愚慫空論

「放射能は無主物」と言ってしまえる哀れさ

当エントリーは『「悲しみの森」と言ってしまえる哀しさ」の類似エントリーである。

ネタ元も同じ、朝日新聞。

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朝日新聞(2011/11/24)
プロメテウスの罠  無主物の責任(1)

放射能はだれのものか。この夏、それが裁判所で争われた。
8月、福島第一原発から約45km離れた、二本松市の 「サンフィールド二本松ゴルフ倶楽部」 が東京電力に、汚染の除去を求めて仮処分を東京地裁に申し立てた。
――事故のあと、ゴルフコースからは毎時2~3マイクロシーベルトの高い放射線量が検出されるようになり、営業に障害がでている。責任者の東電が除染をすべきである。対する東電は、こう主張した。
――原発から飛び散った放射性物質は東電の所有物ではない。したがって東電は除染に責任をもたない。
答弁書で東電は放射能物質を「もともと無主物であったと考えるのが実態に即している」としている。
無主物とは、ただよう霧や、海で泳ぐ魚のように、だれのものでもない、という意味だ。つまり、東電としては、飛び散った放射性物質を所有しているとは考えていない。したがって検出された放射性物質は責任者がいない、と主張する。

さらに答弁書は続ける。
「所有権を観念し得るとしても、 既にその放射性物質はゴルフ場の土地に附合しているはずである。つまり、債務者 (東電) が放射性物質を所有しているわけではない」飛び散ってしまった放射性物質は、もう他人の土地にくっついたのだから、自分たちのものではない。そんな主張だ。

決定は10月31日に下された。裁判所は東電に除染を求めたゴルフ場の訴えを退けた。
ゴルフ場の代表取締役、山根勉 (61)は、東電の「無主物」という言葉に腹がおさまらない。
「そんな理屈が世間で通りますか。 無責任きわまりない。従業員は全員、耳を疑いました。」
7月に開催予定だった「福島オープンゴルフ」の予選会もなくなってしまった。通常は3万人のお客でにぎわっているはずだった。地元の従業員17人全員も9月いっぱいで退職してもらった。
「東北地方でも3本の指に入るコ ースといわれているんです。本当に悔しい。除染さえしてもらえれぱ、いつでも営業できるのに」
東電は「個別の事案には同答できない」 (広報部) と取材に応じていない。


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一読して一言。ふざけた東電の屁理屈。開いた口が塞がらない。

3.11、東北地方は巨大な地震に見舞われた。絶対安全だったはずの原子力発電所は福島で壊滅的な被害を受け、放射能を環境へと撒き散らした。福島を中心に放射能の除染が必要という事実。その事実をもとに、東電へ除染を求めたゴルフ場と東電の反論。東電の反論を認めた裁判所。

この記事は、そうした事実を伝えるだけでなく、「無主物の責任」というテーマでその奥へ斬り込もうとしている姿勢が伺える。朝日らしからぬ記事だ(こうした良記事が紙面の片隅というのが、朝日らしい。それでも3面だから、配慮はされているとみていいのかもしれない)。

放射能が拡散してしまった原因は何か。それは原子力発電所を作ってしまったことである。

原子力発電所は厳重な安全管理が必要とされる。そのことは樵である私などより、当事者である発電事業者、学者、政府、「原子力ムラ」と呼ばれる人たちの重々承知のはずだ。だからさすがに知らなかったとは言わない。その替わりに繰り出してきた論理が「放射性物質は無主物」である。この論理は山林所有者達のそれとは正反対だ。

「放射能は無主物」であるということはつまり、だれの所有物でもないということだ。よしんば放射能に所有権があると観念されたとしても、「既にその放射性物質はゴルフ場の土地に附合しているはずである。つまり、債務者 (東電) が放射性物質を所有しているわけではない」。

この論理にはマイッタ。所有権さえ放棄すれば、あとはカンケイな~い。私は『悲しみの森』で所有権を放棄せずに利益を得ようとする者を批判したが、その批判は東電には通じない。なにしろ所有権はナイと言っているのだから。

だが、「生命の論理」は、そのままとはいかないが、通用する。

「樵」の視点で言えば、人工林とはいえ、森は生き物である。人工林を造林するということは、生き物をペットとして飼うのと同じだ。ペットを飼い始めたのなら、飼い主は最後まで責任をもって面倒をみよ。ごくごく当然の論理であろう。


