愚慫空論

【良心】の民主化

私たちが暮らし日本という国は、中世ヨーロッパのの暗黒社会の時代の再現になってしまっているのかもしれない。最近、そんなふうに考えてしまうことがある。

ヨーロッパ中世の農奴たちは、教会に搾取され、領主に搾取され、それでもそれなりに幸福な人生を送っていたのだろうか。現代に生きる私たちもそのようになれたらそれはそれで幸福なのだろうが、残念ながらそのような幸福に恵まれるのは、一部の信仰心に篤い人たちだけ。中世には当たり前だった宗教共同体は、現代では珍しい存在でしかない。

現代人は、もはやそのような幸福は受け入れられないはず、だった。宗教改革、市民革命、産業革命を経て、そのような時代とはとうにおさらばしたはずだった。が、私たちの目を眩ませている虚構を取り払ったみれば、なんのことはない、私たちも農奴とさしてかわらない状態に置かれてしまっていることに気がつく。

私たちが社会を営んでいくのに、秩序は必要である。ゆえに国家はなくてはならない。
私たちが社会を営んでいくのに、エネルギーは必要である。ゆえに、電力会社を倒産させてはならない。
私たちが社会を営んでいくのに、健全な経済は必要である。ゆえに金融機関は救済しなければならない。

これだけではない。

日本国が安泰であるためには、アメリカ合衆国が必要である。ゆえにアメリカを救済しなければならない。

もっとも、「アメリカ救済」はマスメディア等で表立って論じられることはない。名目は経済の活性化。だが、名目は目くらましの意味でしかない。

ヨーロッパ中世においては、近代国家はいまだなく、国家の座に座っていたのは領主だった。
エネルギーは、大部分は自給自足だったので、電力会社に相当する存在はなかったと考えて良いだろう。
金融機関に相当するのはカトリック教会だったろう。キリスト教共同体ネットワークに参加する費用として、教会は領主とはべつに「十分の一税」を徴収したという。今日ではこれはもっと合理的な姿、金利というものに形を変えている。
アメリカ国債購入、TPPの負担は、十字軍遠征の費用といったところだろうか。

領主はのちに専制国家へと統合されていくが、これは市民革命で潰えていった。秩序は必要「ゆえに」領主も必要という論理が成り立たなくなったためだ。「ゆえに」はゆえにではなくなった。カトリック教会も同じだ。「ゆえに」が揺らいでプロテスタントが興隆していった。産業革命は、あらたな「ゆえに」を創出した。現代の社会に暮らす私たちは、中世社会とは異なった「ゆえに」に囲まれて暮らしているが、その状態は農奴と変わらない。農奴であることの中に幸福を求めようとしている。だが、それもそろそろ限界に近いようだ。

ルターが起こした宗教改革のキモは、聖書を教会から開放したことだ。キリスト教共同体の住民にとって、聖書とは【良心】であったろう。カトリック教会は【良心】を独占することで、共同体ネットワークを支配した。それが、ルターによって聖書がラテン語からドイツ語へと翻訳され、グーテンベルクの印刷術でもって広く普及するようになると、【良心】は広く庶民に行き渡ることになった。【良心】が民主化されたのである。

この【良心】の民主化が、マックス・ヴェーバーの説に従うならば、資本主義を発現させた。市民革命も産業革命も、ともに【良心】の民主化の波及効果だ。ノーテンキな左翼は勘違いをしているが、市民革命の原動力は民衆の反乱だったかもしれないが、その主目的は「財産」という【良心】を専制国家から守ることだった。大衆の反乱はその先兵となったに過ぎない。もし市民革命が〈良心〉的であったなら、財産権よりも生存権が優先されたはずだ。しかし、生存権が国民の権利として認められるのは、20世紀に入ってからのこと。そして21世紀の現在、どうみても財産権は生存権よりも強力に保護されている。それは市民革命が【良心】によってひきおこされたことに起因している。近代とは【良心】の民主化なのである。

(先兵としての大衆の反乱は、私には、ジャスミン革命から始まった「アラブの春」、そしてアメリカのティーパーティーおよびウォール街占拠デモと被って見える。)

16世紀末、バチカンのサン・ピエトロ大聖堂を建設するためにカトリックが発行し始めた免罪符は、ルターの目には【悪心】と映ったろう。21世紀初頭、ティーパーティーはウォール街占拠デモの者たちも、同様の【悪心】を見出しているのだろう。日本においても、小沢一郎を支持する勢力、反原発運動が【悪心】を見出して闘争しようとしている。ともに振りかざしているのは、民主化され分裂してしまった【良心】である。

だが、分裂してしまったといっても、【良心】の核心は保持されたままだ。それは貨幣であり資本だ。私たち自身の自我愛から派生した「貨幣愛」が【良心】の蔭に隠れた【悪心】への気づきを阻んでいる。

