愚慫空論

希望の純粋形

『魔法少女まどか☆マギカ』ネタ。

最終12話冒頭。とうとうまどかが魔法少女へと「変身」してしまう。

それまでまどかを守ってきた暁美ほむらがラスボスである「ワルプルギスの夜」に追い込まれ、敗北必至の状況。ここに至ってまどかは自身の「願い」を見つけ出す。

以下、アニメからセリフを。

まどか 「私、やっとわかったの…叶えたい願い事を見つけたの。だから、そのためにこの命使うね。ごめん…ほんとにごめん。これまでずっと…ずっとずっとほむらちゃんに守られて、望まれてきたから今の私があるんだと思う。ほんとにごめん。そんな私がやっと見つけ出した答えなの。信じて?絶対に今日までのほむらちゃんを無駄にしたりしないから」

インキュベーター 「数多の世界の運命を束ね因果の特異点となった君ならどんな途方もない望みだろうと叶えられるだろう」

まどか 「本当だね?」

インキュベーター 「さあ、鹿目まどか。その魂を対価にして君は何を願う?」

まどか 「私……全ての魔女を生まれる前に消し去りたい!全ての宇宙、過去と未来の全ての魔女をこの手で」

インキュベーター 「その祈りは!?そんな祈りが叶うとすればそれは時間干渉なんてレベルじゃない。因果律そのもに対する反逆だ!君は本当に神になるつもりかい?」

まどか 「神様でもなんでもいい。今日まで魔女と戦ってきたみんなを、希望を信じた魔法少女を、私は泣かせたくない。最後まで笑顔でいて欲しい。それを邪魔するルールなんて壊してみせる…変えてみせる…これが私の祈り…私の願い。さぁ、叶えてよ?インキュベーター!!」


そして魔法少女まどか登場。いや「降臨」と言わなきゃならないんだよな(笑)



「ワルプルギスの夜」はまどかの一撃で消滅。強い。そればかりか、過去の魔法少女達も、まどかの放った「矢」で救済されていく。

一方でまどかは、すべての魔法少女達たちの因果を一身に引き受けることになってしまう。その結果、まどかは魔法少女から魔女へと転落していきそうになる。最悪最強の魔女へ。しかし。

まどか 「私の願いは全ての魔女を消し去ると。本当にそれが叶ったんだとしたら…私だって!もう絶望する必要なんてない!!」

まどかがどうなったのかは、これ以上は触れないでおこう。

さて。

ここで思い起こしたのが、テトラレンマ、だ。

テトラレンマとは、大乗仏教において最高度に抽象的な概念「空」を抽出した思考方法。四句否定とも言われる。ナーガールジュナ(龍樹)という人によって発見されている。論理を超えた論理で、わけがわからない。

「リンゴがあるとも、ないとも、その両者であるとも、その両者でないとも言うことはできない」
  (Webマガジンen Book Review 『空の思想史』 より)

 1.リンゴがある。
 2.リンゴはない。

1.と2.の句は相矛盾する。ジレンマである。

 3.その両者であるとも、その両者でないとも

これはジレンマの否定。その否定をさらに否定する。

 4.言うことはできない。

この思考操作で感じられるのが「空」というものらしい。わけがわからんがまあいいだろう。

『まどか』に話を戻す。最終回は、このテトラレンマの思考操作とよく似た構造になっている。

 1.少女は「願い(希望)」を抱いて魔法少女に変身する。
 2.魔法少女はやがて絶望し、魔女へと転落する

これは『魔法少女まどか☆マギカ』の設定であり、少女達はこのジレンマのなかで物語を展開していく。まどかは、このジレンマの中から願いを見出す。それが

 3.すべての魔女を生まれる前に消し去る。

インキュベーターが言うとおり、これは因果律(設定)の否定だ。そして、そう願ったまどかの因果もまた、否定される。

 (4.ここはインキュベーターの奇跡による自動的な否定になっている。その点が龍樹のテトラレンマとは異なる)

些細な違いはいいだろう。要はこの思考操作で何が感じられるかである。

まどか的テトラレンマの結果浮かび上がってきたのは、純粋な形としての「希望」である。大乗仏教-龍樹的テトラレンマは因果律を理解するための言葉の否定だったが、まどか的テトラレンマは(ジレンマ)をもたらす【システム】の否定し、希望を肯定する形になっている。四句肯定というべきか。

そう、純粋な形の「希望」とは「希望の肯定」である。もう一段言い換えると、母性であろう。

そういえば。

最終12話の直前の11話でのエピソードの以下のようなものがあった。

「ワルプルギスの夜」が襲来して街が破壊されていく。この段階ではまだ無力なまどかは家族と共に避難。しかし、ほむらは「ワルプルギスの夜」と戦っており、それをまどかは知っている。
まどかは魔法少女になる決断をして、ほむらと「ワルプルギスの夜」との戦場へ赴こうとする。避難所から抜け出そうとするまどかを母は引き留める。まどかは事情は話せないが、信じてくれと訴える。母は事情を聞かず、まどかを送り出す...

まどかの母性は、まどかの母から受け継がれていることが示されている。

もう少し想像を発展させてみよう。ここからは『まどか』のストーリーを離れた妄想だ。

まどかの母性は(上の画像からも推察されるとおり)ネオテニー、幼児進化である。まどかの母は身体的にも母になることによって(つまり父と結ばれることによって)母となった。だがまどかは父たる存在と結ばれることなく、いや、逆に結ばれることがなかったがゆえに、「純粋な希望」を体現することになった。まどかは最終的に消滅するが、もし復活するようなことがあったら...、キリストの再現になる。ただし、まどか=キリストは「父なる神」の降臨ではなく「母なる神」ということになるが。

「父なる神」が人類に対して求めたものは「契約」である。新旧のバイブル、クルアーンにおいてもその本質に変わりはない。だがもし「母なる神」が出現するならば、人類に対して求めるものは「契約」ではないはずだ。では、何になるのか?

今の段階では私にも想像がつかない。が、『まどか』のシナリオ・ライター虚淵玄氏は、『まどか2期』を構想しているとも伝えられる。もしかしたら復活したまどか=キリストが人類に対して求める、あるいは提供する「何か」の構想が虚淵玄氏の頭の中にはあるのかもしれない。

コメント

>そう、純粋な形の「希望」とは「希望の肯定」である。
>もう一段言い換えると、母性であろう。

なるほど・・・・
作品のOPの変身シーンで、まどかと触れ合う長髪の女性像があって
放送中は「契約する事で失われた未来のまどかの姿」とか
推察されてましたが
プロダクションノートの中の設定画等であれは「まどか自身の中の
“母性のカタマリ”」の象徴だと解説されておりました

その意味では、第1話からずっと流されていたOPのあの場面は
まさに「最終話の変身シーン」を延々見せ続けていたのかと・・・・・

「合理性」と「契約」を軸とした、欧米一神教的な
インキュベーター=“父なる神”に対置する意味での
“母なる神”のもたらすもの・・・・なかなか興味深いテーマです

OPに母性のカタマリ

・ひふみーさん、ようこそ。

プロダクションノートの中の設定画等であれは「まどか自身の中の
“母性のカタマリ”」の象徴だと解説されておりました


ほほう。それはいいことを教えていただきました。
アニメを分析するのに、特にOPは重要なファクターなんですね。

もともと作者のほうに

“母なる神”のもたらすもの

という発想があるのなら、来るべき第2期はその「復活」がキリスト的な形になるというのは十分考えられそうですね。でも、本当に2期はあるのかな?

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