愚慫空論

【イデオロギー】とは過剰【連帯】である

最初に読んだときから、どこか違和感を感じていた。

『格差と若者の非活動性について』(内田樹の研究室)

マルクスの『共産党宣言』の最後の言葉は「万国のプロレタリア、団結せよ」でした。革命を呼号したパンフレットの最後の言葉がもし「打倒せよ」や「破壊せよ」であったとしたら、マルクス主義の運動はその後あのような広範なひろがりを見せたかどうか、私は懐疑的です。マルクスの思想的天才性は、彼が社会のラディカルな変革は「なによりもまず弱者たちが連帯し、団結するところから始めなければならない」ということを直観したこと、最初のスローガンに「戦え」ではなく、「連帯せよ」を選択した点にあると私は思っています。


一読して特におかしなところもなさそうなのだが、どこかでなにかが引っかかっていた。その引っかかりの正体が、昨日、富士の裾野で弁当を食べているときに、判明した。

 人間はデフォルトでネットワークマシンなんだ。

「連帯」は、人間にとっては言わずもがなのことなのだ。その言わずもがなをマルクスはスローガンとして掲げた。そのことが違和感として感じられていたのだ。

ではなぜマルクスは言わずもがなのことをスローガンに掲げる必要があったのか。

状況には2つの可能性が考えられるだろう。
 1.プロレタリアートがデフォルトな連帯が阻害される状況にあった
 2.人々はデフォルトなはずの連帯能力を消失した

内田氏の文章から推測するなら、マルクスの場合はどう見ても1.である。

今の日本の若者たちが格差の拡大に対して、弱者の切り捨てに対して効果的な抵抗を組織できないでいるのは、彼らが「連帯の作法」というものを見失ってしまったからです。どうやって同じ歴史的状況を生きている、利害をともにする同胞たちと連帯すればよいのか、その方法を知らないのです。


今の日本の若者は「連帯」の能力を消失していると区別して書かれている。また、1.であると考えるならば、マルクス主義運動が広範な広がりを持ったことも合点がいく。「連帯せよ」のスローガンは言い換えれば「デフォルトを取り戻せ」になるからかだ。

(実際のところのマルクス主義が「デフォルト復帰運動」であったとは思えないが。)

では、なぜ、1.や2.の状況が生まれたのか。

1.の場合は、それが資本主義がもたらす弊害とするのが通説だろう。労働力は資本が生産手段を独占することで商品と化し、労働者は否応なく分断される。

2.は、内田氏が明記している。

それは彼らの責任ではありません。それは私たちの社会がこの30年間にわたって彼らに刷り込んできた「イデオロギー」の帰結だからです。


この「イデオロギー」の内容は、私も同様のことを『偏差値教育の弊害』で書いている。が、同じことを書いても内田氏が書くと、洗練されていてわかりやすいこと。「格差」を感じざるを得ないが...、まあ、それはいい。

ここで考えたいのは、この「イデオロギー」が生じた理由だ。資本主義が生じた理由はいろいろと説がある。だが、「偏差値教育イデオロギー」が生じた理由には内田氏も触れていない。

数値的に示される外形的な格付け基準に基づいて、ひとに報償を与えたり、処罰を加えたりすれば、すべての人間は「報償を求め、処罰を恐れて」その潜在能力を最大化するであろうというきわめて一面的な人間観を土台とする、この「能力主義」「成果主義」「数値主義」が「弱者の連帯」という発想も、そのための能力も深く損なってしまった。


素朴に考えれば、いや、素朴に考えることができるならば、このような教育が人間によからぬ影響を与えることはすぐに分かる。ではなぜ、素朴に考えることが出来なかったのか。素朴に考えることは、思考を洗練させるよりも容易なはずなのに。その簡単なはずのことが出来なかった。素朴に考えることもデフォルトのはずだから、それが出来なかったということは、何ものかによって阻害されたのだと考えるのだ妥当だろう。