放射性物質そのものは、「生命」ではない。だが「生命」に影響を及ぼす。ゆえに制御・管理されなければならない。責任を負うのは、放射性物質を作り出した事業者であろう。

東電を初めとする電気事業者は、この論理を、温室効果ガスについては「採用」している。その主張は、いまだ健在だ。


原子力発電がCO2を排出しないことが、なぜ重要だと主張するのか。それは地球を温暖化して環境を変化させ、生命の生存を脅かすから。では、その排出されたCO2は、誰かの所有物なのか。そうではあるまい。無主物であろう。が、無主物であっても「生命の論理」からすれば制御・抑制されなければならない。だから原子力発電。そういう主張ではなかったのか。

ここにあるのもダブルスタンダードである。東電は、原発を「金儲けの装置」としてしか見ていない。ゆえに、ある時は「生命の論理」を振りかざし、ある時は「所有権がないからカンケイな~い」という。フザケルにもほどがある。なるほど、こういった連流は「偏差値は高い」のであろう。論理を如何様にでも振り回すことが出来る。が、そんな論理にいかほどの意味があるというのか。

東電を初めとする電気事業者は、原子力発電は絶対に安全だと言い募ってきた。が、その嘘は暴かれた。安全だと言いつつ、人々の生命を危険に晒していたのである。そしてその危険は、これからも人間の尺度では「永久に」と言ってよいほどに存在し続けてしまう。

これは明白な犯罪行為である。犯罪行為が犯されたなら、裁かれ、償いを負わせる。それが社会のルールである。社会のエリートだから、そうした責務から免れてもよいという法はない。

だが、そうした「法」が罷り通っているのが、今の日本である。東京地裁は、除染を責任者である東電に求めた請求を、退けた。犯罪行為を国家が裁かない。裁かないだけではない。犯罪被害者により重たい責を負わせようとしている。

ならば私たちは、改めて考えなければならない。国家と社会の、どちらが大きいのか。どちらが重いのかということを。

国家は暴力装置である。それは社会で唯一、合法的に暴力をふるうことが出来るということを意味する。私たち国民は、社会の秩序を維持するために、つまりは犯罪行為を取り締まるために、国家に暴力を委譲している。この論理は民主主義国家のみならず、専制国家であっても(少なくとも表向きは)通用する論理である。民主主義国家が専制国家より優れているとされるのは、この暴力の制御が国民に近いところで行なうことができると考えられているからに過ぎない。

しかして現在の日本では、社会への犯罪行為の取り締まりは国家によって放棄されてしまった。その代わりに強化されようとしているのが、国家への犯罪行為である。その最も大きな兆候は、全国47都道府県で施行された暴力団排除条例だろう。このような「法」が、なぜ国法としてではなく地方の条例として全国で施行されたのか。この「裏」を考えてみる必要がある。

どうも一部の「偏差値の高い」連中は、「我々こそが国家」だと考え、その考えを実現しようと企んでいるフシがある。百万歩譲って、国家をかの連中に独占させることを許したとしても、社会を独占させることは許すことは出来ないし、そもそも不可能である。そして、国家が暴力を独占するために社会と交わした「契約」は、守られなければならない。その契約が履行されなくなれば、社会によって国家が裁かれることになる。

私が「偏差値の高い」輩を哀れというのは、そうした「当然のこと」を理解出来ていないからだ。社会は人間の作るものだが、かといって完全な人工物ではない。「自然な人工物」とでも言うべきもの。そして「自然的なもの」は、人間の力では完全に制御することはできない。うまくやろうとすればするほど、あとのしっぺ返しは大きい。

私たちは、原子力に大きな夢を見た。それは自然を完全に制御できるという「夢」だった。その夢は、大きなしっぺ返しとともに破れたのだ。その現実を見据える必要がある。

コメント

他のマスコミは報じない

福島第一原発から放出した放射能が誰のものでもない『無主物』だったなんて、そんなニュースは何処も報じていないですよ。特に一番影響力がある映像メディアのテレビ放送では、まったく見当たらない。
しかし、凄い話ですね。
放射能が無主で誰のものでも無いとしたなら、テロリストが核燃料を強奪しても無罪なのでしょうか。
自分の飼っていた闘犬用の土佐犬とか凶暴なドーベルマンが狂犬病になり檻を脱走して通行人に噛み付いたが、飼い主(東電)が、檻が壊れた段階で犬の所有権を放棄したので無関係であるとの怖い話に近い。
あるいは中東などで市民が空に向けてカラシニコフで祝砲をぶっ放すのですが、実弾なので何処か地面に必ず落ちてくる。
サッカーワールドカップで勝ったら死人や怪我人が大勢出るらしいですよ。
大勢が空に向けて撃つので誰が撃ったかの特定が出来ないので流れ弾の被害者は泣き寝入りするしかないが、これは野犬に噛まれたのと同じ扱いですね。
しかし野犬に噛まれても首輪から元々の飼い主が特定出来れば、幾ら野犬でも無主で責任無しにはならないでしょう。

