愚慫空論

勝者の余裕

またまた格差社会の話。このテーマはもういい加減止めようというか、しばらく措いておこうと思うのだけど、それがどうもままならない(笑)。

現下の格差社会は、勝者と敗者とに別れているという。それはそうなんだろうけど、本当はちょっと違うと思う。格差社会内の分類は、2分割でなくて3分割。エスタブリッシュ成金と、それから弱者。この3分割の方が格差社会の実態をより正しく反映していると思う。もちろん勝者はエスタブリッシュと成金であり、敗者は弱者である。


エスタブリッシュの定義を確認しておきたい。一般的にエスタブリッシュというと、勝者の中の勝者、生まれながらの勝者であるようなイメージで語られるが、ここではもう少し範囲を広げてる。もともとのエスタブリッシュ(establishment)の意味は社会的に確立した制度や体制のことで、そこから制度や体制を支配する層のことをエスタブリッシュと呼ぶようになるのだが、ここでは支配層に限らず、そうした制度や体制から恩恵を被っているいる人たちを指すことにする。そうした意味で、資本家や政治家階級のみならず公務員や正社員もエスタブリッシュ。
思想的にはどこかに強く偏っているということはない。というより、思想なるものを必要としなかった人たちである。

では成金の定義はということになるが、この人たちは恩恵を被っているのではなくて、勝ち取った人たち。もっというと、勝ち取ったと認識している人たち、勝ち取ろうと頑張っている人たちも含めてよいと思う。ここの頂点に立った人たちはエスタブリッシュから反感を買うために次々と失脚しているけれども、進行する格差社会のなかで、この層が以後もより大きな役割を演ずるのは間違いなさそう。
思想的には新自由主義シンパ。それが彼らの経験則にも合致する。

弱者の定義はいいだろう。それ以外の人。思想的には二分して、持たない人と持つ人に分かれる。持つ人は新自由主義には反発。


さて、前置きが長くなったが、今日を取り上げたいのは成金の言い分である。具体的にはここ『404 Blog Not Found』。そのなかの「The more realistic difference between winners and losers」

記事の内容はごく簡単。成金と弱者の違いを10か条にまとめたもの。短いので引用させてもらうと、

   1. 勝者には負ける余地があるが、敗者には、ない。
   2. 勝者は幸運を勝因にあげるが、敗者には運そのものがない
   3. 勝者の特典はより働く事。敗者の特典はそれにケチを付ける事。
   4. 勝者は問題を勝ち取り、敗者は問題を与えられる。
   5. 勝者は敗者を作り上げることで償う。
   6. 勝者は勝者と妥協し、敗者に戦いをしかける。
   7. 勝者は下を向くべきときに上を向き、敗者は上を向くべきときに下を向く
   8. 勝者は自らを押し上げ、敗者は互いを引っ張り合う
   9. 勝者は過小に約束し過大に成果を上げる。敗者は過大に約束し過小に成果を上げる。
  10. 勝者はいずれ敗者となる。その逆は真ならず。

私はこの10か条に素直に感嘆する。『404 Blog Not Found』はアルファブログと呼ばれる人気ブログらしいのだが、よくわかる気がする。

この10か条は格差社会での競争を勝ち抜く方法論として正しいと言うだけでなく、なんというか、著者の余裕すら感じさせる。特に第10項「勝者はいずれ敗者となる」なんて、第1項「 勝者には負ける余地があるが、敗者には、ない」がなければ言えないだろうな、と思ってしまう。

