愚慫空論

貨幣ネットワークの民主化

ここいらで、

【妄想】孫正義の野望・ロスチャイルドの支配【陰謀説】 

で、提示した話の決着をつけておくことにしよう。

私たちが暮らす人類社会が何者かによって支配されいるのかどうかは、不明である。しかしながら私たちの社会には、市場と呼ばれる需給調整および資源分配ネットワーク機能が備わっているのは事実。また、その市場の機軸は無から創造された貨幣であり、にも関わらず私たちは市場というネットワークに金利という使用料を「誰か」に対して支払っているのも事実である。

前編では、市場というネットワークと比較のために、商品は単一だが需給調整機能を備えたスマートグリッドという送電設備を取り上げた。設備ならばそれを建設した「誰か」は確定できるし、その「誰か」に使用料を支払うこともまた納得がいく。ならば、私たちが市場に使用料を支払うことへの合理性を見出そうとするならば、「誰か」を確定しなければならないことになる。

経済学の船出 では、その「誰か」を確定することはできるのか。

答えは、そのような「誰か」は存在しない。言い換えれば、市場ネットワークに参入する誰もがその「誰か」なのである。というのも、貨幣とは、経済活動という非平衡開放系のなかに出現する散逸構造だからだ(『経済学の船出』p.17~23)。すなわち貨幣や市場とは、人間が経済という営みを行なえば自然に生成されるものであり、「誰か」が発明したり創造したりするような性質ものではないということだ。ゆえに、私たちが金利というネットワーク使用料を支払わなければならない合理的な理由もまた、存在しない。

しかし、信用創造が行なわれ金利が徴収されるという現在の不合理なネットワークシステムにもメリットはある。それは、貨幣そのものに流動性が備わるという点だ。自然は非平衡開放系であるがゆえに、どのような経済にもかならず流動性はある。人間は生産し消費しなければならないが、この生産→消費がそもそも流動だ。貨幣の自生により社会分業が行なわれるようになると、流動性はさらに増す。この流動性は金利とは無関係である。

繁栄 貨幣に金利が発生すれば貨幣自体が流動するようになると、それに伴ってモノの流動性も増す。信用創造が行なわれれば、流動性はさらに増大する。私たちが暮らす現代社会はそのようにして拡大してきた流動性の究めて高い社会であり、私たちはその恩恵を大いに享受しているのである。科学技術の進展・繰り広げられきたイノベーションも、高い流動性の要請 に従って実現されてきたといってもいい。

が、その結果は良いことばかりではない。環境破壊、「誰か」による支配(格差社会)、そして金融危機である。これらは有限の世界で無限の増殖が行なわれてきた、当然の帰結である。現代社会の高い流動性は、無限増殖によってもたらされた副作用でしかないのである。

では高い流動性を維持しつつ、無限増殖を抑える方法はあるのか。

ある。原理的には簡単な話だ。貨幣ネットワークを民主化すればよいだけのことである。

貨幣ネットワークは「私たち」が作り上げたものである。ゆえに、誰からも使用料を取らず、信用創造もおこなわないという方法は当然選択できるし、一見民主的であるように見える。無限増殖も抑えられる。しかし、このネットワークは流動性が低くなるのみならず、民主主義社会に必要な再分配機能がない。そのためこれらを実現しようとすると、貨幣ネットワークの外側に強制的にこれらを実現する権力機構を整備しなければならない。

この方法は悪くはない。しかし、良くもない。社会が民主的になるか否かは、外部権力機構に依存する。ゆえに、貨幣ネットワークそのものが民主的とはいえない。

貨幣ネットワークそのものを民主的にするには、ネットワーク使用料を徴収することが必要である。つまり、金利をとるのである。ただし、マイナスの金利である。

マイナスであれ、金利が生じると貨幣そのものに流動性が生じる。そしてマイナス金利ということは、放っておくとネットワークの貨幣の総量が減少するわけだから、貨幣を補充する必要が生じてくる。この必要性に応じて貨幣は創造されるが、その際、その補充はネットワーク参加者に平等に分配すればよい。これで貨幣ネットワークの民主化は実現できる。

マイナス金利は、ネットワーク使用量に応じて料金が徴収されるということ。そしてその使用量は、貨幣の補充という形でネットワーク所有者すなわち「私たち」に平等に支払われる。これはベーシックインカムという名の再配分になる。減価する貨幣+ベーシックインカムである。

