愚慫空論

尖閣諸島が中国の領土だとして

素朴な疑問です。

もし仮に尖閣諸島が中国の領土だとして、いったいどこに不都合があるのか?

正直申し上げて、私個人としてはべつに何の不都合もありません。


もうひとつ正直なことを申し上げますと、不快感はあります。間違いなく。“中国に領土を取られる”という不快感。

ですが、私は自覚は持っているつもりです。この不快感は、私自身が生みだした不快感に過ぎないという自覚。尖閣諸島が日本の領土だなどというのは、私の思い込みに過ぎません。
もちろん、私だけの思い込みではないことも知っています。多くの日本国民が共有する共同幻想です。

“尖閣諸島が日本領である”という思い込みは共同幻想であるがゆえに、“中国に領土を取られる”という不快感は容易に周囲と共有されることになります。そしてここに“不快感が共有される”という快感が生まれる。いつものように途中経過を素っ飛ばして結論してしまうと、この「快感」がナショナリズムといわれるものの中身です。

自覚を持つ私は、この「快感」に身を委ねるつもりはありません。委ねたら気持ちいいだろうな、幸せだろうな、とは思いますけど(苦笑) 


そんなわけで、私には特段の不都合はない。

尖閣諸島問題には漁業資源の問題、それから地下に膨大に存在するといわれている石油資源の問題が絡んでいることは、知識としては知っています。そうした資源の所属が問題になっていることも理解はしています。

しかし、そうした資源が日本国に所属しようが中国に所属しようが、私には直接関係はない。私に関係あるのは、そうした資源を私自身が消費できるかどうか、です。安価で購入できるかどうか。たとえ日本国に所属するものであったとして、高価で購入できないのなら何の意味もない。中国から買おうが日本から買おうが、消費者の視点から見れば商品は商品です。今、私たちが暮らしている消費社会は、世界各国の商品が溢れている。もちろん、中国の商品もです。尖閣諸島で採取採掘された資源が中国商品として日本で販売されても、消費者としての私は(不快感以外の)何の不都合も感じません。


このようなことをいうと、“オマエは自分の都合だけよけばいいのか!”という非難の石が飛んできそうです。こういった批判は大抵が「不快感」に基づくものでしょうから取り合うつもりはありません。ですが、実際の利害関係者(たとえば尖閣諸島付近で操業している日本国の漁業関係者)は、単に不快感だけではない。実際的な不都合があるでしょうから、“オマエは自分の都合だけよけばいいのか!”という批判には、取り合わないというわけにはいかないでしょう。

だた、取り合うとは言っても、正直に申し上げて、できるのは、“たいへんですね”と同情して差し上げることくらいのことです。私は当事者ではないのですから、実際の話、それが限界です。そして、同情というのであれば、同じく利害が絡む中国の関係者にも向けられるべきだとも思う。心情的には同じ日本語を話し容易にコミュニケーションが取れる日本側の肩を持ちたいのは山々ですけれども。

日本にも中国にも等しく同情する立場からみると、そもそも国境などといったことで争うことがバカバカしい。いやもちろん、当事者にとっては境界線が死活問題になることは理解出来ます。そこを理解するのはさほど難しいことではない。国境に限らず境界線を巡る争いは社会のどこにでもある問題で、社会人ともなれば多かれ少なかれ「境界線問題」に関わらずにはおれないのが現実だからです。


とはいえ、多くの場合、「境界線問題」は当事者同士の問題だと、当事者も周囲の者も認識するのが普通です。求められもしないのに何の利害関係もない人間が問題に介入してくることは、まずない。善意の第三者が介入して来るということが全くないとは言い切れませんけれども、そうした第三者が本当に善意なのかどうかは疑わしいところ。まず、疑われるのは当たり前ですし、善意のつもりで介入する方もまず疑われることを心得えておくのが当たり前。

ところが、「境界線問題」が国家同士の「国境線問題」となると、そうした「心得」はたやすくどこかへ素っ飛んでしまいます。実際的な利害関係は皆無であるにもかかわらず、自分にも介入する権利があるような錯覚に支配されてしまう。考えてみれば不思議なことです。


確かに国境が特別な境界線であることは間違いない。県境を越えるのと国境を越えるのとでは、同じ境界線でも感慨はまったく違う。それは私も認めますし、多くの人が共有するだろうと思います。が、そうした「感慨」が権利を主張する基盤となりえるのかといわれれば、私には疑問です。それとも、多くの者が「感慨」を共有しさえすればそれは権利の基盤となり得るのか? シオニズムをはじめ多くの宗教紛争を眺めると、この問いの答えは“Yes”となりそうですが...。

