愚慫空論

sengoku38と赤穂四十七士(1)

sengoku38 が何を指すかは、いうまでもありませんね。尖閣諸島中国漁船衝突映像流出事件の「犯人」と目されている海上保安官です。

赤穂四十七士も説明の必要はないでしょう。日本人が大好きな物語、『忠臣蔵』の主人公たちです。

江戸時代中期、元禄14年3月14日(西暦1701年4月21日)、江戸城内の松の廊下にて赤穂藩藩主浅野長矩が、高家肝煎・吉良義央に切りつけた刃傷沙汰に端を発する。松の廊下事件では、加害者とされた浅野は、即刻切腹となり、被害者とされた吉良はおとがめなしとされた。その結果を不服とする家老大石良雄をはじめとする赤穂藩の旧藩士47人(赤穂浪士、いわゆる“赤穂四十七士”)による、元禄15年12月14日(西暦1703年1月30日)の本所・吉良邸への討ち入り及びその後の浪士たちの切腹までを題材にとった物語の総称として使われる。

Wikipediaより


今回は、sengoku38と赤穂四十七士(SGK38とAKO47)とを比べてみたいと思います。ただし当人達を比べるのではなくて、SGK38や赤穂47たちが、どのように社会から評価され処罰を下された(下される)のか、彼らの起こした事件がどのように議論された(されているのか)という点について。

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ご存知の通り、AKO47に下された処罰は切腹というものでした。切腹は死刑ですが、これもご存知の通り、単なる死刑ではない。当時、死刑にはもうひとつ斬首という方法があって、切腹」と斬首とでは斬首の方が罪としては重い。切腹を申しつけられたということは、罪はあるが武士としての名誉は尊重されたということ、つまり赤穂47は「義士」であったという評価が下された、ということになります。

この評価を下したのは、徳川幕府です。と同時に、民衆はこの評価を支持した。その支持は現在も続いている。だから『忠臣蔵』という「お話」が生まれ、現在に至るまで日本人の好きな話となっているわけですね。

また、AKO47が切腹か斬首かという問題は、(まだ確定していませんが)SGK38の処遇の問題と比較できそうです。今朝、SGK38に懲戒処分がなされるとニュースがありましたが、懲戒でとどまるなら切腹、守秘義務違反で起訴され有罪となれば斬首ということになりましょうか。

(少し話は逸れますが、SGK38が国民の「知る権利」に応えたというのであれば、裁判を受けてもらって法廷で争ってシロクロを付けた方がより「知る権利」に応えることになると思います。流出したビデオも一部であり、本当に国家機密に該当するのかどうか裁判所で「全て」を証拠として提出して判断をしてもらいたいところ。本来なら「知る権利」を擁護すべきジャーナリズムは、そのように主張すべきではないのでしょうか。そしてもしSGK38が不起訴になったなら、検察審査会へ提訴すべきなのでは? 小沢一郎にそうしたように。)

赤穂47には切腹が申し渡された。しかし、それはすんなりと決まったわけではありません。助命論も出たりした。しかもそれを展開したのが林大学頭信篤でした。大学頭とは官制学校の長、今でいうなら東大総長でしょうか。以下その助命論を引用しますが、そこに出てくる「忠孝の精神」を「民主主義の精神」、「復讐」を「内部告発」と置き換えて読んでみてください。
逆説の日本史 14 近世爛熟編文治政治と忠臣蔵の謎

 天下の政道は忠孝の精神を盛んならしむるを第一とする。国に忠臣あり、家に孝子あれば、百善それから起こって、善政おのずから行なわれる。大石以下50人にも近い多数の忠義者を今日出したのは、名教の盛んなる証として、政道上まことに慶すべきである。忠孝の大精神が一貫している以上、枝葉の点に多少の非難はあっても、(中略)深く咎むるに足らぬ。彼らは幕府に対しては毫末も不満らしい体を示さず、城地召上のさいも素直に引き渡した。彼らはただ、亡君が恨みの一刀を吉良上野介に加えんとして果さなかったのを、臣子としてそのまま生かしておくに忍びないとして、亡主の志を継いで襲撃したのである。親のための復讐、君のための復讐は今日許されているところで、その点なんら咎むるべきではないが、多人数が物々しく武装して吉良邸に討ち入った点、御禁止の徒党を組んだとしてあるいは非難されるかもしれないが、抗議に反抗せんがために徒党をしたのではなく、君の仇を復せんがために申し合わせたのであるから、外形に拘泥することなくその精神を察しなければならぬ。もしかかる忠義の精神を一貫して亡主のために尽くした士を処罰する時は、忠孝御奨励の御趣旨を滅却することになり、御政道の根本が覆ってしまう。もし今ただちに無罪を宣告せられることが差し障りを来すという事なら、当分お預けのままとして、後日何らかの機会に宥免せらるべきであろう。