だが。この「余裕」はある種の幻想に支えられているように思う。その幻想とは、勝者を取り巻く社会にも「余裕」があるという幻想である。


ここで譬え話を。これは「こんな世の中に誰がした?」でのコメント欄に書いたことだが、もう一度書く。

酷寒の南極大陸に棲むコウテイペンギンは、厳しい冬を乗り越えるために独特の行動をとる。コウテイペンギンは、コロニーと呼ばれる営巣地を作ってそこにたくさんの個体が群棲して生活するわけだが、冬になるとコロニーの個体は一箇所に寄り集まって「オシクラマンジュウ(これを「バドル」と呼ぶそうな)」をする(これをするのはオスだけ。で、このオスは卵を抱えている。メスは海に出て腹いっぱい食べている。越冬後にオスが暖めたタマゴが孵るのだが、メスの行動はそのヒナに充分なエサを与えるためである。オスとメスの役割分担だが、なんと厳しく麗しい役割分担であろうか)。寄り集まるのは体温を維持するためだ。
吹き荒ぶブリザードの中での「オシクラマンジュウ」は、その位置によって不公平が生じる。中心部にいる者はヌクヌクだが、周縁部にいるものはタマラナイ。そこでコウテイペンギンたちは、集団として生き抜くために、定期的に外と内とで「メンバーチェンジ」をする。
「オシクラマンジュウ」状態でこれをするのはかなり大変で、しかも足元にタマゴを抱えているわけだから、もう大変も大変。しかし、これをしなければ、周縁部の者から寒さにやられて斃れていき、やがては中心でヌクヌクしている者たちも寒さに晒されることになってしまう。「オシクラマンジュウ」と「メンバーチェンジ」は生き抜くための知恵である。

この譬え話は、もちろん私たちの社会のあり方をコウテイペンギンの生態に譬えた話である。そして格差社会とは、この「メンバーチェンジ」がなくなってしまった社会のことであることは、容易に理解できよう。
「メンバーチェンジ」は、ごく最近まで日本の社会で機能していた。今でも完全に止まったわけではない。僅かであるが機能している場所もある。エスタブリッシュとは、そうした「メンバーチェンジ」の恩恵に与る人たちのことだ。巡り合わせがよくて、自分が中心部に居るときに「メンバーチェンジ」が止まってしまった人たちもいる(例えば現在、年金を受給している世代)。こういう人もエスタブリッシュ。

成金は「メンバーチェンジ」が止まってしまってから、実力で中心部に分け入って行った人たちである。先の10ヶ条の5「勝者は敗者を作り上げることで償う」、7「勝者は自らを押し上げ、敗者は互いを引っ張り合う」なんてのは、このことを如実に示している。

しかし「メンバーチェンジ」がなくなった「オシクラマンジュウ」は、徐々に周囲の厳しい環境に持ちこたえられなくなって行く。格差社会は国を滅ぼすという議論があるが、これはまことに正しい。「メンバーチェンジ」停止に陥った「オシクラマンジュウ」、つまり格差社会には、周囲の厳しい環境に対抗する「余裕」がなくなってしまった社会なのである。

そういう認識に立っても尚、10か条の10「勝者はいずれ敗者となる」なんていう「余裕」をカマシテいられるか? 

まあ、たぶん成金はカマシテいられるんだろうな。一旦周縁部に押しやられても、また中心部に潜り込んでいく自信があるんだろうから。けど、エスタブリッシュはどうかな?

いずれにせよ、そうこうしているうちにヌクヌクの中心部も狭くなって、より競争が激化する。

コメント

「格差社会」を論じることのジレンマ

「勝ち組・負け組」「勝者・敗者」というような言葉で議論をすると、かえって妙な方向にドライブがかかるという危険性をつねにはらんでいますね。
実際、「格差社会」みたいなことが宣伝されると、「うちの子だけは絶対に負け組にさせたくない」ということで、子どもの尻を叩いて小さいときから塾に通わせ、一流大学に入れさせて、一流会社や医師、弁護士といった「社会的地位」の高い職業に付けさせようと目の色を変える親などがでてきます。
歯学部にはいるために浪人していた兄による妹殺し、山口での祖父殺し、などの事件を見ると、「勝ち組」と言われる人たちの中にも、自分たちがいつ「負け組」になるかもしれないという不安感があって、そのことが子どもへの強いプレッシャーになっているのではと感じます。
まあ、昔から「路上生活者」などを指差して、「勉強しないとあんなふうになるわよ」などという親はいたものですが。

すごくいい話

愚樵さん,こういう議論はとてもわかりやすくていいと思いますよ.格差社会とはこういうものだ,こういう社会に入りたいか入りたくないか,考えなさい,とでもすればとても面白い.10か条の作者は本質をよくわかっていますね.
ただ,分類については大いに疑問はありますが.

