愚慫空論

世間は誤解に基づいて判断する

TVで言いたい放題のことを言っている橋下弁護士が提訴されたそうな。私などはそんなの当然!と思うんだけれども、まあ、おそらくそれは少数意見だろう。

私の意見が少数意見になってしまうのは、私が大多数の人たちが知らない情報に接しているからだと思っている。偉そうにいったが、別に大したことはない。その気になって少し情報収集してみればわかるだけの話。いくつもの記事で告白しているが、私はニュースバラエティーや政治バラエティーといった娯楽番組を決して嫌いではない。ただ、そこで発信される情報を鵜呑みにしないだけのことだ。


津久井先生からTBを頂いた。「橋下徹さんにポピュリズムの危うさを感じる」
こうした情報に接することで、バラエティーで得られるのとは別の情報を得られる。例えば件の弁護団のお一人である今枝仁という弁護士の方の「心情告白」が引用されているが(他にもリンクをたどれば多くの情報にせっすることができる)、こうしたものに接するとバラエティーで接するのとはぜんぜん違った情景が見えてくる。一見取り澄ましているように見える弁護士センセイたちも血の通った人間であって、毎日、さまざまな人間としての苦悶と戦いながら仕事を続けておられるという情景である。

ところで、橋下徹弁護士のところも覗いてみた。『橋下徹のLawyer’s EYE』。9月7日に「私が提訴されたことにつきまして」という記事があって、実はこれはこれでかなり説得力のある文章にはなっている。

主張の要点は2つ。だと思う。
弁護士法上の懲戒事由である「弁護士会の信用を害する行為、品位を失う行為」の基準は、世間の基準
弁護士、弁護士会の「「弁護人は被告人の利益を守っていればいい、それが正義だ」という信念」がそれだけで通用した時代は終焉していて、「世間に刑事弁護人に対する偏見や誤解があるのであれば、真摯にその偏見や誤解を解く努力をすべき

なるほど、筋は通っている。「世間の基準」というのは充分に共感できるし、そしてそれを支える「偏見・誤解を解く真摯な努力」も必要なものだ。だが、果たして橋下弁護士にこれを説く資格があるのか? これが甚だ疑問だ。

これはTVで放映されたことだから、ご存知の方も多かろう。
橋下弁護士は、大阪弁護士会で開かれた件の裁判についての説明会への参加を渋っていた。理由は他に仕事があるから、である。何の仕事かは言わなかったが、勝谷誠彦が「オレが変わってやる!」と言っていたから弁護士としての仕事ではあるまい。おそらく何処かへのTV出演か収録であろう。周囲に促されてしぶしぶ参加することにしたようだが、そうした人物に「真摯」などという言葉を使う資格があるか?
この折に「世間への説明会を開かないのはおかしい!」と発言し、その主張で自らの不真面目さの免罪符としようとしていたようだが(その主張そのものは誤りではないにしても)、こうした人物のどこに「真摯」さがあるのか、私にはさっぱり理解できない。

橋下弁護士の主張は、件の事件の弁護団は裁判を死刑廃止という政治的なアピールの場にしているというものだ。この発言は、弁護団を構成している弁護士がみな死刑廃止論者であるという前提に基づいているが、この前提は正しいか? 否。
こうした情報は、その気になれば集められるが、橋下弁護士の論に従うと、こうした情報は弁護士・弁護士会が自ら積極的に公表しなければならないということになる。

ここに疑問がある。橋下弁護士は、この情報(弁護団は全員が死刑廃止論者ではない)を知らなかったのか、という疑問だ。橋下弁護士は、いやいやながらも説明会に出席したようだ。それまでは知らなくても、少なくともその席では知ることが出来たのではないのだろうか? これはあくまで推測だが。

もし橋下弁護士がこうした情報を知りながら、他の弁護士よりも遥かに多い意見広報の機会で公表しなかったのなら、それは問題のある行為だ。弁護士は依頼人の不利になる情報は公表してはいけないのだろうが、これは違う。裁判沙汰になってしまったから、裁判上不利な発言をしない権利はあるだろうが、それにしても説明会と提訴との間には時間的ギャップがある。もし橋下弁護士が、そうした情報を知りながら公表しなかったのなら、それは自らの主張を守るための政治的行動と言わざるを得ない。

死刑判決を回避しようとする弁護団が全員死刑廃止論者ではないいう情報は大きい。これは世間の判断基準に大きな影響を与える。橋下弁護士の、弁護団の法廷での政治的運動という主張は破綻する。弁護団は死刑廃止という政治的主張のためではなく、刑事被告人の利益のためという弁護士として最も基本的な倫理に従って行動しているに過ぎない、と考えるほかはなくなる。

津久井先生は、橋下弁護士にポピュリズムの危うさを感じるという。「ポピュリズムの危うさを感じる」とはずいぶんソフトな表現だが、ここらは橋下弁護士とは違う、ごく普通の弁護士としての見識であろう。

コメント

間違う方がわるい。?

