愚慫空論

「サバイバー」とは「悪人」のことである

今日の話の出発点は、ビデオニュース・ドットコムの配信番組から。

『この震災を日本衰退の引き金にしないために』(有料)

有料配信のビデオニュース・ドットコムを私は以前に一時視聴していたことがあるが、途中で視聴を打ち切った。正直なところ、「宮台節」を嫌みに感じてどうもも好きなれなかった。しかし、震災以降の精力的な(無料)配信に共感して有料視聴を再開した。「宮台節」も震災以降、一皮剥けたような印象も受けている。

今回の配信内容の概要はビデオニュース・ドットコムの記事に記されているが、これは主に後半の内容で、前半に触れられていない。前半は「パニック」についてだったが、この話も大変面白かった。

この前半は、こちらの記事がほぼ同じような内容なので、紹介しておく。

 『パニックへの恐怖が災害時に被害を拡大させる』

(一言付記しておくと、“パニックを避けるため”といった言い訳は、責任の所在をウヤムヤにするために用いられることが多いとのこと。正確な情報を隠蔽する政府や当然の態度は、まさにそれである。)

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今回の東日本大震災が東北地方に与えた打撃は甚大で、しかも地域の活力は震災前から高齢化や人口減少に喘ぐなど、低下傾向にあった。しかし、その地域に国や今回被災を免れた日本の他の地域がどのような資本の投下を行うかによっては、この震災が地域の衰退傾向を転換する千載一遇の機会にもなり得ると広瀬氏は言う。ただし、その場合は相当の痛みを伴うことが避けられないだろうとも。


この「痛み」についての議論から話は興味深い領域へと入っていく。
此度の震災のような大規模な自然災害は、人々に厳しい「現実」を突きつけることになる。この「現実」には2つの側面があって、1つは生活インフラ等のこれまでの蓄積がすべて破壊されたという「現実」。もうひとつは、既存のものが破壊されたがゆえに、これまでとは違った新しいものを作り上げていくにはかえってチャンスになるという「現実」。

「現実」の2つの側面の、どちらかがより大きく立ち現れるか。社会レベルでは、それは、復旧を越えた復興になるか衰退を加速化させるきっかけになるかということだが、仮に社会が逃げることが出来ない「現実」に適応して復興・発展に向かったとしても、個人レベルでは必ず「現実」に適応できない弱者が出てくる。この場合、「痛み」とは不適応弱者が感じるものであり、社会的には弱者の存在そのもの。また、弱者を切り捨てることも「痛み」であり、それは簡単に容認できるものではない。

こうした議論を受けて、ゲストの広瀬弘忠氏(東京女子大学名誉教授は、「われわれはどうも、エモーション・オリエンティブ」だと発言する。感情志向、つまり情緒的。ゆえに合理的な議論、「産業構造を変えるチャンス」だなどいった議論はなかなか受け入れられない、と指摘する。ここでいう合理的というのは、弱者を切り捨てるのだという意味では必ずしもない。構造変換のチャンスを生かして復興を成し遂げ、その活力で弱者を救済しようという思考で、新自由主義的。これに対し、情緒的というのは、そういった合理論は“弱者の心情に配慮していない”といった意見を指す。

ここに見られる構図は合理的=ポジティブ/情緒的=ネガティブという二分法だが、広瀬氏の「エモーション・オリエンティブ」という言はこうした構図そのもの、こうした構図が支配的な現在の日本のことを指したのであろう。

その傍証として、日本には「サバイバー」という語に対する適切な訳語がない、という。「被災者」という言葉はあるが、これは情緒的にネガティブ。対して「サバイバー」は、情緒的にポジティブな者を指す。震災を超えて生き残った、九死に一生を得たという事実を幸運だっとしてポジティブに受け止め、「生き残った者の責務」を果そうと志向する者のこと。日本には「サバイバー」という言葉がないことで、震災等に有ってしまったものが自己をポジティブに「規定」することができない。「被災者」と呼ばれて自分自身でもそのように「規定」していってしまうことで、ポジティブに転換していく機会が奪われていってしまう。

私はこの議論に納得すると同時に、一方で疑問も持った。本当に「サバイバー」に対する訳語はないのか。 いや、「サバイバー」の概念はなくとも、「サバイバー」に類する観念が存在しないはずはない。指し示す言葉がないからといって指し示される情念がないとは言えないないし、異なった視野のもとで異なった言葉で呼ばれている可能性は高い。日本の文化的な蓄積は、西洋世界のそれに劣るものではない。

