愚慫空論

「なぜ ぼくのことをスティーブ・ジョブズのような人間だと思わないの?」

『もしドラ』の枕詞で語られるベストセラー作家、岩崎夏海氏がフルスロットルで電波放出中なんだそうである。

 『ベストセラー作家だけど質問があるよ?』(ハックルベリーに会いに行く)

断わっておくが、私はここに並べられた質問に答えるつもりはない。というか、答えられない。私にとって岩崎夏海氏のイメージは、『もしドラ』の作者。昨年の紅白で特別審査員だったかを務めていて、マイクを向けられなにやら答えていたアタマの薄い紳士。この2つしかない。

では、なぜこんなエントリーをあげてみようと思ったかというと、その周囲の反応に「えっ?」と思ったから。とにかく、承認欲求、承認欲求、承認欲求! なのである。

これは私が紅白の中継で垣間見た岩崎氏のイメージとは大きく異なる。垣間見ただけだから自信をもって言えるわけではとうていないのだけれども、とにかく違う。実は、私はあのときの岩崎氏の様子をかなり鮮明に覚えている。というのも、あまりにもベストセラー作家らしからぬ感じだったから。たしか「熱演に接して創作意欲が湧いてきて、机に向かいたくなった」とかなんとか、田舎のオヤジが用意してきたつまらぬ世辞を不慣れな席でしゃべったみたいな、ひとつもふたつもパッとしない印象だった。「これがあの『もしドラ』の作者なの?」と、肩透かしを喰らったような気持ちになったものだ。

その岩崎氏が承認欲求の赤色巨星であるとは、ちょっと信じられない。もしそうなら、あの紅白の席でも、もっと気の利いた台詞を用意してきたであろうに。なにせ、ベストセラー作家なのだから。その気になればできるだろうに。
(もっとも、『もしドラ』に気の利いたようなセリフがあったような記憶はないのだが。)

だが、それにしても、この質問群は強烈だ。特に

 「なぜ ぼくのことをスティーブ・ジョブズのような人間だと思わないの?」

こんな質問を公衆に向かって発することが出来るのは、よほどの神経を持っていると感じざるを得ない。「承認欲求!」という反応が集まるのも、無理からぬことだとは思う。

が、もし、私の直観が正しくて、岩崎氏は肥大した承認欲求からそんな質問を発したのではないとしたら?

そう疑問を立ててみると、では、スティーブ・ジョブズは承認欲求の巨星だったのか? という疑問が湧いてくる。で、ジョブズ死去に際して寄せられた多くの賛辞を思い返してみると、「ジョブズはユーザーのニーズには応えなかった」だ。つまり、もしジョブズが承認欲求の塊であったとするならば、きっとユーザーのニーズに応えたであろうが、そうしなかったわけだから、ジョブズはあれだけの成果を挙げて多くの人から承認を得ていたにもかかわらず、承認欲求には左右されない人物だった、だからこそあれだけのイノベーションを実現できたんだ、という結論が出てくることになる。

さあ、そこからもう一度、岩崎氏の質問に立ち返ってみよう。

 「なぜ ぼくのことをスティーブ・ジョブズのような人間だと思わないの?」

『もしドラ』は、読者のニーズに応えた作品だったのか?
それとも、読者の新たなニーズを開拓した作品だったのか?

「スティーブ・ジョブズのような人間」には二通りの解釈があって、ひとつはスケール。これは承認のスケールだ。もうひとつは承認の理由だ。なぜ、承認されたのか。この「理由」において、岩崎夏海とスティーブ・ジョブズは同様の人間だ、ということはできるはずである。

