愚慫空論

VIVA!ねじれ国会 くたばれ!ねじれ内閣

名誉の負傷のおかげで世間とは全く関係なく毎日が日曜日となってしまっている昨今だが、その私に合わせてか、昨日は世間の方も日曜であった。日曜といっても身動きのままならぬ身、どこかへ出かけていくこともできないので、暇にあかしてTVなぞを見ている次第であったが、日曜のTVという舞台の中では、世間ではエライということになっている方々がお出になって、政治やら経済やら、庶民には訳がわからぬことをもっともらしく理屈を捏ね回してみせ、庶民を煙に巻くという「儀式」が執り行われるのが通例だ。
先の参院選後、そうした「儀式」に頻繁に登場する目くらまし呪文が「ねじれ国会」というやつで、素直な庶民を“ねじれ”という言葉がもつマイナス・イメージで引きずって、現在の国会情勢が異常な状況になってしまっているかのごとくイメージ操作が行われている。

そこで。当エントリーにおいて、「ねじれ国会」という現象と言葉に少し検討を加えてみたい。それをもって、少しでも政府与党と一体となったマスメディアの虚構を少しでも暴くことが出来たなら、たいへんうれしく思う。


まず、簡単に「ねじれ国会」と呼ばれる状況を定義しておくと、国会を構成する二つの議会が別々の勢力によって多数を占められ、2つの議会が対立する状態になっている、ということである。具体的には衆議院では与党、自民党と公明党が多数を占め、参議院では野党、民主党が多数を占めているという状況。

この「ねじれ国会」は先の参院選の結果生み出された状況だが、その状況下でもっとも期待されているのが、国政調査権の発動、つまり行政に国会が調査のメスを入れられるようになるということだ。
「儀式」を執り行う者たちも、さすがにこのことには言及している。曰く、「やっと国政調査権が発動できる状況になった」と。

なんという言い草だろうか。では、国政調査権はその時々の政治状況によって発動状況が左右されるのも当然のことで、それが民主主義としての政治のあり方だとでも言うのだろうか?


私の記憶では、民主主義という政治政体について始めて学習したのは中学生の頃である。たぶん私だけではない。多くのものがそうだったろうし、今でたぶんそうだろう。
そして、教科書には下のような図が掲載されていた。近代の民主主義の基礎は三権分立であるという。

三権分立


三権分立の理念はモンテスキューによって提唱されたもので(暗記しましたよね)、それは先の時代、専制政治の時代に権力が一箇所に集中してさまざまな害悪をもたらしたので、そこを修正するために生み出された理念である、という説明もなされていた。立法、行政、司法の三権は独立しているだけではなく、チェック&バランスで互いに牽制しながら均衡を保つものでなければならない、というわけだ。

この「牽制」を今風に言い換えたのが「ねじれ」である。つまり「ねじれ国会」とは互いに牽制しあうべく設けられた2つの議会が、ようやくその設立の理念に則って牽制しあうようになったというだけの話だ。だから「ねじれ国会」は決してマイナスではない。
衆議院は予算の議会、参議院は決算の議会などと言うことが言われてたらしいが、私はこの言葉を最近になって知った。なるほど、そのとおりだ。そうでなければならない。それが2つの議会が設けられた理念である。その理念を阻んでいたのが、政党という組織。憲法には一切記述のない政党が、憲法に著された理念の実現を阻んでいる。してみれば、政党とは憲法違反の存在ではないのか。

もう一度、掲げた図に戻ろう。

国会と内閣、国会と裁判所、内閣と裁判所はそれそれ黄色の線で結ばれているが、これは牽制、つまり「ねじれ関係」でなけれならない。三権分立の理念が予定していることである。
図には別の線もある。国民からそれぞれ国会、内閣、裁判所にでている青い線がそれだが、こちらの線も「ねじれ関係」か? 違うであろう。こちらは、国民の意向がまっすぐに反映されるべき、「まっすぐ関係」でなければならない

しかるに、現在の安倍内閣はどうだ? 先の選挙で「私か小沢か」と問い、否定されたにも関わらず、いまだ総理の座に居座り続けている。衆議院を通じての国民の意思であったと言うが、あれは「郵政民営化、否か応か」を問うた選挙であり、それ以上のものではないと選挙を仕掛けた当の小泉すらいっていたものだ。さらにいうならば、先の衆院選の結果は国民の意思を「まっすぐ」反映しない制度の下で行われた選挙であり、実際は国民は郵政民営化には否の結論を出していた。そうした衆議院の支持の元で成立している内閣は、いくら合法とはいえ、民主主義の法体系が予定している国民の意思を反映していない。
安倍内閣は「ねじれ内閣」なのである。

国会が予定されていた機能を発揮する「ねじれ国会」は、マイナスどころではない。大いに国民のプラスである。「儀式」には「国政の停滞」という呪文も飛び出すが、三権が「ねじれ関係」であることで権力と国民が「まっすぐ関係」にあることが担保されるなら、当然、多少の停滞は予定されていなければならない。「国政の停滞」などという呪文になど惑わされてはならないのだ。

