愚慫空論

社会は虚構でまわる

昨日、日本の未来を左右するであろう非常に重大な判決が出た。
私には詳細はよくわからない。が、報道を見る限りではわけがわからない。わけがわかないゆえに、不当判決というのがおそらくは「正しい」と私は思う。

だが、社会的に正しいのはいうまでもなく、不当な判決の方だ。社会の秩序にとって重要なのは判決が不当かどうかではなく、「判決は正しい」という信憑=虚構なのである。それが真実であるかどうかは関係がない。みんなが信じておりさえすればよい。

判決を下した裁判官は、自らが不当な判決を下したと意識しているだろうか。情報によると、検察の主張以上の事実認定をしたということだから、それが正しいのなら意識していないはずはないだろう。裁判官は事実を捏造したのである。なぜ彼にそんなことが出来てしまうのかといえば、彼の地位が虚構を創造することができるものだったから。その点、“無”から貨幣を創造できてしまう銀行と同じ。その創造物に信憑さえあれば、それが真実かどうかとは無関係に社会は回る。社会とはそのようなものでしかない。

エリートと呼ばれる者たちの役割は、そのようなものでしかない社会に真実を持ち込むよう努力することである。高度な教育を修めるのは、そのための手段でしかない。

だが、往々にして手段は目的化する。複雑な現代社会は高度な教育そのものに信憑を与える。信憑を与えるということは真実の追究を放棄し「誰か」に託すということだ。託された者は虚構を創造する力を持つことになる。

部族と呼ばれる程度の小さな社会では、「誰か」に信憑を託す必要はない。小さな社会では誰もが真実にアクセスすることが出来るという信憑が存在している。ゆえに、ルールは誰もが確認できる真実である。ただしそれはその社会でしか通用しない「小さな真実」であるが。

ハイエクは「小さな真実」を「部族感情」と呼んで否定した。確かに「小さな真実」では「大きな社会」はまわらない。しかし、「大きな真実」を人間は把握しきれない。そこには必ず信憑が混じり、虚構を創造する者が必要とされてくる。権力者である。そのことに気がついた権力者は必ず事実を都合の良いように創造する。

私たちが暮らしているのはそんな社会である。しかも、虚構の賞味期限が切れつつあり、虚構が歪みになってしまっているそんな社会だ。虚構はいつまでも信憑ではいられない。

そんな私たちに必要なのは何かを考える必要がある。新たな虚構がいいというのなら、支配者達は新しい虚構を用意してくれるだろうし、認知コスト的には楽な選択だ。ただし何らかの代償は要求される。真実がよいというのなら、それはそれで大きな認知コストを支払うという代償が要求される。どちらも嫌だというのなら、文明の成果を放棄して「小さな真実」に戻るしかない。

いずれを選択するかは難しい。だが目安はあると思う。それは虚構は人間は人を傲慢にし、真実は謙虚にするという法則である。

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