愚慫空論

〈作法〉という知の形

いまさらながらだが、内田樹氏は私にはfavoriteである。...というより、知らずのうちにfavoriteとして位置づけられたとでも言うべきか? 感触としては、私自身がもともとfavoriteであったというよりも、周囲のdislikesに反作用する形でfavoriteになってしまったと、そんなところである。

では私のfavoriteは誰なのか、と尋ねられたとするならば、答えは内山節(うちやま たかし)氏。この人が目下のところ、私のmost favoriteである。
この人が私のmost favoriteである所以は、なんといっても“田舎の人、森の人”であるところ。内山氏の視線に極めて親近感を感じてしまう。

今日、紹介したいのは、内山節著『「里」という思想』
この著作のタイトルについて、内山氏は次のように記している。

最終的に、本書の書名を『「里」という思想』とした。ただし、「里」とは村を意味してはいない。それは自分が還って行きたい場所、あるいは自分の存在の確かさが見つけられる場所である。

もう、ここらあたりからして私にはたまらなくfavoriteなのである(笑)。



とえば私の村に暮らす人々のなかに、自然に対する深い思想を持っていない人など一人もいない。村の面積の96パーセントを森や川がしめるこの村で、自然に対する思想を持たなかったら、人は暮らしていけない。~
~村人は自然に対してだけでなく、農についての深い思索や、村とは何かという思想ももっているのに、それらを何かのかたちで表現することも、またないのである。
とすると、村人たちは、どんな方法で自分たちの思想を表現しているのだろうか。私は、それが〈作法〉をとおしてではないかという気がする。

これは『「里」という思想』のなかの、「作法」と題された一節のなかからの引用。私はこうした文章にたいへん共感を覚えるし、実際に私自身が日常接している“村人たち”の生き方も、この文章で表現されている通りだと思ってしまう。


どこかで書いたかもような記憶もあるのだが、繰り返しを恐れずに書く。私のご近所のとある婆さんの話。

その婆さんは私のお向かいさんなのだが、いつも一生懸命畑仕事をしているその婆さんに向って、私は尋ねてみたことがある。「なぜ、そんなに畑仕事をするの?」
こう尋ねたのには訳がある。私たちの家庭はそのお向かいさんから、いつものように畑で出来た野菜なら何やら、いろいろとおすそ分けを頂く。ウチはウチで畑があって、妻がなんやかやと作ってはいるのだが、出来がわるかったり、またウチでは作っていない種類のものがあったりで、いろいろとおすそ分けを頂戴するのである(たま~に、ウチからもお向かいさんに行くこともある)。
もちろん、ご自分の子どもたちのところにも農作物を頻繁に送っている。ときには頂きものを私たち夫婦の親戚にまで送り届けたりすることがあり、それでもお向かいさんの畑には、誰の口に入ることもなく捨てられてしまう農作物が山と残るのである。

私が質問をしたのはそうした状況を踏まえてのことであった。もう高齢で畑仕事も決して楽ではなかろうに、必要以上に畑仕事をしなくても、いわば需給調整をすればという意味で、上のような質問を発したのだった。

返ってきた答えは「これは私の趣味」というものだった。この答えに私はそれ以上なんと返したらよいか、わからなかった。ただわかったのは、その答えのそのものには意味はない、本当は趣味なんかではない。それがその婆さんの生き方なんだということであった。


内山氏の文章を読んだ今では、婆さんは「これは私の思想」と回答すべきだったと考えている。いやいや、婆さんは言葉で回答はしないのだ。先の婆さんの回答はまやかしにすぎない。婆さんの表現は、その身体をつかってなされている。文字通り、思想を体現しているのである。

この婆さんの思想の体現は、普通に考える〈作法〉とは異なるものだけれども、私はこれもやはり〈作法〉なのだと思う。私の半端な経済合理性から出た質問に、言葉ではなく〈作法〉で回答を示したくれたのだった。

