愚慫空論

自然と結ばれ生死を超えた世界を共有


 日本の共同体というのは、言うまでもありませんが、決して人間だけで成り立っている世界ではありませんでした。そういう意味では、日本の共同体的なものをコミュニティというのは間違いです。なぜなら、コミュニティというのは、人間社会だけのものを指しているからです。
 日本の共同体というのは、自然と人間が結ばれた世界です。というのは、かつての人間たちは、自然(じねん)の世界に帰ることを理想として、生きていたからです。
 日本では多くの場合、自然と一体となる、あるいは自然の世界に帰るということは、悟りを開くことと同じであると解釈されました。そして、当然、人間はなかなか悟りが開けなくて、日々、つまらないことでクヨクヨしたりしているという面を持っています。そういう人間たちを、日本の思想は否定もしないし肯定もしません。これが、たとえば原理主義などであれば、自然に帰れずに生きている人間は失格だというふうに位置づけられがちです。けれども、日本の思想は、その点では欧米流の善悪二元論とは違っていて、自然に帰ることがいいことなのではあるけれど、それができないのもまた人間だというような、両方とも肯定しているようなところがあるのです。
 そういう人間のあり方をどういうふうに表現するかといいますと、これも仏教思想を借りているのですが、「人間の悲しさ」と言っているのです。これはとてもうまい表現で、決していいことだとは言っていませんが、早く自己批判しろというような迫り方もしていません。それが人間だよ、だけど悲しいものだよね、という、実に微妙な言い方です。そういうふうに、自然に帰れない悲しさを持ちながら生きているのが人間であると認識しながらも、それでも最後は自然の世界に帰りたいという気持ちを持っている。そういう信仰的世界とともに、自然と人間を結んでいる世界がありました。
 少し余談になりますが、自然と人間は結びながら生きなければいけないということも、今日的には、非常に機能的な解釈をされているように感じます。自然と人間が結ぶことによって、人間が癒される。あるいは、子どもに自然教育をすればたくましく育つ。確かにそういうこともあるでしょうから、どんどんやってくださればよいのですが、ただ、解釈としては非常に狭いものですし、それでは、人間の悲しさというような深い領域には、とても到達できないでしょう。その領域に到達するには、まず、自分たちの精神はどこに行きたいのかということに向き合うところから始めなければなりません。そして、その先に自然が見えてくるという世界なのです。ですから、それは、自然がいろいろな有効なものを提供してくれるからお付き合いしましょうというような、機能論的な発想ではないのです。
 本当のところをいうと、私は、共同体という言葉も正確ではないと思っています。きちんと調べたわけではありませんが、共同体という言葉は、おそらく明治期に、外来語を翻訳して生まれたものでしょう。ですから、江戸期の文献には共同体という言葉は出てこないはずで、私は見たことがありません。
 本当は、共同体というよりも、むしろ村といったほうがずっと正解に近くて、村の思想、村とは何かという言い方をしたほうが、ずっとよいのではないかという気がします。
 つまり、自然と人間の世界があって、生死を超えた世界があって、そこに共有された物語をつくる。そうやって生まれてきた共有空間こそが村であったわけです。ですから、そこには、はじめから機能の問題があったわけではありません。ただ、結果として、自然資源を管理したり、共同で水路を管理したりと、村はいろいろな機能を発揮することになったというだけのことです。
 日本の共同体論は、そもそも、ヨーロッパの共同体論をそのまま日本に移行させようとしたところから出発しているために、最初から無理がありました。しかもそれは、共同体のような封建的なものは、早く解体して近代化しなければいけないというふうに捉えられていました。やがて、それに異説が登場してくるのですが、おそらく一番早かったのは、農業土木のほうから出てきたものだったと思います。それは、一九六〇年代の中ごろ、水路管理における共同体の有効性といったかたちで出てきました。そして、一九七〇年代になってくると、農業経済学者の守田志郎さんが、また新しい角度から、共同体の重要性についての論理を展開し始めていきます。
 ただ、どうしても、今の社会は機能優先の考え方が一般的になっているために、共同体の有効性を捉える側も、常に機能論的に考えてしまうところがあります。
 私も若干、そういうきらいはあるのですが、本当は少し違うのではないか。その前に、自分たちの共有された世界があったことこそ重要なのではないか。その世界の根底には、もはや信仰的世界とわけることのできない自然観や死生観といったものがたくさんあって、だからこそ、明治政府は日本の近代化にとって絶対に容認できないものとして次々と攻撃をかけたのではないかと思えてきます。

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事へのトラックバックURL
http://gushou.blog51.fc2.com/tb.php/420-d2b5fe15

民主集中制と共産党の不思議な話

『民主集中制』の党規約の意味するもの』 >『共産党については、とある住民運動に最初は熱心に参加していた党員が、ある日突然手のひらをかえすように引き上げてしまったことを覚えています。』 ブログ読者氏が実体験された>『ある日突然手のひらをかえすように引き上...

東シナ海、天気晴朗なれど波高し(中国漁船衝突事件)

尖閣諸島で中国の漁船と海上保安庁の巡視船が衝突した事件で中国外務省は25日、日本が検察庁が起訴保留で釈放された中国漁船の船長を逮捕、拘留したことについて、尖閣諸島は中国の固有の領土で、日本がいかなる司法手続きを取ることも違法で無効で、中国の主権を侵した...

日本のサーカシビリ前原誠司(中国漁船衝突事件)

『日本のサーカシビリ、ネオコンの前原』 今度の尖閣での騒動ですが、マスコミの報道は近視眼的で歴史も現実もまったく考慮した形跡がありません。 前回の同じような衝突騒動を起こしたのは、救いがたい阿呆な標語『美しい国』の極右安倍晋三が主導して『強い日本』を印

地検特捜部ぐるみの創作劇だった郵便不正事件

大阪地検特捜部検事による証拠隠滅事件で、前田恒彦主任検事(43)による故意の証拠データ改竄を認識しながら、隠蔽したとして、最高検は10月1日、犯人隠避容疑で、大坪弘道前特捜部長、佐賀元明前同部副部長を逮捕。 大坪弘道前大阪地検特捜部長らの逮捕に特捜部経

「中国は悪しき隣人、法治主義なし」枝野幹事長代理

各種マスコミ報道によると枝野氏は、 『悪しき隣人でも、隣人だからそれなりの付き合いをしなければならない。だが、この国と、例えば米国や韓国と同じように信頼関係をもって物事を前に進めることを期待する方がおかしい。』と講演で断言。 日中の『戦略的互恵関係』につ...

共産党の失われた20年とネットコン(ネット共産党)の悲劇

日本共産党の第25回大会期・第2回中央委員会総会が9月25日から3日間の日程で開催され、参議院選挙敗北の原因を探求。 第二回中央委員会総会は赤旗全紙8ページにも及ぶ報告が行われたのですが、・・・本当に反省する気が有るのでしょうか? 共産党の党勢や赤旗読者...

 | HOME | 

 
プロフィール

Author:愚慫
“愚樵”改め“愚慫”と名乗ることにしました。

「空論」は相変わらずです (^_^)

      

最近の記事+コメント
最近のトラックバック
月別アーカイブ
全ての記事を表示する

全ての記事を表示する

QRコード
QRコード