愚慫空論

『花鳥風月の科学』を読んでみた

ここのところ私は、〈あの世〉〈この世〉という術語を連発しているが、実はこれらは松岡氏のものを拝借して改変したものである。松岡氏は「あちら(thera)」「こちら(here)」という言い方をしていて、それはいくつもの著作に見られるが、この『花鳥風月の科学』にも登場する。

 何でもいいのですが、たとえば「リンゴ」というイメージがあります。このリンゴには、すでにいろいろのイメージが付与されている。万有引力の象徴としてのニュートンのリンゴもあれば、ウィリアム・テルのリンゴもある。並木路子の「赤いリンゴに唇寄せて」という戦後に大ヒットした歌、美空ひばりの「リンゴの花びらが風に散ったよな」という歌、あるいはビートルズがつくったアップル・レコードもマッキントッシュをつくったアップル・コンピュータも、みんなリンゴのイメージをつかっている。ニューヨークはビッグ.アップルという愛称をもっているし、むろん紅玉リンゴとか国光リンゴといった果実の種類としてのリンゴもある。誰もがリンゴからはいろいろなモノやコトを思い浮かべます。
 けれども、そのように「リンゴ」が象徴的な使われ方をされるのには、それなりの理由や歴史があるはずなのです。たとえばヨーロッパ人にとっては、リンゴのイメージにはエデンの園のリンゴのイメージが控えます。知識の実としてのリンゴです。ヘビにそそのかされたアダムとイブはこの知識の実を食べて原罪をもつことになったとされている。しかし、そのエデンの園のリンゴにはもっと古いイメージの起源があったのです。古ヨーロッパやケルトの伝承を調べてみると、そこには西方楽園という原型的なイメージがあり、その楽園で魔法のリンゴを栽培しているという話がいっぱいのこっている。ケルトの西方楽園はアヴァロンというもので、そこでは死者たちの女王モーガンが君臨しています。古代ギリシアでは母神ヘラがリンゴ園の持ち主で、そこにヘラの召し使いであるヘビがいた。こういう話がどこかでユダヤ=キリスト教によってエデンの園のリンゴに集約されてしまったのです。そして分母の原型が忘れられ、知恵の実としてのリンゴが肥大化していったわけでした。
 リンゴにはまた別のイメージの分母もあります。それはリンゴが果実であり植物であって、そもそもは生物でもあるということです。どんなイメージにもこのような自然とのつながりや個性性を越えた普遍性の背景をもっているのです。
 私は、本書の中で、リンゴのイメージの起源と分散を追いかけるような気持で、日本の花鳥風月のイメージの変遷を問題にしたいと考えているのです。


情報はひとりではいられない。必ず別の情報へと繋がっていく。 here/there という区分けは、情報の行く末を追いかけていった結果として導き出されたのだろう。

情報はひとりではいられないということは、情報はメディアに乗っかってやってくるということでもある。「リンゴ」は情報であると同時にメディアでもある。「リンゴ」から様々にイメージ(情報)が広がるという事実は、「リンゴ」がメディアであるということを示している。

 そこで、花鳥風月的な気持の問題と、日本の社会的なしくみの変遷を同時に眺めるという新しい視点が必要になるのです。それには、花鳥風月をたとえば神・仏・花・鳥・草・木・虫・魚・雪・月・風・水などのコードの組み合わせによってモードをつくりだすシステムの一種だとみなすことが必要です。すなわち、花鳥風月はその背後にいくつものコードを忍ばせたモードによって、日本人が表現世界を維持していくためのシステムだったのです。私が本書で採用した視点はほぼこの視点です。もっと大胆にいうのなら、花鳥風月は日本人が古来から開発してきたマルチメディア・システムだったということです。


花鳥風月は日本の〈術者〉が古来から開発してきたメディアだった。それを「マルチメディア・システム」として捉える視線は〈学者〉のものだ。〈術者〉達が用いた情報アプローチ法を集めて「地図」を作ろうとする試み。本書が「科学」を名乗る所以でもある。

松岡氏が描いた「地図」の詳細は本書を見ていただくとして、問題は「地図」を眺めた後どうするか、である。ただ「地図」を眺めるという楽しみもある。が、「地図」を眺めたならやはり旅をしてみたい。