余裕のない者への強迫観念

かつさん>
そうですねぇ、「勝ち組」「負け組」の2分法は、そうした強迫観念を喚起してしまいますね。もっとも、それも余裕ある勝者からしてみれば、勝者たる資格が無いということになるのかもしれませんが。また逆に、みなが勝者たる資格があれば格差社会も解消されるのでしょうけれども。

そうしたジレンマは、本当に困ったものです。それこそ心構えの問題、精神論ですが、かといって格差社会が現実である以上、避けても通れない。別の呼称を使っても...、おそらく同じでしょう。

papillonさん>
お褒め頂き、ありがとうございます。

分類の件は、この話に合わせたものですので...、厳しい突っ込みはご容赦を。

過労死に曝される特権階級??

愚樵さん、正社員がエスタブリッシュメント?

>エスタブリッシュの定義を確認しておきたい。一般的にエスタブリッシュというと、勝者の中の勝者、生まれながらの勝者であるような・・・・

拡大解釈も程度問題、此れではどうしょうもありません。
昔、有閑階級という言葉がありましたが、此れはエスタブリッシュメントの訳語でした。
太宰治の斜陽のような没落貴族でない貴族階級の上位者や成金程度の『にわか金持ち』では無い権力と財力を併せ持つ特権階級を指しています。
一番狭義に解釈すると全世界に数千人しかいないそうです。

今の一部上場企業のような一流企業の正社員たちは肩たたきのような人員整理の結果極限まで縮小し、サービス残業のようなただ働き長時間労働でほとんど過労死寸前。
今職場は、定時に帰る事はできるが超低賃金の派遣労働と、睡眠時間さえ危険になる超長時間労働の正社員に二極化されています。
過労死する特権を与えられている特権階級なんて聞いた事がありません。

格差社会のモデル

布引さんのおっしゃるように,分類については大いに疑問がありますが,厳しい突っ込みはご容赦とあるので,それについては遠慮しておきます.
それを離れて,「ペンギンのおしくらまんじゅう」のモデルは,図らずも?格差社会がうまく表現されたモデルではないでしょうか.
『格差社会は国を滅ぼすという理屈』をわかりやすく訴えることができそうです.つまり,外側から凍えて脱落していくといずれ中心部まで冷えてくるのですからね.
ただ,中心部では防寒シェルターを必死で作っているのかもしれませんが.
しかし,それよりも,厳寒の荒野に放り出されたのは庶民だけ,支配者たちは温水プール,というモデルが適切かもしれません.
すると,ペンギンモデルは内田氏の論の説明に最適なようですよ.すなわち,
『放り出された庶民たちよ,おしくらまんじゅうでしのぎなさい.そういうのが上手なのが庶民のはずなんだから!
温水プールの部屋なんか羨んでもしょうがないでしょう!羨む気持ちが問題なんです! そんなもの(温水プールの部屋)ないと思えば気が楽でしょうが!』
という理論なんでしょうか?
すみません.このシミュレーションは想像で作り上げるしかないのですが,あと以下を追加させてください.
庶民達は決して温水プールの部屋を欲しているのではなく,寒気と吹雪をしのげる家でいいのです.それからパンもです.

庶民のささやかな夢

現在勤労者の三分の一が派遣やパートなどの非正規雇用で正規雇用は三分の二。
言い換えると実質的に正常な雇用形態が三分の二に縮小され、この縮小傾向は現在も進行中。
人員が少なくなった分、其れに比例して仕事の量も少なくなれば残った者の環境は同じだが、仕事量そのものは逆に増えている。
庶民のささやかな夢と言えば一家団欒。家族揃って夕餉に秋刀魚を食べる。
派遣の超低賃金では家族を養えず、結果家族との夕餉、一家団欒の夢が叶わない。
正社員は家族も家も有るが、長時間労働で夕餉時間には家に辿り着けず、結果家族との一家団欒の夢が叶わない。

都会住民のささやかな夢と言えば、田舎暮らし。
ネットカフェで寝起きする派遣社員の夢も、子供の寝顔しか見れない正社員の見る夢も、今の環境と全く違った場所。なにやら夢が有りそうな自然に囲まれた田舎暮らし。
隣近所との濃厚な人間関係、家庭菜園での取れたて野菜、職場の仲間との連帯感などは都会の生活では全く無いモノばかり。
熊野の山奥に家族と共に移り住み、木挽きを生業とする生活は、田舎の実情を全く知らない多くの都会人にとっては夢のような理想のパラダイスに思えるかもしれない。
非常に若い友人の一人が沖縄の与名国島に単身移住したが、若さとは何でも可能にするのですね。