コメント

TBありがとうございます。

 凄く納得してます。してますが、やはり疑問はあります。
 国境(国家)という共同幻想を疑わずに盲信する要因は「人間のエゴ」ではないかと思うんですね。
 「エゴ」故に本来“ない”「国家」を共同幻想によって創りだすのは、得をしようするため。単純な損得です。愚樵さんがいうように“私”は直接“得”はしないかもしれないが、日本という国家が得することで、日本という国家に属する“私”が得をする(かもしれない)。漁師にしても、日本の領土ということになれば、漁場を占有できるため、またそこで得られた利が税金となり、日本に属する人に還元される(かもしれない)。つまり自分(たち)だけが“得”をしたいエゴによって国境(国家)が創りだされる。
 つまり愚樵さんが仰る「自分が直接“得”するか否か」ということでいけば、「自分が(間接的であるが)“得”する可能性のある国家の共同幻想」は有効である、と言える気がします。
 
 ところが今回の件をみると片方の国家が得をした分、他方の国家が損をしたかといえばそうではない気がします。
 国家と関係なく現場の漁師が譲りあってか奪いあってかしりませんが、兎に角そこでしていた言葉のちがう漁師たちは国家の介入と同時に漁が困難になったり、将来はメキシコ湾よろしく油の海となり、すべて漁師は失業するのも国家が介入しているからです。

 漁だけでに留まらず、今回のように「共同幻想」どうしが争うことで相手の気持ちを害し、誰も得をしない方向へ向かうことになります。


 ということで、国家(国境)は人間のエゴによって創りだされ、最後にはエゴ(国家)によって誰もが損をする結果を迎えるのではないかと、想像しています。

毒多さん

国境(国家)という共同幻想を疑わずに盲信する要因は「人間のエゴ」ではないかと思うんですね。

はい。私もそう思います。ですが、「エゴ」=「損得」とはいえないと思うんです。

別の共同幻想(境界線)の例で考えてみます。たとえば、「ブルジョア/プロレタリア」という境界線。

この境界線も幻想に過ぎません。社会はこんな境界線で二分できるほど単純なものではありませんが、日本でも一時期、こうした境界線を基準にシステムを組み上げることが可能だという共同幻想が一部の人間のなかで共有されたことがありました。その共有幻想は幸か不幸か一部に留まり、支配的な共同幻想に至ることはありませんでした。
しかし、この「ブルジョア/プロレタリア」が共同幻想であったことは間違いありませんし、仮に支配的な地位を占めるようになれば、プロレタリア独裁のシステムが実現したであろうことは疑いはありません。

共同幻想が「エゴ」に拠るとするならば、「ブルジョア/プロレタリア」も「エゴ」から出たものだということになります。私はそう考えています。ですが、この「エゴ」が損得なのかというと、それは違うと思います。実際、損得を越えたところで「エゴ」を主張した人たちも多かった。

「エゴ」は損得を越えることもある。では、「エゴ」とは何なのか? 

「エゴ」とは、端的に言ってしまえば、“他人を支配しようとする欲望”です。「ブルジョア/プロレタリア」にせよ、「日本国」にせよ、これらの恣意的な区分けを他人と共有すること。私的幻想を共同幻想へと格上げして、私的幻想をして権威となさしめること。

さらに言うならば、これら私的幻想の権威化に際して使われる武器が、左であれば「論理」。右であれば「情緒」。そして、それらの権威に抵抗する人間には、“論理を解しないバカ”だとか“非国民”だとかいうレッテルを貼る。すなわち、「エゴ」というレベルにおいては、その種類に違いがあるだけで、右も左も同レベルです。“損得を越えている”つまり「善意」によって為されるというとことも同じで、それゆえ、質が悪い(カルト的)のも同じなんです。

ですから、

愚樵さんが仰る「自分が直接“得”するか否か」ということでいけば、「自分が(間接的であるが)“得”する可能性のある国家の共同幻想」は有効である

という意見には同意できません。むしろ、自己の“得(利益)”を最優先に追求すれば、共同幻想といったものは無効になってゆく。逆に共同幻想を維持するコストの方が高く付いてしまうことが意識されるようになります。

尖閣諸島を領有しそこで経済活動が行なわれれば、税収は期待できます。が、紛争地であるということからすれば、まず懸念されるのはコストでしょう。それも、「実力行使」ということにまでなってしまうと、「人命」というコストまでかかってくることになります。自己の“得(利益)”を誰もが最優先に考えるならば、自らの生命というコストに見合う“得”などあろうはずもありません。

「国家」という共同幻想に代わる「地球市民的」共同幻想なぞ存在しない。

こんばんは。今回の愚樵さんのご意見はちょっといただけませんねぇ。
「俺は関係ねえから」という態度で、今回の問題について「感情論に過ぎないたわごと」扱いするのは、如何なものでしょうか?