その「何ものか」を考えるまえに、そもそも「イデオロギー」を生み出した世代の者たちはデフォルトな連帯を阻害された状況にあったのか、ということを考えてみなければならない。マルクスが「連帯せよ」とスローガンを掲げたのは連帯が阻害されていたからだった。その結果、労働者は搾取され、悲惨な状況に陥っていた。だが、高度成長を実現して国民が総中流となり、社会主義国家より社会主義的と言われた日本の労働者は、連帯を疎外されていたのか? まさか、であろう。高度成長実現に至るまでの時期だって、安保闘争にしたって、連帯は存在した。なにせ、「サラリーマンは気楽な稼業」だったのだ。

そう考えれば、この「何ものか」が見えてくる。「何ものか」とは、実は【連帯】なのである。デフォルトで素朴な連帯の上に、さらに上塗りされた過剰な【連帯】。上塗りをもたらしたのがイデオロギーだ。素朴な〈連帯〉は、〈イデオロギー〉によって強化されて【連帯】となり、〈イデオロギー〉も【イデオロギー】へと変質した。現在の日本人が、なにかというとすぐに陣営に分かれて下らぬ闘争を始めてしまうのも、過剰な【連帯】が蔓延っている所為だ考えれば納得がいく。

そのしわ寄せを喰らっているのが、非活動的と批判されている若者世代だ。

『いち若者の立場から、若者が何も主張しない理由を主張してみる』(yuhka-unoの日記)

なぜ若者が何も言わないのか? 答えは単純。「言っても無駄だと思っているから」。


過剰【連帯】に浸っている者たちには、何を言っても無駄。実に的確ではないか。

まぁそれでも、私は今の時代に生まれて良かったと思っている。いくら景気が良くても、今よりジェンダー観が固定的で、セクハラパワハラアルハラが酷くて、「いじめられるほうが悪い」という言説がまかり通り、「外国は児童虐待が酷い。日本は家族を大切にするからそんなことはない」と無邪気に信じて児童虐待を見過ごしてきた時代より、今の時代のほうがずっとマシだ。


【連帯】の過剰性がいくらかなりとでも緩和されている、という現状認識。これも的確ではないか。

私は、今の若者世代は、年長世代の過剰【連帯】からの軛を脱し、ゼロから、いや、マイナスから新たな〈連帯〉の再構築を始めているのではないかと思っている。【イデオロギー】によってデフォルトが阻害されていたのを、デフォルトの状態へ戻そうと努力しているのである。過剰に空気を読んでしまったりするという性癖も、「連帯の作法」を再構築中だと見えば合点もいくのではないか。

失われた『北の国から』の光景が、『けいおん!』において復活しつつある。

 → 『けいおん!』(愚樵空論)

コメント

やっぱり

私も愚樵さんの前のエントリー読んで、内田樹氏のエントリーを読んだ時、内容がほぼ同じでびっくりしました。
相変わらず文章読解力がなく、難しいので解らないのですが、何となく今の状況を解決する為には、未だ期が熟してない気はします。熟すのにあと何年?何十年?何百年?掛かるか分かりませんが、必ず何れは到達出来るとは信じています。
信じられなくなったら、きっと魔女に変わるのでしょうか?w

勝手に期待してました・笑

内田先生の記事を読み、私も最後に何となく違和感が残りましたので、
もしかして愚樵様が取り上げて下さるのではないかと待っていた節があります。
(私には言葉に出来ないので)

少しスッキリしました。(全部理解できたわけではありませんが)

内田先生は、今日の問題を作ってしまった自分たちの世代が何とかしなければならないと
思っておられ(若者にはコストが安い)、
愚樵様は、若者あるいは当事者が何とかすべきと考えていらっしゃる(コストが高い)ところに
違いを感じます。

日本の行くべき道は厳しいので、当事者である今を生きる我々が、自分の頭を使うという
新コストを支払うべきと思います。
(新思想の待望!)

内田先生の次のTPPを扱ったエントリーはすごくいいです。(見落としがあるかもしれません)

共通点はお二人とも日本のことを本気で考えていることです。

もう時間がないと感じています

・すぺーすのいどさん、おはようございます。

私の文章が難しい(といわれる)のは、高度なことをかいているわけではなくて、文章力が足りないからです。いや、内田氏と同じことを書いているなら高度かな? いやいや、私自身は特に高度だとはおもってません。ということはやはり、私の文章力がまだまだなのです。すみません。

未だ期が熟してない気はします。熟すのにあと何年?何十年?何百年?

