愚慫空論

敵か味方か。 こういった二分法は、あまり好みではない。

誰かを「敵」だと認定して攻撃、叩きのめす。これが成功したときの快感は知っている。この快感はなかなか断ちがたいものがある。だが、その快感に溺れている自分を想像すると、嫌になる。だから、できるだけ敵/味方の二分法は使いたくないと思う。

だが、敵はまちがいなく存在する。好ましからざる快楽を禁ずるあまり、間違いなく存在する敵を見落としてはならない。ここのところ、その思いを強くしている。

では、敵とは何者を指すのか? 不快な思いをさせる相手は敵ではない。見解が異なり意見が対立する。時には人格攻撃にまで及んだりする。そうした相手は不快なだけで、敵とは言わない。彼らは私の存在を脅かしはしない。

そう。私たちの存在を脅かす者は敵である。

一隻の船が難破し、乗組員は全員海に投げ出された。一人の男が命からがら、一片の板切れにすがりついた。するとそこへもう一人、同じ板につかまろうとする者が現れた。しかし、二人がつかまれば板そのものが沈んでしまうと考えた男は、後から来た者を突き飛ばして水死させてしまった。カルネアデスの舟板だ。

殺した男は殺された男を日頃から不快に思っていたわけではない。不幸にも、互いが互いの生存を脅かす存在なってしまった。敵になってしまった。

マル激を視聴していて何度か聞いた小出裕章助教のエピソード。原発の危険性について、小出氏は同業の上司や同輩と何度も議論をしたそうだ。が、負けたことは一度としてなかったという。そんなとき、相手は必ずこう言ったという。

「小出君、僕にも家族がいる。生活があるんだ」

宮台真司氏はこの非倫理性を繰り返し批判しているが、もし、福島での事故がなかったとしたら。自身の生活を優先する姿勢は科学者として非倫理的と言わざるを得ないが、それでもその者はまだ我々の敵ではない。福島の事故を受けて、その態度を改めたのであれば、敵であることからは免れる。しかし、福島の事故を受けてもなお、態度を改めたいのであれば、もはや彼らを我々の敵であると認定する他ない。

私たちにも彼らにも、家族はいるし日常の生活は変わらすにある。それは3.11の前であろうが後であろうが、変わらない。にもかかわらず、彼らは我々の敵になってしまった。これは快不快の問題ではない。彼らが変わらぬ日常を過ごそうとするのであれば、彼らの既得権益を守ろうとするのであれば、我々の日常が冒されていく。私たちはそういった世界の中に突入してしまったということだ。

 『「放射能は無主物」と言ってしまえる哀れさ』(愚樵空論)

東京電力が放射能を無主物だと主張する背景にあるのはなにか。我々が関心を持つのは、その論理の「正しさ」などではない。なにゆえにそうした論理を繰り出してくるか、その「意図」である。彼らが意図しているのは、彼ら自身を守ること。たとえ我々の日常を冒しても。もともとの原因が彼らの【強欲】にあったとしても、それを認めるわけにはいかない。認めてしまえは彼らは同じ日常を送れなくなる。我々が同じ日常を送ろうと思えば、彼らに非を認めさせ償いをさせなければならない。もはや同じ地平には立てない。