直接利害関係が絡まない問題だからいい、とか、感情の問題に過ぎない、という愚樵さんの考え方自体が、まさに「地球市民的」考えで、世界の現実から遊離していますね。

国家というものが共同幻想を基盤としていることは認めます。
しかしながら、そもそも共同体の基盤が共同幻想の上に成り立っているという現実を踏まえないからこそ、そのような考え方が生まれるのではないでしょうか。

尖閣が日本の領土という共同幻想が間違っているのであれば、本来ならば、それを正すべく主張すべきでしょう。
ところが今回、中国の主張に理解を寄せる左翼の中からは、日本の主張を真っ向否定するようなことはせず(論理的にも無理だから当たり前なのだが)、喧嘩両成敗のような形を取っているのが殆どです。
要するに中立を装いながら、利敵行為をはたらくようなものです。

残念ながら、今回の愚樵さんの記事も、その類いに見えて仕方ありません。

>日本にも中国にも等しく同情する立場からみると、そもそも国境などといったことで争うことがバカバカしい。

そこまで言われるのであれば、「それならどうぞ日本国民としての恩恵も一切受けずにどこかの無人島で自炊してください」とても言いたくなってしまいます。
ただ、これは単なる感情論に過ぎず、実際にそうしろと言っているわけではありませんので誤解なきよう願います。
もちろん、そうした人間でも共同体の一員として受容しなければならないことも理解しております。

ただ、そうした人間ばかりになれば、共同体は崩壊し、弱肉強食の世界になることでしょう。

愚樵さんがそうした発言をするのは自由ですし、当然認められるべきだと思いますが、一方で、私は日本をそのような社会にしたくはありませんので、愚樵さんのような意見には断固反論させていただきます。

エゴからの解放

愚樵さん

>国家という共同幻想が無効
うーむ、そうかもしれないなぁ。確かに純粋に「損得」だけを考えればもっとすっきりしている。共同幻想のなかには、意地とかプライドとか、、特に日本という国家には「武士道」みたいな精神が入っていたりして(ここ適当なんでツッコまないで欲しいのですが)、むしろ問題はそっちかもしれない。

とはいえ、国家(国境)を前提にした誰かだけの「純粋な損得」では、現状をとかわらいないか、競争のみになるでしょうね。
だからこそ、憲法前文や9条のような幻想を誰もがもち、「誰かの損は私の損」「誰かの得は私の得」という共同幻想ができてくればいいと思うわけです。

多くの人間のエゴからの解放かぁ、、、こりゃ無理っぽいねぇ。人間とエゴは一体みたいなもんだいしなぁ。


 最近、沖縄が中国の一部になったら…、ということをよく考えてしまいます。
 今回のノーベル平和賞の授与について香港以外の中国メディアは一切放送していないようですし、さまざまな情報規制が敷かれています。
 はたして、沖縄は香港のような特別な地位が与えられるだろうか?また、与えられるとしても、それがいつまで続くだろうか?
 気になることは、香港の人たちは漢民族ですが、沖縄はそうではないということです。
 また、ちょっと都合が悪くなると、沖縄独立!とか叫びたがる人たちもいるけど、それ以前に、「より民主的な制度が望ましい」と主張しただけで国家反逆罪とかに問われそうだし…。

 尖閣には人が住んでいないけど、そこは行政区としては沖縄の一部なわけです。そこが中国のものになるとしたら、沖縄もまたそうなる可能性が強まる、と考えてしまうのです。
 それは考えただけでも悪夢です。
 中国の中の少数民族でいるより、日本の中の少数民族でいたほうがはるかによいのは明らかです。
 そう考えると、とっても《日本》に世話になっているなあ、と思うのです。

「エゴ」の実例

・一知半解さん

わはは、やはり来ましたか、この手の批判が。

このようなことをいうと、“オマエは自分の都合だけよけばいいのか!”という非難の石が飛んできそうです。こういった批判は大抵が「不快感」に基づくものでしょうから取り合うつもりはありません。

と、本文で断わってあるのですがね。まあ、でも、せっかくですからお付合いしましょう。

「俺は関係ねえから」という態度で

それは一知半解さんの勝手な解釈です。

“不都合はない”は“関係ない”ではありません。
“関係はあるが、不都合はない”です。

では、どういった関係か? それは一知半解さんがあり得ないといった「地球市民的」関係。ただし、それはサヨクが思い描くようなものではなく、経済経済グローバリズムの進展によって好むと好まざるとに関わらず、巻き込まれていく関係です。

要するに中立を装いながら、利敵行為をはたらくようなものです。

一知半解さんにとって中国は敵なんでしょうね。私にとっても中国政府は敵かもしれません。また、日本政府も敵かもしれない。己の利権しか頭にない連中に支配されているような政府なら。

ですが、中国人は別に私にとって敵ではありません。日本で暮らしているからといって、中国で暮らしている人たちを敵にしなければならない法はどこにもありません。

私は毒多さんへの返答で、「エゴ」を“他人を支配しようとする欲望”だとしましたが、一知半解さんの態度はまさしくその「エゴ」だと私には映ります。一知半解さんの「中国(人)敵認定」を私にも押しつけよう。そして、それを受け入れなければ