う~ん、私は期が熟すかどうかは別として、もう、さほど時間はないと感じています。なにごとも崩壊するときは、一気に崩壊しますから。その「予兆」がそこここで見られるような気がして。

その「予感」がブログへ向かう原動力だったりします(笑)

次、いいですよね!

・amerieさん

内田先生の次のTPPを扱ったエントリーはすごくいいです。

同感です。イチャモンをつけようという気にはなれません(笑)

内田先生は、今日の問題を作ってしまった自分たちの世代が何とかしなければならないと
思っておられ


あいや、これはどうでしょう? そのように感じていない人は多いでしょうし、私も感じていません。その点は、宗純さんや湧泉堂さんと認識は一致すると思うんです。だから彼らは「内田樹は弱者の敵だ」といって攻撃するんですよ。「自分たち」というより「自分」が何とかしなければならないとは思っていない、といって。うん、「自分」がなんとかしようと思っている人には、そう思えるのは道理ではある。

私も実はそうで、「自分」がなんとかしよう――たとえばデモに参加してみたりとか――とは必ずしも思っていない。そうした「運動」は支持して端に加わりたいくらいには思っているけど、どちらかというと、距離を保って眺めていたいという気持ちが強いんですね。そして、その位置から「何か」を引き出したい。それが自分の任務くらいに思っています(苦笑)。

その位置から見ると、内田氏のスタンスも近いところにあるのかなと思うんです。つまり、若者に託そうとしている。だから「強者になれ!」「高いコストを支払える人間になれ!」とメッセージを送っている。私はそんなふうに考えているんですね。

いえいえ^^;

ごめんなさいね。
愚樵さんところにコメント書く時に、「難解」と書いてしまいます。
その原因の殆どが私の読解力がない事が原因だとは認識しています。

崩壊のスピードは私には解りませんが、もう崩れる事を防ぐ事は不可能な気はします。やれても若干衝撃を和らげる位でしょう。
だから、今からその崩壊の先を見ていく事が必要だとは思っています。

同じ人が書いてるの?

内田先生が、件のエントリーの続きを書いておられます。

TPPの記事と同じ人格の人かと思うような内容です。

多分、先生の中で、クリスチャンの部分と日本人の部分が統合されていないように思われます。
(あるいは、説明不足?)

ところで、今日、仕事で甲府まで行きました。田園的でいいところですね。

行く機会が無い処なので、記念に「印伝の品」と「信玄餅」入りロールケーキを買って来ました。
(美味です)

日本は、地方ごとに特色があり、大事にしたいですね。

おはようございます

・すぺーすのいどさん、amerieさん、おはようございます。

今からその崩壊の先を見ていく事が必要だとは思っています。

内田先生が、件のエントリーの続きを書いておられます。

図らずも、おふたりへ返答は内田氏の新たなエントリーを絡めたものになりそうです。

すぺーすのいどさん、内田氏も同じようなことを言っています。

amerieさん、もしかしたら、いえ、おそらく、内田氏にも確定的な答えは持ち合わせていないのでしょう。どうもそんな気がしてきました。

「そういう「物語」を作り出すことができるかどうか、格差解消という政治的実効の成否はそれにかかっていると私は思います。」

同じ人格かと想われてしまうのは、『雇用と競争について』は確定的に語っていたのに対して、こちらはそうは語れていないところから来るのかと。

確定的なことの一端は『魔法少女まどか☆マギカ』が示したと私は思っていますが。ああ、そういえば『まどか』についての続きを書かなければ。昨日、書くつもりだったけど、マル激とアキラさんとの対話でリソースを使い果たしてしまいました(^_^;

(アキラさんとの「対話」はこちら。まだ継続中ですが。
http://blog.livedoor.jp/appie_happie/archives/52091616.html
よろしければ、アキラさんところも訪問してみてください。記事も大変充実していますよ。)

ところで甲府にいらしたということですが、実は私、ほとんど甲府へ行ったことがありません。用事がないので。県立の図書館へ何度か行ったくらいかな。通過することもあまりない。

甲府盆地は果樹園なんかも多いし、サクラとモモとが一気に開花するシーズンはきれいですよ。まあ、でも、私からすれば都会です、甲府は(笑)

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