愚慫空論

日本力

日本力 エバレット・ブラウンと松岡正剛の共著。ざっと読み飛ばしたが、以下の部分が目に留まった。

ものに生命を与える日本人

ブラウン 江戸時代のデザイン文化は多彩だったでしょう。
松  岡 とても多様多彩多技でした。
ブラウン それがなくなったのは、大量生産になったからなんでしょうね。聞いた話ですが、明治時代、たとえば焼物屋さんや金属細工師は芸術的にレベルの高いも のをつくっていたけれども、海外に向けてたくさん売りたいということで、つくりやすいものをスタンダードにしてしまった。それが当時、日本に来た外国人が非常に残念がったことなんです。
松  岡 マスプロダクト、マスセールの問題だねえ。
ブラウン そう。当時、来日したヨーロッパ人は、日本の技術の高さに圧倒されたんです。日本の細工のレベルは、ヨーロッパの人にとっては母国では見られないほどにすぐれていたんですね。残念ながら、明治のころから日本の経済システムはグローバリゼーションの勢いで、すぐれた細工技術を置き忘れてしまいました。


高い技術力と多様性。いまどきの言葉でいうと「ガラパゴス化」だ。乱暴に言ってしまえば「日本力」とはガラパゴス化していく能力なのである。

マルチチュード かつての日本人は、現在のような無知蒙昧な有象無象ではなかった。それは、ネグリ=ハートが唱えるところのマルチチュードではなかったのかと思う。

まず最初にマルチチュードという概念をもっとも一般的で抽象的な形で理解するために、人民という概念と対比してみることにしよう。人民は〈一〉である。人びとの集まりが多数の異なる個人や階級からなることはいうまでもないが、人民という概念はこれらの社会的差異をひとつの同一性へと統合ないしは還元する。これに対してマルチチュードは統一化されることなく、あくまで複数の多様な存在であり続けるのだ。
・・・
もっともマルチチュードは多数多様なものであるとはいえ、バラバラに断片化した、アナーキーなものではない。その意味でマルチチュードの概念は、群衆や大衆や乱衆といった複数の集合体を指示する他の一連の概念とも対比されなければならない。群衆を構成する異なる個人または集団はバラバラで、共通の要素を分かち合うという認識を欠く。
・・・
他方のマルチチュードは、特異性同士が共有するものにもとついて行動する、能動的な社会的主体である。マルチチュードは内的に異なる多数多様な社会的主体であり、その構成と行動は同一性や統一性(ましてや無差異性)ではなく、それが共有しているものにもとついているのだ。


非常にわかりにくいが、ここはごくごく単純にガラパゴス化している社会と捉えてみてもいいと思う。多様な差異が〈一〉へ収斂することなく〈多〉のままでいて、かつ有機的な統合を保っている。

それがなぜ、有機的な統合が失われてしまったのか。「ガラパゴス」がマスプロダクト、マスセールに変貌していったのか。そして無縁社会といわれるようにまで社会がバラバラになっていってしまったのか。その答えは「ガラパゴス化」という言葉に接したときの私たちの反応のなかにある。

「ガラパゴス化」を積極的な意味合いで捉える向きも少なくはない。だが、それはやはり少数で、大方は消極的なニュアンスで捉える。要するに儲からないというわけだ。収益という〈一〉が多様性へと向かおうとする性向を妨げているのである。 冒頭の引用に出てくる外国人の残念だという言葉も、もとをたどれば原因は収益という〈一〉だ。明治以降の日本は儲けなければならない理由があった。ひとつは明治政府が掲げた富国強兵の目的の為であるが、そんなことよりも深刻な理由があった。それは、明治という時代の日本は江戸時代よりも貧しくなってしまったからだ。

江戸時代の日本は豊かな国だった。その理由は単純明快で、搾取する者がいなかったからである。当時権力を握っていたのは武家だった。だが、彼らは一般に貧しかった。裕福だったのは庶民の方だった。江戸時代は貨幣経済が発達したが、それによって困ったのは武家の方だった。古い歴史教育では農村は貨幣経済の発展で困窮したように教えたが、そんなのは真っ赤な嘘で、農民も含めて庶民全体が豊かになった。中期以降の江戸時代は、豊穣な貨幣経済が展開されていたのである。