ここを見据えるなら、さまざまな「ゆえに」が揺らいでいる現在、陰謀を企てている者が(いるとすれば)打つべき手は「【良心】の衣替え」だろう。具体的には金銀本位制の復活であろうか。そうすることで【闘争】をリセットし、新たな「ゆえに」を創り上げようと企てるだろう。

しかし、私たちが思い描く「民主化」とはそういったものではないはずだ。自我愛に確立による【闘争】の道でなく、自己愛が広げる〈おりあい〉の世界のはず。少なくとも和を以て貴しと為す日本人にとっては。

コメント

色々考えさせられます

最近、マックス・ウェーバーの『プリテスタンティズムの倫理と資本主義精神』を読みましたよ。

救済の「予定説」なんて、いったい誰が発明したんでしょう?
少なくともイエスではありません。

人は、サスペンスの状態に置かれたら、アドレナリンが最高に分泌され、
最もやる気になるでしょうね。
(それでみんな勤勉になり、儲かっても禁欲で使わない・溜まって溜まって資本になる!)

「予定説」は、すごい発明です。(結果として罪深い)

カルヴィンさん以前に誰か言っている人がいるのでしょうか?
(神の啓示!?)

キリスト教≠イエスの教え

・amerieさん、おはようございます。

キリスト教はナザレのイエスが震源地ですが、教義自体はイエスの教えとそのまま重なるわけではありません。「パウロ教」といった方が正確でしょうね。しかし、「予定説」もパウロが唱えたわけではない。

初期の資本主義者たちが吝嗇だったというのは本当だったようですね。彼らの目的は神からの「承認」だったわけで資本ではなかった。「予定説」によって「資本の管理者」と自認していた。資本は神のもの、だったんですね。管理人が勝手に手を付けたら罰せられる。

でも、現代の資本主義の直接の発端はプロテスタンティズムではありません。「信用創造」の発明です。これこそ“すごい”発明で、とてもプロテスタントには思いつかなかったでしょう。

勉強が追いつかない

そうなんですね!

私は、蓄積された資本と聖書の「タレント」の寓話が結びついたのかと思ってました。

でも、そこには、何か別の「繋ぎ」があるはずですよね!
「信用創造」、それは本来、自然に共同体が持っているものから変異したものでしょうか?

『まどか☆マギカ』も観たいけど、なかなか時間がない!
(頑張ります・笑)

勉強はやめましょう

・amerieさん

言葉遊びのようですが、「勉強」はやめましょう。それは“強いて勉める”ですから。そんなのつまんないですよ。やっぱり楽しまなければ。月並みですが“知るを楽しむ”です。

それともうひとつ。コツは「生半可」です。人間の築き上げてきた知の体系はほんと凄くて、めまいがするほど。そんなものにマトモに付き合っていたら、脳ミソがいくつ、時間がいくらあっても足りません。所詮私たちは素人ですから、生半可でいい。そう割り切れば“知るを楽しむ”ことへのハードルもぐっと低くなると思います。

信用創造について生半可に知りたければ、こちらのサイトをどうぞ。

『Money As Debt(日本語字幕版)』
http://video.google.com/videoplay?docid=-446781510928242771

テキスト版もあります。
http://www.anti-rothschild.net/material/animation_01b.html

真剣に「勉強」しようと思えば大変ですが「生半可」でいいなら、とりあえずはこの程度で済みます。ご覧になっていただければ、共同体との関連もわかっていただけると思います。

『まどか☆マギカ』も、まず、楽しめなければ...。アニメに親しんでいなければ最初は戸惑うでしょうし。肌に合わないと思ったら、やめておいた方がいいかもしれません。

Listeningしながら楽しみます

早速、ありがとうございます。

両方を「お気に入り」に入れましたよ。
(これが有名なロスチャイルドですね・なるほど)

ときどき見て楽しみながら、同時に、世の中を見る一つの角度を
手に入れていければと思います。(「生半可」に・笑)

とにかく、世界が行き詰まり始めている以上、今までのように呑気ではダメなので!

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事へのトラックバックURL
http://gushou.blog51.fc2.com/tb.php/530-8560bd0e

福島第一原発の事故は100%予見できた(資料)

 

西洋文明の行き着く先は?ブータンを見習え

ネパール王室の結婚式を心より祝福する。また新しく王妃となられたジェツン・ぺマさんの美しさは例えようもない。彼女の美しさは東洋の女性の美が西洋の女性が逆立ちしてもかなわ ...

 | HOME | 

 
プロフィール

Author:愚慫
“愚樵”改め“愚慫”と名乗ることにしました。

「空論」は相変わらずです (^_^)

      

最近の記事+コメント
最近のトラックバック
月別アーカイブ
全ての記事を表示する

全ての記事を表示する

QRコード
QRコード