愚慫空論

『魔法少女まどか☆マギカ』

またもやアニメの話になってしまう...。

ネット上で評判がすごい『魔法少女まどか・マギカ』。とうとう観てしまった。

『エヴァンゲリオン』を超えているとの評価も多いが、確かに肯ける。非常に抽象度の高い内容で、さまざまに考察意欲を掻き立てるのも、道理だろう。

ただ、私にとってはとてもわかりやすい内容だったと言っておく。なぜなら『まどかマギカ』は【良心】との闘いの話だからだ。

ネタバレを厭わず、内容を説明する。

『魔法少女まどか』というくらいだから、もちろん魔法少女が登場してくる。また魔法少女とはべつに魔女も登場する。どちらも魔法を使うが、魔法少女は善玉、魔女は悪玉。魔法少女になるには、この手のアニメによくあるパターンだが、未知の何者か契約することが必要。その何者かは『まどか』ではイヌとネコともつかない生物。少女はこの生物に何かひとつ願いごとをかなえてもらうことを対価に、魔女との闘いの世界へと身を投じてゆく。

ここまでは初期設定。以後、ストーリーが展開して行くにつれ、裏設定が明らかになる。

まず判明してくるのは謎の生物の役どころ。これが実はメフィストーフェレス。そう、ゲーテの『ファウスト』に出てくるあの悪魔だ。願いの代償として魂を奪う。では、魔女との闘いの生物に身を投じることが魂を売ることに相当するのか? 否。さらに深刻な裏設定が明らかなる。実は、魔女とは魔法少女のなれの果てなのである。魔法少女は魔法との闘いに勝利すると報酬を手にすることができる。それは闘いによって生ずる穢れを浄化できるというものだが、遅かれ速かれ、魔法少女が魔女に堕ちてしまうことを避けられない。魔女へ堕ちるのは魔法少女の運命なのである。

ここまででも相当に深刻な展開だか、それに留まらない。謎の生物は初期には愛称ぽい名で呼ばれるが、後に真の名が明らかなり、それはインキュベーターという。何をインキュベートするのかはもはや明らかだが、問題はその目的。魔法少女が魔女へと堕ちるときに発生する精神エネルギーの回収なのである。インキュベーターを遣わして来たのは地球外の高度な文明という設定で、そこは精神エネルギーを実現させる技術を擁しており、もっとも効率的にエネルギーを回収できる「鉱山」が感情豊かな思春期の少女たちというわけなのだ。

まさに悪魔だ。

しかし、インキュベーターのほうはこれでも少女たちに好意的なつもりなのだ。彼はこのようにいう。

「君らだって残酷に家畜を殺して食べるだろう? それと同じさ。でも、それに比べれば、ボクまだ曲がりなりにも君らを知的生命体と認めてやっている。ちゃんと自由意志を認めて、契約するかどうか尋ねただろう?」

間違いなくメフィストーフェレスである。

このアニメはこの設定だけでも十分に『魔法少女まどか・マギカ』というタイトルから予想されるものを裏切っているが、主人公まどかの「活躍」もまた、それを裏切るものだ。なにせ、まどかが魔法少女になるのは最終話なのだから。

まどかの役回りは、まどかの周囲の魔法少女たちの運命を見守ることである。インキュベーターはまどかを勧誘する。まどか自身も幾度となく魔法少女になろうとする。が、なかなか果たせない。魔法少女にならなけば魔女との闘いには参加できないから、結局、見守るしかない。その過程で魔法少女たちの運命とインキュベーターの正体を知っていくのである。

このアニメのストーリーはまどかの成長物語であり、その点はふつうの「魔法少女もの」と変わらない。ただ、まどかは闘わない。戦闘を通じて成長するのではない。魔女との闘いに参入する条件となる「願い」、メフィストーフェレスであるインキュベーターに魂を支払っても手に入れたい「願い」を探す物語なのである。

この点、ゲーテの『ファウスト』を下敷きにしていながら、始点と終点が逆転している。

『ファウスト』は、知を極め尽くそうとして満足できなった人間が、満足を求める話だ。ファウストは満足を求めてメフィストーフェレスと契約した。そこが物語の出発点。しかしファウストの求める満足は、どれもこれも最後のところでことごとく成就しない。それは悪魔の力を借りているがゆえの当然の結末なのだが、ファウストはそれでも満足を追求してやまず、ついには理想社会の建設に乗り出し、満足な「夢」を見て、事切れる。そしてメフィスト―フェレスが契約に従って魂を回収とする瞬間、「救い」が訪れる。かつてメフィスト―フェレスの力を借りたファウストに誑かされ狂気に沈みそして救われたグレートヒェンが、聖母マリアとともに舞い降りてくる。

『まどか』では、まどかが悪魔と契約するよりも先に、悪魔の力を借りて「願い」を成就させることの結末を知る。それは「絶望」なのだが、まどかはこの「絶望」の果てに「願い」を見出す。だからまどかの出発点は、即、終着点なのだ。ファウストは求め続けた果てに「夢」を見た。「夢」と「願い」は同じだが、ファウストは「求める」ことに悪魔の力を借りる。最終的には自身の力で「夢」を見、そのことが「救い」に繋がるわけだが、まどかは最後の一歩手前まで自身の力で「願い」を探し求める。最後の最後、「絶望」を超えるために悪魔の力を借りるのである。

それは『ファウスト』に即して言うならば、グレートヒェンがその「願い」を成就させするためにメフィスト―フェレスと契約してファウストになる、とでも言えばいいだろうか。つまりまどかは、周囲の魔法少女達、これはひとりひとりがみなファウストなのだが、彼女らを救うためにグレートヒェンになろうとし、ファウストになると決意するのである。

こうした見てみると、『魔法少女まどかマギカ』は同じアニメの『エヴァンゲリオン』を超えているにとどまらず、もしかしたら下敷きにした『ファウスト』さえも超えているのかもしれない。また、たとえ中身は『ファウスト』には及ばないにしても、『まどか』は『ファウスト』よりもずっとアクセスしやすい。なにせ「魔法少女アニメ」なのだから。

さて、ここいらで【良心】との闘いの方へ話を移したいわけだが、ここまでですでにかなり長い文章になってしまった。よって、次回へ話を持ち越すことにする。最後に動画をひとつ、貼り付けて今回の締めとする。なお、「劇場版」というのはネタらしい。



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