愚慫空論

社会にもアンチエイジングが必要

新年が明けてもう半月も経ってしまいました。昔々、「月日は百代の過客にして、光陰矢のごとし」なんてのを教わった頃はまったく実感がなかったのですが、いまでは実感しまくり(^_^;  焦らずボチボチと思いはすれども、この実感は如何ともし難くて...

唯「環境」史観?

『銃・病原菌・鉄』を読みました。面白かった。オススメの本です。

銃と軍馬―― 16世紀にピサロ率いる168人のスペイン部隊が4万人に守られるインカ皇帝を戦闘の末に捕虜にできたのは、これらのためであった事実は知られている。なぜ、アメリカ先住民は銃という武器を発明できなかったのか?彼らが劣っていたからか?ならば、2つの人種の故郷が反対であったなら、アメリカ大陸からユーラシア大陸への侵攻というかたちになったのだろうか?
否、と著者は言う。そして、その理由を98年度ピューリッツァー賞に輝いた本書で、最後の氷河期が終わった1万3000年前からの人類史をひもときながら説明する。はるか昔、同じような条件でスタートしたはずの人間が、今では一部の人種が圧倒的優位を誇っているのはなぜか。著者の答えは、地形や動植物相を含めた「環境」だ。

(アマゾンの商品説明より)

著者のジャレド・ダイアモンドの立場は明確です。「人種による優越はない」。にもかかわらず、持てる人々と持たざる人々との差異は厳然として存在する。これはなぜか? その理由は「環境」にあるとしたのが本書です。 恵まれた「環境」で暮らしていた人々は「進歩」した社会を営むようになる。

「環境」には大きく2つの要素があります。まずは「発見」。
 ・栽培可能で利用価値の高い植物が自生しているか。
 ・家畜化可能で利用価値の高い動物が存在したか。

本書で明らかにされますが人類にとって有益な「種」は、思いの外少ない。ユーラシア大陸に偏在し、なかでも肥沃三日月地帯(メソポタミア)は「発見」の条件が恵まれていたらしい。

もうひとつの要素は「伝播」です。
 ・大陸は東西に長いほうが有利。
 ・地形的な障壁(砂漠地帯など)の有無。

ユーラシア大陸は「発見」「伝播」のどちらの要素も、他の大陸に比べて「進歩」にとって有利だった。

「進歩」のコースも定まっています。①から④へと「進化」していきます。

①小規模血縁集団(バンド) 
  数十人の血縁集団で、移動生活。
②部族社会(トライブ)
  数百人の血縁集団の集合体。定住生活で村落数は1。
③首長社会(チーフダム)
  数千人からなる階級化された地域集団。定住生活で村落集は1または複数。
④国家(ステート)
  5万人以上からなる階級化された地域集団。多数の村落と都市からなる。

当然のことながら、①から④へ「進化」するにつれて社会は複雑になり集権化していきます。さらに、「進化」は「競争」を促すことにもなる。「競争」はしばしば紛争という形になって表れ社会の攪乱要因になりますが、一方では「進化」をいっそう加速させる要因にもなります。

「競争」が「進化」を促す要因であるということは、「競争」が決着して社会が固定化すると「進化」が止ってしまうことからも例証できます。中国や日本がその実例で、これらの地域では「進歩」した技術を敢えて捨ててしまうという事態も起きた(日本の鉄砲の禁止など)。欧州では「競争」が決着することなく国家が「進化」を競ったために、他の大陸と比べて有利だったユーラシア大陸のなかでもより「進化」を大きく進めることになったと考えることもできる。『銃・病原菌・鉄』はそのような指摘もしています。

「進歩」は「エイジング」

著者のジャレド・ダイアモンドにはこの『銃・病原菌・鉄』に続いて『文明崩壊』の著作があります。そちらへ触れるのはまたの機会にしますが、そこでも著者の唯「環境」史観は健在。社会=文明を生命体になぞらえ、唯「環境」史観から文明崩壊の法則を探るというスタンスです。

社会を生命体と考えることは、社会の「進化」に一定の法則があることからもの合理性はあるでしょう。そしてそう捉えるなら、社会が「進化」していくことは成長していくこと、すなわち「エイジング」だと捉えてもよさそうです。人間の社会は、その環境に応じて子どもから大人へと「進化」していく。①の小規模血縁集団がもっとも幼く、④の国家になるほど成人になる。国家よりさらに成長した帝国を想定することもできるでしょう。

生育した大人が幼い子どもよりも生存競争において勝るのは法則と言ってよいでしょう。歴史はその法則の実例集です。が、社会を成長する生命体と考えるなら、もうひとつ避けては通れない法則があります。それは「エイジング」は「成長」であると同時に「老化」であるということ。大人の社会は子どもの社会に打ち勝ちますが、大人の社会は自身の「老化」によって朽ち果てる。これもまたひとつの法則と言ってよいでしょう。

