愚慫空論

民主主義を理解していない民主主義者

この手の批判記事は書きたくはない――とか言いながら、日本人が民主主義を理解していない、という別の実例を。

media debugger:『小出裕章氏「子どもを守るために大人は食べてください」への抗議』

安全な食べものなんてもうないから
子どもを守るために大人は食べてください

食べ物への汚染は永遠につづく――。
小出裕章さんはこう言った。
今、私たち大人に残された選択肢とは、“食べる”ことだ。


 これは『週刊金曜日』最新号(6月10日号)の特集「放射能と食」に掲載された小出裕章氏のインタビュー記事である。周知のように、小出氏は原子力工学の専門家として、約40年にわたって孤立無援に近い状況で反原発の立場を貫いてきた良心的な科学者であり、私も敬意を持っている。けれども――



本題へ入る前に、まず私自身の小出発言(大人はあきらめて食べてください)へのスタンスを明らかにしておこう。私は小出氏の主張には賛同できない。素朴に、食べたくないものは食べたくないから。だから、というわけではないけれども、media debugger氏の小出氏批判の論理に私は賛同する。

にもかかわらず、私はmedia debugger氏をここで民主主義の精神を理解していない者として批判してみたいと思う。批判点はここ、一点。

 小出氏の「どんなに放射能で汚染されていても」「大人はあきらめて食べてください」という主張は、小出氏の意図はどうあれ、畢竟、東電や政府の責任逃れを追認し、命の格差の固定化を容認する言説として利用されるだろうし、実際に利用されていると思う。


小出氏はいうまでなく科学者である。では、「大人はあきらめて食べてください」発言は、科学者としての発言か? 否。 media debugger氏が「贖罪意識」と指摘しているとおり、この発言は科学者としての枠を超えた、人間小出裕章の発言であると受け取るのが妥当なところであろう。では、「人間の発言」はどう受け取るべきか。その意図を汲み取るべき。ごく当たり前の話だ。

科学の世界では前提があって仮説を組み立て、仮説を検証するという作業を行なう。検証の結果、仮説が誤りなら前提も誤り。
だが、人間の世界は異なる。仮説から前提を検証することは不可能。ゆえに、科学的な態度とはべつの構えで接しなければならない。これもごく当たり前の話。

前エントリーで私は民主主義を「平和条約締結」だと比喩的に表現した。「平和条約締結」という行為に際して、もっとも大切なことは何か。いうまでもなく、当事者の「平和条約締結」への意志だ。
ただ、現実の問題としてはその「意志」がうまく表現できないこともある。戦闘中止を要請するために白旗を揚げたつもりが、薄汚れて白く見えなかった。笑えない話だが、実際にありそうな話でもある。そして私は、小出氏の発言は「白く見えなかった 白旗」だと解釈する。もしくは次のように言い換えてもいい。小出氏の提出した「平和条約」の内容は承諾できない、と。

このように解釈できるならば、問題の焦点は「白く見えない白旗」は白旗か否か? という次元へ移る。media debugger氏は科学的な態度から「白く見えない白旗」を白旗ではないと判断する。そしてそれは、科学的でない判断から白旗ではないと判断する政府・東電と、判断の根拠は違えども同じ判断なのである。さらにmedia debugger氏は、立場の異なるmedia debugger氏と東電・政府の判断が一致してしまった責を、media debugger氏と立場を同じくするであろう小出氏に求める。私はmedia debugger氏のこうした態度は、media debugger氏の論法を用いるなら、「平和条約」を締結を阻害する者である、と言わざるを得ない。

しかし実際のところは、小出氏が福島第一原発事故によって放出された放射性物質へのより良い対処法を意志しているのと同様に、media debugger氏も民主主義という「平和条約」の締結を意志している者であろう。にもかかわらず、自らの手で同志との連携を断ち切らんとする振る舞い。西田哲学的に「絶対同一的自己矛盾」とでも呼べばいいだろうか。

私が前エントリーで示したのは、民主主義の基礎は闘争であり、そのことを理解出来ていない者の具体例だった。今回の例は、闘争が民主主義というところまでは理解出来ているのかもしれない。だがその先、「平和条約」の意味は理解出来ていないと言うべきだろう。正しい闘争をし、過つ者を殲滅することが民主主義だと理解しているのだろう。「少数意見尊重」の精神が見事なほどに抜け落ちている。

しかし、それでは闘争はいつまでも終わらない。「白くない白旗」を白旗でないと判断されれば、闘争を継続するしか残された道はないではない。小出氏の意図を無視しての発言撤回は戦闘継続を意図していると受け取られても仕方がないし、それは小出・media debugger両氏とは相容れない政府・東電を利することになる。