妻の故郷は県庁所在地から車で30分程の場所にあり、往復一時間程度で海釣りも渓流釣りも可能なところ。
リタイアした暁に実家の近くに住む事を提案したら『あんた一人で住みなさい』と言われました。
彼女は田舎暮らしの内面をみんな以上に良く知っているようです。

>彼女は田舎暮らしの内面をみんな以上に良く知っているようです

すみません。笑いました。まあ、実際そんなところでしょう。
田舎暮らしはある意味快適ですが、やはりリスクは伴う。特に女の人に掛かってくるリスクは大きいですね。これ実感。
都会から移ってきた家族が田舎へ定着できるかどうか、それ以前に移住してくるかどうかの鍵は、たいていその家の主婦が握っています。田舎はどうしても都会より封建的ですし、主婦には有形無形の圧力が掛かりますからね。男と子どもは結構のほほんとやってられます(笑)。

エスタブリッシュの定義

これについて一言。
拡大解釈というご指摘ですが、そうなんです、これは私の恣意的な拡大解釈です。「エスタブリッシュの定義」という書き方が舌足らずだったようで、あくまで愚樵流のエスタブリッシュ定義で、一般に使われている意味でのエスタブリッシュとは違います。

といってもエスタブリッシュの定義の曖昧さは変わりませんから、突っ込みどころ満載ですが、それはそれ。大まかな譬え話ということで、ご勘弁を。

利己的な遺伝子

 こんにちは.ときどき立ち寄らせて頂いています.ペンギンの話,知りませんでした.メンバーチェンジとは面白い現象ですね.
 ただ,「集団として生き抜くために」という説明は,生物学的にはナンセンスです.「メンバーチェンジ」という現象が実在するとしても,この説明は生物学者を納得させないだろうと思います.動物は「集団」や「種族」のことを考えて行動することはありません.そのように見える行動があっても,よく調べればそれは各個体の「利己主義」の総和である,と一般に考えられています.
 この問題についてはリドレー著「徳の起源」(翔泳社)がお奨めですが,今は入手困難かもしれません.「囚人のジレンマ」や「赤の女王」に関係した図書とか,あと長谷川真里子さんの著書とかも参考になるかもしれません.

Re:利己的な遺伝子

Ladybirdさん、ようこそ。

コウテイペンギンのこの生態については、たしかNHKの『プラネット・アース』で放映されていたの見たのだと記憶しています。

生物学的云々の話は、私の譬え話からすると本筋ではないのですが、せっかくですからお答えしておきますと、
「各個体の「利己主義」の総和である」という仮説は現代的で、さもありなんという気はします。ですが、それはひとつの仮説であって、まだまだ科学的に確立された見解ではないはず。生態学者の間では定説になってはいるのかもしれませんが。

リドレーは知りませんでしたので、検索をかけて見ますと次のような言葉を発見しました。
「人間の本性を新たに『遺伝子功利主義』的に理解することによって、過ちを避けるためのいくつかのシンプルな教訓が導き出せる。人間は、公益を高めようとする本能と、自己利益を高め反社会的行動に走ろうとする本能をあわせ持つ。われわれは前者の本能を奨励し、後者の本能を抑えるように社会をデザインしなければならないのである。」
リドレー自身の言葉のようです。「前者の本能」を「生き残るための知恵」とよんでも差し使えないように思いますが?

Re: 利己的な遺伝子

 NHKのネイチャーものは映像はきれいですが,ナレーションはとても専門家のチェックを経ていると思えない低レベルです.ペンギンのお話も,専門家のチェックは入ってないと思います.
 赤の女王などと書いてしまったので,かえって誤解の元となったかもしれません.ドーキンスが「利己的な遺伝子」を書いてから既に30年.「遺伝子は利己的である」は当時すでに専門家の間では定説で,ドーキンスはそれを一般向けに書いただけのことでした.
 愚樵さんの話題はどんどん先に行っていますので,この件はひとまず積み残して頂いて,ただ心にお留めいただければと思います.

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