愚慫空論

〈折り合い〉は魔法

前エントリーに続いて、〈折り合い〉について。前回は〈折り合い〉の極端な例を紹介したので、今回は身近な例を。
経済学の船出

たとえば私が大学の教室で授業をしている最中に、『無縁・公界・楽』という本を学生に紹介したいと思ったとする。ところがその本は私の研究室の本棚にある。一つの方法は、私が自分で歩いて研究室まで行って、ドアを開け、本棚を探して持ってくるという方法である。
 しかし、魔法を使って教室にいながらにして本を手に入れることもできる。どうするのかというと、誰か適当な学生に向かって、作法に従って正しく「呪文」を唱えるのである。

 「私の部屋へ行って、『無縁・公界・楽』という本をとってきてくれませんか」

というような呪文である。するとあら不思議、教室にいながら望みの本を手に入れることができる。こんなものは魔法ではない、と思われるかもしれないが、魔法を「呪文を唱えるほかは何もしないで、自分の希望を実現する方法」と定義するなら、まぎれもなく先の方法は魔法である。
 大切なことは、本を取るように頼んだ私は、この場合、何らの暴力も権力も使っておらず、学生に強制していないという点である。学生もこの場合、強制されたという思いを抱くこともなく、気持ちよく進んでとりにいってくれる。
 もちろん、呪文の唱え方が下手だったり、私が日頃から根性の悪い魔法使いとして知られていたりすれば、いくら正しく呪文を唱えたつもりでも、学生は圧力を感じ、渋々とりに行くことになる。その場合には魔法は失敗であり、強制力が使われている。


上の例が「魔法」だと理解していただけたなら、「魔法」は〈折り合い〉であるということも直観的に理解していただけることと思う。

(引用させていただいた『経済学の船出』では、「魔法」は「呪縛=ハラスメント」と対置して説明されている。そして『論語』の思想を援用して「魔法」とは「礼」であるというが、大枠は網野善彦無縁論で、ここから貨幣とは何かを解き明かしていく。その議論は大変興味深いので、是非ともご覧になっていただきたい。)

この引用だけで本エントリーの目的は達しているが、もう少しだけ、直観的に話を進めてみる。

「魔法」は、どうやって伝播するのか。それは「空気」によってであろう。
「空気」とは、主成分が窒素と酸素の混合物である気体のことではない。
日本人を支配しているといわれる「雰囲気」のこと。

「魔法」は日本人だけが使うものではない。人間ならば誰もが使うことができるもの。
しかし、日本では、他の国々よりも「魔法」の有効範囲は広い。
日本は「空気」が支配する国であるということは、日本は「魔法」の国であるということと同義である。

日本においては、「ビジネス」の相手(「敵」)にですら「魔法」が通じてしまう。
ここでいう「ビジネス」とは商取引のことだけを指すのではない。
〈システム〉でのやりとり全てが「ビジネス」。
「ビジネス」と「魔法」の一体化は、社会の成員はみな「ビジネス」〈システム〉へと参加しなければならないという「空気」を生み、その結果として、もともとの「魔法」の場である共同体(ムラ社会)を圧迫、解体してしまった。
日本は未だムラ社会的気質を多く残してはいるのが、それは変質してしまったものである。

ムラ社会で強いと言われる「同調圧力」は、「魔法」〈折り合い〉ではない。
魔法が失敗した強制であり、呪縛・ハラスメントである。
日本のムラ社会には長い歴史があるが、それが呪縛の歴史であったはずはない。
人間は呪縛のなかで長く生きることなど、絶対に不可能だ。

日本のムラ社会が長く存続してきたという事実そのものが、ムラが「魔法」が正しく機能していた社会であるということの証明である。
そんな単純な事実を多くの人が見落としている。