そこまで言われるのであれば、「それならどうぞ日本国民としての恩恵も一切受けずにどこかの無人島で自炊してください」とても言いたくなってしまいます。

とくる。一知半解さん個人の感情論だと断わっておられますが、まあ、それはつまり、上で取り合わないと断わった「不快感」でしかないわけですよね。

「エゴ」が満たされなければ「不快感」を覚える。ありがたいことに、一知半解さんは「エゴ」とは如何なるものなのか、その実例をしてしてくださいました。

〈システム〉の問題

・毒多さん

だからこそ、憲法前文や9条のような幻想を誰もがもち、

私は9条を「幻想」だとは捉えていないんですよ。

近代の国民国家は戦争によって誕生した。戦争は相手がなければ出来ませんから、国家とは味方と相手とを線引きして「敵対」するための「幻想」といってよい。

9条はその「敵対」を否定するわけですから、その精神を敷衍すれば国家という「幻想の否定」だということになる。それ以上でもそれ以下でもない。

9条はとどのつまり、“戦争はイヤだ!”というだけのことでしょう? それを高尚な精神だと持ち上げる人もいますが、私はそれには共感できないんです。9条は否定でしかないんですから。「共同幻想」は建設的な一面もあって、だからこそ国家などといった組織が出来上がるわけですが、「幻想を否定」するというのは、建設的な一面をも否定するということでなければスジは通らない。それを建設的な一面だけは残して“崇高だ”などと評するのは、ご都合主義でしかないと思うわけです。

多くの人間のエゴからの解放かぁ

独力での解放は、まず無理でしょう。でも、他者の助けを借りれば不可能ではないと思います。

ご自分の家族のことを思い起こしてください。そして幸福とは何か、ということを考えてみていただきたい。

家族のなかで主人として毒多さんの「エゴ」を押し通すことが、毒多さんにとっての幸福ですか? 

おそらく違うと思います。家庭という場でそれぞれの「エゴ」が解放されることが、幸福なのではないでしょうか?
そういった幸福をイメージできるなら、「エゴ」の解放もまたイメージできるはずです。

〈システム〉にどっぷり漬かってしまっている私たちは、そんなことすら忘れてしまっているのではないでしょうか?

naokoさん

最近、沖縄が中国の一部になったら…、ということをよく考えてしまいます。

その想定は、このエントリーの枠を遥かに超えてしまうのですが...(苦笑)

尖閣には人が住んでいないけど、そこは行政区としては沖縄の一部なわけです。そこが中国のものになるとしたら、沖縄もまたそうなる可能性が強まる、と考えてしまうのです。

中国はそのような野望を抱いていると言われますねぇ...。

中国の中の少数民族でいるより、日本の中の少数民族でいたほうがはるかによいのは明らかです。

いや、それはどうかわかりませんよ。確かにこれまでは日本の方がよかったと言えると思います。でも、これから先も確実にそう言いきれるかどうか。私には疑問です。

それにしても、日本の中の少数民族といった自覚をもっておられるわけですか? う~ん...

そう考えると、とっても《日本》に世話になっているなあ、と思うのです。

これからも世話されたい国であればよいのですが。そのためには、米国からの独立が不可欠ということになるのでしょう。ですが、このままでは米にも中にも踏みにじられそうな気配です。

愚樵さん、レスありがとうございます。

>“不都合はない”は“関係ない”ではありません。
>“関係はあるが、不都合はない”です。


確かに誤読だったようです。失礼しました。

>ただし、それはサヨクが思い描くようなものではなく、経済経済グローバリズムの進展によって好むと好まざるとに関わらず、巻き込まれていく関係です。

如何に経済グローバリズムが進展しようと、「地球市民的」関係は確立されることはないでしょうな。
人間はそれほど賢い存在ではありませんし、国や地域ごとに様々な段階の社会がある以上、シンクロするようなことはありえない。
万が一ありえるとしたら、強権による独裁社会でしか実現しないと思います。

>まあ、それはつまり、上で取り合わないと断わった「不快感」でしかないわけですよね。

不快感は否定しません。
ただ、それだけではありません。
共同体社会の構成員が皆貴方のような考えを持てば、その共同体は崩壊すると指摘しているのです。

別に貴方を従わせようとしているわけではなく、第三者が、貴方の「地球市民的」幻想なるものに惑わされないよう反論しているに過ぎません。

お言葉ですが、沖縄県民として、これまでも、これからも日本の一部でいた方がはるかによい、とわたしは確信しています。
中国の一部となるという未来は、どう考えても想像を絶する悪夢です。
もしも本当にそうなった場合、悩むでしょうが、結局は内地へ脱出すると思います。
わたしには日本のこれからを自分の問題として悩むことはできても、中国のこれからを同じように悩むことはできません。