これと同じような構図が、先日沖縄において、「またもや」というべきだろう、露呈した。

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琉球新報 2011年11月29日

「犯す前に言うか」田中防衛局長 辺野古評価書提出めぐり


 沖縄防衛局の田中聡局長は28日夜、報道陣との非公式の懇談会の席で、米軍普天間飛行場代替施設建設の環境影響評価(アセスメント)の「評価書」の年内提出について、一川保夫防衛相が「年内に提出できる準備をしている」との表現にとどめ、年内提出実施の明言を避けていることはなぜか、と問われたことに対し「これから犯しますよと言いますか」と述べ、年内提出の方針はあるものの、沖縄側の感情に配慮しているとの考えを示した。
県などが普天間飛行場の「県外移設」を強く求め、県議会で評価書提出断念を求める決議が全会一致で可決された中、県民、女性をさげすみ、人権感覚を欠いた防衛局長の問題発言に反発の声が上がりそうだ。
 田中局長は那覇市の居酒屋で、防衛局が呼び掛けた報道陣との懇談会を開いた。報道陣は県内外の約10社が参加した。
 評価書の提出時期について、一川氏の発言が明確でないことについて質問が出たとき、「これから犯す前に犯しますよと言いますか」と発言した。
 懇談会終了後、沖縄防衛局は、琉球新報の取材に対し「発言の有無は否定せざるを得ない」と述べた。
 沖縄の米軍基地問題に関連し、女性をさげすむ発言は過去にも問題となった。
 1995年9月に起きた少女乱暴事件後の同年11月、リチャード・マッキー米太平洋軍司令官(海軍大将)が同事件をめぐり、「全くばかげている。私が何度も言っているように、彼らは車を借りる金で女が買えた」と発言し、更迭された。
 田中局長は1961年生まれ。大阪大学法学部卒。84年旧防衛施設庁入庁。那覇防衛施設局施設部施設企画課長、大臣官房広報課長、地方協力局企画課長などを経て8月15日に、沖縄防衛局長に就いた。
 田中局長は非公式の懇談の席で発言したが、琉球新報社は発言内容を報じる公共性、公益性があると判断した

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琉球新報社は、非公式な懇談の席での発言であるにもかかわらず、なぜ「公共性、公益性がある」と判断したのか。翻って、同席した他者は報じなかったのか。「公共性、公益性」などという言葉は方便でしかないと私は思う。問題は、敵か味方か。琉球新報社は、元沖縄防衛局長を「敵」だと見なした。だから一面トップで報道した。なぜ他社は敵とは思わなかった。だからスルーした。そもそも「非公式な懇談」は味方であるからこそであろう。

「これから犯す前に犯しますよと言いますか」

フルメタル・ジャケット このセリフがなぜ醜悪なのか。自身が犯す相手の敵であることの「自覚」が傲慢とともに読み取れてしまうからだ。相手への思いやりなどないのは当たり前である。敵なのだから。敵に情けをかけていては踏み潰すことなど出来ない。だから、敵と戦うために戦地へ赴く兵士は、敵を踏みつぶすことができるように「改造」される。

「改造」は醜悪である。だが、戦争なら大義名分がなくはない。敵は戦地にいる。例え捏造された敵であったとしても、だ。

だが、沖縄は戦地ではない。日本は平和(ボケ)の国である。国内外に敵などいない。にもかかわらず「自己改造」した者たちがいる。醜悪なのはこの「自己改造」だ。

件の元局長は直ちに更迭された。この理由は「自己改造」してしまったことではない。「自己改造」を公言し、それが公に報じられてしまったからだ。沖縄を敵と見なしていることは隠蔽されねばならない。それが綻んだ。だから更迭された。

この更迭人事は、政府の隠された沖縄敵視政策を撤回することを意味しない。その証拠に、米軍普天間飛行場代替施設建設の環境影響評価(アセスメント)の「評価書」の年内提出の方針に変更はないと繰り返しアナウンスしている。更迭人事はビ弥縫策なのだ。「沖縄の皆さん、これでまた騙されて下さい」ということなのである。昨夜、防衛事務次官が沖縄を訪問したという報道が為されていたが、意図するところは同じだろう。どこまで人をバカにすれば気が済むのだろう。
(さすがに沖縄県知事は、もはや騙されるつもりはないと(暗に)表明したが。)

・・・・・・

敵を叩きつぶす快感が湧き上がってきたところで、少し冷静になってみる。

他人を敵/味方に二分し、敵を叩きつぶす快感に溺れるのは嫌いだ。これは理性が暴走して感情を巻き込むことだからだ。だが、そうした問題とは別に、敵は存在する。否応なく存在してしまう世界で私たちは暮らしている。この「事実」と理性的に捉えたからといって、理性を暴走させてしまうのならば、この世界は否応なく嫌な自分でいるしか選択肢はないことになってしまう。だが、やっぱりそれは嫌だ。だから考え続ける。

問題は、なぜ敵が生まれたか。ここでいう敵は、外敵ではない。私たちを侵略しようと海の向こうからやって来たわけではない。彼らはもともとは私たちだったのである。東電も官僚組織も、同じ日本人だ。なのになぜ、「我々」と「彼ら」に別れたのか。この問いは「なぜ格差が生じたのか」という問いと同じものだ。