2本800円と宣伝しながらの竿竹訪問販売。
別の高い種類の竿は『イチキュッパ』と聞けば普通、誰でも1980円と解釈する。
ところが本当は一万九千八百円。ペテンじゃ~。
いえいえ嘘は1つも付いてない。勘違いした方が悪い。

橋下徹弁護士のやっているのはの竿竹屋の論理程度。

こんにちは

>橋下弁護士の主張は、件の事件の弁護団は裁判を死刑廃止という政治的なアピールの場にしているというものだ。この発言は、弁護団を構成している弁護士がみな死刑廃止論者であるという前提に基づいているが、この前提は正しいか? 否。

橋下弁護士が、「弁護団全員が死刑廃止論者だ」と言ったという部分のソースを提示してください。

死刑廃止論者云々は弁護団の一人である安田弁護士のことですね。安田弁護士は有名な死刑廃止論者であり、講演や著作、インタビューなどのメディアを通して大々的に死刑廃止論を展開しています。彼はベテランであり、また上告審において主任弁護士を務めたことから、弁護団の弁護方針に多大な影響を及ぼしている可能性があり、それと、実際の弁護団の弁護活動を比較することで、「弁護団は裁判を死刑廃止という政治的なアピールの場にしている」という合理的推察が成り立つわけです。橋下氏も発端となったテレビ番組で(放送日は違うが)、「安田って弁護士は・・・」と名指しで述べています。また、この「安田弁護士などが、裁判を死刑廃止という政治的なアピールの場にしている」と非難しているのは橋下弁護士だけではなく、橋下弁護士が言い出したわけでもなく、ずっと以前からあるのです。一方、今枝弁護士はそれを否定し、光市事件の弁護団の一部には死刑廃止論者もいるが私は違うし、弁護団として政治運動をしているわけではないと述べている。あとはどちらを信用するかという話でしょう。私は事実上、この弁護団の弁護活動は死刑廃止運動だと思います。

>真摯

橋下弁護士は、自他共に認めるおちゃらけた人格の持ち主ですが、そのことが、裁判に於ける彼の弁護士としての活動が「真摯でない」ことの証明にはなりませんし、彼の「世間に刑事弁護人に対する偏見や誤解があるのであれば、真摯にその偏見や誤解を解く努力をすべき」という主張を否定もしません。ただ、彼はいわゆる人権派弁護士ではなく、そのような活動実績もなく、どちらかというと、金にならない仕事はしないといったタイプですから、そういう意味での「真摯さ」はないでしょうね。だから、彼が支持されているのはそんな「真摯さ」ではなく彼の「人間らしさ」にあるのではないでしょうか。人間らしい弱さや欲や、あるいは優しさや正義感といった感情や物事の捉え方が、広く支持されている理由だと思いますがいかがでしょうか。社会正義の実現に真摯に取り組くむ、その方法は様々です。目的を履き違えないことが大事だと思いますね。

>弁護士は依頼人の不利になる情報は公表してはいけないのだろうが、これは違う。

私の知る限りにおいて、橋下弁護士が、「弁護団全員が死刑廃止論者だ」と言ったり、それを前提にした事実はないのですが、不利になる情報は公表しないことについてはお互い様だと思います。例えば今回、橋下弁護士を提訴した4人の弁護士は、記者会見で提訴の理由として「懲戒が数で決まるかのような虚偽の説明をした」と
述べていますが、数「だけ」では決まらないにしても、数が判断に重大な影響を及ぼすことは事実なのです。現に、日弁連はよく政治的な声明を発表しますが、過去の声明で、日弁連の意思決定で「数」を考慮することをはっきり認めています。さらには「国民の常識との乖離」を理由として裁判所や検察の決定に異議を唱えたり、要請、要望を行っているのです。であるならば「数で決まる」は虚偽とはいえないでしょう。正確には、虚偽だと言う方が虚偽の説明をしていることになってしまいます。数が重要だということは、前田弁護士が懲戒請求をやめさせるために、他の弁護士に「呼び掛けて」508人も集めてみたりしたことからも明らかで、数の持つ意味を一番良く知っているのは実は当の弁護士達なのです。

