愚慫空論

再度、〈システム〉と〈クラウド〉

再度、〈システム〉と〈クラウド〉について語ってみる。

まず、10の「要素」から成り立つ〈世界〉を想定してみる。

図1 クラウド 世界

10の「要素」から成り立つ〈世界〉の「関係」の数は、45個存在する。○が「要素」。線が「関係」になる。

図2クラウド クラウド


端的に、図2が〈クラウド〉である。
では〈システム〉はどのような形になるのか。

図3クラウド ハブ


これはハブ&スポーク型。一点集中型もある。

図4クラウド ハブ


図2〈クラウド〉は、各々の「要素」が直接に「関係」している。そのために「関係」の数が多い。図3図4の〈システム〉は、「要素」が構造化している。ために「関係」の数は少ない。

〈システム〉の利点は効率である。「関係」の数が少ない分だけ〈世界〉が把握しやすい。少ない情報処理能力で〈世界〉が体系化できる。それは〈世界〉が予め構造化されているからである。
対して〈クラウド〉は「要素」と「関係」が単に羅列されてあるだけのカオスである。


複雑さを生きる 今日、ネット空間が〈クラウド〉と呼ばれるようになったのは、混沌としたネット空間から何らかの「関係=意味」を引き出すことが出来るようになったからだ。それは情報処理能力が格段に向上した結果、超強力な検索機能が実現したからである。

が、人間は、もともとカオスのなかから「意味」を引き出す能力を備えている。〈クラウド〉とは、人間が「意味」を引き出すことが出来るカオスのことである。

人間に備わっている「意味」を引き出す能力は、仏教の「空」の思想と関連している。

  ひきよせてむすべは柴の庵にてとくればもとの野原なりけり

野原は〈クラウド〉。庵が「意味」で、柴は「要素」に相当する。

ここで重要なのは順序だ。まず〈クラウド〉が存在する。引き寄せる「主体」がいる。その上で「関係=意味」は「要素」に先立つ。ここでは、〈世界〉は予め構造化されてはいない。「主体」が引き寄せて始めて、「要素」が浮かび上がり〈世界〉は構造化する。

(「主体」とは〈世界〉の中の「要素」のひとつ。端的に「私」のこと)。

Googleでの検索を思い浮かべてみるといい。われわれはまず検索ワード(意味)を入力する。そしてボタンをクリックすると、コンテンツ(要素)が引き出されてくるのである。

〈システム世界〉と〈クラウド世界〉は、同じ〈世界〉であっても別世界である。たとえ〈世界〉を構成する「要素」がまったく同一であったとしても、「主体」に向かって立ち現れる〈世界〉の姿はまったく異なる。この差異は当然、〈世界〉へ接する「主体」の世界観および自己確立に影響を及ぼす。

「要素」が「主体」に先立つ〈システム〉では、〈世界〉は構造化されていなければならない。構造化されていない〈世界〉はカオスでありなんらの「意味」も持たないからである。〈システム世界〉での自己確立は、予め構造化された〈世界〉のなかで、「主体」をどこへ位置づけるかという問題になる。つまり、地図を俯瞰して自宅を発見するようなものであり、水平的である。

〈クラウド世界〉での自己確立は、「主体」が引き出した「意味」のアーカイブが自己の本体である。〈世界〉は、このアーカイブによって構造化される。アーカイブとはもちろん「主体」が辿ってきた道程を指すわけだから、自己探求を行なうならば道程を遡ることになり、垂直的なる。

水平的・垂直的は前々回を参照。
また、引き出す営為を私は〈術〉といい、発見し構造化することを〈学〉と呼ぶ → 『〈学〉と〈術〉』

最後に言葉について触れておこう。

〈クラウド〉のなかで垂直的に自己確立した「主体」が発する自己についての言葉は、主に「表出」になる。「蠱惑的」である。
対して〈システム〉のなかで水平的に確立された自己の言葉は「表現」に向かう。「判断的」だ。


蠱物としての言葉 「蠱惑的」「判断的」については、以下のブログ記事をどうぞ。

 光るナス:『「蠱惑的」「判断的」シリーズ』

もうひとつ。

 雑念する「からだ」:『新刊本「整体的子育て2」』

こちらで紹介されている「世界を動詞で語る」という方法論。詳しくはわからないが、たぶん「〈クラウド〉から引き出す」ことを言っているのだろうと想像する。近いうちに確認しておきたい。

コメント

TB、ありがとうございました。

>〈システム世界〉と〈クラウド世界〉は、同じ〈世界〉であっても別世界である。たとえ〈世界〉を構成する「要素」がまったく同一であったとしても、「主体」に向かって立ち現れる〈世界〉の姿はまったく異なる。この差異は当然、〈世界〉へ接する「主体」の世界観および自己確立に影響を及ぼす。
<
「生きている」を考えるときに、僕はよく「場」としてのありとあらゆる〈世界〉と、人間〈社会〉とを思い浮かべるのですが、そういうのもこういう違いになってくるってことですよね。

『雑念する「からだ」』の「ファイル名を付けずに保存する」という記事も、愚樵さんがこの記事で仰ってることと絡んできそうですね。
http://zatsunen-karada.seesaa.net/article/186107684.html

・アキラさん

「生きている」を考えるときに、僕はよく「場」としてのありとあらゆる〈世界〉と、人間〈社会〉とを思い浮かべるのですが

「考えるとき」と「感じるとき」では違いませんか。「考えるとき」は〈世界〉と〈社会〉です。というか、そのように説明されると、納得してしまうのです。構造化されていて情報量が少なく、合理的ですから。ですが、「感じるとき」には〈世界〉しかないような気がします。人間社会は、同じ〈世界〉のなかの劣化した場所と私などは感じているんですよね。

『雑念する「からだ」』の「ファイル名を付けずに保存する」という記事も

ええ。あそこで語られていることは「予め構造化はしない」ですよね。「取り扱いをしやすくするため」という理由でもって。

あ~、僕自身は人間〈社会〉をも人間〈社会〉として「感じる」ということをやるので、「感じる」ときにもやはりどちらもある感じですかね。

なにかラジオのFMとAMとを受信し分けるような・・・。

むつかちー!