とは言え、アメリカと中国で頭越しに話が決まってしまっては、どうにもなりません。そうさせない知恵が必要です。
おっしゃるとおり、日本の活路は、最終的には、アメリカにも中国にも頼らない精神的・政治的自立の道を探り続けることにしかありませんね。

素朴な反論

お説拝読致しました。
このレベルまで考察するなら、論理的に誤りはなく、
1つの御意見としか言いようがありません。
ただし、この「共同幻想」は国を維持する力の根源そのものであり、その否定(相対化)は国の否定です。
現実的には例えば中国か米国に吸収併合されるでしょう。
「共同幻想」を放棄するのも維持・強化するのも選択の問題です。
ただし、一旦国が消滅した後にもう一度建国するのは現実的に困難であり、選択は不可逆的だろうと思います。

おそらく

池田晶子が「国家なんぞは共同幻想」といったとき、そんなもん幻想なのだから幻想に振り回されたり、ましてや幻想をマジにとらえて踊らされたりすることなく、あなたはあなたとして「自覚的」に生きろ、ということを言っていたと思うのですが、悪しき共同幻想だから解体されるべきと、考えていくのは途方もないチャレンジだと感じております。
そう、常識人にとって、第三者が「惑わされる」ことを恐れるほどのチャレンジだと、あらためて感じています。

9条が幻想ではないという理論はわかりました。おっしゃるとおり護憲(特に9条にこだわるもの)が、ご都合主義に陥るのはおかしいですね。9条を賛美しながら国家を否定できない、という矛盾は、おそらく誰もが人間のエゴ、、いや自分のエゴを否定できないからでしょう。
ちなみにウチの家庭は(ヨメと子どもの)エゴだらけですよ、、という冗談がいえそうなコメ欄ではなさそうですから控えますが、、、これはエゴの否定というだけでなく、現実として推し進めるにはとてつもなくシンドイ作業になるでしょうから、9条を賛美して誤魔化しているってのが現実でしょうね。

ふう、どうしよう。他人事じゃないんだよなぁ、、、ワタシは人一倍シンドイの嫌いだしなぁ、爆!!

いっそ無人島に逃げ出したい気分だ。でも、線引きされてない無人島はないだろうしなぁ。逃げ出す無人島さえないのは国家があるからなんだろうなぁ~。そうそう国家から捨てられて居る場所がなくなり「公」の「園」という線引きされた場所にもいられないのも国家(線引きシステム)のせいだしなぁ、、、、。やっぱ国家の弊害ってのは、、、


一知半解さん、ヒッキーさん

お返事、遅くなってしまいました。

共同体社会の構成員が皆貴方のような考えを持てば、その共同体は崩壊すると指摘しているのです。

ただし、一旦国が消滅した後にもう一度建国するのは現実的に困難であり、選択は不可逆的だろうと思います。

ええ、その通りだと思います。

で? だから? 

私にはおふたりにはある共通する「前提」があるように思われるんですね。それはおそらく、

国家という共同幻想はファイナルアンサーだ

というもの。でも私はそんなふうには考えていない。“次”があると考えている。ここのところ、視座が大きく違うんですね。

もう少し言うと、現代の社会において、国家という共同幻想は最上位のものですらない。もっと上位の、つまりもっと支配的な共同幻想がある。それが貨幣です。国家という共同幻想は貨幣という共同幻想の下請けでしかない、というふうに考えている。

このエントリーの視点はどういったところにあるのかというと、“国家はなくても不都合ではない、貨幣がありさえすればよい”というものなんですよ。“貨幣の前には日本人も中国人もない、みな平等”です。だから“不都合はない”というんです。余分な「下請け」はなくてもいいよ、ということなんです。

もっとも“貨幣がありさえすればよい”は私の本意ではありません。これはお断りしておきます。

毒多さん

悪しき共同幻想だから解体されるべきと、考えていくのは途方もないチャレンジだと感じております。

悪しき共同幻想は、放っておいても解体されていくと思いますよ。誰ににとっても都合が悪くなれば、誰もが共有しなくなるのは当たり前の話です。

問題は解体のされ方。ハードクラッシュはソフトランディングより悪い。が、もっと悪いのは“次の”共同幻想が見当たらない場合。ソフトにせよハードにせよ“次”がなければお話にならない。たとえ「途方もないチャレンジ」であったとしても、チャレンジするしかないと考えています。

では“次”にチャレンジするのは誰か? 「革新」とはチャレンジしていると自覚している人たちのこと。つまり左翼がチャレンジするわけです。「ブルジョア/プロレタリア」は、左翼がチャレンジしたその証です。でも、そのチャレンジは失敗に終わった。