答えは【強欲】のなかにある。【強欲】なのは彼らだけではない。我々も【強欲】は共有している。それとは気づかないデフォルトになってしまっている。彼らは「努力」をして、【強欲デフォルト】により適応した者たちだ。この適応が「自己改造」である。【強欲】は強欲であるがゆえに、共同体全員を【強欲】であることを許さない。私たちは【強欲】をデフォルトにしてしまったがために「我々」と「彼ら」とに分離してしまった。「彼ら」は【強欲】であり続けることの出来るポジションを勝ち取ったのである。

【強欲】は、かつては「夢」という衣装を纏っていた。原子力は夢のエネルギーであった。新幹線は夢の超特急であった。【強欲】であり続けたい者は、まだ夢の続きをみようとしている。原子力は欠かせないと言い、次の夢としてリニアを建設しようとしている。

風の谷のナウシカ 「私たち」がその【強欲】をなおも共有しようとするのなら、「彼ら」と「我々」との隔りはより大きくなるばかりだ。そしてついには 「私たち」が消滅することになるだろう。これを亡国という。私たちは今、その道を辿っている。

この道から外れることは難しい。私たちは【強欲】以外の在り方を忘れてしまったからだ。

コメント

正直ものが叩かれる不幸

何やら、マスコミが問題の本質を間違った方向に誘導している風に見えますね、
沖縄防衛局の田中聡局長発言ですが、これ以上に適切な例えは無い。客観的な事実関係でいえば、少しも間違っていないのですね。
科学的な正しい真実を(今までのように隠さずに)正しく発言した。
そもそも軍隊とは、そのようなもので、局長の表現が下品で愚劣なので聞くほうが不愉快なだけで、内容には『間違い』は含まれていないのですよ。
発言は、沖縄が反対する県内移設に向けた措置を女性への性的暴行に例えたものですが、毎日社説では『言語道断』と切り捨てるが、大間違い。
これ以上に正しい『例え』を口に出した官僚が今までいなかっただけ。
この人物ですが同期の出世頭で防衛省の広報課長だったので事実上の広報の最高責任者なのです。
防衛省(軍隊)の持つ暴力的側面の下品で下劣な本質部分が出ただけ。
旧軍では慰安婦にみならず、一般の婦女子ですら平気で犯したが防衛省には脈々として帝国軍隊の体質が温存されている何よりの証拠。
今回沖縄で怒りが爆発した原因は『局長発言』が間違いではなくて、米兵による12歳の小女が集団強姦された事実を思い出したからですよ。
悲惨な事実があるから本土以上に大問題なのです。、

今回ですが、『正しい事実』だが醜い悲惨な真実を口に出して、マスコミ総がかりで叩くさまは鉢呂『死の町』と同じ現象であり嘆かわしい。
正しい客観的事実は、醜かろうか汚かろうが『事実である』と認めるしかないのですよ。
敵味方ですが、これが一番大切な最重要な要素なのですが、実はこの正しい敵味方の判断(認識)が最も困難なのです。
例えば昔戦争に反対していた共産党を非国民(敵である)と認定して弾圧したが、共産党の言い分の方が正しくて少しでも耳を傾けていれば国家崩壊には至らなかった。
この場合に、国家自身にとっては味方の関東軍参謀の方が敵(獅子身中の虫)であり、敵と思っていた共産党が(結果的に見れば)味方だった。
同じような例では敵であると忌み嫌った小出氏の言葉を少しでも聞いて注意していれば原発の過酷事故は防げて、今でも50基の原発が動いていた。
原発でも敵だと認定していた方が味方であり、実は味方だと思っていた方が最悪の敵だったのです。
この敵味方の正しい判断とは他の政治や経済全ての問題でも当て嵌まり、最も困難な難事中の難事なのです。
正しいことを正しいと認識するのは、実はとんでもなく難しいし、とんでもなく大事なのです。

