愚慫空論

『「ワンピース世代」の反乱、「ガンダム世代」の憂鬱』

前々回のエントリー『勝利を目的としない闘争』を書きながら、思い浮かべていたのはなぜか『逆襲のシャア』だった。


なぜそんなものを思い浮かべたかはこれから書くわけだが、それにしても、我ながら突飛な連想だと思う。が、ここは愚樵空論である(笑)

といっても、実は私の中では下地はあった。それは『「ワンピース世代」の反乱、「ガンダム世代」の憂鬱』を読んだこと。
「ワンピース世代」の反乱、「ガンダム世代」の憂鬱
ワンピース世代はやがて反旗を翻す

 この先の時代、ガンダム世代よりも上の支配層にチャレンジする新しい若者は、何を武器に登場するのだろうか。われわれの社会はマクロで見ればひずみに満ちている。ガンダム世代が70歳を迎えるまでにあと30年ある,その頃まで今の枠組みを若者たちが納得して、年老いた私らを支えてくれるだろうか。そのようなガンダム世代に都合の良い未来がくるとは思わない方がいい。
 ワンピース世代の価値観は、自由と仲間にある。そして社会という顔の見えない集合体は、彼らにとっては守るべき仲間には属さない。社会が若者を搾取しようとするどこかの段階で、社会が彼らの仲間を傷つけるだろう。そのときにワンピース世代は仲間の側に立って立ち上がる。
 ワンピース世代のチャレンジャーはどう反旗を翻すのか。
 ホリエモンがしたように、もう一度カネとチエを集めて攻めてくるかもしれない。
ないしはソーシャルネットワークを使って老人たちから見えない形で攻めてくる可能性もある。
そんな世代間の闘争が、残念ながらこれから先、再び、そして三度起きてくる。
ガンダム世代が、ワンピース世代の若者に雇用機会を始めとするさまざまなチャンスを平等に与えられない以上、いつか若者の仲間を社会が傷つけ、仲間を守るために若者が社会に立ち向かう日がくることだろう。
 そして、何とかそれらのパワーを権力で押さえ込まずに、解決の道を見つけてあげられないと、われわれガンダム世代も含めて未来は暗いものになるだろう。
 なぜそう思うのか? もしこれら若いワンピース世代の闘争を権威でつぶしてしまったとすると、その後の時代に現れるワンピース世代よりもさらに若き挑戦者たちはおそらく武力と集団を武器に現れる。そしてそれは先進国としての終わりを意味するであろうからだ。

 ガンダム世代が若者を傷つけずに国難を乗り切ることができるのか。
そこに、ワンピース世代とガンダム世代の闘争を回避する鍵がある。

ここのところが引っかかっていたのだ。

話を進めには少しこの本の中身を紹介する必要がだろう。私の勝手な見解も織り交ぜて、意訳してみる。

この本は、あるひとつの仮説に基づいて構成されている。各世代ごとに独自の性格があって、それはその世代に広く支持されたアニメ番組の性格を反映しているというものだ。『鉄腕アトム』『あしたのジョー』『ガンダム』『エヴァンゲリオン』『ワンピース』である。アトムとジョーは団塊の世代、それ以降ガンダム世代、ワンピース世代と続く。

 極論を繰り返す。戦後の日本社会は『鉄腕アトム』と『あしたのジョー』に影響を受けた団塊の世代が作り上げた。その団塊の世代が引退の時期を迎えている。
 そして現在の日本経済を上級管理職として動かしているのは40代から50代前半の新しい世代である。彼らが生まれたときにはすでにアトムはミッキーマウスと同じ子供向けの玩具であり、彼らの学生時代にはジョーたちの街は都市計画で整備され、代わりにバブルの象徴である高層オフィスがそびえたっていた。
 団塊の世代にとって日本社会は自分たちが作り上げるものだったが、新しい世代にとっては完成した社会だった。それは政治面では官僚支配と自民党の一党独裁、経済面では財閥系企業集団の下の系列経済というゆるぎない形に仕上がっていた。



団塊の世代は〈システム〉に対して根本的な懐疑は抱かない。イデオロギー闘争はあった。だがそれは〈システム〉の在り方を巡る争いであって、その闘争を通過することで、逆に〈システム〉を作り上げていった。彼氏らが〈システム〉へ寄せるナイーブな信頼は、自身の実績への信頼でもあるのだ。


この歌は、そうした「勝ち逃げ世代」の達成感を見事に反映している。


しかし、完成された社会にデビューした新たな世代には、上の世代の達成感には違和感があったのだろう。


ガンダム世代が少年期にはゆるぎないと感じていた社会システムは、彼らが社会人になった後、次第にほころびを見せていく。89年に年号が平成に変わり、時を同じくしてバブルが崩壊していく。そして90年代の地価下落から就職氷河期、北海道拓殖銀行破たん、山一証券廃業などの金融破たん、21世紀に入って以降もデフレ不況へと続く「失われた二十年」というべき時期をガンダム世代の社会人たちは駆け抜けていく。