あれまあ。

電流と放射性物質。
どちらも発電施設で作られるものですが、この論理に従うと、発電施設や送電インフラ・電線などは東電のものであってもそこを流れる電流は無主物ということになるのでは?
どうもよくわかりませんね。
水道局が上下水道料金を請求する際も、ミネラルウォーターのペットボトルと異なり、水そのものに価格をつけているわけじゃないですよね。

これが「象徴界的」コミュニケーションというものなのでしょうか?

連投連投ですみません。

つまらない話だったらスルーしてください。

大気中に放出された放射性物質=無主物という概念は、例えばの話ですがエアコンの冷媒や各種スプレーにかつて使用されていたフロンが大気中に大量に放出されている件について、これを回収し原状回復するよう企業が命じられたことがおそらくないことや、或いは化学プラントの爆発等により放出された塩素ガスや硫化水素ガスを回収するよう命じられたことがないことと同質の根拠によると、法的に解釈されているんでしょうね。
仮処分を認めるに足る法的な根拠を提示できない。
私は法律には疎いので単なる推測ですよ。

放射性物質の場合、除染するとしたら表土ごと削り取るしかなく、その土は本仮処分の案件では「サンフィールド二本松ゴルフ倶楽部」の所有物である、と。

わからないわけではないのですが、結局「法」が支配する場でだけ機能する論理ですよね。
それはおそらく東電もよくわかっている。
だから東電の公式サイトを開いて【原子力損害に対する賠償について】という欄を覗いても、「大気中に放出された放射性物質は『無主物』であるという当社の主張が司法に認められ、サンフィールド二本松ゴルフ倶楽部の仮処分申請が退けられました!!」なんて謳い文句はどこにも書かれていない。
東電にとってアドバンテージになるはずの司法の判断であっても、こんなことを高らかに謳えば凄まじい反発を買うことをよく理解している。

後ろめたさがあるのだと思います。正しいことをしていないという自覚があるのだと思います。

それでも当事者が利益や責任の問題について争うときに「無主物」のような概念を操って議題に乗せるしかないという状況が、やはり貧困なんですよね。
こういう言葉やロジックに触れると、怒りや憎しみというよりも心が痩せていく感覚を覚えます。
人間の知性というものは、果たしてこういう論理を立てるためにあるのだろうかという暗澹とした心持になる。

BLOGOS等で拡散してほしい

これが「法」というのなら、庶民の「近所迷惑」のマナーなど破壊されてしまいますよ。

こういう理不尽な判決をみんなに知らせて、民がどんなに馬鹿にされているか
気づかせてあげてほしい!




Re: 他のマスコミは報じない

・宗純さん、おはようございます。

他のマスコミは報じない。朝日ででているから知らないはずはないんですけどね。例によって「自主規制」なんでしょう。腐ってる。

放射能が無主で誰のものでも無いとしたなら、テロリストが核燃料を強奪しても無罪なのでしょうか。

まさかねぇ。しかし、この判断は所有権の概念を根底からひっくり返しかねないものです。東電の論理は到底受け入れられないものですが、所有権を根本から考えなおすにはよい機会になるかもしれない。そこは期待したいところですが。

「象徴界的」コミュニケーション(笑)

・黒い時計の旅さん、たくさんのコメントありがとうございます。

電気に関してはちゃんと法律があって、盗電は罪に問われるそうです。既に明治時代に、そのような法整備がなされたとか。同じような「電気=無主物」という論理が勝って当時は盗電を取り締まれなかったらしい。

しかし今回、「放射能=無主物」という論理を提出した東京電力は、この「電気=無主物」の論理が否定された経緯を知らないはずがないんですね。知らなかったとしても、そんな言い訳は通用しない。にもかかわらず、こんな論理を提出してくる。霊性ゼロです。

「象徴界的」コミュニケーションというもの

「象徴」という術語が示しているとおり、言語的コミュニケーションは単なる「記号のやり取り」ではないんですね。この銘々には、象徴界的コミュニケーションには普遍性がある、という前提に立っているはずなんです。言語を理性的に用いることによって神の設計図を解き明かすことができる。そういった「信仰」ですね。