さらに今枝弁護士ら4人は、懲戒ではなく提訴を選んだことについて、弁護士会の判断より裁判のほうが公正だから、と述べています。それは事実だなあwと私も思いますが、言われた弁護士会の綱紀委員会としてはどうでしょうか。私的な団体である弁護士会が、所属の私人である弁護士に対して行う懲戒理由として、弁護士の弁護活動のあり方を広く社会に問う橋下弁護士の主張よりも、弁護士会の公正を疑う弁護士の発言の方が、懲戒理由としてずっと相応しいと思われます。

まだあります。多数の弁護士系のブログなどで、最高裁の判例が懲戒請求者不利の証拠として示されています。軽い気持ちで弁護士にケンカを売ったらただじゃすまんぞ考え直せ、というわけですが、この判例は、「懲戒請求が不当だった場合」にのみ当てはまります。現時点では正当か不当かの判断も下されておらず、仮に懲戒にあたらないと判断されたとしても、損害賠償を認めるほど不当なのかなどまったくわからないのです。ではなぜ多くの弁護士が、反橋下弁護士として大騒ぎしているのでしょうか。そこには弁護士の弁護士たる、いかにも崇高で、いかにも気高い職責などが、さすが弁護士と感心する弁論で、ずらずらーっと述べられておりますが、実はもっとずっと単純で、つまり、ほぼすべての弁護士にとって、橋下弁護士のやったことは、正義かどうかとか、弁護士の正当な弁護活動を脅かすとか以前に、単純に「迷惑」なのです。懲戒請求などという手段が広く国民に知れ渡ることで、彼らは今後、何かある度に、以前は不要だった弁明書の作成に追われるからです。動機としては十分で、何が何でも懲戒請求など流行っては困るのです。そのため、弁護士の職責云々がすべて嘘ではないにしても、沢山あって公平な立場なら出てくるはずの、「正当な懲戒請求によって弁護士が懲戒処分を受けた例」を紹介する弁護士は一人もいないのです。

もちろん、懲戒請求のなかには、今枝弁護士が裁判をすっぽかしただとか、他の弁護士の事を事実関係を確認すらせず出されているような、いい加減な請求もあるようですから、むやみやたらと出していいものじゃないことは明らかですが、裁判の現状や、社会のあり方を思って懲戒を請求するならば、何も恥じることも恐れる必要もないと思いますね。

ようこそ

メガネ豚教祖さん、ようこそ

私の主張への反対意見ですね。ありがとうございます。ご意見を下さったことには感謝しますが、論旨には賛同できかねます。よって、以下、反論させていただきますね。

まず、橋下弁護士が「弁護団全員が死刑廃止論者だ」と言ったという部分のソースを提示しろ、という件について。
私は、そうした必要はないと考えます。それは橋下弁護士の具体的発言がなくとも、「弁護団政治的活動」発言から充分に推察されるからです。

理解を容易にするために、例え話を用います。
20人ほどのグループが、ある場所を集団で歩いていたとします。その中のひとりに著名な護憲論者がいたとしましょう。それを見たある者が、これは憲法改正反対のデモだ、叫んだ、というものです。
護憲論者は「KEEP9」のロゴの入った衣服を着用していたかもしれません。しかし、シュプレヒコールを叫ぶわけでもなく、ただある目的地に向って歩いていただけです。これを憲法反対のデモと判断する根拠は何か? そうしたことが問われているわけです。

叫んだ者とはつまり橋下弁護士ですが、彼はとどのつまり、安田という弁護士が混じっていたからこの集団をデモだと見做したということでしょう。貴殿も同様のことを仰ってますね。それが「弁護団は政治的活動をしている」という発言なのです。
政治的活動を共にするということは、その者たちの政治的思想が同一であるということが推測されます。デモを見れば、誰だってその参加者すべてが同じ思想の持ち主だと判断します。橋下氏の言う世間の基準です。ならば、橋下氏がデモだと断言したことは、世間の基準に照らせばそれはすなわち全員が同じ思想であると判断したということになります。それ以外の推論は考えられません。
よって、橋下氏が政治活動云々と発言した前提は、弁護団全員が死刑廃止論者と考えていたということであり、その前提が誤っているので、橋下氏の発言そのものが事実誤認によるものであったという結論になるわけです。