 伊藤整によると、欧米人は個が確立しているが日本人はそれが弱く集団主義だというのは誤りで、個の確立のされ方が違うのである。欧米の個の確立は、人間である他者に対して自己を示すかたちの個の確立になっている。簡単に述べてしまえば、私はあなたとは違うのです、というふうに自己を際立たせるのが個の確立なのである。ところが日本の個の確立は違う。日本では自己を極めることが個の確立であった。だから自己を確立しようとすると、人間としての他者はむしろどうでもよいものになり、ひたすら自分の内面を掘り下げていこうとする。自分の奥にある自分をみつめながら、自分ならではのものを確立しようとするのである。この精神の習慣が、自我をテーマに小説を書こうとしたとき、私小説という形式に作家たちを向かわせることになった。
 簡単に述べれば、伊藤整の提起はこのようなものである。かつての日本では、日本人は個の確立が弱く、それが近代化を阻害しているといわれたものだった。私もそういわれて育った世代である。だが疑問も残っていた。というのは日本の古典文学、たとえば『源氏物語』でも『枕草子』でも何でもよいのだが、を読んでみると、そこでは個の世界が展開している。『日本霊異記』には、山に入って修行をする「個」がいくらでもでてくる。『枕草子』などは、うんざりするくらいに自我の世界が書き込まれている。それに日記という形式はヨーロッパでは18世紀から発生してくるが、日本では『土佐日記』の時代から一般的なものである。日記は自分が自己をみつめるから書ける形式で、ヨーロッパでは近代的個人の形成とともに発生してくるのだが、日本では古代からありふれた形式なのである。それなのに、なぜ日本人は個が確立していないというのか。そんな疑問が私にはあった。
 その後上野村で暮らすようになり、日本の伝統的な民衆精神について考えるようになると、そこからみえてきたものは、まさに伊藤整が語ったような精神の世界であった。欧米的な個の確立を私は水平的な個の確立と呼んでいる。水平的な人間関係のなかで、個が確立されるということである。それに対して日本の個の確立は垂直的である。自己が自己を掘り下げていくように個を確立しようとする。だから個をみつめたときは水平的な、人間としての他者が消える。自己の内奥だけがみつめられるからである。
 もっともこのようなかたちでの個の形成は、精神世界だけでおこなわれるとはかぎらない。技を極めるというようなかたちでも、個は形成される。かつての人々は自分の技を深め、高めることに熱心だったが、それもまた日本的な個の形成のかたちだったのである。自分ならではの世界を極めるのが個の確立である以上、精神世界を極めることも、技を極めることも「個の確立」なのである。


『源氏物語』も『日本霊異記』も『枕草子』も『土佐日記』も、『花鳥風月の科学』の「地図」のなかに描き込まれている。これら日本古典文学の中には明確に「個」がある。私の言葉でいうならば〈術者〉として確立した日本的な「個」だ。ここからさらに内山氏は、「(現実的な)技をきわめるというようなかたちでも、個は形成される」という。こちらも、まぎれもなく〈術者〉である。

欧米人たちは、〈社会〉の中の水平的な人間関係のなかで個を確立する。そして〈学〉は〈社会〉のなかで構築されるものである。欧米社会が知識社会になりうるのは、欧米人の水平的自己確立法と〈あの世〉へと繋がる〈学〉が社会的なものだという構造によるものだ。ただし〈学〉はその性質上、万人に平等にはならない。〈学〉へのアプローチは個々人の持つ人間関係資本の厚さと個人の学問的才能に制限される。そこから必然的に生まれるのは階層社会である。

対して日本的垂直的自己確立法では、〈術〉によって極めて個人的に〈あの世〉へと繋がる。究極的には〈社会〉は関係ない。だから、知識社会になどなりようがない。そのかわり平等な社会が出来る。〈術〉のアプローチ法は人間関係資本に左右されず、しかも〈術〉の多様性に比例してアプローチの在り方も多様になる。さらに言うならば、〈術者〉は人間だけとは限らない。他の動物だって植物だって石ころにだって為しえる〈術〉はあるのだ、というところにまで広がりえる。このような世界観を「地図」にまとめるなど不可能だし、であるがゆえに日本は至る所に「神(〈あの世〉への入り口)」が転がる八百万の神の世界になった。

しかし、現在の日本人が強いられているのは欧米的な水平的自己確立法である。他者と異なる個性で自己を確立せよと迫られるが、そうして確立した自己は〈あの世〉とは繋がらない。だから〈社会〉に適応して優位に自己を確立した者ほど、自己中心的な人間になってしまう。〈学〉のもたらす階層社会が下層の者たちを搾取する社会へと容易に転換する。現在の日本の社会の姿だ。

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