しかし、この婆さんには私に対して回答を示したという意識はないだろう。思想を表現してはいるが、それは誰かにむけてその思想を伝えようとして発せられたものではない。そういう性質のものである。強いていえば、自分自身に向けてか、ご先祖様に向けてか、全知全能の神に向けてか。〈作法〉とは、そういうものなのであろう。


〈作法〉が思想であるとするならば、〈作法〉もまた「知」のひとつの形であるということが出来る。しかしこの「知」は、「表現への意志」をもたない、誰へのメッセージ性も持たない「知」であって、暴走の心配がない「知」なのである。

〈作法〉という「暴走しない知」に対し、内山氏は「暴走する知」として次のようなことを述べている(内山氏は「暴走する知」などという言葉は使っていない。念のため)。

ところが、近代から現代の思想は、このような、日々の暮らしとともにあった思想を無視したのである。その結果、思想といえば、文章という表現形式を持ち、文章を書く思想家のものになった。そして、いつの間にか人間の上に君臨し、現実を支配する手段になっていった。
こうして生まれたのが、理念が支配の道具になった二十世紀の現実である。二十世紀の世界では、自由や民主主義という理念さえ、この理念によって社会を維持し、人々の考えを支配する道具として機能した。そのことに気づいたとき、私たちは、思想とは何かを、根本から考え直さなければならなくなった。


今、一部の人たちの間で〈作法〉や〈仕来り〉を見直し、大切にしなければならないという主張がなされいて、これが例えば民主主義なる「理念」に違和感を覚える一部の人たちから支持されているような事態も生じている。だが〈作法〉本来の性質から考えると、こうした主張はおかしい。というのも、〈作法〉は「表現への意志」をもたない「知」の形であるからだ。
〈作法〉を守らねばならないという主張は、「表現への意志」を持つが故に、それはもう「理念」になってしまっている。「理念」という「知」の形は「暴走する知」の形である。実際に「作法」は「伝統」や「歴史」というバリエーションを伴って、人間の上に君臨しようとしている。

追記:最近、内山氏は映画監督の小栗康平氏(といっても私は知らないのだが)と往復書簡ということで、そのやり取りをネット上で公表しておられる。是非とも一度、覗いてみてください。
『小栗康平・内山節の往復書簡』

コメント

あまり関係ないですが

内山さんは読んだことないのですが、農文協から何冊か本を出されてますね。
愚樵さんは、農文協の甲斐良治という人はご存知ですか。
彼は、学部は違いますが同じ大学の1年上にいた人で、ちょっとばかり付き合いのあった人です。

農文協は my favorite 出版社ですが、甲斐良治という方は存じ上げません。農文協から何がしかの著作を出版されている方ですか?

著作を出しているかどうかは分かりませんが、今は農文協の「現代農業」という雑誌の編集長かなにかをやっているみたいです。
全国の農村とかを講演して回っているみたいなので、ひょっとしたらと思ったもので。

他は是れ吾にあらず

愚樵さん。
おはようございます。
今、時間がないので大慌てて書いています(なら書くなって言わないでね)。
頂いたトラックバック興味深く拝見しました。
なんとなく「他は是れ吾(われ)にあらず」、道元禅師を思い出しました。
http://www3.ic-net.or.jp/~yaguchi/houwa/tenzodanwa.htm

今から出掛けるので、書き逃げします。
じゃあ後ほど。

どこかで読んだような話

瀬戸さん、ありがとうございます。

どこかで読んだような話ですが、つまらない話ではない。道元禅師のお話、とても心に響く話です。

ごく最近のコメントで水上勉が出てきましたけど、水上勉ともどこか似ている。あ、水上勉は禅寺で修行したんでしたっけ?

禅問答というと、訳のわからないもの、屁理屈の代表選手のような言われ方をしますが、ごく最近まで、日本人は禅の思想を血肉としていた。禅の思想の体現者であった。禅を語れなくても禅の心はしっかりと捉まえていた。そういうことでしょうか?
そうならば、それは禅が語れるなんてことよりも、よほど素晴らしいことのように思えます。内山氏が「理念」を批判するのも、もっともです。

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