愚慫空論

「理と利」から「政治とカネ」を考える

田中良紹の「国会探検」 『増税の「理」と「利」』

 国民は「理屈」で動くものではない。「利益」で動くものである。その事を最も良く理解していたのはあの坂本龍馬である。凡百の勤皇の志士は「尊皇攘夷」を叫ぶだけだったが、龍馬は世の中を動かすのは「理」ではなく「利」である事を知っていた。薩長連合は理屈で出来たものではない。長州には鉄砲を薩摩には食糧を提供するなど、それぞれの藩の欲しいものを取引したから成り立った。それが日本の歴史を変えたのである。

 歴史を変えるとか、政治を行なうとはそういうことで、正論を百万回叫ぶより、欲しいものを呉れてやることだと知っていた龍馬はたぐい稀なる政治家である。この感覚は官僚的思考からは絶対に生まれない。官僚的思考は正しい理屈が実現しないのはおかしいと考えるのである。そして次にそれは国民が馬鹿だからと考え、最後に無理矢理にでも実現しようと考える。だから官僚政治は国民から嫌われる。


 ・正しい理屈が実現しないのはおかしいと考える
 ・次に国民が馬鹿だと考え、
 ・最後に無理矢理にでも実現しようと考える
 ・だから国民から嫌われる

このような思考回路、何も官僚というポジションについた人だけとは限りませんね。国民から嫌われるのは右翼も左翼も同じですが、その理由も同じではないでしょうか。官僚的思考が嫌われる。

官僚は権力を持っていますが、右翼や左翼は持っていない。だから“無理矢理にでも実現”とはなかなか生きませんけれども、思考回路は同じ。ただ思考の基盤が違う。回路が同じで基盤が違うから反撥し合う。こういった傾向を私は“権力志向”だとか“啓蒙主義”だとか“アマタデッカチ”とか呼んで嫌っているわけなんですけどね。これは今現在、権力を握っているかどうかは関係ない。権力を握りたいかどうかなんです。権力志向は世界を恣意的に切り分け対立構図を持ち込む。そうやって世界は錆びついていくんですね。

◆「利」を御する「理」

首相、政治主導を軌道修正…官僚にも協力要請

 菅首相は21日午前、首相官邸で各府省の次官らに訓示し、省庁間の政策調整について、閣僚・副大臣ら政務三役による調整と同時に、次官・局長らによる調整も容認する方針を示した。

 民主党政権は政治主導による政策決定を掲げてきたが、官僚排除により行政の混乱・停滞を招いた反省から、官僚に協力を求める姿勢を鮮明にした格好だ。

 首相は政権交代後、次官会議を廃止したことについて、「憲法の規定からいって、本来あるべき姿に近付いた」と強調する一方、「現実の政治運営の中では、反省、行き過ぎ、不十分な問題が色々あった。プラスマイナスを振り返り、より積極的な協力関係を作り上げてほしい」と指示した。

 「政治家も『自分たちだけで大丈夫』ということでは、物事が進まないこともしっかり理解している。遠慮なく大臣、副大臣、あるいは私に対して意見を言ってほしい」とも語った。


国民を裏切ることに余念のない空き缶政権ですが、この「裏切り=公約無視」と同時進行で進んでいるのが「政治とカネ」。要するに“小沢排除”ですね。

この同時並行が互いに深く関連していることは言うまでもないでしょう。「国民生活第一」「政治主導」の公約(民主党はマニュフェストといいます)を掲げて政権交代を実現させた小沢一郎を排除することと、その公約を反故にすることとは、どちらが欠けても「裏切り」は成就しない。両雄並び立たずというわけで(菅直人を「雄」とするのには甚だ抵抗感がありますが。まあ、それでも一応は総理大臣ですから)、歴史の法則のようなものですね。特に「裏切り」を画策する方は絶対に相手の存在を許しません。これは心理の問題ですが、裏切る者は怯えるからです。怯えるがゆえに、相手を許しておけない。

そんなリーダーに針路を託した日本は、ホント不幸です。そんな国がうまく行ったためしはありません。これもまた歴史の法則でしょう。

小沢一郎は官僚を全否定しているわけではありません。政治主導とはそういう意味ではない。優秀な官僚を上手く使え、の意で用いている。官僚主導になると「官の利」がのさばることになる。政治主導は「官の利」を抑えることでもあるんです。ところがその政治家を縛っているのが「政治とカネ」という「理」なんです。このような状態を「不条理」というかどうかは知りませんが、、権力志向の者たちはそういうことは感知できない。“官僚も悪い”“官も悪い”“小沢も悪い”。そして“自分たちは正しい”。

政治家だってカネは欲しい。欲しいだけじゃないて実際、要るのでしょう。政治活動にカネがかかる。政治だからといって、誰もがタダで動いてくれるわけじゃない。志があってもカネがなければ政治家になれない。それが現実だから、志を実現しようと思うとどこかのヒモ付きになるしかない。ヒモ付き、族議員です。