「サバイバー」とは「悪人」である。善人なおもて往生す、いわんや悪人をや。

親鸞の「悪人正機」は「他力本願」とセットになっている。つまり他力本願がわからないと、親鸞のいった「悪人」の意味も捉えがたい。では、「他力」とはなにか。乱暴に言ってしまえば、それは「縁」である。

恵まれた境遇に生まれながらすべてを「苦」だと受け取ったブッダは、出家して苦行を重ねる。厳しい苦行で命を落としかけるが、スジャータという娘から供せられたミルク粥で命を取り留める。ブッダにとってスジャータは「縁」であり、ブッダの悟りの発端となった。絶対ネガティブである「一切皆苦」が、「縁」を「諸行無常」「諸法無我」と認識することによって、「苦」を空じられ、ポジでもネガでもない「涅槃寂静」へと至ることが出来る。

が、如何にブッダであっても、スジャータとの「縁」を自在に操ることはできない。自身の力ではどうしようもない。だから、「縁」は「他力」。

ブッダの教えが発展した大乗仏教では、悟りを開いた仏(如来)は絶対ポジティブだと「想定」された。そして浄土宗では、仏(阿弥陀如来)との「縁」は念仏を唱えることとされた。絶対ポジティブだから絶対他力であり、そこへ全面的に縋るのが「悪人」。つまり「悪人」とは「縁」に対して“開いている”者であり、「開く構え」が情緒的にポジティブなのである。

そのように捉えると「善人」は情緒的ネガティブとなるが、これは被災者ではない私たちが持つ「被災者」のイメージにも重なってゆく。被災者は「善人」であるから、救済しなければならない。「善人」を救済しないことは「悪」である。この情緒的構図は、原発震災を引き起こした東電に対しては、より鮮明に適用されている。

「開く構え」は、別の言い方をすると「信仰」になる。浄土宗の場合、この「信仰」は阿弥陀如来という「想定=教義」とセットになっている。が、“開く構え”は、かならず「教義」とセットになっていなければならないわけではない。教義なき信仰、阿弥陀如来に縋らない「悪人」。それが「サバイバー」である。いかなる「縁」に対しても、ポジティブに“開く構え”をとり続けることができる者。「縁」は必ずしも良縁とは限らない。そこは「諸行無常」であり、また、「縁」の良し悪しを規定するのは「我」であるから、「諸法無我」と悟れば、良し悪しに囚われることもなくなる。あらゆる「縁」に対して“開く構え”をとり続けることがやりやすくなる。

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番組後半の最後で、宮台真司氏は『断絶平衡説』の話を持ち出す。これは生物進化論上の仮説で、地球上の生命は約二六〇〇万年ごとに大絶滅をくり返して来ていて、そのたびに大きな進化が起こっていると考えるものである。大絶滅後の生命大爆発。

この話は震災からの復興という議論とは重なる部分はあるが、枠を広げすぎて脱線している感がないではない。ただ私はこのような脱線は大好きなので、そこへ乗っかってさらに脱線を続けてみることにする。

生命が大爆発を起こしている海とは、「創発」の海である。前エントリーでは、そのようなイメージから書き出された「経済学」の本を紹介した。『経済学の船出』で基本原理に据えられている「創発」も、「信仰」と同じく情緒的ポジティブであると捉えている。『「もの」の経済』は、有形の、資源としての「もの」を配分するためのみならず、人々が情緒的ポジティブであるために、無形の「もの」をも配分することが目的になる。

宮台氏は、例えば学者の多くが俗にいう「御用学者」へと変質してしまう理由について、それを個人の資質の問題へと矮小化するのではなく、「システム」の問題に帰すべきだと主張する。それは氏の社会学者としての問題意識であろうし、学問としても成立しているのだろう。。同じように、情緒的にネガティブあるいはポジティブであることもまた、個人の資質の問題ではなく、その個人の置かれた(「もの」の)経済環境の問題として捉えるべきである。