このような貨幣ネットワークの民主化の民主化は、単に物質的な経済の話に留まるものではない。これは必然的に【良心】の民主化にも繋がっていく。資本は良心が固定化された【良心】であり、それが減価するようになると【良心】も減価し良心へと回帰していくことになる。

そのあたりは次回以降に譲るとして、ここでは再び陰謀説に戻ってみたい。もし陰謀を企てている者たちがいたとするなら、貨幣ネットワークが民主化されてしまうことは都合が悪い。が、無限増殖システムはもはや限界に達している。戦争もそれを解決するひとつの方法だが、ネットワークの入れ替えという方法もある。それはどのような形になるのか。宗純さんのところへ私が投稿したコメントを、ここにも掲示してみることにする。

『欧州銀行のリスク・エクスポージャーが3000億ユーロ』(逝きし世の面影)

通貨戦争もいよいよ最終局面か (愚樵)

破天荒な数字がゾロゾロと並んでいますが、我々の感覚からはほど遠い「彼岸の世界」という感じですね。こんな世界は日々を良心的(庶民的あるいは小市民的)に生きている人間には理解不能です。良心を【良心】へ、さらには【悪心】にまで変換させなければ不可能。とはいえ、良心的な者からみれば「彼岸の世界」で起こっているようにみえることは紛れもなく社会現象ですから、同じ社会でくらいしている庶民・小市民も巻き込まれることは必至です。

もしかしたら原発で騒ぐ余裕すらなくなりかねない。

ドルvsユーロの通貨戦争も、そろそろ最終局面といった様相ですね。FRBはQE3を見送り、量的緩和でさらに儲けを企んでいた強欲共は、利益を確定させるための新興国から資金を引き揚げだした。一部は金・銀からも撤退しているようで、ゆえに一時的にドルが値上がりしているようですが、もしかしたらこの値上がりがドルの「終わり」なのかもしれません。もはやアメリカの実体はスッカラカンのですから。あるのは軍事力だけ...、おっと、その手はまだアメリカには残っていますね。その場合、鍵は財布となる日本ですかね。
(菅が止めたのは、オバマから米国債の棒引きを迫られたからという噂もありますね)。

ドルはもはや張り子のトラですが、一方の欧州ユーロも深傷を負っている。ギリシャがダメダメなのはずっと以前から分かっていたはずですが、それでもユーロに引き入れたのは、やはりヨーロッパ文明発祥の地だからでしょうか。「【平和】の祭典」(←【 】に留意のこと)だっていまだにアテネで聖火ですし。

ユーロの戦略としては、ドルを無力化することで「合衆国」を解体し(そう考えれば、EUのリビア進出も理解出来ます)、「合州国」へとしてしまうことでしょう。「合衆国」は対テロ戦争だのなんだのと、あまりに好き勝手をやり過ぎましたからね。ただ、その前に自身のユーロが崩壊しては目も当てられない。だから手当てに必死ですが、陰謀論を支持するブログを見回ってみると、こちらは何とかなるだろうという意見が多い。鍵はスイスフランでしょうか。スイスにどれだけ「実弾」が貯め込まれているか。通貨など所詮は紙切れですから、最後にものをいうのは「モノ」です。

日本は、橋本政権時代に企てたアジア版IMF構想をクリントンに潰されたのが今さらながらに悔やまれます。それだけの「実力」がなかったと言えばそれまでですが、もし、それが成っていたら、ドルvsユーロの戦争を高みの見物とまではいかないまでも、余裕をもって見ることが出来たでしょう。もしかしたら漁夫の利を占められたかもしれない。今、その位置にあるのは中国ということになりますかね。

このまま行くと、日本もドルの崩壊とお付合いさせられることになりそうです。危ないと囁かれているバンカメあたりが逝くと、3大メガバンクも同時に飛ぶ可能性もある。三○住○あたりは生き残るかもしれませんが。

「日本国」として出来る最終手段は政府通貨の発行ですが、これは禁じ手とされているようです。場末のブログ当たりで騒ぐ分には同ってことはないようですが、それなりに影響力のある人間が口にすると「闇」がやってくるようです。小沢一郎を陥れた連中と同族ですね。そしてその連中は、日本国の実質的な支配者でもある。

そうなると「日本人」に残された手は、自主的な通貨の発行ということになりますが、おカネはお上が作るモノというマインドコントロールに冒されているので、その可能性すら思い浮かびません。それを唱えても気が狂っていると思われるのが関の山。となると、後は個人で防衛策に走るしかないということになってしまいます。残念ながら。