そもそも民主党は鳩山由紀夫の「族議員」のようなものでしょう。そこに小沢一郎がカネを引っ張ってきた。鳩山由紀夫は「理」の人ですが、それで居られたのはなんのことはない、鳩山が金持ちだったからです。鳩山族議員の頃の民主党が坊ちゃん育ちの集団だと言われていたのも、そのあたりも原因のあるだろうと思っています。しかし小沢が引っ張ってきたカネは、「利」からきたものだった。確証はないが、私はそう思っている。だからこそ政権交代も実現できた。でも、まだ「利」を御するには民主党は未成熟だと小沢は感じていたんでしょう。政権交代の前後、そのようにしばしば発言をしていました。そこから窺い知れるのは、小沢一郎が備えているであろう「利」を御する「理」です。また、それがあっての政治主導でもある。

◆カネが要るならくれてやれ

このように小沢一郎を持ち上げると、私を小沢シンパだと思われるかもしれません。今はそうです。でも、もとからそうではなかった。「政治とカネ」の大合唱があまりに酷いので、そのようになってしまった。

小沢一郎だってスネに傷を持つ身だと思っています。「クリーン」なんかでは決してないでしょう。また、本当に「クリーン」だったらば、「利」を御する「理」なんか備えることなど出来ようはずもない。「利」にまみれて「利」をくぐり抜けてきたから備えることが出来る「理」。理屈だけはなかなか到達できない「理」だと思います。

官僚は「官の利」をのさばらし暴走している。政治家がその官を抑えられない。その理由はいろいろあります。日本が好運だった時代には政治主導など必要なかったという事情もある。アメリカ追従官僚主導でおおかた平穏に行った(この時代の「平穏」を乱していたのは「理」をもった人たち――右翼と左翼――でした。とくに左翼は護憲を掲げて「平穏」を乱した。このあたりが護憲運動が嫌われた理由でしょう)。この「平穏」のなかで官は既得権益を多く獲得したが、時代は右肩下がりになったのが現在です。既得権益を守ろうとする「官の利」。日本から搾取して覇権を維持しようとするアメリカ。彼らが求めるのは日本国民の生活を第一に考えることをしない裏切り政権ですが、それがまさに今の菅政権です。その菅政権を支えているのが「政治とカネ」という「理」。不条理です。

ほとんどの日本国民は今の日本はおかしいと思っています。社会が行き詰まっていると感じている。このままでは立ちゆかないと不安に感じている。そんな状況をいかに乗り切ってゆくか。現在の日本の民主主義国家という体制を維持しながら乗り切っていこうするならば、やはり政治家に託するしかない。官僚を抑えられるのは政治家しかないからです。このままいけば国家は国民の抑えにかかる。裏切り者は必ずそのように行動します。裏切っている自分自身を誤魔化すために強権を行使するのです。そういったときに官僚組織が抑えにならないことは歴史が証明しています。「官の利」を確保するためにまず間違いなく国民を抑える側にまわる。そうなると、国民は激発するしか手がなくなる。

そうならないうちに政治家に活躍してもらうしかない。それには政治家が活躍できる下地を国民が作ることが必要。要するに政治家にカネをくれてやれ、ということです。

政治家助成金を創設せよ

無条件でくれてやれといっているわけではないのは言うまでもありませんね。もちろん条件はつく。情報公開です。

現在、政党助成金という制度がありますが、これはよろしくないと思います。政党に従属する「族議員」を増やすだけ。国民の声より政党の方針に従わざるを得ない。政治資金が出ないから。そして支持者の声と板挟みになる。今の民主党がまさにその状態ですね。統一地方選を戦えないとか言っている。資金のスポンサーと支持者とが分裂しているからそうなる。

この矛盾を解決するのはごく簡単なことです。「支持者がスポンサーになればいい」んです。政治家はスポンサーの意見に従わざるを得ない。だから企業献金禁止などといった「理」も出てくるわけですが、こういった「理」が不条理を生みだしてしまうのは、いままで述べたとおり。この「理」は“「利」より「理」”という権力志向の「理」なんです。“有権者の意思”という「理」を“カネがなければ政治活動ができない”という「利」よりも優先させてしまう。「利」を御する「理」ではないんです。

“有権者の意思”という「理」を政治家の「利」とする。そうするには政治家の得票をそのまま政治資金に結びつければよい。すなわち選挙の得票に応じて、政党を通さず、政治家個人に選挙資金を助成すればよい。これは資本主義と民主主義の両方に適った制度です。これが実現すれば、政治家の行動原理はガラリと変わるはずです。

政治家は、国民から政治資金を受け取る代わりに厳密な情報公開の義務を課されます。企業献金も受け取りたいなら受け取ればよい。いったん「有権者の理」=「政治家の利」という原則が出来上がってしまえば、企業献金など問題になりません。企業献金を受け取っている議員は「企業の利」を「自らの利」と有権者にみなされるだけのこと。そして、企業に参政権はないのです。

