愚慫空論

偏差値教育の弊害 その2

その1では、小沢一郎氏を政治的社会的に亡き者にしようとする偏差値エリートと、そこと〈闘争〉しようとする主にネット上の〈小沢一郎〉という「民意」を取り上げ、実は双方とも偏差値教育に害された者たちで、そうした〈闘争〉から降りる選択もあるのだ、という話をしてみた。

で、今回は「その2」だ。

『思考途中の記事を叩いてネットの最良の部分を潰してしまう人たち』

ここで槍玉に挙げられている「潰してしまう人たち」。彼らもまた偏差値教育の弊害に害されてしまった人たちだ。

他人と比較して、競争することは必ずしも悪いことではない。だが、偏差値は良くない。純粋な競争は、社会という場あるいは学校という場の絶対的な水準を上げることに寄与するが、偏差競争では、そのような動機付けを生みにくい。それは、内田樹氏が指摘していることだが(具体的な記述は忘れた)、偏差値競争においては自身の学力を上げるよりも、他人の学力を下げる方が合理的だからである。その帰結として、学校、あるいは社会という場全体のパフォーマンスが低下してしまう。日本が陥っているのはこの悪循環であり、「潰してしまう人たち」は、この循環に大いに貢献している。

言っていることが正しいか間違っているか以前に、人として最低限の礼儀を欠いているように思われる。それも、言う意味のあることを100or140文字で分かりやすく伝えるために仕方なく礼儀を欠いてしまったのではなく、はじめから必要もなく相手をバカにしているように見受けられる。


この見立てに賛同するが、敢えて弁護してみる。

彼らの行動は適応の成果なのである。施された偏差値教育が要請するところを敏感に感知し、それに適応した結果が「潰してしまう」行動なのだ。そのように「個」が形成されてしまっている。ゆえに、彼らのそうした行動への批判は、批判側は人格攻撃のつもりではないとしても、彼らにとっては人格攻撃と受け取られてしまう。彼らの他人への攻撃は、自身の「個」の確立を確認するための行為であって、彼らの意識では決して攻撃ではない。“事実を指摘しただけ”としか思っていない。

こうした「個」は「自我」である。他人との差異を際立たせることで確立されていく。大人から「個性的であれ」といわれつつ偏差値教育の場へ送り込まれてしまった子どもたちが、その要請に従って確立した「個」なのである。

では、こうした攻撃にどのように対処すればよいのか。思考途中だと明記して防御戦を張るというのも手だが、消極的。気にしないのが一番だが、ただ気にするなと言われても無理だろう。気にしないでいられるためには、自分の「個」の在り方を意識することだ。方法は2つある。

ひとつは、神という絶対者の前に「自我」を確立する方法だ。神ではなく正義でもいい。事の善悪を絶対的に判定する絶対規準を信奉する。そこに従って他の「我」からのコミットメントの善悪を判定すればよい。その判定は絶対者を背景にするわけだから、自身が揺らぐことはないだろう。

だが、日本人に絶対者を信仰することなど出来るだろうか?
それが出来ないというのなら、もうひとつ。「自己」という「個」の確立を行なうこと。

「自己」というのは、自身と他者との関係性のアーカイブである。他人との差異を際立たせることで確立する「自我」が自己肯定感を他者への優越感に求めてしまうのに対し、「自己」の自己肯定感は他者から好意的に評価されることによって生まれる。あるいは、自身が他者を好意的に評価することによって生まれる。逆に、他者からの悪意に満ちた評価は自己肯定感を低下させる。

が、「自己」を確立しようとする者にとって恐ろしいのは、他者を悪意をもって評価することだ。傷つけられた肯定感の防御反応として致し方ないところはあるのだが、それが進みすぎると「自己」が消失してしまう。そうなってしまうと、それまで自身に寄せられた好意と自身が寄せてきた好意とが無駄になってしまう。

怖れるべきは何なのか。肯定感が傷つくことか。「自己」を失うことなのか。そこを見極めていさえすれば、他人からの攻撃の多少の痛みは、「多少の痛み」でしかない。


このようにして確立された「自己」も、相当に強力なものだ。ときに「自己」を守るために自身が消失することも厭わない。

 士は己を知る者の為に死す

のである。

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