(『正史 忠臣蔵』福島四郎著 中公文庫))


どうでしょう? そのままSKG38擁護になりますよね。
では、次は荻生徂徠のAKO47切腹論。

 大石ら四十余人は、亡君の仇を復したといわれ、一般世間に同情されているようであるが、元来、内匠頭が先ず上野介を殺さんとしたのであって、上野介が内匠頭を殺さんとしたのではない。だから内匠頭の家臣らが上野介を主君の仇と狙ったのは筋ちがいだ。内匠頭はどんな恨みがあったか知らんが、一朝の怒りに乗じて、祖先を忘れ、家国を忘れ、上野介を殺さんとして果さなんだのである。心得ちがいといわねばならぬ。四十余人の家臣ら、その君の心得ちがい(原文は「邪志」)を受け継いで上野介を殺した、これを忠と呼ぶことができようか。しかし士たる者、生きてその主君を不義から救うことができなんだから、むしろ死を覚悟して亡君の不義の志を達成せしめたのだとすれば、その志や悲しく、情に於ては同情すべきも、天下の大法を犯した罪は断じて宥すべきでない。
 元来、義は己れを潔くする道で、法は天下の規矩である。彼らがその主のために仇を報じたのは、これ臣たる者の恥を知る所以であるから、己れを潔くする道で、その事は義ということができる。しかしこれはその仲間だけに限る事であるから、つまり私的の小義である。天下の大義というべきものでない。
 内匠頭は殿中を憚らずして刃傷に及び処刑せられたのであるから、厳格にいえば内匠頭の仇は幕府である。しかるに彼らは吉良氏を仇として猥りに騒動を企て、禁を犯して徒党を組み、武装して飛道具まで使用したる段、公儀を憚らざる不逞の所為である。当然厳罰に処せらるべきであるが、しかし一途に主君のためと思って、私利私栄を忘れて尽したるは、情に於て憐むべきであるから、士の礼を以て切腹申付けらるるが至当であろう。しからば上杉家の面目も立ち、彼らの忠義をも軽んぜざる道理が明らかになって、最も公論であろう。もし私論を以て公論を害し、情のために法を二、三にすれば、天下の大法は権威を失う。法が権威を失えば、民は拠るところがなくなる。何を以て治安を維持することができよう。

(『正史 忠臣蔵』福島四郎著 中公文庫))


こちらはそのまま、というわけにはいかないようです。

このAKO47切腹論は「復讐」の元になる浅野内匠頭の仇の行為を「邪志」である、といっています。「邪志」を継ぐことに「義」は認められない、と。この論理をそのままSKG38に当てはめるとなると「内部告発」の元になった行為、つまり尖閣諸島での中国漁船拿捕に「義」がなかったということになるわけですが、国政を預かる立場として漁船拿捕に「義」があったかどうか(邪志があったかどうか)は議論すべきことだとしても、現場で実際に事件に対処した保安官の立場からすれば「義」がなかったとは言えない。海上保安官たちは上からの命令で行動したでしょうから。

SGK38も問いたいのは行動そのものの「義」ではないはずです。海上保安官たちの行動は「義」を問うまでもないことだと考えているでしょう。問いたいのは、疑いもなく「義」であるはずの彼らの行動が情報公開なされなかったという「非」について。「義」が「義」として扱われなかったことに対して「義」を問うた、ということです。

しかし、そう考えていくとSGK38の「義」は「大義」だったか、という疑問が出てきます。海上保安官たちの疑いのない「義」は、海上保安官たちの仲間うちの「義」です。彼らがその職務を命懸けで遂行しているのは事実でしょう。が、そこは「義」ではなく「情」に属するところです。職務なのだから当たり前と言ってしまえば、それはそれで理は通ります。もし「大義」――中国漁船拿捕に国家としての「義」があったのか――を問いたいのであれば、海上保安部が編集した宣伝用の映像では事足りない。事件の全容を明らかにするに資料でなければ足りません。

荻生徂徠の切腹論に戻ります。 ここで荻生徂徠は、AKO47に「義」はないとしながらも、「情」はあったと認めています。

“しかし一途に主君のためと思って、私利私栄を忘れて尽したるは、情に於て憐むべきであるから、士の礼を以て切腹申付けらるるが至当であろう” 

これこそ日本人が最も好む「論理」でしょう。

続きます。

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