その結果、商品経済はガラパゴス化した。外国人が驚いたのがこれである。

ガラパゴス化に必要な条件とは、各々の会計主体が安定的に儲けることができれば存続していくことができるという経済環境だ。それは現代でも同じで、「ガラケー」と言われた日本独自の高機能携帯電話は、機械の代金を通話料へ転嫁するというシステムによって安定的に収益が確保できたためにガラパゴス化することが可能となった。

もっと典型的な例はラーメンだ。国民食と言われるほどの人気を誇るから、基礎体力は抜群である。そこを背景に商品が多様化し、商品の多様化が需要の多様化を掘り起こした。ラーメンは今や日本を代表する、というよりも、日本的なものを代表する商品になっている。海外からの観光客に聞くと、寿司に次いで満足度が高いのがラーメンだという。 (寿司はさしずめ、日本のiPhoneだろう。)

江戸時代は特定の商品だけでなく、あらゆる商品がガラパゴス化した。商品経済そのものがガラパゴス化していたのである。海外からやってきた異邦人達は、日本の品物はなにもかもが現代のラーメンのように感じたのだった。『日本力』に記されているのは、はその名残であろう。

だが、特定の商品群がガラパゴス化すること、経済そのものがガラパゴス化することとは大きな違いである。これを可能にしたのは、ひとつは先に記した支配層が搾取をしなかったこと、もうひとつは鎖国経済であったことだ。国全体が豊かになってり、国富が流出も流入もせずに上手く循環していた。そのため大部分の会計主体が安定的にそこそこ設けることができる経済が発展していた。ガラパゴス化していても労働力の再生産が可能だったのである。

では、なぜ日本は貧しくなったのか? 原因は為替だった。

当時の日本は、東日本が金本位制、西日本は銀本位制という経済体制だった。これは東は佐渡金山、西は石見銀山が存在が大きかったから。といって、東西がブロック経済になっていたわけでは当然なくて、東西の交易も活発だった。ということは、金銀の間で両替が行なわれていたわけだが、この両替比率が日本は閉鎖経済だったため、当時のグローバルス単ダートとは異なっていた。開国後の日本は国内と国外との為替比率の差を悪用されて、大量の金を流出させてしまった。

当時、金から見ると、海外の銀は国内の銀よりも安かった。国内においても、金銀の価値比率は金>銀だったが、海外では金>>銀だったのだ。そうすると、海外の銀を日本に持ち込めば、金が安く手に入ってしまう。そして金の流出は、金本位体制下においては、国富の流出に他ならない。このため、開国後に日本は急速に貧しくなった。東北あたりの寒村で婦女子が売られた『おしん』の世界が展開したのは、この時代だったのだった。幕末時代の徳川政権には、この事態を食い止める術がなかったのだ。

日本近代化の出発点はここにある。貧しくなってしまって、収益を上げる必要に迫られたのだ。その結果が「マスプロダクト、マスセール」だった。そしてそれは「日本力」が喪失の始まりでもあった。

日本が短期間で近代化に対応できたのは、鎖国時代のガラパゴス化の賜だ。豊穣な商品経済が展開したために、庶民までもが読み書き算盤に習熟して貨幣経済に適応する必要があった。また、多様な商品展開は多様な技術者〈多〉を育んだ。技術者が育つ土壌が醸成されていた。

参考:『なぜ日本は短期で近代化できたのか  母なる中国文化』(pikarrrのブログ)

経済全体の貧困化は、そうした高度な労働力を近代的な資本主義的労働者〈一〉へと収斂させていったのだった。

時間軸を現代へ戻そう。

高度成長期までの日本は、まぎれもなく〈一〉であったろう。だが、その果てにやってきたバブル期は〈多〉への移行しつつある時代ではなかったのか。あの時代は確かに驕慢な時代ではあったが、一面では、労働者は資本主義的〈一〉から脱却して〈多〉へと移行しつつあったのではないか。今では考えられないが、フリーターがもてはやされたいたのだ。

バブルは所詮徒花ではあるが、バブル崩壊後の日本経済の低下は、どうみても徒花が弾けたという域には留まっていない。幕末期に起こったような「合法的」な国富の流出。売却できない米国債の大量購入、郵政民営化、TPP。いずれもこの流れである。さらに幕末期にはなかった支配層による搾取が行なわれている。先進国のなかで、国家による所得逆配分が行なわれいるのは日本だけなのである。