コメント

ネットは劣化してません

きこり様、こんにちわ。

BLOGOS→逍花→宗純のルートで本サイトを見つけました。
3・11以後、放射能についてともかく情報が欲しくてネットに入ったのですが、
ブログ文化の面白さに惹かれています。自分より優れたものにアクセスするために
時間など大切なものを費やすのでしょうから、ブログ愛好者が増えれば増えるほど、
エントリーの質は上がるはずと思います。
また、知らないことについては、コメントしませんから、コメントの劣化もないはずです。
一部に不埒な輩がいることは世の常ですし。
きこり様をはじめ、みな様の知力と毒(特に宗純氏・笑)に魅了されています。

はじめまして…

はじめまして青い鳥といいます。
〈折り合い〉なかなか面白いご考察…。 〈折り合い〉は、素晴らしい日本人的知恵でもある様に感じます。「以心伝心」といいますか、「落としどころ」なる文化的共通の土壌のうえに成り立つ、世渡りの知恵とでも言えますね。
日本の外交に目をやりますと、日本的思考では美徳とされる「謙遜」「沈黙」「あ・うん」なるものは邪魔である様にも思われますね。国益と国益がぶつかり合う外交の場では明確に主張・表現しないことには相手国に変な誤解を与えてしまう危険性を孕んでいますね。わたしは、20年程前、中国北京に居を構え小さな商いをしてましたが、色々な面で日本人との考えの違いには驚愕させられたものです。さて、この〈折り合い〉はバーターの様なものでしょうか、補完しあうものでしょうか…曖昧模糊としており、わたしには定義が難しいところです。善し悪しは別に…。

「魔法」の「呪文」!
いいですね! (^o^)

amerieさん

はじめまして。ようこそおいでくださいました。

ネット言論が劣化しているかどうかは、確たる指標があるわけでもなし、各自の主観に拠るしかないものでしょう。ネット言論劣化が喧伝されるようになったのは、ご存知の通り、オピニオンリーダーがそのように宣わったのが発端なわけですが、その方におかれましても、念頭にあったのはおそらくツイッターとかはてぶとか、要するに「垂れ流す」だけのメディアのことでしょうね。

ブログとて「垂れ流す」だけであることは可能ですけど、それでは面白くないですよね。ブログはある程度まとまった文章になるわけですが、それが全部「垂れ流し」だなんて、楽しめる人は限られてしまいます。多少なりとも知性のある書き手はそのことに自覚的ですから、ヒネリを加えることになる。宗純さんの「毒」はその一例ですよね。

とはいっても、全体の傾向でみると「水は低きに流れる」で、劣化する方向にあるのは否めないかもしれません。知性ある文章を読み解くには、やはり知性は必要で。宗純さんのブログを拝見しているとあの「毒」をマトモに受け取る輩がしばしば登場しますが、総数としてはそういった者の方が多いんじゃないですか。これまではネットにアクセスしていなかったというだけで。ツイッターなどでネット言論への敷居が低くなった所為で、ネットの実相が社会の実相に近づいた。これは確か逍花さんが仰っていたと思いましたが、それもまた、事実ではないのでしょうか。

青い鳥さん

はじめまして。コメントありがとうございます。

〈折り合い〉は日本人的。特に「折り合い」と表記すれば、日本人的に感じますよね。私もそこのところを意識しているわけですが。仏教の用語を借用して「縁」としても良かったんですけどね。もしくは「縁への意志」とか。

私は、〈折り合い〉は人間のプリミティブな部分、生物としてのヒトに近い部分だと思っているんです。西洋人であれ中国人であれ、家族・友人同士といった身近な範囲では〈折り合い〉をしているはずなんです。人間の根っこは、どの場所でもどの時代でも、さほど変わらないはずですから。

が、人間の作る社会は、時代と場所で大きく異なる。そこは青い鳥さんもご指摘の通りで、身近な範囲で適応される〈折り合い〉が大きな社会の構成原理になっているところは少ない。小さな部族社会といういったレベルではかつては多くあっただろうし、現在でもあるでしょう。しかし、世界史的な「文明」言われるレベルでの社会では、たぶん日本は唯一の例かと思うわけです。