必要な「もの」が必要とするところへ届ければ、「創発」が起こる。それが生命の原理であるとするならば、「創発」が起こらなかった(情緒的ネガティブに陥った)ということは、必要とされる「もの」が届かなかったからだと言えるようになる。そして、そのように言うことができるならば、ある個人が情緒的にポジティブもしくはネガティブであるということを、個人の資質や宿業に帰する決定論的な議論へと落ち込むことなく、システム論的な問題へと捉え直す道筋も見えてくるように思うのである。

コメント

情緒的ネガティヴ

情緒的ネガティヴの典型が私であります。故に善人ではあるから往生が難しい(笑)のです。これには経済活動ではマイナスであり創生もないのですが、「恨み節」風の情念があります。サバイバーという西洋的な積極性などそもそも概念としてないと考えます。やられたら立ち直るというタフなバネなどないのでしょう。それこそ人情(縁)にたよるか、そのまま打ちひしがれて文字どうり「被災者」のままでいるかです。日本人独特の弱さであり甘えなんですが、実はこれがしたたかでありこの卑屈な構えこそが長生きのコツであり、全員「は」滅びない狡猾さであります。潔く闘って富を独占するより、死肉を食らうか、強者に寄り添いその慈悲にすがるかであります。日本人の大半は「矜持では腹膨れず、追従卑屈でしか腹は満たせない」と内心思っているのでしょう。だから原発を推進しつつサバイバー=悪人説で情緒的均衡を保っているのだと思います。そういう意味では日本人全員が「被災者」であり、(ありたいと思い)、決してサバイバーにはなりたくないのです。

宮台節が好きなアキラです、こんにちは。 (^o^)

まだ番組は観てません。
いろんな問題を孕んでそうでコメントしづらかったのですが、ふと頭に浮かんだことを言いますと、
「人事を尽くして天命を待つ」とよく言われる順序で考えるような心性が、問題のような気がしました。

「天命を以て人事を尽くす」、順序としてはこっちの方なんじゃないかなぁ・・・とか。 (^o^)

重箱の隅をつついてみるw

愚樵兄の壮大な展開には私の脳味噌ではついていけないのですが、(笑)
「サバイバー」という言葉は日常的に使っているので、そこのみにコメントw

DVやレイプなどの「被害者」のことを「サバイバー」と私たちは呼びます。
「過酷な状況を生き抜いてきた人」という尊敬とねぎらいの気持ちを込めて。

で、兄さんのこのエントリーを読んで、そういえば「サバイバー」とは、他者によって定義づけられるものなのだな、と。
自分が「被害者」であることを自覚するのも難しいものですが、その「被害者」である自分を「サバイバー」だとポジティブに再定義することって、相当力がないとできないんですね。自分に対する信頼回復ができないと不可能というか。

そういうところで「縁」は「他力」というのに、深く共感したのでした。

「被害(災)者」=「善人」=「ネガティブ」
「サバイバー」=「悪人」=「ポジティブ」
というのは面白いですね。

自分の意思を持った(ポジティブな)人間を、「悪人」とするのは、日本っぽいなあ、と感じます。「かわいそう(で従順)な被害(災)者であれ。そうすれば救済してあげよう」って感じ。DVやレイプの被害者が「シミひとつない善人」でなければ「被害者落ち度論」を展開して容赦なく叩くしね。

吸血鬼

・岩下俊三さん、コメントありがとうございます。

本当に情緒的ネガティブな人間というものは、例えるなら吸血鬼です。他人に食らいつきつき生命力を吸い取ろうとします。しかも厄介なことに、食らいつく際には「正論」を吐いたりする。それで幻惑させた隙に食いつく。

これらは、べつの言い方をすれば「呪い」です。確かに岩下さんの記事を拝見すると、そこには確かに呪詛の言葉が並んでいるのが見受けられます。ですが不思議なことに、それらはなぜか見る者を力を与えてくれます。

昔の日本人はサバイバーでした。「火事と喧嘩は江戸の華」なる言葉が伝えられていますが、頻繁に火事が起こった江戸の街で暮らしていた庶民たちは、火事で焼き出されると悲嘆に暮れている間もなく、すぐに元気に街の再建を始めたそうです。異邦人はその生き生きとした様子を見て大変いた。そのような記録が残っているそうです。

歴史をそこまで遡らずとも、戦後の焼け野原から復興があります。当時の日本人はきっと生き生きとしていたのだと想像します。TVで、救助された瞬間に「さ、次は復興だ」と胸を張った老人が報道されて感動を呼びましたが、あれがかつての日本人の姿だったのでしょう。