 「会社がやられちまえば、病気だ怪我だって言えるかよお」
 「相手が会社なら人間じゃないんだ!」
 「悲しいけど、これビジネスなのよね」


 さて、管理職としてのガンダム世代から見て、何とか理解できるのは30代前半の社員まで、彼らの価値観で言う軟弱社員までである。「逃げちゃだめだ。逃げちゃだめだ」とPCの画面に向かいながら歯を食いしばってくれる世代までは、何とかその行動に共感できる。しかし、会社にはまったく理解できない連中が入社し始めてくる。

その連中の価値観は自由と仲間。世界の勝利者とは「一番自由でいられる者」であり、最も大切なものは違う職場で違う夢を追いながらも心の奥で共感し合える「家族のような仲間たち」である。

アトム&ジョー世代からワンピース世代にかけて、変容していったのは〈絆〉の形であった。

〈システム〉に建設に邁進していればよかったアトム&ジョー世代は、共に働く者同士が「家族のような仲間たち」であった。〈絆〉は会社にあり、ヨコに広がっていた。だがその代償として、家族の中にあったタテの〈絆〉は希薄になっていった。ガンダム世代は、家族のなかで充足されるべきタテの〈絆〉を〈システム〉の中に求めざるを得なかった世代ともいえるだろう。

それはアムロ少年の成長過程を見れば明らかだ。〈システム〉へ囚われてしまった父親にに捨てられ、代わりにリュウやマチルダ、ランバラルといった「親」に育てられたというものだ。そしてその成長の過程で「ニュータイプ」という形の〈絆〉を掴むが、といってもそうした「親」たちも〈システム〉の一員であり、アムロが〈システム〉に参入することによって「親」となったわけだから、アムロは〈システム〉から自由にったわけでは全くない。〈システム〉の不条理を肌で感じつつも、〈システム〉の成員にならなけば自己を確立できないというジレンマがここにある。これが「ガンダム世代の憂鬱」の中身である。

エヴァンゲリオン世代にも、ガンダム世代と同様のジレンマがある。憂鬱の度合いはおそらくガンダム世代よりも強いだろう。シンジと父親との確執。父がシンジの友をシンジの手にかけさせたときのシンジの反乱。そして、エヴァという〈システム〉を「みんなとの〈絆〉」といったレイの透明な存在感。アスカは〈システム〉の中のエリートだったが、彼女は壊れていくのである。

ワンピース世代になると、こうしたジレンマを抱えることはなくなる。彼らの価値観は〈システム〉からの自由だからであり、それを支える〈絆〉は職場を超えた「家族のような仲間たち」という形でヨコに広がっている。彼らはガンダム世代が希求した(形とは違っているかもしれないが)「ニュータイプ」なのである。


ここで最初の引用へ戻ってもらいたい。『ワンピース世代』は、こうした分析に基づく警告の書なのである。

ここで一旦切り上げて、次回へ続く。

コメント

http://d.hatena.ne.jp/Syouka/

ワンピースやナルトなど最近人気のマンガは、ずいぶん「仲間」とか「絆」が出てくると思っていましたが、社会全体に対して帰属意識が持てないことのあらわれと捉えることができるのかもしれませんね。

逍花さん、ようこそ

>社会全体に対して帰属意識が持てないこと

これはもしかしたら、社会が帰属を暗黙のうちに要求してしまうことが原因なのかもしれません。ワンピース世代は、その要求を暗黙のうちに拒否して「仲間」へと走るのではないか、と。

『魔の山』

なにものかへの帰属ということで私がよく思い浮かべるのは、トーマスマンの『魔の山』です。戦場に出て行ったハンス・カストルプが口ずさむシューベルトの『菩提樹』を思い起こす。

ハンスが戦場に出て行った理由は単純には語れませんが、敢えて単純にいうなら、「社会への帰属を求めて」と言えるでしょう。戦前の、戦争へ志願した日本の若者たち、アトム&ジョー世代が〈システム〉構築へと向かった意識も、これと同じなんだと感じます。

が、ハンスの本当の帰属は本当にそこだったのか。『菩提樹』はそうでないことを示しているのでしょう。あの、ノスタルジーに満ちた歌の先にはサナトリウムの光景があったに違いないことは、『魔の山』を読んだ者なら誰にでも想像がつきます。

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シンジとアムロってどっちがヘタレなの?

1 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2012/12/07(金) 18:54:18.38 ID:08WrwET+P ?PLT(12000) ポイント特典http://sankei.jp.msn.com/economy/news/121207/prl12120714390052-n1.htm

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