◆政治家を増やして議員を減らせ

政治家個人への国民からの直接助成は政治家の行動原理の変革をもたらすはずです。日本は代議士制の近代民主主義国家ですから、政治家の変革は国家そのものの変革にも即、繋がるはずです。

たとえば「一票の格差」の問題など、すぐに解決するでしょう。議会は自ら積極的に格差の解消に取り組むはずです。当たり前です。少ない得票で当選できたとしても、政治資金は少ないままだからです。それでは「政治家の利」につながらない。政治家たちは自ら進んで「利」を平等にしようと動くでしょう。これは国民にとって「理」であり「利」です。

政治家直接助成の「利」はこれに留まりません。最大の「利」は政治家の数が増えることです。現在の制度では、政治家とみなされるのは選挙に当選して議員となった者だけ。議員も“落選すればタダの人”とよく皮肉られますけれども、この原理が「政治家の利」を縛ばっている。直接助成はその縛りをなくします。

得票に応じて政治資金を得られるということは、落選して議員になることができなくても政治資金を得て政治家として活動できるということです。落選者も政治家として認められるということ。国民がその投票行動で候補者を政治家として認め、活動を支えるということです。支持者=スポンサーです。

そうなれば、国民の声に耳を傾ける政治家の数は増えていくことでしょう。政治家≒議員ですから、定数など関係ありません。政治家個人の志と能力で有権者の支持を獲得しさえすれば、政治家で居続けることは出来る。たとえ二軍(一軍は議員)であってもです。そして二軍選手が一軍を目指して競争するのは当たり前の話ですが、直接助成だと特定のスポンサーの意向を気にして歪な競争にならなくて済みます。

そうして政治家の層が厚くなれば、国民の声を汲上げるために議員の数を増やす必要はなくなります。むしろ議員は減らしたほうが意思決定はスムーズに進む。国民の声の汲上げは政治活動を下支えされた政治家たちが日常の活動で行なう。国民は選挙でその選別をすればよいことになるわけです。

ただ国民にとっての「不利」もあります。国民の政治資金の負担が増えることです。が、そこは民主主義のコストだと割り切ることが必要だと考えます。そうでなければ「利」を御す「理」など備えることはできない。「政治とカネ」などという「小さな理」も、政治資金を後ろ向きに捉えてしまう「国民の小さな利」から派生しているものです。

国民もそうバカではありません。「政治とカネ」の欺瞞には気がつき始めています。ですが「政治とカネ」の問題を主体的に受け止めることが出来る「理」が広がっていないために、まだ「小さな利」から抜け出すことはできていない。そのあたりが課題でしょう。

コメント

選挙で得た票の数で、政治資金を支給するというのは名案ですね。
それで政治家が育てられるようになったら、素晴らしいなと思いました。

子ども手当てと政治家手当て

和久希世さん、こんにちは。

単純な方法でしょ?(笑)

政治家を育てるのも子どもを育てるのも、根っこは同じだと思いますよ。コストをかけて育てるしかない。そして、子どもを育てる親には「子ども手当」。政治家を育てる有権者には「政治家手当て」(笑)

子どもも政治家も、社会全体で育てなければ。

名案ですね。

小沢氏が、既得権益連合軍から嫌われる最大の要素は、まっとうな政治家を育てようとしているからでしょう。
政治家を育てるために使われる費用なんて、現状の無駄な国家支出に比較すれば全く問題になりません。
小沢氏を守ることは、社会正義を守ること、自分を守ること、未来を守ることだと思っているだけなんですが、信者と呼ばれるようです。(笑)
生まれて初めて政治献金を昨年しました。
陸山会に献金しました。
年賀状も来ました。
政治活動費も当然にかかるでしょう。
政治とカネって言いますが、生活とカネ、学校とカネ、なんでもカネは要るのにね。(笑)

・scottiさん

小沢信者でいいのではありませんか? 政治家であろうがなかろうが、人間は信じるしかありません。他人の心の内の本当のところは誰にもわかりませんし。

陸山会に献金しました

おお。民主党が割れたら私もしてみようかな。

本来は、政治献金は個人の意思で行うべきものなんでしょうけどね。

しかし。一票は平等でも、献金は平等とはいかない。これは個人の意思ではどうにもならないシステムの問題であるところが大きい。ならばシステムを変えればいい。

そんなに大それたシステム改変ではないと思います。

私も含めてですが、政治家に献金するというのはどこか穢れた感じがあるのですね。やましい感じ。そういう「感じ」が障壁でしょうね。

知と利

本日、日本自由報道記者クラブ協会なるものが出来ました。
これまで大手メディアの偏向報道一色の国民にとっては朗報でしょう。
そして、そこで活躍されているフリーランスの記者さんに資金援助しているのもネット市民のようです。
知(情報)も、国民の利で支えましょう。
システムそのものが変革の時なんですね。

・scottiさん、おはようございます。

小沢一郎の記者会見を主催したところですよね。まだ見てないんです、その記者会見。

フリーランスの記者さんに資金援助しているのもネット市民

でしょうね。一般市民はその存在すら知らないでしょうから(苦笑)

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