そうすると、岩崎氏を承認欲求の巨星と見た人たちは、何なのだろう。それはおそらく、スティーブ・ジョブズのスケールに焦点を置いて、そこから岩崎氏を見たのである。その動機は、彼ら自身の承認欲求だろう。ふつうの人は、とてもじゃないがスティーブ・ジョブズほどには承認を得られないと、思っている。それを岩崎氏は公衆に向かって発した。それをうけて、「岩崎夏海は、スティーブ・ジョブズほどに承認を欲している」と受け取った。それは自らがスティーブ・ジョブズほどに承認欲求を欲しているから。ただ、それを公衆に向かって求めることが出来ない、「ふつうの人」というだけのこと。つまり、承認欲求は電波を発した側にあったのではなく、受けた側にあったのだ。

こうなると、承認欲求はもはや「欲求」とするのは相応しくないような気がする。「欲望」である。「人間の欲望とは他者の欲望である」といったのはラカンだったが、まさにそれ、いや、その逆か。自身の欲求を他者の中に見たのである。

おっと、最後に断わっておかなければ。

以上の推論は、私の直観が正しいということが前提だが、その保証は全くない。ただ、電波受信側にこそ承認欲求が渦巻いているというのはありそうなことだとは思うが。とくに「はてな村」においては。

なむあみだぶつ。

追記:

今、気がついた。質問のアタマは、

 1.何でぼくのことを承認欲求の強い人間だと思うの?

だ。岩崎氏は自分で自分のことを承認欲求が強いとは思っていないということだ。

ということは、岩崎氏は、「オマエらこそ、承認欲求の巨星だろ?」とメッセージを発していると受け取ることもできるということだ。

コメント

もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら

愚樵さん、この文章から推測出来ることは
『岩崎氏は自分で自分のことを承認欲求が強いとは思っていない』は多分、間違いですよ。
彼自身、それを得ることを熱望してはいるが、『承認要求』がポジティブなものではなくて、ネガティブな恥ずかしい行為であると密かに感じている。
それで発言が意味深なのですね。
先ず氏の、『ベストセラー作家だけど質問があるよ?』とのタイトル自体が承認要求の見本です。
そして箇条書きされている項目は、すべてが
『承認欲求、承認欲求、承認欲求! なのである。』ですね。
それにしても岩崎夏海氏ですが、彼は自分で『ベストセラー作家だけど』と言っていますが、本当でしょうか。?
大いに疑問です。
確かに『もしドラ』で一発当てたことは事実ですが、ベストセラー作家の意味は書けば必ずベストセラーに成る世の中の全員が知っている著名な大作家の意味であり、その意味なら彼は『ベストセラー作家だけど』などとは絶対に言えない。
誰も知らないベストセラー作家など、品の無い悪い冗談ですよ。
『もしドラ』は皆さん知っているかもしれないが、その作家である岩崎夏海氏の方は、大概の人は誰も知らない無名人。
ですから今回の質問でも彼は、『なぜぼくのことを語る時に「ベストセラー作家」とか「もしドラ」とかの枕詞をつけるの?』と、不満に思っているらしいのですよ。
竹村 健一的に無茶苦茶厚かましくはあるが、案外人間が正直ですね。
それはそうと、何故か大量に売れた『もしドラ』ですが、皆さんは書いてある内容に納得して買ったのでしょうか。
本当に読んだ(内容を理解した)人がいるのでしょうか。?
本は買ったが途中で馬鹿らしくなって、あるいは意味不明で理解できずに挫折した人々が殆どではないのか。
もし弱小高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んで本当に甲子園に行けるとでも、一人でも信じた人がいたのでしょうか。
本の内容の実現性はゼロですよ。
ピーター・ドラッカーですが、経営の神様との松下幸之助とみんなで持ち上げるので本人が勘違いして松下政経塾を作って日本社会に害毒を流したのと同じ意味で、忌々しく腹立たしくはあるが、到底賛成出来る内容ではありませんよ。

見解が分かれましたね

・宗純さん

見解は分かれるだろうと思っていましたが、やはり反対の意見が来ましたね。予想はしていました。

まあ、でも、直観というのは厄介なもので、自信がないといいながら、また実際自信たっぷりなわけでもないのですが、しぶとい自信があったりする。直観というやつは不合理ゆえになかなか否定しづらいのですね。宗教と同じで。ですが、

『承認要求』がポジティブなものではなくて、ネガティブな恥ずかしい行為であると密かに感じている。

ここは同意です。承認欲求はカネと同じようなもので、誰だって欲しいかと聞かれれば欲しいに決まっている。でも、あからさまに欲しいというのは憚られるもの。節操がないと思われてしまいますからね。

さて。あとは、反論になりますが...

