愚慫空論

壮大な実験の結論は出た

(※ 20日にアップしたつもりが下書きになってました)


昨日の夜、NHK朝の連続テレビ小説『てっぱん』を観た。

昨日の朝に録画したものを、地震が起きた11日朝の放送分(これも録画)に引き続き、観た。朝8時はとっくに仕事の最中なので、また夜はすでに寝ている可能性が高いので、朝の録画を夕飯時に眺めるのがここのところの習慣になっていたわけだが、11日の夜は当地は停電で、観ることがかなわなかった。それ以来、1週間ぶり。震災前の「続き」を観たわけだが。

私の言いたいことは察しが付くだろうと思う。物語は確かに「続き」だが、それを観ているこちらの方にはこの1週間で大きな断絶が生じている。だから「続き」を続きとして何の疑問もなく受け止められない。同じ物語の「続き」を観ながら、どこかに居心地の悪さを感じてしまった。

この原因はいまさら言うまでないことだが、それでも敢えて言葉を探していたら、タイトルのような言葉が浮かび上がってきた。11日の地震で明らかになったこと。それは原子力発電が実は壮大な実験であったということ。そしてその「結論」が、悲惨な結果を伴って出たということ。 ...いや、結果はまだ現段階では出尽くしていない。これ以上の結果が出ないことを祈るしかない。

報道を眺めていると、福島の事故はレベル5でスリーマイルと同等になった、と報じている。ネットでは海外ではレベル7と報じているところもあるとか、国内でもだれそれが6.5だと発言しているとかいった情報が流れてくる。そういった深刻度レベル判定がどのように判定されるかは意義のあることだろうが、その結果がいかなるものであろうと、「結論」は揺るがないだろう。というのも、私たちの「居場所」がすでに変わってしまったから。原発は社会を維持するのに必要なインフラという認識から、社会に害悪をもたらすものという認識に置き換わった。数字で結果を評価しようとする試みは、「居場所」を変えさせないための策略という感じすらしなくもない 。

私たちの「居場所」は変わってしまった。このことはたぶん多くの人が共有する感覚だと思う。そしてたぶん、“変わった”ことは感じられるが、まだまだ“定まった”とは感じられないという感覚も共有されると思う。つまり、この「結論」はまだ中途半端ということ。定まらなければ完全な「結論」とはいえない。

だとするなら、これからどういったことが始まるか。居場所探し、つまり「自分探し」が始まるということになるのだろう。ついこの間まで「自分探し」というと否定的なニュアンスを持って語られてきた。それが社会丸ごと「自分探し」になる。これまでは社会は動かないものだと多くの者が捉え、だから揺れ動くの自分だけで、居場所が定まらないのは自己責任だと言われた。しかし、これは根底から変わる。

ただ問題は、どのように変わるかということ。どこへ“定めて”完全な結論とするかということ。 社会を元の場所へ戻そうという動きも大きく出てくるだろう。一時「復興ニューディール」などという言葉が出てきたりしたが、それもそうした動きのひとつだ。その後には、震災増税などといった企てが続くのだろう。こうした動きをする者たちは元の社会で我欲が満たされるポジションを確保していた者たちであり、原発という実験を私たちに実験と知らせぬままに執り行っていた者たちだ。“被災しなかった者はカネを使え”などというお説教も、おそらくはそうした類のものだ。そんなご説をありがたく賜っていると“カネのない者は身体を提供しろ”と後に続きかねない。そんな社会は決して元の社会ではない。元の社会にはもう戻らない。

昔々、中国の有名な詩人は「国破れて山河あり」と詠んだ。今回の事態はこの詩とは反対に「山河破れて国家あり」といった状況になってしまったようにも思える。とんでもない異常事態だ。山河敗れて人はなく、人なくして国家があるわけがない。そしてこの国家が人々を欺して山河を破る実験を行なっていたとするなら、破るべきは国家ということになる。

これは何も“革命を起こせ!”などと扇動したいわけではない。もちろん、私たちを欺した者を免罪してよい法はないが、そこにばかり気を取られていると、さらなる苦しみを味わわなければならない羽目に陥りかねない。いま、私たちがまず向き合うべきなのは、破れようとしている山河だろう。こんな事態だからこそ、優先順位を取り違えないようにしなければならないと思う。

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