また弁護方針云々についてですが、では、お聞きしたいのですが、差戻し審で死刑が考えられる被告の弁護に当たって、死刑を回避する以外の弁護方針などありえるのでしょうか? 方針はともかく、その弁護戦術(差戻し審で新たな主張をした)ということを問題にされているのかもしれませんが、そのことについては当の橋下氏自身が正当性を認めています。先ほど放映された件のTV番組を見ましたが、橋下氏はその方針を認め、ならばなぜ一審、二審の弁護士に懲戒請求をしなかったのかと、主張を方針転換していました。認めざるをえなかったのでしょう。

ところで橋下氏は、近頃では「弁護団の政治活動」についてはなぜか言及しなくなっています。橋下氏の「提訴されたことにつきまして」を見ても、そのことについては触れられていません。けれど当初、橋下氏がその点を最も声を大にして主張していたのは紛れもない事実です。では、なぜ、その主張を繰り返さないのか?

答えは簡単で、自分の主張が誤りであったということに気がついたからでしょう。ですから、弁護士および弁護士会の不誠実ともいえる態度の方を主たる批判対象に切り替えるという戦術転換を行ったわけです。
ちなみに、私は橋下氏が展開した懲戒請求制度の広報等に関する批判については評価します。また、本文でも述べましたが、世間に弁護士懲戒の判断基準があるのだという主張にも共感します。しかしこれは、瓢箪から独楽とても言うべきもので、当初の政治活動云々から出てきた副産物です。今はそれをあたかも主産物のように言っていますが、そういう態度にこそ、橋下氏の「人間としての」不誠実さが見えるように思います。
独楽の価値を評価するにやぶさかではないにしても、それが直ちに瓢箪も評価に値するという話にはなりません。

さて、「真摯に」という点について、もう少し話を続け泣けれなりません。というのも、貴殿も橋下氏と同様の陥穽に落ち込んでいると思うからです。
それは「正義はひとつ」と思い込んでしまっているということ。
私はそもそもからして本村氏の態度には批判的ですが、それでも同じ人間として心情は理解できなくない。だから、彼が「正義はひとつ」と叫ぶことについては不憫とは思いながらも批判するつもりはない。だが、その他の人間が彼に同調して「正義はひとつ」と叫ぶなら、それは容認できません。
貴殿は津久井先生のブログにも訪れているようですが、ならば今枝弁護士のコメントにも目を通しましたよね? あれを読んで、「人間として」の何ものかを感じなかったというのであれば、橋下氏やその周辺が弁護団に向かって吐いた罵詈雑言の類を、私は貴殿に向って投げつけることになります。

私は橋下氏が、「ある意味」で「真摯」であるということを認めないわけではありません。橋下氏の遺族たちを思う心情に真摯さがないと認めないわけではないのです。ですがしかし、橋下氏の心情の真摯さをもって総てが許されるというのなら、安田弁護士の死刑を廃止しようとする態度の真摯さを評価しない理由がわからなくなります。安田弁護士の真摯さについては多くの者の認めるところです。橋下氏の真摯さを認めて安田弁護士の真摯さを認めないというのは、極めて不公平な態度といわざるをえません。

要は、正義はひとつではないのです。人間はそれぞれざまざまな社会的立場に立たされており、その立場立場で微妙に正義も異なる。こうしたことを理解せずに、世の中の正義はただひとつなどと幼稚な主張を振り回す人間を、私は認めるわけにはいきません。
ましてや、天下の公器であるTVでの発言力を利用して、自らは世間に判断基準があるといいながら、世間を誘導するような行為は卑劣なものとしか思えないのです。

橋下氏の卑劣さについて、まだ指摘しておきましょう。
橋下氏は現在、一審二審の弁護士たちを懲戒請求すべきだと盛んに発言しています。しかし橋下氏にこんな主張をする資格はないのです。
貴殿も書かれている通り、橋下氏は金を追求する弁護士です。一審二審のみならず現在の弁護団も国選弁護人のはずです。ご存知だと思いますが、国選弁護人の報酬は極めて少ない(らしい)。勢い弁護活動はおざなりにならざるをえない。これは当の橋下氏が発言していたことです。金を追求する弁護士が国選弁護人に選定されたときに、果たして誠実な弁護活動を行うか? 甚だ疑問です。これも橋下氏のいう世間一般の基準に照らし合わせれば、まず、誠実な弁護活動など期待できない。期待できるのはむしろ現在の弁護団を構成する弁護士たちでしょう。そうした橋下氏が、安い報酬ゆえに適当な弁護活動しかしなかったからといって、懲戒請求をしろなどといえる資格があるのか? ぜひとも世間の基準に立って考えて欲しいものです。

