来事を、それが存在するかどうか、本当かどうか、といった、その見える<<現れ>>の背後にあるものは問題にせずに、その観察された<<現れ>>として扱うとき、それを「現象」と呼ぶ。対義語は本質。(Wikipediaより


たとえば、竜巻という現象がある。竜巻は散逸構造であり、(外面的な)「現れ」である。その「本質」は空気という流体だ。空気に大きな気圧差が生じると、その差異を効率的に散逸させるために竜巻という「現象=構造」が生じる、というわけだ。

では、貨幣はどうだろうか。

貨幣とは、経済学上は(欧米のMoneyやMonnaieなどの用語に対応する訳語として用いられ)、「価値の尺度」「交換の媒介」「価値の保蔵」の機能を持ったモノのことである。(Wikipediaより


貨幣はモノである。ということは、これは人間の意識の問題だが、「現象」とは対義の「本質」と捉えられているということだ。貨幣経済とは、貨幣という「本質」によって生じる「現象」ということになる。

これはどういうことか。人間経済は非平衡開放系である。そこに貨幣という「構造=現象」が出現する。ところが人間にとって貨幣とは「現象」ではない。「本質」である。ここに「飛躍」がある。そして貨幣経済とは貨幣が「本質」として振る舞ったときに出現する経済「現象」だ。ということは、本来の人間経済と貨幣経済とは、本質的に異なるものだということになるのではあるまいか。

このように改めて考えてみれば、竜巻のような「現象」と貨幣とが同じ散逸構造だという記述のおかしさは、直観的にも理解出来る。貨幣が散逸構造として出現してきたことに間違いはないだろう。だが、人間は「現象」を「本質」へと変換させてしまった。

「現象」を「本質」へと変換すること。この「変換」とよく似ているとのが「神の偶像化」である。

神を「現象」だと言ってしまうと大きな反発を喰らうかもしれない。(超越)神は信じる者にとっては「本質」に違いないからだ。ただし、これは人間には把握しきれない「本質」のはずだ。神の偶像化は、人間に理解出来る「本質」への変換である。だから、一神教はこれを厳重に戒める(キリスト教は例外)。

一方、神を「現象」とする捉え方は、神を信じない者には合理的に捉えられるだろう。信じる者にとっても、「本質」でありかつ「現象」でもあるとするならば、納得はいくだろうと思う。そう考えると、神の偶像化は信仰とは関係なく不合理なことだということになる。

私たちが経済活動において犯している誤りの根源は、ここにあるのではあるまいか。つまり、貨幣を偶像化してしまったことだ。

貨幣は散逸構造である。このことが正しいのだとしても、それは貨幣を本質化(偶像化)させてもよい根拠にはならない。それはむしろ貨幣というものの本質を逸脱することであるように思う。

貨幣が散逸構造として出現するということは、その母体(人間経済)は〈クラウド〉であるということだ。経済を動かす「主体」はあくまで人間であり、貨幣やモノを含む「情報」は、主体同士を繋ぐ「関係性」だということ。そうした〈クラウド〉が発展していく過程のなかで情報伝達を効率よく進める必要性が生まれ、散逸構造としての貨幣が出現した。

 参考:『再度、〈システム〉と〈クラウド〉』(愚樵空論)

ところが、現象であったはずの貨幣が本質化されてしまうと、経済は〈システム〉と化す。近代以前は〈クラウド〉としての人間経済と〈システム〉としての貨幣経済は共存してきたが、近代以降、〈システム〉は全域化して【システム】となり、同時に崩壊の危機に瀕している。【システム】は人間経済の在り方と本質的に合致しないであろう。

【システム】と化した経済を〈クラウド〉へと引き戻すには、貨幣のイノベーションが必要である。それは「本質化」してしまった貨幣を再び「現象化」させることになるはずだ。

「現象化」の具体的な方策で筆頭にあげるべきは、「減価する貨幣」であろう。貨幣価値が時間とともに減少してゆく「負の金利」とは、貨幣自体が流動すること、すなわち「現象化」である。逆に、貨幣が増殖する「正の金利」は貨幣が「本質」として捉えられているからこそ、可能となるものだ。

貨幣が「本質」から「現象」へ。貨幣経済が【システム】から〈クラウド〉へ。これこそパラダイムの転換であろう。

コメント

腐るカネ

こんにちは、ちょっとご無沙汰してました。

使わないと価値が下がる消費期限付きのカネ、いいですね。コメがかつてはそうでした。この先、日本人に「何かが」おこって「貨幣経済やめました」と言い出したらNATOにミサイルでどつかれるでしょうか。
「貨幣」を棄てるしか人類の生きる道はないと思うのですが、そこに行き着く手段がどうも見えません。

スタンプ紙幣、もしくはゲゼルマネー

・あやみさん、こんばんは。

腐る貨幣はシルビオ・ゲゼルという人が考案し、実際に「スタンプ通貨」という形で実用化された歴史もあるんだそうです。
http://kotobukibune.at.webry.info/200902/article_19.html

世界恐慌の折り、オーストリア・チロルのヴェルグルという地方都市で導入されたスタンプ紙幣はめざましい成果をあげ、同様の仕組みを導入しようとする動きもかなり広範に広まったらしいですが、国家権力の介入で頓挫。

NATOにミサイルでどつかれるでしょうか。

あり得るでしょうね。

まあ、でも、別に通貨を発行できるのは国家だけじゃないですから。商品券だって立派な通貨ですしね。やる気になればやり用はいくらでもあります。それに貨幣が「現象化」する環境は既に整っているんです。今や貨幣のほとんどは電子データなわけでしょう。この状況、もはや「貨幣は現象である」といってもさほど的外れではないんです。ただ、そのデータを人間が「本質」と解釈するか「現象」と解釈するか、という問題に過ぎないんです。

現在のように情報通信ネットワークが整備されていない時代では、貨幣を「現象化」するのは大変に困難だったでしょう。スタンプ紙幣は秀逸なアイディアですが、面倒です。でも、コンピュータ・ネットワークを使えば「象(減少)貨幣」なんて容易に実現できるでしょう。それが出来ないのは、人々の心の中に「壁」があるからなんでしょうね。

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