「アンチエイジング」と精神論

現在、世界は「グローバル化」したとよく言われます。経済と情報通信のネットワークによって世界はひとつになりつつあるというのは、認めなければならない事実でしょう。また、同時に言われるのは「持続可能な社会」ということです。こちらのほうも、社会が地球規模でひとつになったということを前提として認めています。

社会がひとつになったという点でこれら2つは同じところに立ちながら、別々の見方をしているとも言えます。「エイジング」の2つの意味合いのうち、「グローバル化」と言われるときには「成長」の意味合い、「持続可能な社会」といわれるときには「老化」の意味合いをそれぞれ持つ。社会がグローバルへと「成長」したがために同時に「老化」も起こり、「持続可能な社会」の希求という「アンチエイジング」が求められるようになった。また「老化」に該当する現象はそれだけではなく、グローバル化に伴うさまざまな弊害も同様だと考えられます。

社会がひとつになってしまったことは自然な流れ、歴史の必然でしょう。良かれ悪かれ現実はそうなのですから、そのように捉えるしかない。そしてそう捉えるなら、残された選択肢は「アンチエイジング」しかない。これもまた唯「環境」史観から導き出せることなのかもしれません。

ただ、ここから先は唯「環境」史観の中身をよく考えてみる必要があります。人間の身体も精神も同じように環境に従うと考えると、唯「環境」史観は唯「物」史観と同等です。それでは先が見えない。身体は環境に否応なしに適応していくが、精神は環境に応じつつも自在に対応することが出来る。つまり唯「環境」論は精神論を担保する。(このように考えることはもはや唯「環境」論とはいえないかもしれませんが)そう考えなければ「アンチエイジング」はただ単に環境に反応した条件反射のようなものと考えざるを得なくなってしまいます。

大きく柔軟な身体へ

一般に「アンチエイジング」というと、すぐに思い浮かぶのは女性の関心の的である美容の分野でしょう。私がここで提示している社会の「アンチエイジング」は「美容の思想」に近いものでもあります。

「美容の思想」は「手入れ」の思想です。不断の「手入れ」によって「理想」へと近づけようとするのが美容の営為。そしてその「理想」の具体的な姿が赤ちゃんの身体です。大人の身体を赤ちゃんの柔軟な身体へと「手入れ」によって近づけていく。
(実際、美容にどの程度の効果があるのかという疑問はさておき...(^o^; )

社会の「アンチエイジング」が「理想」とするのは、①や②の社会形態を秩序付けていたときの精神となります。人間社会が“若かった頃”の秩序意識です。とはいうものの、それだけで大人の大きな身体、グローバル化したひとつの社会を支えられることは出来ません。そこは“大人”の秩序意識はどうしても必要。ただ「理想」は忘れてはならない。大人か子どもかの二者択一ではありません。二者択一なら大人が生き残るだけ。大人でありながら子どもの状態も保つことが必要であり、そのための「手入れ」です。

「手入れ」は、もちろん、実際の何らかの営為でなければなりません。今のところその営為の具体像を提示することは私にはできません。決まった形式や技法があるものなのか、それとも「理想」を追い求める精神がありさえすればいいのか。それもわかりません。ただ、参考になると思われるものはいくつかあります。最後にそれらを紹介しておきます。

晴耕雨読 『イスラム世界が「近代化」に“失敗”したわけ』
もしかしたらイスラム世界はすでに「アンチエイジング」の方法論を見出していたのかもしれません。
日本を守るのに右も左もない
   『世界が注目する日本人の可能性9~日本とは、アジアの希望である』

そのイスラムから見た日本の姿(失われつつある姿ではありますが。)
光るナス 『サビ落とし』
「サビ落し」は、美容に相当すると考えてください。ここには「手入れ」の思想も語られています。

コメント

文明の滅び方

文明は「老化」によって滅ぶのでしょうか、あるいは「進歩の不徹底」によって滅ぶのでしょうか。ダイアモンド氏の考察は、まだそこまで及んでいないように思うのですが。

Re:文明の滅び方

はい。仰るとおりだと思います。

私の意見では、文明は「老化」と「疾病」によって滅びます。そして「老化」が進むほど「疾病」にかかる率は高くなる。最後には「老化」は「疾病」そのものになる。

「疾病」に相当するのは、外敵の侵入、内乱。病原菌の蔓延、自然災害など。現在、世界はひとつになったと考えるならば、外敵の侵入はないことになります。自然災害+内乱が可能性としては高そうですね。

過剰進化

イスラム世界は「進化の徹底」のひとつの形かもしれません。そう考えれば「近代化」は「過剰進化」です。またそう考えると、イスラム世界が憧れるかつての日本は「過小進化」の状態だったということになる。

ただ「過小進化」だとはいっても、身体は④の国家規模だった。精神の進化が図体のそれに追いついていなかった。明治維新で日本は自身の「過小進化」に気がつき、「進化」を意図するようになる。その時の軸が「国家神道」だった。

今の日本は「過剰進化」を邁進中です。資本主義への過適応も「過剰進化」の一症状でしょう。

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