ネガティブな吸血鬼は他者の生き血をすすらなければ生きていけません。が、ポジティブな「人間」は、生命力を生み出す「回路」を持っています。自然は生命力の塊ですが、賢しい人間は科学技術という名の吸血術に発展させ、自然から生き血を吸い取ることを生業にしてしまった。そして自らが持っていた生命力生成回路を放棄してしまったのです。

被災者が「被災者」であり続けたいというは、吸血鬼であり続けたいということと変わりはありません。しかし私たちはそれを批判できない。私たちも吸血鬼なのですから。

が、いつまでも吸血鬼ではいられない。「人間」に立ち戻らなければならない。それには「回路」を復活させなければなりません。

番組、ご覧になりました?

アキラさん、おはようございます。

本文にも書きましたが、ここのところの宮台節はなかなかです。角が取れたとでも言いましょうか。

宮台節は「えぐる」ものです。当人もそれを意識していたはずですし、そこが受けるのもよくわかる。「えぐる」のは今も変わりはありませんが、ここのところ感じるのは、その手つきが丁寧になったというか、いたわりを感じさせるものになったような気がします。

さて、「天命」です。

「天命」という言葉は、どうにも決定論的な意味合いで受け取られる。でも、本来の必ずしもそうではありません。

五〇にして天命を知る。このときの「天命」は、上のコメントで述べた「回路」なのだと私は思っているのです。仏教でいうところの「法」ですね。そうしますと、
「天命を以て人事を尽くす」が順序であるのは、当然の理になります。もし「天命」なくして何ごとかを為そうとすると、生命力は他者から奪わなければならなくなる。吸血鬼ですね。

ど真ん中(^-^)v

・みみずさん、ようこそ再びおいでになりました。

頂いたコメントは重箱の隅どころか、ど真ん中です。

「サバイバー」がみみずさんの界隈では日常語だったとは、ちょっとした驚きです。で、お伺いしたいのですが、やっぱり「サバイバー」の適切な訳語ってのは思い当たりませんか? 「悪人」というのに共感は頂けたようですが、日常使うにはやっぱりアレでしょうし...(^_^;

男と女の「営み」は生命力生成回路です。これは「もの」の指す2つの意味において、そうなんですね。1.は有形の「もの」を生み出す、2.は無形の「もの」を生み出す。

1.は物理的な現象ですからポジもネガもなく、必要なものが必要なところへ届けば、順当に生成されていきます。ところが2.はそうはいかない。届けられた「もの」がポジかネガかで生成されるの「もの」が異なってくる。ポジの場合、生成される「もの」は愛情と呼ばれます。ネガだった場合は憎悪になってしまう。

被害者は自らを「被害者」と定義することは難しいのに、さらに「サバイバー」と再定義するのには相当な「力」が要る。

自ら「被害者」と定義するということは吸血鬼と認めることですが、ここでは相応しくないかもしれません。ですが、「サバイバー」への再定義が「人間」への回帰というのは、さほど違和感はないでしょうか。

問題は「力」なんです。この「力」とはポジティブであること。「人間」へと回帰する「力」とポジティブな「もの」を届ける「力」は、おなじものです。「もの」の生成回路を喪失したがために他人から奪う吸血鬼になるしかなく、弱いが生命力豊かな者から「力=生き血」を吸う。これは「もの」の経済が貧弱になったから。

たぶん、男という生き物はもともとの性質として吸血鬼になりやすい。だから女に甘えるか、でなければ暴力を振う。二次被害を起こすのも吸血鬼です。

イスラームの創始者であるムハンマドは、「女は畑である。汝、行きて耕せ」と言ったらしい。女性を人ならぬものに例えるという点では「女は産む機械」と同じだが、意味合いは大きく違います。「機械」は奪い取る吸血鬼の発言、「畑」はポジティブな「人間」のものです。

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善悪の判断の違いの人がいる。その 善悪の因果が 未来になる。心口意。悪いことの結果が恐ろしい。BATIとはあるのだろうか?宿命 宿業 因果と償いと生死
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悪人とは 仏教の戒律を 守れない人と 聞いたことがります。現代社会で 仏教の戒律を すべて 守れる人が いるのだろうか?修行~

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