コメント

TBしちまったい

「media debugger」へTBを送ってしまった...。ま、論った以上は、義務でしょう。一応、あちらは反論を承り注みたいだし。

でも私としては、議論したいわけではないんだよね。TB送りつけておいて、無視してくれると嬉しいなんて、卑怯なことを考えている――、実りのない不毛な議論になる可能性が高いと思うから。これまでの経験から言うと。

いや、レスポンスがあったら誠意を持って対応はします。ただ、いままでその誠意はあまり報われたことがない、というだけ。独りよがりだからと言われれば否定しないが。

あまりにも典型的でわかりやすかったんだよね、この実例は。その誘惑に負けてしまって、エントリーしてしまいました。代償は高くつくかも。

〈生きる〉為の贖罪

本文では「小出氏の発言に賛同できない」と書いたけれども、もう少し詳しく。

私は小出氏の「贖罪意識」までは賛同できる。その分、media debugger氏への賛同は減点される。

小出氏の贖罪の意識も、氏の科学者としての在り方の枠を超えていると思う。しかし、その中核には間違いなく科学者・小出裕章がある。〈クラウド世界〉から氏が引き出してきた「意味」のアーカイブの主要部分は、科学という〈術〉によってもたらされたであろうから。

小出氏にとって(自らを含めた)大人が積極的に被曝を受け入れるという「覚悟」は、氏のアーカイブからすれば当然の帰結ということになるのは理解できるし、その帰結は、現代文明と、そのなかで暮らす自分自身に少なからぬ違和感を抱いている私のアーカイブとも共通するところが大きい。だが、やはり私は科学より自然。科学に殉ずるがごとき小出氏とは一線を画す。たとえ穢されていても、自然に生きたいと願う。

だから、私の贖罪はあくまで〈生きる〉為である。罪を贖うのが、内部被曝を受け入れることにはならない。それはかえって〈生きる〉意志を萎縮させてしまうように思う。もちろん、大人にとって子どもを「生かす」ことが〈生きる〉ことだ、という「意味」の引き出しは可能だ。が、内部被曝を、すなわちは「死」を日々受け入れるような行いを重ねるのは、「意味」を引き出す生命力そのものを、身体的にも精神的にも萎縮させてしまうように感じる。贖罪は生命力を高めるものでなければならないと思う。自身が被曝を出来るだけ避けるという選択は責任回避というのではなくて、積極的に〈生きる〉という「意味」を十分に引き出しうる。

だが、これは難しい問題も孕む。その選択は結果として、被曝地域の農産物・水産物を忌避するという行動に繋がる。経済的な、つまり金銭に換算できる部分はよい。そこは政府・東電が責任を負うべきものであり、私自身良心の呵責は感じない。だが農家や漁師が、自分たちの生業を〈生きる〉ための「意味」を引き出す〈術〉だと捉えていたなら――その可能性は非常に高いし、実際、「意味」を奪われたが所為であろう自殺も起きている――、私は、彼らの生産物を受け入れないという選択をすることに良心の呵責を感じざるを得ない。ここは、政府・東電へ責任を帰してしまえるところではない。
(小出氏の「あきらめて食べてください」の真意はここにあると私は想像するが、あくまで想像である。)

原子力発電のもたらした、いや、文明のもたらす「罪」の根源はここにある。〈生きる〉ための「意味」の引き出しがバッティングしてしまう。この齟齬こそが強者と弱者に別れてしまう根源。

安易な選択をするならば、文明がもたらす必然を受け入れ、「強者」であることを〈生きる〉目的とするのもいい。が、〈生きる〉ということは、そんなに単純にはいかない。だから〈生きる〉ということは困難なことなのであり、またそれゆえにこそ〈善き生〉を全うできたときの悦びも大きいのである。

1.小出氏は、おそらく「放射能による影響は子供よりも大人の方が少ない」ということの延長上で、「大人であれば、多少汚染された程度ならば心配は少ない」ということを述べたに過ぎないのだろう。それ以上の意味はないように思える。人体に危険なレベルにまで汚染された食品が出回ることはないわけであって、「いかに福島県産といえども、本当に危ないのは一部だ」ということなのだろう。
ただし、子供に関しては少し注意を要するということ。

その程度の話にしか読めない。


2.「平和条約」のたとえだが、なかなかおもしろいたとえだとは思うが、あなたが考える「平和条約」の概念は、我々は「コンセンサスの醸成」という言葉で理解している内容であって、民主主義の要諦そのものを語っているようにしか思えないが。
対立する見解や政策をぶつけあう場、ということで、国会を「戦場」にたとえたからこそ、「平和条約」という言葉が思い浮かんだのだろうが、この「コンセンサスの醸成」までコメントが至れば再度説明する必要などなかったように思う。

以上。

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