ベストセラー作家の意味は書けば必ずベストセラーに成る世の中の全員が知っている著名な大作家の意味であり

かつてはそうでした。でも、今は違うでしょう。その分類でいくと、現在当てはまるのは村上春樹ぐらいでは? それに作品名は知られているが作者は知られていないなんていう例は、現在はごろごろしていますよ。

本は買ったが途中で馬鹿らしくなって、あるいは意味不明で理解できずに挫折した人々が殆どではないのか。

私も他人のことは言えないのですが、宗純さんはときどきもの凄くピントを外すことがありますね(苦笑)

『もしドラ』がベストセラーになって、NHKでアニメとなって報道されたことはご存知でしょう? もし宗純さんの予想が正しいのなら、そんな現象は起きません。

もし弱小高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んで本当に甲子園に行けるとでも、一人でも信じた人がいたのでしょうか。

いやいや。誰も信じていないでしょうね。というか、そのようなことを真面目に突っ込まれても困ります(苦笑) それは「お約束」です。水戸黄門で印籠を出ると、悪役が「ははーっ」とひれ伏すのと同じです。

なんにせよ宗純さんは、ドラッカーについてはおよそ何もお分かりないようです。『もしドラ』を読んで、そんなことを仰っているようでは...。まあ、宗純さんらしいといえば、らしいですが(苦笑)

記事内容からは若干はずれますが、はてなの方々が、「岩崎氏を承認欲求の巨星」と見るのは、彼が「この記事が1000ブクマいったら、○○を発表します」というような記事を書いているからだと思います。

はてブ=承認
かどうかは疑問ですけど、かまってほしがっているという解釈につながるのは妥当ではないかと思います。

外れていませんよ

・逍花さん、おはようございます。

いえ、記事内容から外れていないと思います。

「はてブ=承認」は間違いないと思いますし、岩崎氏が承認欲求の巨星かどうかは、この記事の根幹部分ですし。

彼が「この記事が1000ブクマいったら、○○を発表します」というような記事を書いているからだ

ははぁ、なるほど、と思ったんですが、そういえばそんな記事もあったなと思ったんですが、一応、その記事を読み返してました。

『このエントリーが1000ブクマ行ったらぼくの知る「市場から撤退すべき企業」を発表します』

これですね。で、改めて思ったんですけれども、これは岩崎氏が「私をかまって」とメッセージを発しているのか、「記事を承認してほしい」、もう少し具体的には「経営者の利益だけを追求する企業は市場から撤退すべき」という意見に賛同して欲しいメッセージを発しているのか、そこのところをどう読むかが重要なのだと感じました。