さて、この〈折り合い〉はバーターの様なものでしょうか、補完しあうものでしょうか

一口に〈折り合い〉といってもいろいろな位相があります。等価交換も贈与も〈折り合い〉と言えますし、その対概念である〈闘争〉とも言えるんです。キモは、取引の後に、英語で言うなら

「It's my pleasure!」

と言えるかどうかなんですね。つまり、バーターや補完といった取引の外形に着目しているのではなく、当事者達の内面が問題なんです。ですから、本文で引用した例にもあるとおり、外形に着目すると「魔法」としか言いようがないような現象になってしまう、ということなんです。

アキラさん

いつもありがとうございます。

アキラさんは「魔法使い」だろうと想像していますよ。野口晴哉という大魔術師の門下生ですし。

有り難うございました。

ご丁寧なコメントをくださいまして、有り難うございます。 また、いろいろとご教授願えれば幸甚と存じます。今後ともよろしくお願い致し。

劣化ではなく実相?

丁寧なお返事、有難うございます。

ネットは誰でもアクセス可能な世界なので、当然「実相」を映すことになりますね。

ネットに入って、まず驚いたのは、事件などの「ツイート」の真面目さでした。(9割9分マトモな反応)

コメントでは、政治がらみでは掴みかからんばかりの応酬になることを知りました。
(これも真面目に見えます)

オピニオンリーダーが「劣化」という時、ご自分のモティベーションが一時的に下がったかと。
おそらく、ブログをお書きになるときは、世の中を少しでも啓こうと思われたと思います。

知力の高い方たちは、大衆の蒙昧などものともしないで使命にまい進して頂きたいと思います。
(少しぐらい毒をまぜても・笑)


こちらこそ、よろしくお願いします

青い鳥さん、それからamerieさんも、よろしくお願いします。

オピニオンリーダーが「劣化」という時、ご自分のモティベーションが一時的に下がったかと。

ええ、たぶんそうだったんでしょう。私は宗純さんへのコメント返しで下品にもネットを公衆便所に喩えてしまいましたが(http://gushou.blog51.fc2.com/blog-entry-497.html#comment3945)、リーダー氏も何らかの事情で「自家処理」できずに公衆便所へ駆け込んでしまったのでしょうね。人間なんだもの(笑)、それもありです。

折り合い、居り合い

はじめまして
網野善彦さんの歴史観に魅せられているおやじです。
もちろん宮本常一にも

さて、内山節さんは、折り合いというのは実は居り合いでもあるというようなことを以前話されていたと記憶しています。
即ち、折って合わせるのでなく、居ながらなにして共同体として協調する感じでしょうか。

ふと貴ブログを読ませていただき感じました。

山梨出身者です(笑)

鎌倉おやじさん

鎌倉おやじさん、ようこそ。お返事遅くなってしまって申し訳ありません。

鎌倉おやじさんのブログを少し拝見しました。読書人かつ自然人でおられて、書物もいろいろと取り上げておられるようですね。

そうそう、私もリニアには反対。「狭い日本、そんなに急いでどこへ行く」です。あんなもの、いったい誰のために作るんだか。

即ち、折って合わせるのでなく、

そうですね、「折って合わせる」ではありませんよね。
「居り合い」、もしくは「重なり合い」という感じでしょうか。

「私」という存在があって「あなた」という存在がある。「私」も「あなた」もそれぞれに「領域」があって、その「領域」の縁(ふち)が「縁(えん)」ですよね。「私とあなたが折り合う」というのは「私の縁」と「あなたの縁」が境界線を作るのではなくて、あなたの縁が私の縁を乗り越え、また、私の縁があなたの縁を乗り越え、互いの「領域」が重なりあう、そんなイメージです。そういった「重なり合い」こそが、共同体というものを培ってゆく鍵になります。内山氏は「共同体は作るものではなく育てるもの」とも仰っておられましたが、人と人との「領域」の境が境界線であるならば「作る」になるのが順当でしょう。しかし、共同体では重なり合う。入会地なんかがその具体例ね。

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