肝心なことを忘れていました

本日の「そこまで言って委員会」の放映では、大衆に懲戒請求を煽った橋下氏自身が実は懲戒請求をしていなかった事実が明らかにされましたね。その理由がまたふざけていて、時間と費用が惜しかったから、というもので、まあ、開いた口が塞がらないというか。時間と手間を掛けて懲戒請求した3900人もの人たちは、きっと怒り心頭だと思いますよ。

これは私の根拠のない予感ですが、橋下氏はまもなくTVのブラウン管から消えるでしょう。世間の基準に敏感な放送局は、橋下氏の懲戒不請求という不誠実さを看過しないでしょう。というのも、橋下氏がTV的に価値があったのは、その言説のTV的面白さだけではなく、どこかに「真摯」さを感じさせるものがあったからです。だから人気もあった。
ところが今回の一件で、そのバケの皮が剥がされました。今日の放映では、本人もどこか神妙でしたし、周囲の出演者も口ではエールを送るようなことを言いながら、どこかよそよそしい雰囲気があった。
まあ、これは私の色眼鏡かもしれませんが、TVというメディアはそうした空気まで伝えてしまう恐ろしいメディアであることは間違いないはずです。

こんにちは、愚樵さん。

いやあー、このブログは実に勉強になるブログですね。
私は、懲戒請求 というものを世間に知らしめたというだけでも橋下弁護士の功績は大きいと思います。
でも、その後の応戦については正直、あまり興味はないかもしれません、すいません。

ただ、相手に喧嘩を売らず「実はね、懲戒請求というものがあるんだよ」と優しく国民に教えてくださるだけでもよかったのにね、と思うんですよ。
たしかに一言多かったかな、と。

おそらく今の国民感情では、そんな一言だけでも多くの人が動いたと思います。私のブログでも、光市の事件に関するアクセスは多くて驚いたものです。

橋下弁護士が勝とうが負けようが、とにかく国民が知識を得たのはラッキーでした。
そして、両者が騒げば騒ぐほど、世の中は弁護のあり方に厳しくなるでしょう。
来る裁判員制度への試金石になるかもしれませんね。
私たちも、よく勉強しなくては!です。

最後に、「関心のあるブログ」のリストに入れていただきありがとうございましたm(__)m

ママちゃん

う~ん、勉強になるかどうかはわかりませんよ。私は常識外れの人間ですからσ(^◇^;) 常識を疑いたいのならどうぞ、参考になさってください。

ところで、橋下弁護士の件。肝腎要は「ひとつの正義」なんです。正義はひとつじゃないんです。
ママちゃんは教育ママちゃんであられるそうですが、是非とも、お子さんにはそこのところ、なんとかして理解できるように育てて欲しいところです。他人の子育てに干渉する権利がないことは重々承知ですけど、「ひとつの正義」を信念にする人間ほど世の中に害を為す人間もない。その人間が有能であればあるほど、社会には害毒です。
エラソーにすみません m(_ _)m

再度投稿です(^^)

アドバイスどうもありがとうございます。
そうですね、「ひとつの正義」なんてないですね、私は人それぞれが「正義」を持っているのだと思ってます。
だから、人は人を裁けない、裁けるのは法だけなのだと思ってます。

安心して子どもを育てたいだけなのに、安倍がぶち壊してくれる。
最近ほんと、むかついてるんですよ。
愚痴ってすいません。

エセ仏教徒 宮崎哲弥

上のコメントでメガネ豚教祖殿の求めたソースが出てきましたね。
http://notonlyyoutube.blog105.fc2.com/blog-entry-24.html
5月27日放送の「そこまで言って委員会」ですが、このビデオを改めて見ると、「弁護団政治活動説」を最も声を大にして主張しているのは宮崎哲弥だということが確認できます。橋下弁護士はその主張に沿って、「安田弁護士を中心とする21人の弁護士」と断言していますし、そうした弁護団に懲戒請求を掛けるべしと呼びかけています。

宮崎および橋下両氏の主張は事実誤認、すなわち「一審では殺意を否認してなかった(被告人は否認、弁護士が争わなかった)」という誤解に基づいています。そうした誤解による主張が、いかに周囲の出演者たちの意見を誘導していくが、その様子がはっきりと捉えられています。
番組の出演者は、一応は、世間一般よりも意識が高いと思われている人たちですが、そうした人たちですら意見誘導されていくのなら、この番組をみた世間一般の人たちが誤解に誘導されるのは致し方ないでしょう。「世間」を判断基準という橋下氏は2重の誤りを犯していることになりますね。