チャレンジに失敗はつきものですから、それはいい。大切なのは、今もチャレンジをしているか、ということ。革新なんだから。チャレンジなくして革新なんていえません。

なるほど、確かに左翼は、国家という共同幻想の不具合を正そうチャレンジしている。それは私も認めるます。でも、“次”にチャレンジしているかというと、そこには合格点はあげられない。“次”という基準でみると、左翼はむしろ保守です。腐れ堕ちつつある国家という共同幻想を一生懸命立て直そうとしている。

共同幻想は永遠に持続するものではありません。それゆえに幻想なんです。永遠に持続するなら真理です。

ならば、現行の共同幻想が悪しきものだと感じれば、“次”を夢想するのは思索を為す者の勤めではないですか? “次”だけが思索のネタではないですが、大ネタであることには間違いないと思います。


ちなみに。悪しき共同幻想っていうのは、「設計図」です。これは少し前にアキラさんのところで使われた言葉ですが(毒多さんはご存知ですよね?)。もっというと、システム化した共同幻想。緻密な「設計図」のごとくシステム化されてしまった、すなわち「全域化したシステム」。

システムを構築するロジックの基盤となるのが共同幻想です。悪しき共同幻想(=設計図=全域化したシステム)とは、あるひとつの(あるいは一塊の)共同幻想が支配的になって状態。そうなると、一部の「勝ち組」を除いた大部分の者は、疎外された息苦しさを味わうことになる。現代の日本は、まさにそんな状態でしょう。

naokoさん

沖縄県民として、これまでも、これからも日本の一部でいた方がはるかによい、とわたしは確信しています

なるほど。naokoさんの「確信」を批判する権利は私にはありません。私も同様の「期待」は持っています。

本当は私も「確信」といきたいところですが、本土人として、これまでの沖縄への仕打ちを思うと、ちょっと「確信」とは言えません。まして、今の日本政府の現状...、ひどいものです。

「逝きし世の面影」からTBいただいた記事でも指摘されていますが、今回の尖閣諸島問題、仕掛けたのは日本の方です。マスゴミはいつものごとく報道しませんが。

では、何が目的で仕掛けたのか? これがどうも国益のためではなさそう。一部の政治家が国を売ろうとしている、とはまだ言い切れないでしょうけど、そう疑われても仕方がないほど、胡散臭い。

そんな日本と比べると、少なくとも中国は国益には忠実です。忠実すぎで国民を蔑ろにしますが、国を売るような人間が国を動かしている国と、どちらが国民にとって幸福か? まだ日本の方がマシと信じたいですが、安心しているとまだ中国の方がよかった、ということになりかねないとも思っています。

おじゃまします。

若年層右傾化の背景と限界

右傾化してしまう心理状態は以下のように説明できる。本来ならば支配者に反抗するところであるが
自分に自信を持てない人間は反抗できない。ひたすら耐えながら恨みを蓄積させていくしかない。
鬱積した怨恨を抱きながら、支配の重圧に甘んじなければならない人間の心は奇妙に変化する。

現状に耐えかねて、支配者に同化しようとする。そして自分が支配者になったと勘違いすることで
支配されている状態を忘れ、自分を慰める。これがマイノリティーである在日韓国・朝鮮人や社会的弱者のために闘う労働組合を攻撃する心理的背景である。

一知半解さんからのコメント

当コメントの投稿者は管理人ですが、主は一知半解さんです。スパムと判定されブログに反映されないとのことですので、管理人が代って投稿いたしました。

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愚樵さん、こんばんは。
何度もスパム判定されてしまったコメントですが、表に出ることを願って遅まきながら再度投稿してみます。

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「だから何?」と返されてしまっては、最早議論を通じて双方納得するという形にはなり得ない事は明白だと思いますが、一応、反論させて頂きます。

>私にはおふたりにはある共通する「前提」があるように思われるんですね。
>それはおそらく、“国家という共同幻想はファイナルアンサーだ” というもの。


もちろん、ご指摘のとおりファイナルアンサーです。
歴史を振り返ってみても、農耕時代以降においては、共同体を形成して生きるという方法以外に人間が生存していくことは出来なかったのが事実です。
共同体の存在を”前提”とした「社会的」生物なのが人間であって、それを切り離すことは不可能です。
それが理解できていないのでは…としか思えません。

それに、歴史上ただの一度も、文明を維持しつつ国家という共同幻想を捨てた民族・社会が存在したことは、私の知る限りではありません。
なぜならば、そうした民族は、他の国家という共同幻想によって抹殺されてきたからです。

また、共同体という「秩序」が崩壊すれば、そこに現出するのは弱肉強食的・動物的秩序であって、そこに弱者の生きるスペースはありません

そうした状況になっても、人間が理性を持った人間として行動できると考えているのであれば、やはり左翼にありがちな「生物学的常識が欠如」という 病に罹患していると言うほかありません。

国家はあれば重荷だが、無ければもっと困った状態に陥る」という”二律背反の存在”である事を理解していない、若しくは理解しようとしないから、そのような絵空事を主張できるのではないでしょうか。