そんな経済環境のなかでガラパゴス化なとどいった悠長なことをやっていられないのは現実であろう。だが、ここで見定めなければならないのは、問題が経済環境に適応できていない現実にあるのか、それとも経済環境そのものにあるかだ。
逝きし世の面影
経済そのものガラパゴス化は、多様な商品経済を生み出しただけではない。豊穣な精神も生み出した。幕末期から明治にかけて、外国人が日本人の驚いたのは商品だけではなかったのである。

【震災】津波で流れた金庫の23億円返還に欧米驚き(you tube)

この欧米の驚きは、その名残であろう。

追記:江戸時代の暮らしぶりについての面白いブログ記事がありますので、参考までの紹介しておく。

つれづればな:
 『脱原発と江戸明け暮れ考 「衣の巻」』
 『脱原発と江戸の明け暮れ考「食の巻」』
 『脱原発と江戸の明け暮れ考「住の巻」』


コメント

こんにちは

読み応えのある記事、ありがとうございます。
最後まで読んだときに私のブログが乗っていたので驚きました。御礼申し上げます。

「30年も耐えるビルを建てるのは悪い設計士」
浪人中の英語の授業で、こんな英文の読解をさせられたのを憶えてます。作って壊してまた作る、それが「経済」なのでしょう。日本人の手にかかれば法隆寺のように千年を越えて存在しうる建物を作ることができますが、そんな我々の「技」を欧米人は当然恐れ、内側から壊しにかかった。ただ壊すのではなく自分たちに都合の良い生産者に仕立て上げました。

「豊穣な精神」はまだ我々の血に生きているはず、それを思い出してはじめて「農」も「工」も「技」も取り戻せるのではないでしょうか。



大工の心

・あやみさん、コメントありがとうございます。

「100年かけて育った木は100年保つ、1000年かけて育った木は1000年保つ」というのは有名な大工さんの言葉ですが、これは大工の矜持という範囲を超えて、経済の真髄を言い表すものでもあります。Sustainable、持続可能な経済は、この精神なくしてはありえません。

江戸時代の経済は、その真髄に最も近づいたものだったろうと思います。そして、最も遠いところにあるのが原子力。その意味であやみさんの記事はまことに「経済的」なのです。

晴耕雨読さんであやみさんの記事が紹介されているのをみてから(http://sun.ap.teacup.com/souun/5537.html)、このような形のエントリーを書いてやろうと思っていました。このような形とは、最後の締めにあやみさんの記事を紹介して終わるという形ですね。もたもたしている間に「衣」「食」「住」と記事が増えて、紹介させていただく側としてはありがたいことになりました。

修理固成を思い出そう

 江戸時代とはよい着眼点です、日本の伝統は二系統あって公家系と武士系が大まかに残っています。公家系のトップは藤原家で編纂に影響力を与えた日本書紀は攻撃を受け始めています。江戸幕府開闢をなした徳川家はえらいものです、初めて公家系文化に異を唱え、禁中及び公家諸法度の制定、仏教の保護、儒学の導入によりいわば公家や天皇の権威の象徴である神道を弱めたかったのです。そこに儒学の一派の尊王を考える派閥と共鳴した形で本居宣長らの国学が形成されました。「古事記伝」という名著を残した武士出身の国学者は日本書紀(藤原神道)を通さなくても天皇への敬愛が可能だということを示し、幕末の尊王思想につながっていき明治維新の原動力の一角をなしたのです。江戸時代は世界一識字率が高いことが有名ですが、それは武士が果たした藤原家を経由しないで尊王する方法論を展開したからなのかなという印象を受けます。しかしこの二系統の筋目を外国人は見破って対立を煽っています。色々ありますが、感情論は国論を分断する場合もあり賢明な発言が必要でしょう。
 つまり前の時代の正負の遺産があって明治・大正・昭和(敗北もあり)は輝いた平成は、昭和の負の遺産だけを持ちすぎで、元号が変わった意味を見出しにくくただ昭和の延長のような状況を打破するには明治を学ばないといけないと思われる今日この頃です。

Re:修理固成を思い出そう

・美鋼さん、はじめまして。

恥ずかしながら「修理固成」という言葉を知りませんでした。が、今は便利な世の中です。検索をかけるとたちどころに結果を表示してくれます。おかげで、意味はすぐに理解出来ました。

グーグルがトップに表示した
http://www1.seaple.icc.ne.jp/setojinja/kouza/kouza13.html
のページにはこのような記述がありました。