私は、やはり後者に読めてしまいます。上の宗純さんのコメント欄でも述べましたが、やはり直観というのはしぶといものらしいです。

それはそうとして、

「経営者の利益だけを追求する企業は市場から撤退すべき」

は逍花さんの

『出版社に欠けているのは、やる気ではなくマネジメントかもしれない』

と軌を一にするものですよね。どちらもドラッカーを参照しているわけだから当然ですけど。

アップルのジョブズとマイクロソフトのビル・ゲイツ

スティーブ・ジョブズの承認欲求ですが、マイクロソフトのビル・ゲイツと比べれば実に面白い。正反対であると言っても良いくらい対象的なのですね。
ゲイツは有名すぎるぐらい有名で、マイクロソフト社や彼を知らない人はいないでしょう。
ところがジョブズですが、アップルは有名だが彼の名前が知られだしたのは極最近で、それ以前は隠者に近い態度だったのですよ。
スティーブ・ジョブズが世に発信しだすのは、彼が自分の死を明確に意識してからですね。
もう時間が無いことを自覚して、態度を大きく変えたのです。
ですからスティーブ・ジョブズを例にする場合には、今の承認欲求のジョブズと、それと正反対のジョブズの二種類のどちらであるかが大問題なのですね。
極最近、大事な『部分』で態度を変えたのですよ。
極最近変ったといえば愚樵さんにも言えて、御自分でも気がついているとは思いますが、昔とは大違いですよ。
高い知性や経験などは以前と同じであるが、何かに固着してしまい、困ったことに思考の柔軟性が失われています。
今度の記事ですが、実に愉快で大笑いさせてもらいました。
世の中には楽しい人がいるものですね。
何故、私のコメントが自分の考えと違う反論に聞こえるのか不思議でなりません。
同じものでも前から見るのと後からで違っていても当然で、今までの愚樵さんなら当然その様に判断していたのですよ。
ベストセラー作家とは赤川次郎とか吉本ばななのように世間のみんなに名前を知られている人のことですよ。
『もしドラ』はベストセラーかも知れないが作家の岩崎夏海の名前は知っている人が極僅か。
だから何時でも「もしドラ」の枕詞をつける必要があるのです。
ドラッカーですが、内田樹と同じですね。世界に通じる経営学(マネジメント)と考えたら大間違いで、一神教的なブローバルスタンダードの経営学ですよ。
ドラッカーの語る論をそのまま『正しい』と信じて、基礎となる文化が異なる日本への安易な導入は害こそあれ益は何一つも生まれないでしょう。
日本の大企業の殆どが導入して大損害を出した、成果主義の大失敗の例が証明しています。
>『そのようなことを真面目に突っ込まれても困ります(苦笑) それは「お約束」です。水戸黄門で印籠・・』は不真面目で、殆どネットウョ状態です。相手の主張の真意を理解するよりも自分の論の正当性ばかりを考えていて迷路に嵌りこんでいます。
『もしドラ』でるが、あれがもしも『もしアメリカの大リーグ野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』なら、十分に説得力があるのですよ。
ところがプロ野球とは一番遠い高校野球だがら問題にしているのですね。
でも、良く考えたら、日本の高校野球とは特殊な世界で、およそ野球界では大リーグ精神の正反対の極北に位置する存在なのですが、作者の意識して書いていたら物凄い話ですね。
多分意識していないと思いますよ。
『もしドラ』がヒットした原因ですが、寿司とアボカドのカルフォルニアロールと同じで堅苦しい経営学と本のタイトルや表紙の図柄のや意外すぎるコラボレーションのせいでは無いでしょうか。
ゲテモノか一発芸で有り、これからも何度も利用できるわざとは到底思えません。ですから矢張りベストセラー作家に成れる可能性は低いでしょう。

思えば遠くへきたもんだ、と

宗純さん、こんにちは。またおいでになると思っていました(笑)

宗純さんのおかげで、岩崎氏があのように挑発的なエントリーを書きたくなった気持ちがわかったような気がします。

極最近変ったといえば愚樵さんにも言えて、

それは何度か言われましたね。言われなくても自覚していますとも。要するに宗純さんは、私に対して「はてな村」の方言で言うならば、「終わっている」と言いたいわけですね(苦笑)

別に反論はしません。どう思われようがそれは宗純さんの勝手です。でも、そんなことを言われたって何も?

これは直観よりももっと強固な確信の問題なんです。思索を積み重ねて変化していった。そのことを自身でも自覚している。それは当人にとっては成長であり進歩です。誰になんと言われようがね。その確信なくして何の益もないブログの更新を重ねたり出来るわけがない。

宗純さんも、それからはてなの連中も、そういった人を突き動かす「理由」というものに対する感覚が極めて鈍いですね。

宗純さんの論理に鋭いと部分があるのは、今も昔もかわらず認めています。でも、鈍い部分があるのも相変わらず。内田樹やドラッカーは、そうした宗純さんの特性とは合わないみたいです。

日本の大企業の殆どが導入して大損害を出した、成果主義の大失敗の例が証明しています。

成果主義って、ドラッカー???