どうも左翼の方々は、理想を追い求める余り、現実を無視して「角を矯めて牛を殺す」ような結果を招いてしまう特徴があるように思います。

現実を踏まえない行動は、いくら頑張ろうと言葉で飾り立てようと、不可逆的に失敗します
こう考えると、左翼に足りないものは、ひとえに「現実を直視する能力」と言えるのではないかと考えます。

結局のところ、愚樵さんの追い求めている「次」というのは、ユートピアに過ぎないのです。
もちろん、そうした夢を追いかけるのも自由です。
ただ、それは現実から遊離した妄想に過ぎないし、知的遊戯の域から出ない類いのものだといえます。

もし、私の意見が間違っていると仰るのであれば、国家という共同体が無くてもうまくいくモデルを提示していただきたいと思います。
人間のやることですから、実現できるとしたら、過去に似たような事例が既にあるはずです。

最後に、改めて「尖閣諸島が中国の領土で一体不都合があるのか?」という問いに答えさせて頂きます。

寸土を失うものは、全土を失う」と云う格言がありますが、これを私は原理原則を曲げてはならないという「戒め」だと解釈しております。

元々尖閣諸島が中国領土であったならばいざ知らず、この島の領有権については、日本国民の一般認識として、あらゆる面からみて日本の領土であるという共同幻想がある訳です。
その共同幻想があるが故に、漁民は安心して漁を行なうことが出来、船舶は安心して航行できる。

その共同幻想を日中友好の為なら放棄してもよいとなれば、どうなるかは今回の件で明らかでしょう。

日本の領土内において、中国人が犯罪を犯しても何ら罪に問われないし、逆に経済的な制裁を受けるし、在中の日本人の安全もままならないばかりか人質に取られる事も起こりうるということです。
流石にありえないと思いますが、東京のど真ん中で中国人が犯罪を犯しても、日中関係の為なら無罪放免で釈放されることも論理的には認められることになります。

今回の日本外交の失態は、そうした事態に何ら対処できず、圧力を加えれば原理原則を放棄して譲歩する国であるということを明らかにしてしまったことです。

今後、同じような事態が起きれば、原理原則に従って日本は対処できなくなる。
これも、自らが論理一貫性を放棄してしまったからです。

中国側の論理で行けば、尖閣諸島も八重山諸島も沖縄本島ですら、当然、日本の領土として認められなくなります。
中国がそう出て来れば、尖閣同様、日本は原理原則に従って対処できなくなります。
そうした隙を与えたからこそ、菅政権は日本外交の大失態だと責められているわけです。

もちろん、愚樵さんがネット上で、「何か不都合があるかい?」と能天気につぶやく分には何ら構いませんが、それがマジョリティになったり、政府がそのような行動を取るようであれば、そのときこそ日本共同体の危機といえるでしょうね。


一知半解さんへ

メールで頂いたコメント、投稿いたしました。

スパムと判定された原因は「おまかせ禁止ワードフィルタ」にあったようです。コメント設定でこれをオンにしていたためスパムと認識されていたらしく、外すと投稿が可能になりました。

一度は頂いたコメントをエントリーとしてあげましたが、コメント投稿できたためそちらは削除しました。ご了承ください。

なお、返答は少しお待ちくださいね。

共同体とは?

・一知半解さん

まあ、せっかくですから対話をしてみましょう。

共同体の存在を”前提”とした「社会的」生物なのが人間であって、それを切り離すことは不可能

ここは同意なんですが、共同体≡国家なんですか? どうもそのように認識されておられるみたいですが、そのような見解は定説とはいえないですね。

それに、歴史上ただの一度も、文明を維持しつつ国家という共同幻想を捨てた民族・社会が存在したことは、私の知る限りではありません。

“文明を維持しつつ”がよくわからないのですけど、国家という共同幻想を捨てた民族は実在しますよ。ユダヤ人がそうですし、華僑と言われる中国人もそうでしょう。彼らは国家という共同幻想に依存することなく民族としてのアイデンティティを保っています。抹殺されることなく。

またグローバリゼーションという今や誰にも否定できない現象。この現象は、国家・民族を越えたところで展開していますよね。そしてグローバル社会というものを作り出している。これはひとつの文明だと思うのですが、グローバル社会を共同体だという人はちょっといないでしょう。

私も一般的ではない主張を振り回しますが、一知半解さんも同じみたいですね(笑)

国家を持たない民族の悲哀

愚樵さん、コメント処理ありがとうございました。
私もFC2ブロガーですが、FC2の勝手なスパム処理は問題だと思っています。

>>共同体の存在を”前提”とした「社会的」生物なのが人間であって、それを切り離すことは不可能

>ここは同意なんですが、共同体≡国家なんですか? どうもそのように認識されておられるみたいですが、そのような見解は定説とはいえないですね。


もちろん、国家でない共同体も存在しますよ。
ただ、そうした共同体は、無秩序に陥り易いし迫害も受け易い。
それを無視して、国家を否定してばかり、というのは止めたほうが良いと言いたいのです。