「多神教の、殊に、神道的な考へ方では、神も人も共に力を合はせ、人の意志を神の意志とし、神の思ひを人の情としながら、この世界を未来に向けて造り続けてゐるのです。」

私は江戸から明治に時代が変ったときに行なわれたもっとも大きな変革は、地租改正と廃仏毀釈だと思っています。美鋼さんは日本の伝統は二系統とのご指摘ですが、これは権力者側の伝統であって、私はそこに庶民としての百姓の伝統があったと思っています。地租改正と廃仏毀釈は、庶民の伝統を潰すのに最も効果があった。南方熊楠などが指摘しているとおりだと思います。以後、日本の伝統は、西洋と同じく権力者の伝統のみになってしまったのです。

修理固成を思い出すあるいは取り戻すには、権力者の伝統とは別の、庶民の伝統を取り戻す必要があるように思います。

維新前の状態

 江戸時代は寺小屋が発達して、庶民が学問が出来るようになり、ヨーロッパなどよりも識字率が高かったということがよく言われます。こういう状況になったのも武士政治の一つの成果でしょう。

武士政治?

・美鋼さん

やはり「武士政治」なんでしょうか。江戸時代、今日の感覚でいう政治を取り仕切っていたのが武士なのは間違いないでしょうし、徳川家を始め多くの大名が学問を奨励したのは間違いないでしょうが、寺子屋は庶民が自発的な建設したもので、「政治の成果」というものではなかったと思います。むしろ逆に、「武士政治」が浸透しなかったからこその自治の発達と見た方がいいのではないでしょうか。

歴史装置の乱用では

 民衆の自治は戦国時代で、江戸時代は武士の読書文化が素直に民衆に下りて行った。和算をやり神社に成果を奉納した。ものすごく簡略化すると、武士道というものは「背中を見せる美学」だったように思います。歴史装置を使う公家に対抗し凌駕する方法論で洗脳などとはかけ離れていたと思われます。

Re:歴史装置の乱用では

・美鋼さん お返事が少し遅れました。

申し訳ありません。美鋼さんの言わんとするところを上手くつかむことができません。

江戸時代は武士の読書文化が素直に民衆に下りて行った。

それはその通りなのでしょうが、私はそれが武家政治の手柄だとは捉えていません。幕府は庶民による文化の興隆を抑えようとたびたび施策を行ないましたが、結局は抑えきれなかった。その庶民の力があったからこそ、武家の文化もまた庶民に受け入れられたのだと思います。

武士道というものは「背中を見せる美学」

これもそうです。そのような武士道があったことは否定しませんが、それは武士たちの純粋に自発的なところからもたらされたものなのでしょうか。私は、武士はそのような道を採らざるを得なかったのだと考えています。

最強金属現る

 それにしても日立金属の高性能冷間工具鋼SLD-MAGICのトライボロジー特性は凄いですね。先月の、日刊工業新聞社の「プレス技術」で読みましたが、微量の油を塗ったセミドライ状態で、摩擦させると先端技術のDLCのような自己潤滑性(摩擦係数が下がる)が出るなんて。耐摩耗性もたかいのでコーティング費用分コストパフォーマンスがよく、耐荷重能も相当応力で2500MPaと高強度でベアリング・金型などのいろんな機械の転動・摩擦・摺動部品に使えそうだ。まさにノーベル賞級の発明だ。

世界最小の分子ボールベアリング結晶体

先日、その工具鋼の自己潤滑性とかいう話を日本トライボロジー学会で聞いたが、モリブデンとかカーボン、それにDLCコーティングなどの怪しげな論説とも整合し、油中添加剤の極圧効果にも拡張できる話は面白かった。ひらたくいえば世界初の本格的ナノマシンである分子性結晶が表面に自己組織化されて、滑りが良くなるということだ。

世界最小 分子ボールベアリング結晶体

先日、その工具鋼の自己潤滑性とかいう話を日本トライボロジー学会で聞いたが、モリブデンとかカーボン、それにDLCコーティングなどの怪しげな論説とも整合し、油中添加剤の極圧効果にも拡張できる話は面白かった。ひらたくいえば世界初の本格的ナノマシンである分子性結晶が表面に自己組織化されて、滑りが良くなるということだ。

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Author:愚慫
“愚樵”改め“愚慫”と名乗ることにしました。

「空論」は相変わらずです (^_^)

      

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