でも東電の、というより、日本的エリートの特徴でしょう、言語コニュニケーションは、単なる「記号のやり取り」でしかない。その場で論理が通ればより。普遍性なんてまったく気にしていないなんですね。これはどこに「霊性」の在処を示しているような気が私にはするのです。

仮処分を認めるに足る法的な根拠を提示できない。

ええ。ですから、地裁の判断を示した文書では、東電の答弁書にはまったくふれられていないそうです。ただ、ゴルフ場の申請を却下した、と。言い分としては、国の対策があるから、ということらしいですが、それがゴルフ場としては経営上待てないからこその仮処分申請のはずなんですね。となると、こんどは地裁自身が仮処分ということの意味を理解していないということになる。まあ、これは私の素人判断ですが。

人間の知性というものは、果たしてこういう論理を立てるためにあるのだろうかという暗澹とした心持になる。

ええ。でも、こうした知的活動はやはり「知性」としか呼ぶほかないものですよね。このようなことがあるから、私は「霊性」という概念を復活させるべきだと思うわけなんです。

「判決」ではありません

・amerieさん

すこしややこしい話ですが、本文でいった「法」とは、たとえば「法治主義」というときの「法」であって、明文化された「法律」ではないのです。抽象概念としての「法」ですね。「社会のルール」と同義だと思っていいでしょう。

ですので、

これが「法」というのなら、庶民の「近所迷惑」のマナーなど破壊されてしまいます

は意味が通りますが、そこへ

こういう理不尽な判決

と加わると論理が混乱します。判決は具体的な法体系の一部ですから。今回はあくまで仮処分申請の却下ですので「法律」にまでは至っていないし、黒い時計の旅さんへのコメントでも触れたとおり、地裁は東電の言い分は考慮せずに判断を下した形にはなっている。これは正式な裁判では許されないことです。

ですが。普通の人間の感覚からいけば、そんなテクニカルな話はどうでもいい。要は、東電がそして裁判所が、一般人が「社会のルール=法」と考えているものに沿っているかどうかなんです。地裁の判断が東電の意見書に触れていないとはいえ、どう見てもスジが通っているゴルフ場側の意見を退け、東電に都合のよい判断を下したのは間違いないんですね。「東電の意見書には触れていません」というのは、あくまで裁判所の都合でしかないし、そういった都合の付け方に庶民はしっくり来ませんよね。

有り体に言ってしまえば、薄汚い。小賢しい。ですよね。

放射能は無主物???

みなさんの云われているとおりですが、東電が無主物という主張をするのはその立場から云って全く当然のことです。特に裁判所に対しては何だって云うでしょう。戦略的に妥当であったかは、最終的にはわかりませんが、この地裁に対しては有効だったわけです。したがって、問題は裁判所にあるのです。これまでの原発立地についての裁判においてと同様に、裁判所も原発村の一員であることを、今なおそうであることを、明らかにしたわけです。それを肝に銘じて置かねばなりません。毒をばらまくことは、過失であっても許されません。原発に関しては、無法状態が放置されています。それを厳しく指摘していくことが、マスコミの責任であり、我々の後世に対する責任です。

東電の立場とは?

briseさん、こんにちは。

東電が無主物という主張をするのはその立場から云って全く当然のことです。

briseさんの他の主張には同意できますが、ここはやはり見解がわかれるところですね。

戦略的に妥当であったかは、最終的にはわかりませんが、

戦略的ということでいうならば、我々の主張(=東電批判)は東電の戦略を挫くことを目的にしていると言っていいでしょう。
briseさんは東電に対して中立な姿勢でおられるようですが、我々は違います。これも国政が絡んでくる話ですが、他に選択肢があるのなら、東電以外の電力会社から電気を購入したい。が、出来ないのですね。かといって、電気は必要ですから、東電と縁は切れない。ここにコメント頂いた方は必ずしも東電の管轄区域内とは限らないでしょうが、他の電力会社であっても事情はそう変わらないでしょう。つまり我々は、東京電力を敵だと見なしている。その立場において、東電批判を行なっているのです。

毒をばらまくことは、過失であっても許されません。

そう、毒をバラ撒くものは敵です。そして、敵の味方もまた敵。行政も裁判所も、正義の味方でも国民の見方でもない。そのことが白日の下に晒された。このままでは済ませないぞ、という主張なのです。

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