今回、マスコミはまったく問題としていないがこの発言には前半部分があり、彼はとんでもない事実とは正反対の暴言を吐いている。
『沖縄戦では軍隊がいたが、被害がでた。400年前には沖縄に武力が無かったから薩摩に侵略された。』と現実離れした妄想を言っている。
軍は原発と同じで、とんでもないパワーがある存在で、暴走した時には誰にも止められない恐ろしいものだとの認識が無い。
だから軍や原発では、誰よりも科学的な客観的事実を正しく認識していないと『危ない』のですよ。
沖縄戦に限らず日本軍が駐留していた所がとんでもない被害がでて、軍がいない地域では対象的に被害は出ていない。
薩摩の侵攻を沖縄が防げなかった原因ですが、別に琉球に武力が無かったからではなくて、薩摩は九州全域を占領出来るだけの強大な軍だが沖縄側は本島を占領出来る程度の武力だったので彼我の力関係の差で、軍隊の有無とは無関係。
原発や軍を扱うものが事実とは違う妄想を抱くなどは、沢山の乗客の命を預かる旅客機のパイロットが泥酔しているのと同じで、これ以上に怖いことはありません。

原子力は男の世界

小田嶋隆さんは【強欲】のことを「マッチョ」と表現しています。

「私も原子力について本当の事を言うぞ」小田嶋隆のア・ピース・オブ・警句
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20110908/222523/

この記事は震災後に読んだ中でもっとも深くうなずいた文章でした。

おっしゃる通り「敵は、外敵ではない」のだと思います。
敵か味方か、善いものか悪いものか、の二分法では決して解決しない。【強欲】というか、マッチョ信仰みたいなものがぼくらの中にはある。経済成長戦略っていうのもひとつのマッチョ信仰だと思います。それが善いものか悪いものかって、そういう問題ではなくて、ある。まずはそのあるを認めること。
けっきょく男ってバカだよね、というところに気づいて、そんなバカな自分も受け入れるっていうことができたときに、「だけどさあ…」っていうように、ぼくらははじめて議論の机上にあがることができるんじゃないかと思います。


平川克美さんのこのツイートにも同じようなことを感じました。
http://togetter.com/li/221060

それでも、やはり…

こんにちは。すぺーすのいどです。

昼休みなので手身近に。

かなり高いところから話しますが、例え、自分の存在を脅かす存在を「敵」と認識するとして、それが「敵」の存在を脅かす理由となるのはどうなんでしょうか?
「敵」の「敵」になる事では、実るものがない気がします。

バカ正直者が叩かれるのは世の常

・こういったテーマは、宗純さんとやり合わなければ面白くありませんねぇ(笑)

私は今回、「正しい」を度外視しています。嫌いだと言いつつ、敵/味方という視点を導入している。これではそもそも「正しい」などというものは立ち入る余地はありません。宗純さんが「正しい」をネジ込みたいのはわかりますがね。<br/><br/>

正しいことを正しいと認識するのは、実はとんでもなく難しいし、とんでもなく大事なのです。

同意はします。ですが、正しいか否かを後回しにしてでも大事にしなければならないこともある。典型は放射能の危険性です。

世の中の意見は、放射能は非常に危険/それほど危険ではない、に二分されています。低線量放射線被曝についての科学的知見が十分でない現在、主張が二分するのは致し方ないことです。でも、だからといって正しい知見が出るまで我々は待てない。たとえ後に誤りであるということになるとしても、「非常に危険」で暫定的に対処するのが合理的なはずです。

が、そうした合理的判断ができない。なぜか。敵/味方に分かれてしまっているからです。これは宗純さんの言い方で言うならば「客観的事実」でしょう。ならば、私たちもその事実に即して自身の対応を決めなければならない。

今回ですが、『正しい事実』だが醜い悲惨な真実を口に出して、マスコミ総がかりで叩くさまは鉢呂『死の町』と同じ現象であり嘆かわしい。

同じ現象ですが、敵/味方という視点で見れば、真逆の現象でもあります。

鉢呂発言も今回も、情報源はオフレコであり「真実」はわかりません。鉢呂発言はどうも捏造された可能性が高いようですが、今回もその可能性は否定しきれるわけではありません。ですが、私はそんなことは二の次だと思っています。