何回読んでもわからない(・・、)
大事なことが書いてあることはわかる。
これをわかりたいとも思っている。
でも、何が書いてあるのかがわからない。。

ならば、対話してみましょう(^o^)

・ゆめさん、おはようございます。

これをわかりたいとも思っている。

なんだか「呼ばれた」ような気分です(^o^)

必要性を感じておられるなら、対話をしましょう。水平的コミュニケーションです。そこから垂直的コミュニケーションが生じてきます。ゆめさんのなかにも。私のなかにも。それが楽しみです。

ここでいう対話はイメージ探しです。イメージを探り当てられれば腑に落ちます。

私がシステム/クラウドでイメージしているのは、論理・理性/直観・感性なんです。

「要素」が「主体」に先立つ〈システム〉では、〈世界〉は構造化されていなければならない。

これは神が世界を創造した、ということなんです。『創世記』の神話によると、神はまず天地を作り出し、動植物を作り出し、最後に人間を作り出した。人間より先に「要素」が存在した。それも神が作り出したから、構造化されている。神によって定められた法則がある。

人間は神の後から「主体」としてこの〈世界〉に登場します。そして〈世界〉の構造を解き明かす。それは予め構造化されていると想定されているから、論理・理性になる。〈システム〉とは〈世界〉の想定のことなんです。

〈クラウド〉では、予め構造化されているとは想定しません。〈世界〉はあくまで「主体」である人間が構造化するもの。ということは、世界観は〈システム〉とは違って、個人個人で多様なことが予め許容されているということ。そしてそれは直観・感性によって組み立てられるということ。そして個々人の〈世界〉(宮台的にはここは〈社会〉というべき)は、個々人の間でそれぞれ小さく〈折り合い〉をして、全体としては大きな〈世界〉を作り上げていく。

小さな折り合いが織りなす大きな世界、です。
http://gushou.blog51.fc2.com/blog-entry-499.html

もうすこしイメージを小さくしますとね。

〈システム〉では、子どもが成長して社会人になる、ということ。子どもにとって社会はすでに完成された、予め構造化されたものとして捉えられる。社会人になるということは、〈システム〉のなかで自身のポジションを見出すということなんです。それを「水平的」といった。
(そのあたりのことは http://gushou.blog51.fc2.com/blog-entry-523.html で書きました。)

〈クラウド〉では違う。子どもは大人になると同時に、自分の共同体もまた作り上げるんです。この共同体はひとつだけど、ひとつではない。100人のメンバーからなる集団があったとして、それは外部からは1つの共同体に見えたとしても、100人のメンバーひとりひとりにとってはそれぞれ異なる100個の共同体なんです。メンバーは同じでも構造はそれぞれ違う。
(ここらの話は http://gushou.blog51.fc2.com/blog-entry-577.html です。)

どうでしょう? 少しはイメージできますか?

イメージしやすいように説明して下さって、本当にありがとうございます。
〈クラウド世界〉=不定時法の世界、〈システム世界〉=定時法の世界!
レスを読んでいて、

>個人個人で多様なことが予め許容されているということ。

このあたりでそれに結びついたんですが、、
再びエントリーを読み「前々回」のところを読んでみたら、そう書いてありました。おバカですみません。
全部ではないかも知れませんが、つかめたと思います。

>水平的コミュニケーションです。そこから垂直的コミュニケーションが生じてきます。
これ、どちらもとっても大事なことなんですよね。誰とでも、ということではないのかな。私は水平的コミュニケーションがヘタクソなので、少しばかり自信がなかったりもします。でも、これからも恐れずに続けさせてもらいたいと思います。
これから先、〈システム〉から〈クラウド〉へと移っていく必要を感じていたりします。
或いは〈システム〉と〈クラウド〉をうまく重ねていくことはできることかな、、と。

Re: タイトルなし

・ゆめさん、おはようがざいます。

〈クラウド世界〉=不定時法の世界、〈システム世界〉=定時法の世界!

そうでしたよね。ここが出発点でした。

水平的コミュニケーションは私も苦手で、下手です。その分、垂直の方に特化してしまう傾向があってσ(^_^;

これから先、〈システム〉から〈クラウド〉へと移っていく必要を感じていたりします。
或いは〈システム〉と〈クラウド〉をうまく重ねていくことはできることかな、、と。

〈クラウド〉というネーミングは、おわかりの通り「クラウド・コンピューティング」からのもの。これはシステムの進化形なんですよね。

不定時法というのは過去のシステムですけれども、これは〈クラウド〉であった。そこからシステムは進化し今日の〈システム〉的システムになった。で、もう一度、〈クラウド〉的なところへ発展・進化だろう。根拠はありませんけども、それが私の「見通し」なんです。

その「見通し」によると、〈クラウド〉への移行を妨げているのはシステムの問題ではなく、システムを使いこなす私たちの側にある。新たな〈クラウド〉的システムへと移行する準備は整っているのに、その可能性に気がついていない。それは〈システム〉に依存しているから。でも、逆に言うと、その依存にさえ気がつけばイマジネーションはずっと広がります。人間が人間たるのは、このイマジネーションがあるからこそなんですよね。

大丈夫、重ねていくことはできますよ。

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