VIVA!ねじれ国会 くたばれ!ねじれ内閣  民主主義の理念を守るスローガンだ。


追記:
遠藤農相が早くも辞任だそうな。呆れ果てたものだ。で、次の農相はだれ? どれだけ持つのかな? 意地悪な質問のひとつもしてみたくなる。
くたばれ! ねじれ内閣

コメント

議員内閣制の弱点

日本のような議院内閣制では議会多数派(与党)が行政(首相)を握り組閣する。
結果、法案はほとんど全てが政府提出で議会には速やかな可決が期待され、議会多数派の与党がトコロテン式に御座なりな議論で御茶を濁す。
保守的な議員は権力のある与党側に付きたがり、権力亡者や渡り鳥の議会多数派が形成される。
その結果が国会が国権の最高機関ではなくなり、首相の従属物扱いになってしまった。

今回選挙結果のねじれ国会で初めて首相(行政)と国会が対等に近くなった。
今までのような国会が首相の使い走りではなく、『物言う国会』が史上初めて出来上がったかもしれない。

政党とは其の起源を憲法に有するもので、憲政政治とは政党政治の意味です。

憲法99条に首相や閣僚、天皇や摂政、公務員には憲法擁護の義務が存在する。衆参国会議員は特別職の公務員で、当然憲法擁護義務が存在する。
現行憲法の破棄を綱領に明記する自由民主党が、憲法違反の存在である可能性は非常に高い。

二院制の意義を減殺する政党政治

>政党とは其の起源を憲法に有するもので、憲政政治とは政党政治の意味です

歴史的にみればこの見解は正しいでしょうが、現在の日本の政治状況において、憲政政治=政党政治といえるでしょうか?
布引さんもご指摘の通り、政党は実質的には衆参両院を上回る存在として機能してきました。両議院を上回る存在としては官僚組織がもうひとつありますが、とりあえずこれは議論から外しておいて話を進めます。
憲政政治が誕生した当時はまだ身分制の名残があった時代ですから、議会の構成もそれを反映して日本なら参議院ではなく貴族院があったわけです。政党政治が反映されるのは、衆議院ひとつでした。衆議院は貴族院に対して「ねじれ関係」にあったわけで、ここでは二院制がキチンと機能していました。
ところが貴族院が参議院に変わり、こちらも民選議員で構成されるようになると、どちらも政党によって支配されることになってしまった。ここにおいて、国会は二院制である意義を失ってしまっていたわけです。
議院内閣制という制度は、その制度誕生の経緯からして政党政治を前提にしているものです。ですから衆議院と内閣が「まっすぐな関係」になることは致し方がない。
しかし、本文でも示したとおり、分立された権力は互いに「ねじれ関係」であることが健全な民主主義のためには必要。ということは、参議院が衆議院と「ねじれ関係」にあるということは、民主主義にとっては重大な意義をもつはずなのです。なのにこれまでは、その重大な意義があまり認識されてきませんでした。

「ねじれ国会」が実現したの機に、参議院の意義についてもう一度根本から問い直す必要があるように思います。参議院議員を選出する選挙制度そのものから考え直した方がよいでしょう。

奈良県行政事案

 初めまして、宜しくお願いいたします。
 私の事案は、正に腐敗した国権が、地方行政にも及ぶ出来事であります其処に介在する元自民党国会議員が企てた事での公共工事に端を発し、行政ぐるみの不正の温床であると断言する者である。
正に其の権力が、司法にも及び、当方の案件では自らの不正を隠蔽すべく、権力行使で、警察、検察、審査会共々従わせた事で、明らかな行政ぐるみで有る中で、非情にも不問とした問題である。
つまり、奈良県行政問題掲示板を確認戴ければ、其の所業が明らかに不条理な扱いである事が明確である。
 そのサイトにある政治時事社会問題にもの申すタイトルの記述を御確認戴きたくお願いする所存であります。

 平成20年5月17日
 奈良県北葛城郡広陵町馬見北3-7-18
        早川公朗(69歳)             電話番号0745-55-5312ファックス共。

奈良県行政問題

 何時もお世話になります。
 本日、毎日新聞電子掲示板へ行政問題での事実の根拠となる問題を公表しましたので、確認戴きたい。

 平成20年6月9日  早川公朗より。

福田総理からのメツセージ。

 何時もお世話になつて居ます。
 本日、当方の問題提起での嘆願文を読みましたとの回答を得ました。

 各省庁大臣へ、問題の事案を送致いたしましたとの回答であります。
 此処まであくどい事をして来た奈良県は、此れで目がさめる者か。未だ、安心できない。
 報道関係も大袈裟に奈良なかつたら見向きもしないことであり、又、言い返せば権力に迎合してきた事のしつぺ返しを受ける嵌めになるであろう。
 取り合えず報告いたします。今後ともご協力いただきますようにお願い致します。

  平成20年6月20日      早川公朗より。

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