>>それに、歴史上ただの一度も、文明を維持しつつ国家という共同幻想を捨てた民族・社会が存在したことは、私の知る限りではありません。

>“文明を維持しつつ”がよくわからないのですけど、国家という共同幻想を捨てた民族は実在しますよ。ユダヤ人がそうですし、華僑と言われる中国人もそうでしょう。彼らは国家という共同幻想に依存することなく民族としてのアイデンティティを保っています。抹殺されることなく。


これは愚樵さんのおっしゃるとおりです。
私もちょっと間違えておりました。
不用意といわれても仕方ない発言でしたね。

確かにユダヤ人や華僑は、国家という共同幻想が無い民族と言えるでしょう。
ただ、ちょっと反論させて頂くとすれば、彼らは抹殺を逃れることが出来た数少ない稀な民族であるといえます。
つまり彼らには「常に大迫害に耐えてきた」という歴史があるわけですね。

自らの国家を持たない民族の悲哀は、歴史を振り返ってみてもゴロゴロしてます。
クルド人とかもそうですよね。

迫害と言えば、日本の捕鯨への攻撃もそう見なすことができるでしょう。
日本に対する迫害があの程度で済んでいるのは、日本と言う国家があるからです。

要するに、私が主張したいのは、「国家という枠組みを否定することはそうした迫害をも耐え忍べということに他ならない」という事です。
愚樵さんはそうした迫害を受忍する覚悟を持って主張されているのでしょうか?
私には、そのようには見えないのですが。

・一知半解さん

自ら国家を持ち得ない民族は、他国からの圧迫に曝される可能性は高い。

それは否定できない歴史の法則でしょう。
だから国家に疑念を抱くんですけどね。

国家は他国を圧迫しようとする。でも、それは他国だけではないんですよ。自国民をも圧迫しようとする。それもまた歴史の法則です。

愚樵さんはそうした迫害を受忍する覚悟を持って主張されているのでしょうか?

こうした「脅迫」はですね、国家による自国民への圧迫を正当化するためにさんざん使われてきたわけです。最近どこかで見た報道では、アメリカ人の半分が自らが属する国家を脅威と感じているといいます。そうした脅威が始まったのは9.11の事件がきっかけだったということは、言うまでもありません。その9.11は自作自演説が根強いですが、そうであろうがなかろうが、背景にはアメリカという国家の他国民への圧迫があったことは事実。今も国家による圧迫の連鎖が生じているのです。

アメリカと並んで自国民への圧迫が大きい国は中国でしょう。こちらは圧迫の歴史においてはアメリカの比ではない。なにしろ歴史そのものが長い。

長い圧迫の歴史を生き抜いてきた中国人は、哀しいことに、とても屈折した人たちになっています。非があっても誤らない、金に執着する。彼らは基本的に他人を信用できませんから、「幇」といったような排他的な共同体を作る。日本人も排他的な共同体は作りますが、「幇」はそれどころのものではないといいます。

金に執着するのはユダヤ人も同じような傾向があると言われていますね。それも圧迫のせいでしょう、おそらくは。それしか頼れるものがなかった。これは定説といっていいはずです。

他国からの圧迫には団結し国家を建設して立ち向かわなければならない。私とて、その主張に全面的に反対するわけではありません。しかし、圧迫の連鎖の果てにあるのが中国人のような姿だとしたら、一知半解さん、あなたは日本民族をそのようなものにしたいと思いますか?

それよりもまず問いたいのは、あなた自身が他国や他人を圧迫したいのか、ということ。他から圧迫されれば抵抗しなければならない、それは「当たり前の話」です。私が問いたいのは、そもそもあなた自身はどうなのだ? ということ。一知半解さんの言説を聞いていると、まず他人なんです。圧迫する他人がいて抗う自分がいる、という感じ。先に他人なんです。違うでしょう、と。まず、他人よりも先に自分がいる。ここが出発点でしょう。その出発点において、自分は他人を支配したいのかどうか。他人を支配したいのであれば、それはエゴです。

もう少し付言しておきますと、私は反右翼ですが同時に反左翼でもある。私から見れば、他人を支配したいというエゴという点においては、右も左も同じなのです。左を私は啓蒙主義者と呼んで批判していますけれども、その心は、他人を蒙昧な人間と見なしてそれを啓蒙することで支配しようとしている、ということ。しかもそれを、人権だとか平等だとかいった理念を持って行なおうとする。

人権とか平等とかいった話は、“他人の圧迫に抗う自分”と同じで「当たり前の話」です。その「当たり前の話」を理解しないといって非難し脅迫し排除しようとする。私はいずれも嫌いです。

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