鉢呂発言のケースは、「彼ら(我々の敵)」が我々の味方である元経産相を陥れようとしたものと解釈します。「言葉狩り」はそのためのオペレーションです。ですが今回のケースは「我々(の味方)」が「彼ら」を陥れようとしたものである可能性が高い。元防衛局長は、バカ正直であったがゆえに陥れられ、(「彼ら」の一員である)マスメディアはその失策を挽回するために「言葉狩り」をしている。オペレーション自体は同じですが、目的は真逆。私はそのことを指摘したいと思っているのです。

「マッチョ」でなければならない理由がある

山谷さん

小田嶋隆さんは【強欲】のことを「マッチョ」と表現しています。

なるほど、なかなか的確な表現ですね。

経済成長戦略っていうのもひとつのマッチョ信仰だと思います。

いえ、これは私は少し違うと思います。

「原子力がマッチョ」というのと「経済成長戦略がマッチョ」というのは、似ているようで違うのです。というのは、「原子力がマッチョ」ならば、だったら「マッチョはやめようよ」と言うことができる。マッチョをやめるためのオルタナティブはいろいろと想像できますし、現に提案もされている。なにより原発がなくても電力は足りていますし、「核」だってアメリカの傘を有効利用するという手がある。

ですが、経済成長はオルタナティブがないのです。いえ、私はあると思っていますが(その認識を広げることが私の野望ですが)、まともに取り上げられることはない。それが【強欲】がデフォルトということの意味なのですが、「経済成長戦略というマッチョ」は、このデフォルトから必然的に「呼び出されてしまう」もの。ですから、デフォルトがデフォルトである以上は「マッチョだから止めよう」という自由はない。自由がないからこそマッチョでなければやっていられないという、「逆接」なのです。

それが善いものか悪いものかって、

ここも私は見解が異なります。私は【強欲】は明確に「悪いもの」だと考えています。それはロジカルに説明できることです。【強欲】というのは、我々の私たちの内面だけの問題ではないのです。【強欲】でなければ回らない【システム】があり、私たちはそこへ依存するがゆえに【強欲】であるように適応してしまうわけです。
(この説明は過去ログでいろいろと試みていますが(たとえば『魔法少女まどか☆マギカ』シリーズもその一端ですが)、また新たにエントリーをあげたいと思っています。)

平川克美さんのこのツイートにも同じようなことを感じました。

この議論も「政治1.0」が前提のようですね。

Re: それでも、やはり…

すぺーすのいどさん、こんばんは。気軽にコメントしていただけて、嬉しいです。


「敵」の「敵」になる事では、実るものがない気がします。

ですよね。とはいうものの、「敵」の「敵」になること以外の選択肢を私たちは想像し、実行できるのか。ここが問題なんです。

山やまさんのコメント欄で紹介されている平川克美氏のツイートはそのテーマについてのものですが、話は抽象的なところで留まっています。抽象的な思考をすることは大切ですが、抽象的なままでは実行は出来ないんです。想像が具体性にまで及ばなければ。イノベーションにならないんですね。

その点、「敵の敵になる」のは非常に具体的なんです。敵を具体的に想定した時点で選択肢が想像でき、やる気さえあれば実行可能でしょう? そこが「敵の敵になる」ことの「強み」なんです。

その「強み」を超えられるか否か。超えられなければ、いくら嫌だといっても、「敵の敵になる」以外の選択肢は理想論、絵に描いた餅にしかないのですね。

しかし私は「敵の敵になる」以外の具体策はあると思っているんです。みんなが気がつかないだけ。なぜ気がつかないのかというと、その理由が【強欲】デフォルト、です。

愚樵さん、こんばんは。

昼間は中途半端なコメですいません。
なんかその時言いたくて…
でもスマフォの入力は面倒で時間がかかります。(^^ゞ

>「敵の敵になる」以外の選択肢は理想論、絵に描いた餅にしかないのですね。

そうそう、そう考えちゃいますよね。
でも、「「敵」の「敵」になる事」は結局は鏡の中の自分を見ていることと、変わりない気がしたのです。

>しかし私は「敵の敵になる」以外の具体策はあると思っているんです。

僕もそう思っています。
愚樵さんみたいにうまくは言えないけど、私の言い方で言うと、「世代交代」「連鎖切断」がキーワードじゃないか?と思っています。
それが愚樵さんの言う「【強欲】デフォルト」と関連するのかどうかは、まだ私の中の「愚樵語辞書」に載って無いか、解読出来て無いので判りません。(^^ゞ
でも、その翻訳はそれほど重要な事でも無いかもしれません。