このような状況では、都市は不利です。私も故あって現在は地方都市に居住していますが...、その選択をせざるを得なかったことが返す返すも残念。以前の場所で暮らしてれば、台風12号の攻撃をマトモに喰らっていたことにはなりましたが、それでも防御策のオプションはこちらよりも遥かにある。もしかしたら12号による被害は、防御策をさらに高める地域の連帯感を高めることにすらなったかもしれません。


懐かしい夢 (愚樵)

アメリカン・ドリームの「ドリーム」の意味するところは欲望です。そして人間の欲望とは他者の欲望なんですね。すなわちアメリカン・ドリームとは、他者の欲望を奪い取ること。〈闘争〉のプラットフォームです。

一般的なアメリカ人は、自身の価値観を至上のものと考える素朴な人たちです。アメリカン・スタンダードをグローバルと言い換えて何の疑いも持たない。自分たちの価値観は他人も受け入れるべきだと思っている。そうでなれば途端にクルセイダーになってしまう。プラットフォームというのは、その上に載っかっている間は気がつかないのですね。そして彼らのプラットフォームは、国家と同じだと言ってよい。

この点、日本人もあまり変りませんね。9条を掲げる護憲派ですら。

その点、欧州人はもっと複雑ではないでしょうか。

>そもそも国家とは無関係な『ユーロ』には根本的な矛盾が内包しているのです。

そうでしょうか。プラットフォーム=国家と捉えれば矛盾ですが、そうとは限りません。特に以前の東欧などは、国家と貨幣との関係は矛盾したものだった。自国の通貨への信用は低かった時代が長かったのですから。ユーロは、そうした矛盾を解決するための方策だったとも言える。

そもそもです。国家と通貨とが直接的に結びついているというのは、歴史的にみればごく最近の現象です。中国は歴史的に国家の力が強く例外的に国家通貨をずっと発行していましたが、欧州あたりでは、貨幣の信用の根源は貴金属だったのです。今でも合衆国憲法には金兌換通貨の発行が規定されているというのは、宗純さんが指摘されたことです。国家が金貨・銀貨を鋳造、あるいは兌換紙幣の発行は行ないましたが、しかし、これは国家が直接ではなく、間接的に関わっているに過ぎないのです。そのことは現在も基本的に変っていません。

国家と通貨との関係が直接的であるのなら、それは政府通貨でなければおかしい。でも、それは禁じ手です。通貨は中央銀行が発券するものでなければならない。そしてその中央銀行と国家とは、一般に信じられているように一体であるとは限らない。FRBもそうです。ECBもです。その意味で、ドルとユーロは同じ性質のもの。ただ違いは背景にある暴力組織です。欧州はEU。アメリカは合衆国。アメリカを合州国にするというのは、EUと同じ連合体にするということです。

つまり。もはや地域を統合するのでは暴力装置ではなく資本だということです。通貨最終戦争の意義はここにあります。国家VS資本なのです。ドルはアメリカ政府と直接関係のないFRBの発行でありながら、あまりにも強く合衆国と結びついてしまっている。暴力装置との関係が強すぎるのです。それは資本による直接統治には障害になる。ドル機軸体制および管理通貨体制は、仰るとおり国家への信認が背景なのですから。

となると、通貨最終戦争の結末は、国家依存からの脱却。すなわち金・銀本位制への復帰です。それがアメリカで為されるか、ヨーロッパで行なわれるか。すなわち「実弾」がどこにあるのか、ということです。ニューヨーク連銀の地下かノーフォークか、はたまたジュネーブか。またヨーロッパの富裕層が自身への増税を主張するという怪奇現象も、その流れで負えば意味も理解出来ようというものです。彼らにとってもっとも大切なのは資本(という信憑)であり、今、この時点でそれを崩壊させるわけにはいかないのです。
(この怪奇現象を良心的に解釈する向きも多いですが、あまりにもナイーブです。)

最終戦争に資本が勝利することになれば、そこからは新たな資本主義の幕開けです。国家は弱者のため、すなわち弱者を適当に生かすために存続することになるでしょう。そこにはもはやアメリカン・ドリームはありません。懐かしい夢もありません。不気味な夢があるだけです。


コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事へのトラックバックURL
http://gushou.blog51.fc2.com/tb.php/518-22cfe895

 | HOME | 

 
プロフィール

Author:愚慫
“愚樵”改め“愚慫”と名乗ることにしました。

「空論」は相変わらずです (^_^)

      

最近の記事+コメント
最近のトラックバック
月別アーカイブ
全ての記事を表示する

全ての記事を表示する

QRコード
QRコード