愚慫空論

日本にホンモノの政治家がいなくなった理由

『菅政権の最期』 田中良紹の「国会探検」

この国では「民主主義」をまともに教えていないから、民主政治について国民の多くはとんでもない勘違いをしている。「政局はけしからん」とか「権力闘争ばかりしてなんだ」と言うが、民主主義政治とは国民を守るために権力闘争をする事を言うのである。国民に主権があると言う事は、自分たちの生活を守ってくれないと思ったら、権力者を「ころころ変える」権利があるという事である。


民主主義には二種類ある。全会一致の民主主義と多数決の民主主義。この2つは、同じ民主主義とはいうけれど、まったく別物と考えたほうがよい。前者は「和の中の闘争」であり、後者は「闘争の結果としての和」。本質的に異なる。

前者と後者の「和」も本質的に異なる。前者の和は、私たち日本人が思い浮かべる和。“和をもって尊しとなす”の和である。後者は、端的にいうと、敵を皆殺しにしたのちに出現する和のこと。このような和を和だと考える日本人は、まずいない。

現代の民主主義はもちろん後者である。多数決で結論を出し、その決定に従わない者は“殺される”。国家にはその力があるがゆえに「暴力装置」なのである。ただし近代の民主主義では、そうした国権に対し人権が想定され、国権と人権とが憲法という「契約」を結ぶことで国家の形を構成される。この形は市民革命を経て確立したものだが、その市民革命が「闘争」であったことは疑いの余地がない。つまり、今日の民主主義国家という形態も「闘争の結果としての和」なのである。

そのような近代民主主義国家において、政治家の役割とはなんなのか。それは、主権者の委託を受けて闘争することである。この闘争はもちろん暴力を伴うものではない。暴力は闘争の結果として放棄されている。闘争に暴力を用いる者は「結果としての和=契約」を破る者として、暴力装置によって排除される。

議会は和をもって話し合う場所などではない。戦場である。ゆえに政治家は戦士である。
しかし日本では、政治家を戦士であるとは考えない。日本国民が政治家に求めるのは詐欺師である。日本人のいう「ホンモノの政治家」とは、「良心的で有能な詐欺師」のことでしかない。

日本は誰がどうみても官僚国家である。官僚組織は優秀な頭脳集団だが、それは単なる集団ではない。共同体であり利益集団であり、日本国民全体の利益よりも自らの属する共同体の利益を優先する性質をどうしても持つ。それが行き過ぎると官僚専横国家だが、現在の日本はまさにそれにあたる。

その官僚組織に対して、日本国民は闘争することを求めない。うまく誑かすことを求める。「官僚を使いこなせ」というのは、そういうことである。仮に官僚相手に闘争しようにも、政治家は圧倒的に戦力不足。人はいないしカネはない。国民が与えないからである。

闘争は公開の場で行なわれる。対して、詐欺は密室で行なわれる。公開で行なわれる詐欺はうまくいくものではない。それを試みたのは菅直人だったが、やはりうまく行きそうにない。幸いなことに菅直人は秦檜にならなくて済みそうだ

良心が密室で育まれることはない。超越者の眼差しを意識する者は密室にあっても密室にいないが、そうでない者には密室は密室である。日本人に超越者の眼差しを意識する者は少ないから、密室では良きことはまず行なわれない。そのことは日本人自身がよく知っていて、だからこそ密室政治を批判する。

にもかかわらず、日本人は政治家に詐欺師であるように選択を強いる。公開で闘争してはならないといい、政治家に闘争のための武器弾薬を与えない。日本の政治家は詐欺師になるしかない。日本の政治は政治家の良心に委ねられることになる。

密室でも良心を保つことができる者はいる。だが、それは常に少数である。密室において、多数の者が良心的であり続けることは奇跡である。日本では奇跡は起きなかった。現在の日本政治の惨状は、その結果でしかない。

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