強欲は悪いのですが

『強欲』が悪いし恐ろしいのは、今の強欲資本主義が自己崩壊しかかっている世界の現状を見れば誰でもが気が付くと思います。
人々の本来持っている『欲望』を、最大限開放することで新自由主義は世界中に蔓延して資本主義は発展したが、自動的に自分自身の生存自体を脅かすまでに『強欲』を巨大化させている。
200年前にマルサスが人口論で食料は算術級数的にしか増加しないが人口は幾何級数的に増加するので貧困化で必ず破綻するとしたが
マルサスさんはうっかりしていたらしいが人口の増大以上に大問題なのは人々の『欲望』は幾何級数的に無限大に増大することでしょう。
今の強欲資本主義では幾何級数的増大の二乗なので無限大に増殖する。
しかし、それを入れる器である地球が有限である限り必ず資本主義の破綻は避けれない。
そもそも成長率が余り期待できない資本主義以前の昔の西欧の一神教世界では欲望を如何にして抑制するかにキリスト教などの教義の根本だったように思います。仏教でもこれは同じ。
原始キリスト教的なソ連型社会主義でもやっぱり同じ様に『欲望』に対しては抑制的だったのですが、これでは欲望を全面開放する資本主義との競争では到底勝てない。
キリスト教など宗教の『欲望は悪だ』との発想は矢張り間違いだったのです。
『強欲』は明確な悪だが、人々の『欲望』自体は健全であり、発展の原動力なのですから人間の欲を『善なるもの』で賞賛するべきですよ。
吾唯知足『われ、ただ足るを知る』はやはり間違いで、これは人々が『われ、いまだ足るを知らず』だったから、人類の文明を得ることが出来たのでしょう。

鏡の中の自分を見ている

すぺーすのいどさん、おはようございます。

>でも、「「敵」の「敵」になる事」は結局は鏡の中の自分を見ていることと、変わりない気がしたのです。

すぺーすのいどさんはすごく理性的な方なんですね。そういう姿勢こそが理性の在り方だと思います。

>私の言い方で言うと、「世代交代」「連鎖切断」がキーワードじゃないか?と思っています。

なるほど。そのような「すぺーすのいど語」と「愚樵語」の擦り合わせをしていきましょう。私、そういうの好きなんです。とても手間がかかりますけど。

こういったことはアキラさんとはしばしばやります。この間も「超越」「内在」でやりました。いまでも擦り合わせが済んだわけではなく、宿題として残った形になっていますがね。たぶん、そんな擦り合わせをしたことすら忘れた頃に、ひょこっと解決したりするんでしょう。それを「待つ」のも楽しみです。

【強欲】とは【隷属】である

・宗純さん、おはようございます。

コメントタイトルがなんだか禅問答みたいになってしまいましたね。

『強欲』は明確な悪だが、人々の『欲望』自体は健全であり、発展の原動力なのですから人間の欲を『善なるもの』で賞賛するべきですよ。

欲望が発展の原動力であるから健全という考えには賛同できませんが、欲望そのものは健全で「善なるもの」という指摘には同意です。善なる欲望と欲求の間には境はありません。欲求とは満たされれば治まるもの。善なる欲求とは「希望」であり、それは「希かな望み」。自立した人間が自立の際(きわ)につかみ取ってくるものが希望。《自立》は善です。善だと承認するほかない。ならば、希望も善であると承認しなければなりません。

同じく、悪なる欲望と【強欲】のあいだにも境はありません。これらは何ものか知らずに【依存】している人間がその【依存】に気がつかないために満たされることなく、無限に欲望してしまうこと。無限の欲望を承認しては環境が持たない。ゆえに悪と認定するほかない。無自覚な【依存】は【隷属】であり、【強欲】は【隷属】ゆえに引き起こされるのです。

ということは、私たちに必要なのは《自立》です。《自立》すれば、自ずと「吾唯知足」になる。「足る」を知ったからといってそれは何も発展を否定することではありません。人間は良くも悪くも「希かな望み」を持たざるを得ない存在。そのように生まれてきた。この〈世界〉に生まれ出てきたことは、疑いもなく善です。

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