愚慫空論

「適切な選択肢」に欠ける日本

NHKスペシャル・シリーズ 日米安保50年 第3回“同盟”への道

日米安保条約の文言は一言一句変わっていないが、その意味するものは50年間で、大きく変貌している。「基地提供」から「防衛協力」へ。「極東」とされた範囲は「世界」へ。「安保体制」は「同盟」とも呼ばれるようになった。こうした変貌の陰で日米関係をコントロールしてきたのは、通称ジャパンハンドと呼ばれるアメリカの対日政策担当者と日本の外務・防衛官僚たちだった。東西冷戦を背景に作られたはずの安保体制を冷戦後も維持、強化させる選択をした彼ら。その過程で国民的議論はあったのか。そこには、したたかなアメリカの戦略ときわめて限られた官僚たちの密接な連携があった。官僚中心に進められてきた日米関係の実態に迫り、あるべき日米関係の姿を探る。


アメリカが主権をもった独立国家としてしたたかな国家戦略をもつことは、その戦略の善悪の議論は別として、正当なことです。
また日本において国際政治の最前線にいる人たちが、日本が国家安全保障を含む国際政治のもっと積極的なプレーヤーたるべきと考えるも、また当然のことではあります。

それぞれはそれぞれで正当なことではある。だが、それぞれを足し合わせた結果も正当なことであるとは限らない。これもまた当たり前の話ですが、日本において、“官僚中心に進められてきた日米関係の実態”とは、アメリカの「正当」な国家エゴと、日本の一部の官僚たちのこれまた“正当”な官僚エゴとが単純に足し合わされたものでしかなかった。そして、そのしわ寄せを日本国民わけても沖縄県民が喰らった。

官僚は政治家を欺す。それも国家の代表たる総理大臣をも欺す。仲間うちであるはずの官僚も欺す。そのような者たちが国民を欺すのに何ら後ろめたさを感じていないであろうことは、容易に推測できることです。“沖縄の皆さんに我慢してお世話になっていく以外にない”“それが「政治の要諦」だろう”などと言えるのは、そういった心性なしにあり得るものではない。『第3回“同盟”への道』は、そういった心性の者たちの「成果」を抉ったものだったいえるでしょう。官僚による独裁ならぬ「詐裁」とでもいうべき実態です。

そういった心性は、『第4回 日本の未来をどう守るのか』でも表れていたように思います。

最近、尖閣諸島を巡る中国との問題や、北朝鮮軍による砲撃事件、北方領土を巡るロシアとの関係など、東アジアの安全保障情勢や外交環境は急激な変化にさらされている。また、普天間基地の移設の問題も、解決の糸口も見えずに棚上げにされたままだ。今、こうした課題と向き合うために何をすればいいのか。アメリカとどのような関係を築いていけばいいのか。アジアの国々とどう向き合っていけばいいのか。そして、どんな国家を目指していくのか。日本の安全保障について積極的に発言してきた専門家たちが集まり、日本の安全保障のあるべき姿について徹底的に議論する。

<出演者>
○福山哲郎  内閣官房副長官

○寺島実郎  日本総合研究所理事長 

○田中均   日本総研国際戦略研究所理事長

○添谷芳秀  慶應義塾大学東アジア研究所所長

○豊下楢彦 関西学院大学法学部教授

○キャスター・国谷裕子


福山哲郎は「日本は独自の外交をできたとかできなかったとかではなく、そういう外交を選択してきた」と述べました。しかし、このような発言に私は違和感を憶えざるを得ません。私自身、日本国民としてそのような選択をした憶えもないし選択肢を提示された憶えもない。誰かが選択したという事後報告すら明確に聞かされた憶えもない。 なのに“選択した”などと言われても、頷けるものではない。日米安保が(日米同盟ではなく)日本の安全保障、ひいては私たちの経済的に豊かな暮らしに一定の貢献をしたことは否定しませんが、それは単に“結果オーライ”というだけのことです。

その点について、田中均は「いつ戦争が起こってもおかしくない状況のなかで、結果として安全は保たれた」といった旨のことを発言をしました。そして豊下楢彦の指摘、日米同盟において主権国家同士で国家戦略が一体化することのへ疑義、それも国会の議論を経ずして行なわれたという発言に対して、「日本と米国は一体化したわけではない」と反論した。これらは、私には「官僚エゴ」の典型のように感じられました。すなわち、“われわれ官僚が主体的に判断し、結果として日本の安全と繁栄をもたらしたのだから、それで良いだろう”という傲慢です。