ところでこの宮崎哲弥という人物、まあ、頭はそこそこ切れるかもしれませんが、品性という面では論じるに値しない人物ですね。このオトコは自分は仏教徒だと自認しているようですが、高い知性を持った仏教徒なら、彼が「友人」といった本村氏が、仏教的な見方で言うといかなる境地にいるのか、わかりそうなものです。修羅の境地にいる本村氏をさらに地獄にまで落とそうとする友人、宮崎。彼の行為が善意に基づくものだとは思いますが、「地獄への道は善意の石で敷き詰められている」。
知性と品性が比例しないという見事な実例です。

こんにちは

問題の箇所周辺をテキストに起こしてみました。





たかじん「まずね、そういう場をね、死刑廃止論者の弁護士の談合の場所にしたらいかんよ。」

宮崎「その通りです。」

たかじん「はっきり言うて。なめとったらあかんっちゃ!アホンダラあほ!何がお前生き返った、中に精子入れたら生き返る、生き返るてどう言うこっちゃおまえ!ほんなもん18のな、人間17やろうが18やろうが、そんなものはなあ、そんないいわけをやねえ!え?ようさん20何人も集まりやがってやで」

宮崎「21人。」

たかじん「21人も集まりやがって、え?お天道さまに向かっておまえらほんまにそんなこと、真剣に言えると思てんのかばかもの!出て来い。一人で相手したらあ俺が!」

たかじん「君、どう思うこれ?」

橋下「いや、もうねえほんと残念、と、言うかねえ、まあ弁護士って言うのも、こんなもんなのかなと、でーあの21人のあの弁護団の中で、特にあの安田っていう弁護士はね、ありゃもうホント弁護士バッジ取らないといけないはずなんですよ。て言うのはあの光市の、もともと最高裁の弁論ていう期日をですね、日弁連の模擬裁判のそのーおー何かリハーサルがあるっていうことで、欠席した・・・」

たかじん「出なかったんやろ?」

橋下「出なかったんです。もうファックス一枚最高裁の方に流して、でー欠席したと、でそれに関して、広島の弁護士会の方
は、まああの安田って弁護士じゃない広島の方の担当の弁護士(注)ですかね、えー懲戒事由に当たらないと。おーあれも一つの弁護活動だってことで、懲戒棄却してるんですね、じゃいったい弁護士が懲戒されるってことはどう言うことやねんと。」

橋下「たかじんさん言ったようにね、死体を甦らすためにその、姦淫したとかね。それから赤ちゃんに、あのー子供に対しては、あやすために首に蝶々結びをやったということを、堂々と21人のその資格を持った大人が、主張するっていうこと、
これはね、弁護士として、許していいのかっていう・・・」

宮崎「弁護士のね、弁護士ってものをねえ」

橋下「ええ。」

宮崎「世の中の評価をね、どんどん下げてる。」

橋下「もう、あれこそね、非行って言うか・・・」

宮崎「これね、何が問題かって言うと。この証言というのは、まあ要するに当人が言ってるからこういう風にやってるんでしょうけど、一審、二審ではまったく出てきてないんです。」

橋下「言ってないんです。だから・・・」

宮崎「突然出てきてるわけ。突然出てきて当人しか知りえない事実なわけですよ、こんなもの誰が信用しますか。こういうものを最、こういう最後の最終審近くになって出してくるっていうのは、まさにね、私はヒガ、あの、被疑者。被告人当人の為にもなっていない、これは明らかにね、政治運動ですね。」

橋下「だから、一審二審で仮にそういう主張が出てたらこれはもう弁護人としては止むを得ないところあります。あのー国家権力に対して唯一その、被告人を代弁するということで言わざるを得ないですけども、明らかに今回は、あの21人と言うか、あーあの安田っていう弁護士が中心になって、そういう主張を組み立た、組み立てたとしか考えられないですね。」

宮崎「安田さんはね、もう長い間ずっと死刑廃止運動をやってる人なんですよ、でそれはそれでいいです。あの、私も死刑廃止論には耳を一部傾けるところもある。でそう言うのはね。そういうこう裁判所の外でやるべきことであって、立法府に働きかけるべきことでしょう。こんな・・・」

たかじん「道具の一つとしてね、なんか使ってるようにね、見えてしまうところがあるんですよ。」


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「空論」は相変わらずです (^_^)

      

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