それは「お約束」です。水戸黄門で印籠・・』は不真面目で、

だから、不真面目ですって(苦笑) 真面目に答えようがない。『もしドラ』を読んで、弱小野球部が甲子園に出た! おかしい! なんてユニーク過ぎて...、いや、ホントに。

ベストセラー作家とは赤川次郎とか吉本ばななのように世間のみんなに名前を知られている人のことですよ

ああ、なるほど。そう言われればそうですかね。でも、「で、だから?」なんです、私としては。これも申し訳ないが、真面目な答えにならない。的から大きく逸れているんです。

このくらいにしておきましょう。

また、おいでになりますかね?

違っているから面白い

愚樵さん、何か勘違いがあるようですね。
確かに最近の愚樵さんの、世の中で唯一の普遍的存在である科学を『大きな特殊に過ぎない』と無理やり否定したいと『抵抗』をしている様は『何とも、困ったものだ』と感じているのは事実ですが、
同じものを見ても、その人の立ち居地や見る角度が違えば当然違って見えるのです。
逆に違っているから面白いし値打ちがあるのです。
ですから、もしも同じものを見て同じ意見であるならば、その割合が1割程度でも嬉しい。
半分なら大喜びするし9割以上なら涙を流して狂喜乱舞するべきなのです。
特に当方のブログ記事とかコメントですが、自分で読み返してみると何と昔のスティーブ・ジョブズと同じで『お前達は間違っている』(今までが間違っていた)とのオルタナティブ的な発想からの主張が殆どなのですよ。
ところが普通の人は誰か他人から『お前達は間違っている』(今までが間違っていた)と言われて喜ぶ人は少ない。
大概は不愉快に思う。
それが普通の誰しもが感じる人間心理ですよ。
ですから3・11以前の読者数はたいした数ではなかったのですが、何と驚くことに3・11以後には160万以上の数のgooのブログランキングの10位以内、今でも100位以内の読者数。これは矢張り問題です。
『お前達は間違っている』(今までが間違っていた)のオルタナティブ的な立場は全体から見て少数派だから安定するのであり、多数派なら革命が起きます。
マスコミとか政府とか有名大学の教授などが平気で嘘を付くとの、恐るべき真実が福島第一事故で、ようやく日本人も気が付いたのですが、長続きせず多分これは一過性の出来事で済んで仕舞い、穏健な調和と協調を重視しすぎる日本人では革命は到底無理ですね。読者数が多すぎて居心地の悪い思いをしていたのですが段々減ってきているので矢張り『今までの自説が正しい』とすこし安心しています。

科学が唯一の普遍?

・宗純さん、おはようございます。

そうですね。違っているから面白い、ですよね。が、面白いと感じることができるのは、確立した自己があってのこと。自己が揺るがないから面白いと感じていられる。私が申し上げているのも、そのことで。

指摘されているとおり、私は科学が唯一の普遍だなんて思ってませんし、そこは宗純さんの違いでしょう。でもって、そこは「困ったこと」でもなんでもないんです。私にとっては。

だから、宗純さんの前コメントのように「困ったことに」なんていわれても、「困っているのは宗純さんでしょ」くらいにしか思わない。

そりゃ、科学の法則性を否定するのであれば困ったことでしょうけど。

段々減ってきているので矢張り『今までの自説が正しい』とすこし安心しています

そういうへそ曲がりも困ったもんですね(笑) ま、でも、確かに正しいでしょう。

私も日本人が革命を起こすとは思ってません。市民革命は無理だし、中国式の天命が変わるといったのも起きないでしょう。でも、大政奉還くらいのことは起きるんじゃないですか。

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“愚樵”改め“愚慫”と名乗ることにしました。

「空論」は相変わらずです (^_^)

      

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