愚慫空論

『けいおん!』

当初、『偏差値教育の弊害 その3』で記事にまとめてみようと思ったが、それはやめにして、ここのところアニメ関連のエントリーが多いので、ついでにというわけではないが、『けいおん!』とタイトルしてみることにした。


とかいいながら、ここに貼り付けたのはなぜか『北の国から』(笑)

この授業風景は、HTTである。

HTTがわからない? 「放課後ティータイム」と読む。『けいおん!』で、唯・律・澪・紬・梓の5人が結成するバンド名だ。それ以上のことが知りたければ『けいおん!』を観るか、ネットで検索してみて欲しい。

純が語っているモノローグは「偏差値教育への憧憬」である。いや、屈折した「けいこちゃんへの恋慕」か。どちらでもいいが、純の焦りはガンダム世代、エヴァンゲリオン世代ならば理解出来よう。だが、ワンピース世代はどうか。『けいおん!』のような「空気系」に浸る世代はどうか。

涼子先生の授業は純が期待するものとは全く違っている。それはそうだ。目的が異なるのだから。純が期待する授業は【システム】に適応するための教育。【自我】を確立させるための教育。しかし、この授業はそうではない。〈自己〉を確立させるためのもの。


このたわいのない曲を聴いてみて欲しい。これだけ聴くと恋愛の歌のようだが、『けいおん!』に恋愛はない。同じ時間と場所を過ごす仲間がいるだけ。唯たちにとって、バンドは時間と場所を共有するための「方便」でしかない。梓はその「方便」に最初は不満を持つ。純と同じである。純は「方便」としての授業に不満を述べている。

だが、この2つは同じであるが、なんと違っていることだろう。同じだと意識するとかえって差異が浮かび上がってくる。『きたの国から』の授業からは、ノスタルジーを感じざるを得ない。もはや戻らない風景というわけだ。が、HTTには、形こそ違えども、戻ってこなかったはずのものが生き生きと甦っている。唯たちだって一応は「偏差値教育」の関門をそれなりにくぐり抜けるが、そのことはもはや人生の重大事としては位置づけられていない。重大事と位置づけざる得なかった世代とは隔絶している。

と、そんなわけなので、『けいおん!』を是非とも楽しんでみて欲しい。もしかしたら、ここには日本の未来への鍵が潜んでいるかもしれない(笑)

コメント

またまた、全部見ちゃいました。

こんばんは。
「けいおん」見ちゃいましたよ。「!」も「!!」も全部。どうやって見たかは秘密ですが…(^^ゞ

なかなか良かったです。
ですが、見ながらなんかデジャブな感覚があって、なんだろな?と思っていたんですが全部見てから解りました。
「おジャ魔女どれみ」シリーズです。
小学生と高校生の違いはありますけど、両方ともメインキャラの女の子が5人で、しかも主役は「天然」。
ボーイッシュキャラ、お嬢様キャラ、主役にはしっかり者の妹が居るとこまで似てます。w
ストーリ展開もたまに「試験」とかのイベント話がある以外は日常のグダグダ話だし…(^^♪

丁度そのころ幼児だった長男と休日午前中の子ども番組ストリームの流れで見てました。なかなか良い作品でした。戦わない魔女っ子ものはあれからとんと無いですね。(>_<)

「けいおん」にしても「どれみ」にしても、こうゆうノホホン系の話は良いですね。心がジワーっと、元気になります。

それと今回見て気がついたのは、私の子どもを通わせている学童保育の父母会もちょっと「けいおん」系のノリなんですよ。運営は大変だけど、どうせやるなら楽しもうぜ!楽しい事には無駄なエネルギー使ってでもやる!って雰囲気がある。
あまりお互いに遠慮せずにガチで話せる雰囲気もある。
だから私も学童の運営に携わっていられるのかもしれません。

話は「北の国から」に変わりますが、涼子先生いいですよねぇ。再放送で良く見てた中学高校時代でも涼子先生の授業はいいなぁと思ってました。作品中もっとも好きなキャラです。

バンドライブ

おまけにもう一言。

最近活動休止中ですが、私もとあるバンドのメンバーでして、まあ楽器出来ないんでボーカルなんですが…(^^ゞ

ライブも何度もやりました。ライブって少しでもうまくいくとホントに気持ちいいんですよ。盛り上がったら本当に快感。

HTTのライブシーンみて、ちょっと他のメンバーに再開を打診しようかなと画策しているところです。笑

秘密ね(笑)

・すぺーすのいどさん、おはようございます。

そうですか、観ちゃいましたか。しかも秘密の方法で(笑)
今やパソコンに向かえば世界中に繋がってしまう世の中ですからねぇ。

で、『おジャ魔女どれみ』ですか。私は観てませんけど、そういえば評判は耳にしたような...

小学生と高校生の違いはありますけど、

そうなんです。小学生でやるようなことを高校生になってからもやっている。そんな印象を持つんですよ。

私の経験からいくと、高校はもはや「勉強するところ」でした。進学校でしたしね。でも、それって段階を踏んでそうなったんです。小学校は「とにかく行くところ」だった。他人と交流する場所でした。勉強することよりも、一緒になって遊んだりケンカをしたり。他人との付き合い方を学ぶ場でした。中学、高校は、他人との付き合い方を学んだ上での、大人になってゆく「場」でした。大学に入ってからは、もう大人という意識でした。意識だけはね(笑)

でも、『けいおん!』の主人公たちには、そういう「大人への意識」ってないでしょう。バンドの在り方がそうですよね。プロになろうとはぜんぜん思ってない。かといって、そこは大人になるまでのモラトリアムという感じもない。それよりも「故郷を育てている」という感じなんです。HPPというバンドは彼女たちの故郷なんですね。だから、大切なのは「日常」。

私が今の若者たちは〈社会〉を作り始めているんじゃないかと見るのは、そこのところなんです。

『北の国から』は故郷を出て故郷へ帰る物語ですよね。純の富良野への思いは屈折しています。東京が故郷だと思っていたのが、純にすれば半ば強制的に理富良野を故郷ということにされた。それを視聴者としてみる我々は「故郷の選択」の問題として捉える。純は富良野を故郷として選んだけれども、大部分の者は、「もう、その選択はないでしょ」と思っている。だからノスタルジーなんですよね。

でも、『けいおん!』を見てみると、私たちが実は故郷とは所与のものだと無意識のうちに捉えていたことがわかる。東京であれ富良野であれ、故郷は私たちに先んじて「そこにあった」。が、我々はその故郷を打ち壊してしまったんです。

だから若い世代は自分たちで故郷を育てようとしている。私にはそんなふうに見えるんです。

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