愚慫空論

『マタイ受難曲』で思い出すこと

昨日、久々にJ.S.バッハの『マタイ受難曲』を取り出して聴いてみた。一昨日のエントリーで、この音楽劇の主人公について触れてみたら、無性に聴きたくなった。CD4枚で演奏時間は三時間あまり。充実した時間だった。

この音楽を聴いていると思い出すことがある。それはまだ私が若かりし頃、ちょうど二十歳の時だったと記憶しているが、南アルプスのとある山小屋で夏休みにアルバイトをしていたときのこと。山で音楽を楽しもうと持ち込んだCDの中に、この曲が入っていた。音楽はCDウォークマンで聴いていた。

山小屋の管理人の奥さんはアメリカの人だった。あるとき、その奥さんが私の『マタイ』のCDを見つけ、問いかけて来たことがあった(日本語で)。彼女は牧師になるための学校へ通うくらい、熱心な信仰者だった。

彼女が問うたのは、「あなたはクリスチャンなのか?」という質問だった。私は「そういうわけではありません」と答えた。「ただ、音楽として楽しんでいるだけです」。

そのあといろいろと語り合った。といっても、あちらは日本語を上手く操れるわけではなく、私も英語は全然ダメで(暗号解読技術としての「英語」は多少修得はした。もっとも現在はそれも忘却の彼方)、込み入った話は到底ムリ。それでも、互いに考えを上手く伝えられないながらも、真剣に話をした。

イエスを知らないと否定してしまったペテロの悔恨。ピサロ総督がイエスに与えようとした恩赦を民衆が拒み、凶悪犯を解放してしまう場面。あるいは十字架上でイエスが息を引き取った後に天変地異が起き、それでやっとイエスが神の子だと悟る民衆の驚きと畏怖。そういった登場人物たちの感情には深く共感し、打ちのめされる。そんなようなことを私は語ったと記憶している。

そういう私に、彼女は「にもかかわらず、イエスを信じることはできないのか?」と重ねて問うた。私は「やっぱりできない」と答えた。彼女は納得せず、さまざまに問いを重ねてきた。私自身もなぜ信じられないのかが、当時はよくわからなかった。

今の私は、もうすでにこの思い出の時から倍以上の時間を生きている。なので、多少は整理もついた。もし再び彼女の答える機会があったとしたならば、あのときよりも雄弁に答えることが出来るだろう。もっとも、その答えは彼女を不愉快にさせる可能性が高いが。

「共感」と「共有」は違う。ナザレのイエスなる人物がいたであろうことは、歴史的事実として共有できる。が、その人物が罪なき無垢な創造者の子であり、かつ創造者と一体であり、さらに創造者は全知全能であるという「想定」は共有できない。「想定」を共有することが信仰であろう。他方、「想定」がどうであれ、同様の感覚器官と神経構造を持つ同じ生物種として、私も彼女もペテロも同様な感情反応をするであろう。ゆえに他人の感情反応は察知できる。こちらは共感である。

ところで、私は前エントリーで、「無垢な子ども」を「想定」してみた。こちらは、イエスとは無垢な点では同じだが、全くの無力。私たちの罪を救済する力など持ち合わせていない。それどころか、我々を罪人にしてしまう存在。もちろん「無垢な子ども」は「想定」でしかないわけだから、純粋に無垢な子どもなど実在はしていない。〈この世〉の子どもは「想定」ほどに無垢ではない。
(絵画の中の子どもは「想定」ゆえに無垢である。)

〈あの世〉の正体は純粋なる「想定」である。〈この世〉の子どもは純粋に無垢ではない。しかし、純粋ではなくとも私たちは子どもの中に「無垢」を見る。そう見ることで〈あの世〉と〈この世〉が重なるのである。神の子イエスの「想定」を信じる人も、その奇跡を歴史上の事実として見る。そう見ることで〈あの世〉と〈この世〉とを重ねている。

信仰とは〈あの世〉と〈この世〉とを重ねることである。ただし、完全に重なってしまうと信仰ではなくなる。それは科学になる。

コメント

なつかしい・・・

勝手な思い出。

若かった頃、マタイ受難曲のソプラノアリア、重唱は、
私のレパートリーで、何度も歌いました。
本当に音楽作品として、ドラマとして素晴らしいです。

キリスト教はミッションスクールでしたし、
音楽の師匠も、なぜか信仰者がほとんどで、
一時は教会に身を置いていた時代もありますが、
年を経て卒業(笑)いたしました。
愚樵さんが、すっきり明確に書いて下さって、
さらに整理ができたみたいです。感謝。

私の実感では、風土に合わないのよ・・・みたいな感じで。

びーちぇさん、コメントをありがとうございます。遅いレスになってしまってすみません。

そうですか、びーちぇさんはソプラノをやっておられたんですか。ソプラノのアリアといえば、ピラトが「彼はどんな罪を犯したのか?」と民衆に問うた後のアリアがまず出てきます。透明な木管の響きの上に歌声が切々と響く曲ですね。

風土に合わないというのは、その通りでしょう。濃すぎる、とでも言いましょうか(笑) その「濃い」ところが素晴らしいわけですが、私たちが持つ無常観とはどうも噛み合いませんよね。濃すぎて「流れて」いかない、という感じです。

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