確かに官僚たちは“主体的”な判断を為しえるだけの情報と能力を持っているのでしょう。そのことは議論の後半「台頭する中国とどう向き合うか」が議題になったときによくわかったような気がしました。中国を軍事的脅威という視点のみから捉えることを批判し、日本が主体的かつ多角的に安全保障を捉えるという議論には聞かせるものがあると思いました。しかし、ここでも問題は「日本」という言葉が指す意味です。おそらく田中均の頭のなかでは「日本=官僚」に過ぎないのでしょう。主体的判断をする「日本」の中に日本国民は入っていないだろうし、政治家すらも入っていないかもしれない。

では、国民は主体的判断を為しえない愚劣な存在でしかないのでしょうか。右はそうとも言い切れない結果を示しているように思えます。つまり、適切な選択肢が与えられさえすれば国民は割合に「妥当」な判断を示す。この一例だけからは断定は出来ないでしょうけれども、しかし、この一例に限って見てみれば、「アジアの国々と国際的な安保体制を築く」と選択が過半数を示したことは、驚くべきことです。国民はマスメディアから恣意的に国民に与えられる情報に従属して判断しているわけではないことが示されているからです。

仮に日本国民には妥当な判断能力が備わっていると考えるなら、問題となるのは「適切な選択肢」でしょう。さすがに私も、私を含めた一般国民に「適切な選択肢」を見出す能力が備わっているとは考え難い。そこはやはり多様な情報に接し、それを分析する能力に長けた者から与えられなければならないと思います。そして日本に欠けているのは、まさに「適切な選択肢」なのだとも思います。

コメント

不適切な遂行

日本には選択肢はいくらでもある。無いのは適切な執行(業務遂行)システム。霞ヶ関官僚が省利省益だけのために行政の執行を捻じ曲げて中抜きを積み重ねて国益を私物化しているからね。泥棒官僚国家であると外国人に喝破されてしまっているけど。

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事へのトラックバックURL
http://gushou.blog51.fc2.com/tb.php/447-2249d14b

お騒がせ三人男、海老蔵、押尾学、朝青龍

『不祥事三題話』 『吉祥』や『瑞祥』のように『祥』の字義は『めでたい』とか『幸』いで、『不祥事』とは元々は『あってはならない出来事』という意味なので、本来マスコミなど表には出ない種類の『話』なのです。 不祥事(ふしょうじ)とは、一定以上の社会的な立場を

非実在青少年や非実在犯罪を取り締まる

『石原慎太郎的な青少年健全育成条例改正』 民主主義社会とは、個人の『内心』を聖域として守ることで成り立っている。 『非実在青少年』なる不思議な言葉で有名になった東京都の青少年健全育成条例改正法案なのですが、今回は、ほんの少しだけ修正して『非実在犯罪』を

青少年健全育成条例改正案(慎太郎ワールド)

『蛸と海女』葛飾北斎(1760~1849年) 『 東京国際アニメフェア2011』 『ゲーム』はニンテンドーのファミコンの時代から日本のお家芸だったのですが、今では世界シェアが3割に落ち込んで仕舞い、世界最大のゲーム市場のアメリカが技術とプロモーションで圧倒する勢...

日本の右翼思想「現状肯定と無批判無思考」

『それにしても日本の「右」」はネットウヨ並み』 『暴力装置』発言、どう考えますか?『合法的な強制力は武力だ』 西部邁の毎日新聞12月22日付け投稿記事ですが、これが日本国の『右翼一の論客の発言なのか。』と考えると、真底がっかりする内容で本当に悲しいです

アホウドリ(信天翁)悲劇の島「尖閣諸島」

『尖閣諸島をアホウドリ領に』 現在日本が実行支配する尖閣諸島は中国や台湾が領有権を主張しているが、この島は日本領でも中国領でもなく元々人間は誰も住むものがない無人島で、アホウドリが繁殖する為に絶対に必要な島だった。 アホウドリは最大で体長が1メートル翼

 | HOME | 

 
プロフィール

愚慫

Author:愚慫
“愚樵”改め“愚慫”と名乗ることにしました。

「空論」は相変わらずです (^_^)

      

最近の記事+コメント
最近のトラックバック
月別アーカイブ
全ての記事を表示する

全ての記事を表示する

QRコード
QRコード